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義侠

 モアンの酒場はごろつき共のたまり場だ。貧民窟の最奥に位置し、あらゆる法を犯した者たちの憩いの場となっていた。傾いた店内には所狭しと机が並べられ脇には無造作に酒樽が置かれている。ここでは丁寧に1杯ずつ頼む者などいない。樽で買い、器を突っ込んで酒を(すく)うのが普遍的な楽しみ方だった。

 仄暗い灯りの中では賤しい者たちが飲み交わし、適度に殴り合い、賭博をし出女とまぐわっている。大して広くもない空間だがそこには大いに自由が広がっていた。

 店主のモアンは寡黙な男だ。喧騒に目もくれず黙々と包丁を研いでいた。誰ともつるまないが誰でも受け入れる。誰を贔屓にすることもなく明確な規則も設けないため、客は毎度店主の顔色を伺うしかないのが店を存続させる秘訣と言えるのかもしれなかった。

 酒は客が勝手に酒蔵から持ってくる。店として出すつまみは干し肉だけなので注文が入れば適当に切って投げてやればいい。他人の樽から酒を盗む奴がばれれば当人らで裏手に連れて行って処理をするし、意外と秩序は保たれていた。

 ある机で博打をやっていた2人のうちの一方が激昂して立ち上がり短刀を抜いた。負けそうになった者やいかさまに気づいた者、あるいはいかさまが気づかれた者が怒りに身を任せるのはよくあることだ。

 相手も即座に応じて椅子を跳ね除ける。周囲で勝負を観戦していた者たちから歓声があがった。どちらが博打に勝つか賭けていたものの、こうなると決着はうやむやになる。それでも構わない。どの道どちらが勝つのか賭けるという行為に変わりはないし、もっと面白い見世物に変わっただけだからだ。

 両者は口汚く罵り合うと左手でお互いの胸倉を掴み至近距離で刺し合いを始める。3、4回も刺しあえば逃げ腰になるが、周りから尻を蹴られて輪の中心に戻される。

 指が落ち、目が潰され、汚い服が雨に打たれたように血濡れになってようやく一方が力尽きて床に転がった。見物人から歓喜と落胆の叫びが漏れた。

 負けた方は荒くれ共に無造作に裏へ引きずられていく。賭けに負けた者たちは少しでも財産を取り戻したいので文字通り身ぐるみを剥がさなくてはならないのだ。負けたのだからそういった扱いになるのは仕方がない。最近夜は肌寒くなってきているので血を大量に失っている彼は明日を迎えることはないだろう。

 対する勝った方は喜ぶ男たちに賞賛され、取り分の小銭を握らされ、酒をかけられ、邪魔だから裏手に投げられる。こちらも意識が朦朧としているので結局誰かに身ぐるみを剥がされて犬の餌になる運命だ。

 満足した者たちは再び酒盛りに興じ始める。一連の流れも手慣れたものだった。

 店内はまた思い思いの狂騒に戻った。

「ああちくしょう、有り金ぜんぶすっちまった」

 茶髪の男は店奥の席に戻るとくすんだ長髪を掻き毟って溜息をついた。ふけは落ちず、ねっとりとした頭皮の垢がぼろぼろの爪にこびりつく。それを(こそ)いで口に運びつつ、酒樽に拳ごと器を突っ込んで酒をあおった。出迎えた仲間の男たちはせせら笑った。

「だからやめとけって言ったんだ。おまえ馬鹿なんだから賭けには向かねえんだよ」

「小銭が出来るとすぐにこれだもんなぁ。懲りねぇの」

 顔半分が焼け爛れた男と吹き出物だらけの肥満男に笑われて、茶髪は当然面白いはずもない。しかし彼らは仲間だった。そしてそんな軽口はいつもの事なのでいちいち過剰に反応してなどいられない。

 しかし馬鹿と言われて何もしないわけにもいかないので飲み干した器を投げつけた。

「うるせぇ糞どもが。飲み代はただなんだぜ?金が余ってんのに賭けねぇなんて出来るかよ」

 火傷男が難なく避け、後ろの木壁に当たって大きな音がする。喧騒の中なのでさほど目立つ音ではなかたがモアンだけが一瞬ちらりと目を寄越した。 

「賭けは金がなくなるかもしれねぇんだからお前も酒にしとけば良かったんだよ。俺は上等な酒にしといて良かったぜ。あれはツケじゃあ買えねえんだからお前も普段出来ねぇことをしておくべきだったな。だから馬鹿だってんだ」

「俺に言わせりゃお前も馬鹿だけどな。酒なんて酔えれば一緒だろう。俺はやっぱり女だね。酒か女かなら酒だがな、今日は酒はただで飲めるんだ。だったら女を買うべきだろう。ああ、最高だ……」

 普段は飲めない混ざり物のない酒の空瓶の注ぎ口を舐めまわして味を思い出し悦に浸る火傷男と机下で蠢く出女の頭に手を置いて恍惚とした表情を浮かべる肥満男に茶髪男は唇をめくりあげた。

「おめぇらの糞みてぇな考えなんか聞いてねぇよ。俺は上等な酒を飲みながら女と出来たんだ。あの豚野郎が泡食って得物なんか出さなけりゃ……」

「その前から負けてたと思うがなぁ。悔しいならお前も()()()()に加わってくりゃいいじゃねえか」

「ふざけんな呆け。正義の自警団様が盗みをしちまったら示しがつかねぇだろうが」

 一瞬間が開き、「違えねぇ!」と笑いあう3人。急に頭を叩かれて出女が机の下で(むせ)た。

 そこへ新たな客人が来訪した。モアンは一瞥をくれて、やはり特に何を言うわけでもなく再び包丁研ぎに目を落とす。客は2人組だった。

 1人は脂ぎって縮れた黒色の長髪で、細面に無精ひげを生やした男だ。汚らしいがそこそこ上等な服を着ており顔つきも意外と整っていて気品がある。

 もう1人は背中の曲がった小男だった。覆っていた布きれを取ると、露わになったのは恐ろしく歪んだ醜い顔面だった。

 男たちが場に現れると気づいた者たちから声があがった。おべっか、皮肉混じりと多様ではあるがそれはどれも一応は敬服の声だった。

「遅かったじゃねぇか団長!」

 茶髪男が入口に向かって怒鳴った。気づいた男は顔をしかめて露骨に嫌そうな顔をし、モアンに軽く手を上げて挨拶しつつ店内を横断する。机ごとにかけられる言葉は無視だ。

 客は自警団長オステラと副団長ダストンだった。

 オステラは空いている椅子に座り、ダストンは椅子が空いてはいるが傍らに立った。

「ずいぶんと長かったじゃねぇか。そんなに具合が良かったのか?」

「旦那にばれたんだろう!」

「そんなへまするかよ。おう、モアン。上等なやつを2つくれや!」

 口々に軽口を叩く団員たちを適当にあしらい店主に注文を入れる。モアンは慣れたもので既に瓶を1本用意しておりオステラに向かって投げてよこしたが、意外そうな顔をしてもう1本瓶を出した。

「団長、2本たぁやっぱり自棄酒じゃねぇのか?そんなに飲みたきゃここにあるぜ」

「ふざけんな病気が移るだろうが」

 団員たちの何樽目かわからない酒を勧められたが当然オステラは口にすることはなかった。もう1本投げてよこされた酒瓶を受け取り、軽く掲げて店主に礼をする。

「もう1本はダストンのだ」

「恐れ入りやす」

「なんだって?なんでまた!」

「おいおい副団長様は偉くなったもんだな!」

「俺にも飲ませてくれよ!」

 口々に巻き起こる批難の声をオステラは手を振って威嚇しつつ栓を噛んで抜き、脇に吐き出す。飲み過ぎて床に転がっていた団員の顔に当たったが男はぴくりとも動かなかった。

「ばーっかやろう。てめえらが何をした?穀潰し共が、昼間っから今の今まで酒かっくらいやがって。その間ダストンは1人で不法滞在者の手引きをした可能性のある奴らの聞き取りしてたんだぞ?立派に働いた奴は良い酒にありつける。当然の権利だろ」

「じゃあ団長の酒くれよ。団長だって尻軽相手に腰振ってただけだろ。飲んでみてえよ、それ」

「お前らと一緒にすんじゃねぇよ。で、なんでお前らまだいるんだよ」

「みんなもう飲めねぇって帰っちまったけどな、俺らは団長のこと待ってやってたんだよ」

「けっ、糞どもが」

 昼間にオステラと別れた自警団の面々だが、団長の奢りを良い事に散々飲み食い散らかしたは良いものの流石に半日以上も酒場にいるのは退屈だったらしい。大よその者は満腹になるとすぐに他の場所へ繰り出して行ってしまったのだ。残ったのは団員の中でもしつこい面子というわけである。彼らは奥の机を占領し、腹が満たされればじっと腹に空きが出るのを待ってを繰り返していた意地汚い4人だった。

 オステラはダストンと酒瓶を合わし上等な酒を嗜む。茶髪男が恨めしそうに喉を鳴らしたが無視だ。喉を潤し酒瓶を机に置くと茶髪男がすかさずそれを奪い逆さまにして口を開けた。しかし中からお目当ての液体が出てくることはなかった。ダストンは一口含んでその味を堪能していたが、立ち位置を団長の右隣から左隣に移して茶髪男から少し距離を取った。

 オステラは口髭に付いた滴を乱暴に袖で拭うと大きく息を吐いた。

「まぁいい。お前らはいい奴だよ。俺らの到着を待ってたわけだ。そうだろう?そういう事にしておくぞ。ある意味丁度良かったんだ。そんなお前らを見込んで話がある。良い話と悪い話だ」

 急に小声になった団長に男たちの雰囲気が変わった。

「なんだよ団長。金の話か?」

「まぁ聞けよ。あと女、おめぇは消えろ。で、まずは悪い話だ。ノーランが殺された」

「おお。で、良い話はなんだよ。金なんだろ?」

 すぐさま足元から這い出てきて逃げるように店を出ていく出女の背を見つめ肥満男が「まだ途中だぜ」と名残惜しそうにぼやいた。

 大切な仲間の死に何の感想も持たず目先の欲を優先する部下たちに苦笑いしつつオステラは話し始めた。

「まぁ聞けよ。ノーランの事は良い話とも関係なくはねぇんだ。俺はな、婦人に()()()()をした後ノーランの所に向かった。そしたらあいつはまだ()()だった。仕方ねぇから俺だけ政庁に向かった。あいつ、しつこいからな。ああなったら俺にも手が付けられん。がきはご愁傷様だったけどな。そんで政庁で()()()を伝えたんだ。そしたらよ、証人を確認したいなんていうもんだ。仕方がねぇから兵士に来てもらって婦人の所に案内したんだ。そしたら婦人が死んでた。殺されちまったんだ。剣か何かの刃物だった。俺は嫌な予感がしてすぐにノーランの所に向かった。正直あいつの趣味を兵士に見せるのは気が引けたがそんなこと言ってる場合じゃねぇ。だがノーランも殺されていた。もちろんがきもだ。皆一刺しだった。分かるか?がきに夢中だったノーランはともかく、婦人まで何の抵抗もなく一突きだぜ?口封じのつもりだろうが動かねぇ証拠って奴だ。兵士たちも分かったみたいですぐさま俺たちは政庁に戻ったよ。やっぱり()はこの都市にいる。()()()が来るのはこの都市だぜ」

 男たちは酔いも冷めたか神妙な顔で聞いていた。()……黒騎士は本当にいたのか。本当に黒騎士はいて、見られてしまったから尻軽たちを始末しに再び現れたというのか。すると伝承どおりならアリアの月の日に赤い光が降り注ぐのはこの都市なのだろう。話には聞いたことがある。厄災にあった都市は殆どが破壊され、殆どが死ぬのだと。

「……本当だったのかよ。じゃあ俺らもう少しで死ぬのか?」

「別に糞みてぇな人生だしどうでもいいがよ、だったら死ぬまで酒を飲んでたいぜ」

「どうでもよくねぇよ!俺は死にたくねぇしもっと楽しいことがしてぇぜ!」

 次第に声が荒くなる男たちに静かにするよう求め、団長はもっと声を落とした。

「静かにしやがれ!他の連中に聞かれたら不安を煽るだろうが!……俺だって死にたくねぇ。だけど聞け、話はここからだ。良い方の話だ。すげぇ事になったぜ。今日政庁には誰がいると思う?」

 男たちは顔を見合わせた。

「誰って……聖都の派兵隊のお偉いさんだろう」

 火傷男の返答に指を差して目を見開くオステラ。しかし、だからなんだと想像が膨らまない3人。

 見かねたかダストンが補足した。

「派兵隊のお偉いさんはこの都市の防衛隊の方だけじゃねぇです。トルドレン行きの本隊の方も今日は政庁に宿泊なさるんでさぁ」

 尚も眉根に皺を寄せる3人にオステラは溜息をついた。

「ここまで言われて分からねぇのかよ、お前らは。毒が脳みそにまで回っちまったのか?」

「いや、さ。薄々は分かってるぜ。でもまさかと思ってよ」

「まさか……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ってことになったわけじゃねぇよな?」

 自信なく回答する茶髪男に対して今日一番に目を見開き、得意顔で人差し指を立てるオステラ。

 男たちの口角もみるみるうちに引きつき始めた。

「嘘だろう?団長、2都市分の兵隊さんがこの都市を守るのか?聞いたことねぇぜ!?」

「トルドレンの連中は納得するのかよ!?話しても信じてもらえるのか!?」

「それは知らねえ。上の方でなんとかするんだろ。それでな、色々あったみてぇで俺らにもおこぼれが回ってきたわけよ。戦う武器だ。市長のやつが武器をくれることになった。流石に上級市民様が俺らのところに来てくれるわけがねぇ。だから、そいつをくれてやるから上手く使って自分たちの棲家は自分たちでなんとかしろとよ」

「太っ腹じゃねぇか市長さんもよ!で、もう貰ったのか?」

「いや、まだだ。トルドレン行きの本隊さんが明日出立するふりして準備をする。その際にちゃちゃっと俺らにも流してくれるらしい」

「横流したぁ市長さんも悪だなぁ!」

「俺たちはついてるぜ!やってやろうじゃねぇか!」

「本当についてたらそもそもこんな事にはならねぇだろうがな!」

 興奮し大声で笑い合う3人を見ながら鼻筋に皺を寄せつつオステラは肩肘をついた。

 馬鹿だ馬鹿だとは思っていたがこんなにも馬鹿だったとは。その場の空気に流されやすい連中だ。丸め込みやすいが状況によってはすぐに違うことを言い出すだろう。果たしてこんな奴らに頼って良いものか。

 なんとなく副団長を見るとダストンはすぐにオステラが何を考えているか察したようで「でも数は大事ですよ」とだけ言って背中を押した。やはり頼りになるのはこいつだけか、と団長は諦め半分に微笑んで頷いた。

「話を戻すぞ。俺は最初に言ったよな?お前らを見込んで話があるってよ」

「言ったか?」

「てめぇ殺すぞ。言ったよ。それはな、俺のいう事を聞けってことだ」

「いつも聞いてやってるじゃねぇか」

「ああ、だったらその調子でいい。例の日が起きた後はしっかりと武器は市長に返すんだ。ひとつ残らずな」

 オステラの提案に男たちは寝耳に水といった具合に呆けた。

「なんでだよ。くれるんだろ?だったら貰っとけばいいじゃねぇか」

「というか売れるぜ?」

「売れるな。いい金になる」

 口を尖らせて抗議する下種どもだったがオステラはその反応を読んでいた。そこですかさず男たちの声を制する。

「そういう所だ。お前ら、そういう所だ。いいか、俺らはそういう連中だとしか見られてねぇ。だから市長は貸すんじゃなくてくれてやるって言ったんだ」

「だったらいいじゃねえか、市長も言ってんだったら後は俺らの自由だぜ」

「いいか?糞から生まれて糞の中で育った糞みてぇな俺たちが自警団なんてありがてぇ名前で呼ばれてんのは何故だ?それは糞なりに汚ねぇ臭いを出さねぇように気を付けてきたからだ。信頼ってやつよ。だが市長が俺らに武器を託すのは信頼じゃねぇ。俺らが武器を手に入れて暴動を起こしてもそれを簡単に鎮圧出来る兵力差が今はあるって事と、例の日の後なら余計にそんな余裕がねぇって事と、俺らが武器なんてすぐに売っ払って酒にしちまうっていう安心から武器をくれるんだ。だがよ、ここで俺らが武器を返したらどう思う?一層信頼を得られると思わねぇか?」

「そんなもん得てどうすんだよ」

 長い台詞に理解が追いついていない3人。酒で頭が回っていないのもあるだろうが、例え素面(しらふ)でもあまり変わらない気もする。

 この馬鹿たちに説明するのは骨が折れるし恐らく片鱗も理解できないだろう。しかしオステラには今日中にやらなければならないことがあった。そしてこの酒場はそれをするのに最適な空間なのだ。

 オステラは少し思案した。そして話し始める。その声色は一段低く、そして弱々しかった。

「俺には夢がある。こんな糞みてぇな俺らでも一端(いっぱし)の人間として扱われるって夢がな。お前らは生まれた時の事を覚えてるか?俺は覚えてねえ。こんな掃き溜めに産まれる事を選んだ覚えがねえんだ。にも関わらず上流だ下級だなんて分けられて、連中は俺らの寝ている頭に平気でてめえらの糞尿をぶちまけていきやがる。それでいて汚ねぇって蔑みやがるんだ。なんの努力をしたわけでもねぇ、生まれで俺らは判断されちまう。だがよ、俺は別に仕返ししてぇわけじゃねぇんだ。そんな事しなくてもよ、変わってきたと思わねえか?一昔なら俺みてえな奴が政庁の、まぁ裏庭だけどな、そこまで出入り出来たか?ダストンだってそうだ。兵隊様と会話出来たか?今じゃあ軽口言いあって笑いながら肩だって叩かれる。昔だったら近寄るだけで剣を抜かれてたこいつがだぜ?なぁ、変わってきてんだよ。俺らがしっかり規則を守ってっから、少しずつ人間としての扱いを勝ち取ってきてんだ。そいつは武器を持って暴動を起こすより地味だがな、よっぽど確実に勝ちを得られる道なんだ。なぁ、お前ら。俺はこの都市が好きだ。変わってきたこの都市が好きだ。明後日!厄災が降るのは黒騎士がこの都市に現れた以上確実なわけだが、市長が俺の進言を聞いてくれてトルドレン行きの派兵隊が留まってくれることになった。それでいて俺らにも武器が渡されるなんて本来ならありえねぇ話だ。ある意味アリアの月の日様様よ!より一層変われる良い機会だ。だったら皆で陽の目を見ようぜ!俺はこの下町の連中を誰一人として悪魔になんか死なせたくねえ!絶対に皆で生き延びて、一緒にこの都市が変わるのを見てぇんだ!団結が必要だ。だからまずはお前らが言う事を聞いてくれ。武器は厄災の後には市長に返す。約束してくれ!」

「お、おい団長……」

 拳を握って熱くなるオステラを今度は茶髪たちが嗜める番だった。いつの間にか喧騒は止み、茶髪たちは団長の後ろを見ていた。

 オステラが静かに背後を振り返るとモアンの店の客全員がオステラを見ていた。一瞬だけ沈黙が流れる。

「なんだよてめぇら、こっち見てんじゃねぇよ」

 オステラは威圧したが近くにいた垢まみれの髭の男が軽く失笑した。睨みつけるも、男は全く意に介さずに反論してくる。

「団長さんよ、あれだけでけぇ声で叫んでりゃ誰だって見ちまうぜ」

 口ごもる団長。垢髭男は続けて言った。

「ずいぶんと臭せえ事言ってたじゃねぇか、え?気持ち悪いったりゃありゃしなかったぜ」

「……うるせえな」

「俺たちを守ってくださるってなぁ、自警団長様はお熱いこって」

「……酔っぱらっちまったみてぇでな。柄にもねぇこと言った自覚はあるぜ。少なくともてめぇは肥溜めに落ちても助けねぇよ。勝手に死にな」

「アリアの月の日はこの都市に降るって本当か?」

「…………」

 オステラは黙った。しかしそれは答えているようなものだった。客はどよめき口々に隣り同士と囁き合った。

「黒騎士が出たんだろ?朝っぱらからあんたらが騒いでたのはそれだったのかい」

「…………」

「答えてくれ、団長」

 皮肉交じりだった垢髭の口調からも顔からも笑みは消えていた。ただその顔には怒りもなければ蔑みもなく、純粋に言葉を待つ静かな面持ちだった。

 オステラは髪を掻き上げ椅子に深くうなだれた。一度視線を足元に落とし小声で質問を肯定したが、すぐに垢髭の目を見てはっきりと白状した。

「……ああ。黒騎士が出た。朝の件は別件だけどな。あの後に黒騎士を見たっていうがきと母親に会った。それを政庁に報告しに行ってる間に親子もろとも口封じされちまった。うちの豚野郎も一緒に死んだ。悪りいな、これは聞かれたくなかった。知っちまった奴は黒騎士に狙われるかもしれねぇからな。でもまぁ、アリアの月の日が確実だって信じさせるには黒騎士が出たって言う他はねぇもんな。今日だってかなりの人間に知れ渡ってるし明日には殆どの人間が知る事になるからもう奴が口封じに動くこともねぇか。明後日の夜、アリアの月の日に悪魔が降るのはこの都市だ。間違いねぇ」

 オステラの自白に多少の悲壮感が漂った。地に目線を落とす者、逆に天井を見上げる者。急に告げられた事実は余命宣告のようなものだ。動じない者などいないはずもなかった。

「でもよ、トルドレン行きの派兵隊が残るんだろ?」

「ああ、大将のマクラインって奴が市長に約束してた。それは確かだ」

「そんで、俺らにも武器が貰えるんだろ?」

「……ああ。備品とか型落ち品とかだろうが俺らの持ってる(なまく)らとはわけが違うだろうな。なによりでかいのが防具だな。それもくれるそうだ。いや、()()()()()()()()

「そうかい、じゃあ充分だな」

「ああ?」

「充分だ。俺はそう思うぜ、団長。さっきから聞いてりゃ歯が浮くようだがいちいちあんたの言う通りだ。あんたらは良くやってたと思うぜ。くそったれの市民様にごみみたいに扱われても、俺らに市民様から盗みを働いちゃいけねぇだとかよく言い続けたと思う。確かに昔よりよっぽどましになったもんだ。だけどな団長。俺らは掃き溜めの糞だ。食って飲んで、糞して寝ての繰り返ししかしねぇごみだ。飢え死にするか馬鹿やらかして死ぬかするまで同じことを繰り返す生き方しか出来ねぇ。俺たちはおいそれと変わりゃしねぇんだよ」

「…………」

「そこへ来てアリアの月の日だってなもんだ。何もかもがぶっ壊れちまう。夜明けまでに殆どが壊され死んじまう。そういう伝承だよな。あと2日だろ?だったら好きにやらせてくれよ」

 垢髭の言葉に重たい空気が漂い酒場に充満する。

「……そうかい、別にてめえなんかどうでもいいがな。好きにしろよ」

 オステラが立ち上がろうとすると急に垢髭が動いた。

「ああ、好きにするぜ!」

 咄嗟に驚き反応するオステラだったが男が出したのは酒を入れる椀だった。

「なぁてめえら!アリアの月の日で何もかもぶっ壊れちまう!それが伝承だ!だけど今回は違うみてぇだな!よっぽど生き延びられそうじゃねぇか!」

 垢髭にいきなり話を振られて客の全員が驚いた。オステラも驚き訝しげに垢髭を見る。

「団長よう、俺の人生は糞みてぇなもんだ!いつ死んでも大して悔いのねぇ人生だったがよ、ほぼ確実に死ぬって日が分かるとそれまでどうやって過ごそうかなんて考えちまうな!そんで今度はよ、生き延びられるかもしれねぇって話がくると死にたくねぇって気になってくるもんだな!そんでよ、そういう気になると何となく、何となくこれを機に変われるんじゃねぇかって気がしちまうもんだな!こんな糞みてぇな俺でも変われる気がしちまうもんだな!……なぁ、団長。生き延びるにゃ団結が必要なんだろう?だったら……俺も加えてくれねぇか!?」

 垢髭の次第に萎らしくなる声と共に辺りに静寂が戻る。普段だったら茶化す者が出てきそうなものだが今回ばかりは誰もが固唾を飲んで先行きを見守っていた。

 オステラは立ち上がって垢髭の隣りまで行くと、机の上に無造作に置かれていた椀の1つを拾って酒を酌んだ。それを垢髭の眼前で据えつつしっかりと垢髭の目を見つめる。垢髭もその意味が分かって奮えた。

 垢髭が急いで自分の椀に酒を満たすと、それに釣られるように周囲の者たちも自分の椀に酒を酌み始める。茶髪、火傷、肥満も例外ではなく、モアンさえもそれに倣っていた。

「生き延びようぜ」

 オステラの一声に場が締まるのを皆が肌で感じた。

「確かな情報だ!明日は正午の鐘が鳴っても派兵隊の本隊は出立しねぇ!代わりに防衛準備へと取りかかる!俺らもそこに加わって装備を受け取るんだ!同時に女やがきや老いぼれどもは一所(ひとところ)に集める必要がある。流石に広範囲に散らばられてると守れねぇからな。今日はもう遅いからこんな時間に全員を説得したり落ち着かせたりして回る事はできねぇ。だが知ってる俺らには時間はねぇ!一所に集められそうな場所、そこへ誘導する奴、武器を受け取りに行く奴!それぞれ分担を決めるぞ!」

 オステラが椀を掲げると皆もそれに従い、一気に飲み干した。


 普段から夜通し灯りが絶える事のない店がある。

 モアンの酒場というごろつき共のたまり場だ。

 しかし今日という日には、そこには都市を愛する市民たちが集っていた。

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― 新着の感想 ―
黒騎士、思っていた以上にヤバいお方なのですね(・_・; やんごとなきご身分のお方が高いところでご高説を垂れるより、身分が高くなくても荒っぽくても、想いの詰まった言葉というのは心惹かれてしまいます。 …
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