清濁
通りを我が物顔で闊歩する一団がいた。
物乞いは息を殺してうずくまり、商人は笑顔に潔白を込め歓迎した。腕っぷしに自信のある狼藉者も彼らには手出しが出来ない。男たちはイースルングの自警団だ。
自警団は教会の認可を得、衛兵とは別に治安を担う集団である。特に都市の暗部とも言うべき掃き溜めにおいて彼らの権威は絶大であった。
団長のオステラは頭の切れる男だ。貧民の出で学はないが、法に触れるか触れないかの境目を嗅ぎ分ける力に優れていた。そして働き者であり団員からの信頼も厚かった。
集団に団員の1人が追いつく。手には羊皮紙を持っていた。紙を団長に渡しながら報告する。
「昨日の着到表の写しです。門兵に急ぎで書かせやした。どこで何をするのかも書かせやしたんで、こいつを見りゃ何処にどいつがいるのかだいたいの場所がわかりますよ」
「おうダストン、お疲れさん。気が利くじゃねぇの。ふうん、なるほどね」
長い前髪をかきあげ鬚をさすりつつ記述に目を走らせる。商隊、出稼ぎ農民の集団、護衛付きの巡礼者……。本来なら手分けをすれば半日で充分だ。しかし連れは常に目を光らせておかないと何をしでかすか分からない者たちばかりである。別働隊を任せられるのはせいぜい1人であり、聞き込みが一日がかりになるのは必定だった。
「ほんなら早いとこ終わらせようや。とりあえずまた二手に分かれて聞き込みするぞ。組み分けは朝と一緒な。ダストン、任せたぞ」
「わかりやした。団長、聞き込みですが巡業者は団長にお願いしてぇです。あっしはこの商隊と、あとは農民を任せてくだせぇ。これで半分でございやしょう?」
「ダストン、俺お前のそういう弁えてるところ好きだぜ」
「団長!仕事なら朝やったじゃねぇか。もう飲みに行こうぜ!」
「金にならねぇと働いたって言えねぇんだよ」
不満の声を漏らす一同に団長は口を尖らせた。金がなくても酒を飲めると思っている連中である。確かに出来なくはないが、そんなことをしてしまったら今まで築きあげてきた地位も信頼も全て水泡に帰すだろう。危なっかしい連中だ。しかし数の力は大切なので何とか御さねばならない。幸いにも今のところ言う事は聞いている。
「最近働きすぎじゃねぇか?こんなんじゃ俺らが飲み食いするぶんの酒が誰かに飲まれちまうよ」
「仕方ねぇだろ。アリアの月が赤くなってきてんだ。教会もぴりぴりしてやがる。ここで阿呆みたいに酒かっくらって遊んでてみろ。杖で尻をぶち抜かれるぜ」
今朝もダストンたちが捕まえた不審者の尋問に立ち会ってきたばかりだ。結局はよくいる不法出稼ぎ民だと分かったのだが、それで一件落着では動き損である。出稼ぎ民も大して金を持っていなかった。気持ちよく一日を終えるには誰が手引きしたかまで突き止めて金を巻き上げなくてはならない。
恐らくは下手人は商人だろう。門兵には小銭でも握らせてしまえば積荷の中身が何であろうと黙認される。ただ、多かれ少なかれほぼ全員が賄賂を握らせているはずだから門兵に聞き込みをしたところで有益な結果は生まない。門兵を尋問なんて出来る身分ではないし、彼らとは良い関係を築いていたかった。
「面倒くせぇのは分かってる。だが一組一組当たって、不法出稼ぎ民を手引きしたか女神に誓わせるんだ。5銅貨以上出してきたら不問にする。そいつが犯人だ。以下なら揺すって、それでも大して払わねぇならとりあえず今日のうちは勘弁してやるんだ」
「なんでだよ団長!それじゃ舐められて仕舞いってことか?納得いかねぇぜ!」
「犯人見つけたならそれでいいんじゃねぇの?さっさと衛兵に突きだして、とっとと飲みに行きましょうや」
「あのなぁお前ら。面倒事に巻き込まれたくねぇ奴らなら必ず金は出す。出さねぇ奴はまずいねぇ。だったらよ、犯人見つけて、はいおしまいでお前らはいいのか?せっかくこっちには不法出稼ぎ民なんていう証拠があるんだぜ?衛兵にも確認させてある。昼には検分委任状も発行されるだろう。だったらそれを目一杯使わせてもらうべきじゃねぇか?犯人が俺らに何をしたよ?俺らには関係のねぇことをしただけだ。つまり何もしてねぇ。むしろ一番金をくれる良い奴だ。だったらとりあえず全員当たってみて、一番けちくせぇ奴をとっ捕まえるべきなんじゃねぇか?」
「なるほどなぁ!つまりどういうことだ?」
「今日一番けちだった奴を明日犯人として衛兵に突き出したほうが一番旨い酒が飲めるってことだよ」
「なんだそれ!」
「わかんねぇけどけちな野郎はぶちのめしたほうがいいな!」
「旨い酒が飲みてぇ!」
説明したところで理解には及ばないが、差し当たり乗り気にはなったようだ。
まったく目先の欲に忠実な者たちであった。
「オステラさん!」
遠くで一同を待ち構え家前に佇んでいた女性が堪えきれずに走り寄ってきた。
女性が首根っこを摑まえて引きずってきたのは女性の息子と思しき少年だった。殴られたのか、鼻血で服を染めながら恐怖に顔を強張らせていた。
「どうしました婦人。喧嘩ですか?」
「違うんです。それが……この子……」
倒れそうなくらい蒼白になりながら言葉を選ぶ女性。ただならぬ気配を察し荒くれ者どもが顔を見合わせた。
団長は優しく微笑むと片膝をつき少年の目線に背を合わせる。少年は一層体を大きく震わせた。
「どうしたんだ?喧嘩したのか。それともお前から何かを盗んだ糞野郎がいたのか?」
少年は答えない。恐ろしくて声が出ないのだ。そして軽々しく親に告げてしまった事を後悔していた。親は子供の他愛のない報告をすぐに誰かに喋ってしまうものだ。
苛ついた女性が感情的に子供の肩を揺するも団長はそれを静止する。
代わりに子供の目を見つつ、声だけは女性に投げかけた。
「この子からいったい何を聞いたんです?」
「ああ……私はこんな子に育てた覚えはないんです。きっとどこかで勝手に悪さを働いていたんでしょう!私は知らなかったんです。旦那が甲斐性なしですから私もずっと働いていて、この子はちっとも私の言いつけを守らなくて……」
「何を聞いたか、聞いているんですよ。婦人」
今度は女性が恐怖に息をのむ番だった。団長はゆっくりと立ち上がると女性の腰に手を回す。慄きが手のひらに伝わってきた。だが対する団長の顔には怒りも苛立ちもなかった。
「安心してください、婦人。貴女は何かを恐れている。それは……俺に何かを喋ってしまったら自分も罰せられると思っているからかな?でもね、婦人。誰が貴女を罰するというんです。悪い旦那に、糞餓鬼がいて、貴女はずっと苦しんでいた。そして今回も糞餓鬼が何かをしてしまったんでしょう。そのせいで貴女はこんなにも苦しんでいる。貴女のせいじゃないのに。でも貴女は罰せられる覚悟で俺に報告しようとしてくれた。素晴らしいじゃないか。そんな憐れで立派な貴女を……誰が罰するんです?少なくとも俺はそんなことはしない」
目を見て優しく語りかけると女性の次第に落ち着きを取り戻していった。その様子を所在なく見つめる少年と呆れて笑いあう男たち。女性は自分に危害が及ばないかもしれないと安堵し、意を決して大きく息を吐いた。
「この子、黒騎士を見たっていうんです」
先ほどまでの和やかな雰囲気は一転し男どもの殺気が一瞬で辺りに放たれた。後悔した女性が卒倒しそうになる。
ただ団長だけは落ち着いていた。片手をあげてひらひらと振り、男どもを宥める。
「なるほど。ご協力に感謝します婦人。大丈夫です。俺も、あいつらも。貴女から、あとこの子からも話を聞いたなんて誰にも言いません。約束する。女神に誓いましょう。それに……貴女方が黒騎士と何らかの縁を持っているとも思えません。教会にも報告しませんので貴女方も他言無用でお願いします。ただこれはこの都市の存亡を決める重大な情報だ。勇気を出して俺に報告してくれたことを感謝しますよ」
血の気の引いた顔で何度も頷く女性。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「坊主、安心しな。勇敢な母さんのおかげでお前は助かったんだぜ。この事は誰にも言うなよ。お前は俺に言わなかったんだ。卑怯者め。俺に言わないで他の誰かに言えるなんてことは……ないよな?」
大人の顔色を窺ったあと、少年は小さくはいと誓った。
「さてと、おいお前ら。俺は婦人にもう少し聞きたいことがある。お前らはそこらで遊んできな」
「団長、さっきの話はどうするんです」
にやにやと笑う男どもに困った笑みを見せる団長。
「さっきの話は明日にしようぜ。幸いにも今日明日で都市を出る予定の奴はいなかったしよ」
「女じゃなくて餓鬼に聞いたほうが良いんじゃねぇの?」
「ちゃんと喋りそうもねぇもん。だったら婦人に聞くしかねぇだろ。黒騎士がいたなんておいそれと言っていい冗談じゃねぇ。しかもアリアの月の日が迫るこの時にだ。もし黒騎士が本当に現れていたんなら月の涙が落ちてくるのはこの都市って事になる。聞ける情報は全部聞いておかねぇとな。今後のことを考えなきゃならんから、夜にまたモアンの店に集合な」
女性を促して立ち去ろうとするオステラに太った団員が立ちはだかる。
息巻く大男に団長は苦笑いした。
「おれ、おれ、がきにも聞いておいたほうがいいと思う」
「ノーラン。予定が変わっちまう。勘弁しろよ」
「おれ、がきにも聞いておいたほうがいいと思う。団長!」
普段はあまり喋らないが興奮すると頑なに譲らない男だ。特にある事柄が絡むとそれを認めるまでずっと同じことを繰り返して着いてくる。馬鹿力は頼りになるが困った奴である。ここは団長が折れるしかなかった。
「仕方ねぇなぁ。じゃあノーラン、お前は餓鬼から聞き取りな。あとはお前らはさっき言った通りな。……それじゃあすみませんが婦人、お子さんとの会話をもう少し詳しく聞かせて頂きたいので御宅にお邪魔しますよ。ところで旦那さんはいつお帰りで?」
鼻息荒く笑顔を見せる大男の脇を通り過ぎ、団長は女性と女性が元来た道を戻っていく。
大男は少年を抱えると何も言わずに歩いて何処かへいってしまった。
後に残された男たちは互いに顔を見合わせて肩をすくめるしかない。
「あれだもんなぁ。団長もあいつも、いい趣味してるぜ」
「団長!俺たちゃ先に飲んでますよ!団長のツケでいいですよね?」
小さく手を振って女性の家に消えて行く団長を見て男たちは一斉にため息をつき、顔を見合わせて笑うのであった。
荘厳な兵団が人々に見送られウルムウンテの正門を出立した。
統一された甲冑は白銀に輝き、軍装を施された馬も威風堂々たる姿勢だ。華やかに着飾った騎士はまるで兵馬一体の彫刻の様であり、朝日を浴びたそれは神々しく見る者に感涙を流させた。
つぐみを象った赤い幟旗が青空にはためく。紋章はマクライン家の家紋だ。
先頭に立つ若き騎士が合図を以て進軍の咆哮をあげると周囲からは歓声が巻き起こった。
「ではライデル様、私はこれで。ディヒータンを手に指揮を執る御姿を拝見したかったですが御武運をお祈りいたします」
白髪に髭を蓄えた気品のある老騎士が恭しく若き指揮官に頭を垂れた。ライデルと呼ばれた偉丈夫は馬上から大きく頷くと精気に溢れた快活な声で古兵を労った。
「アスタッド。心配はいらんぞ。槍術において俺の右に出る者はいない。悪魔だろうが不浄の霊魂だろうが俺の敵ではないさ。俺がディヒータンを構える雄姿はきっと絵師に描かせよう。お前もしっかり勤めを果たして俺の帰りを待つがいい」
先頭が進み始めいよいよ騎士団長も駒を進める。
一層大きな歓声が起こり、熱気の中を大隊は歩み抜けるのであった。
「戦いたくねぇ~!」
ウルムウンテから程なく行軍した馬上、ライデルは馬の背に突っ伏して駄々をこねた。
大見得を切ったところで対人槍術が悪魔に通用するか分からない。悪魔を見た事すらない。過去の事例は話に良く聞いてはいたものの、未知を相手に不安は拭えなかった。しかも初陣が指揮官である。自分の采配で大勢の人間の命運が決まるのだ。名家の御曹司ゆえの待遇だろうが、当人にしてみれば余計なお世話であった。
その様子を隣りで駒を進ませていた同年の青年が嗜めた。
「ライデル、ここはまだ都市から見えるよ。もう少し行ったらティランの一里塚って場所があるらしい。そこを越えたら馬の装備を外して旗は仕舞って楽に行こう。だからもう少し威厳は出しておいてよ」
「嫌だ。俺は今とても嫌な気分なんだ。嫌を嫌と言って何が悪い」
「アスタッドさんが見てるよ。そんな姿を最後に拝ませちゃ心労で死んじゃうよ」
「じじいの目はそんなに良くねえよ」
もうっ、と青年は匙を投げる。ライデルの我が儘は今に始まったことではないが、騎士としての務めを果たせば少しは変わると思っていた。だが立派な甲冑を着て大勢の兵を率いるくらいでは貴公子の繊細な性根は成長しないようだった。
「君がそんなだと親衛隊の皆が呆れるよ。マルローさんも注意してよ」
話を振られた親衛隊長はあからさまに嫌そうな顔をする。昔からライデルのお守りをしてきたが彼が自分の諌めを聞いたことなど一度もないからだ。
それでも一応の監督責任は自分にもある。アスタッドからもくれぐれも宜しく頼むと懇願されている。それ以前に自分はマクライン家に代々仕える誉れ高き騎士の血統だ。何かあれば当主ミリアム公に申し訳が立たない。
「リーチャーの言う通りだ。もう少しだけしっかりしてろ」
「……セブラン。ジネディーヌに加担してお説教するくらいならお前もアスタッドと一緒に残って良かったんだぞ」
「そんな事になったら誰がお前を守るんだ。リーチャーのお守りはイースルングまでだ。そのあとお前は1人でトルドレンに行けるのか?」
「……じゃあアスタッドが付いてきてくれれば俺だってその威厳とやらを保っていられたかもな!」
「あんなおじいちゃんがウルムウンテまで付いてきてくれたことだって大変なのに。何を言ってんの君は」
「年寄りに山越えさせる気か。流石に捏ねていい駄々ではないぞ」
「あんな元気なじじい、山だって馬を担いで越えられるさ。それよりお前らはもっと俺を慮ってくれよ」
「充分慮っている。なにも慰めの言葉をかけることだけが優しさじゃない」
屈強な身体に雄々しい相貌を持ち合わせている。大衆の面前では堂々たる振る舞いも難なくこなす。対外的に見ればこれ以上の大将の器を持つ者はそうはいないだろう。ただし他人に流され易く期待がかかれば無謀な行動もしかねない。だからと言って旧知の者が傍らにいると今度はとことん甘えだす。賞賛だけを受け続け、嫌なことから遠ざけられ続け、挫折を覚えなかった結果がこのライデルという若者なのだろう。
「まぁそんなに不安がらないでよ。今回のアリアの月の日がトルドレンに決まったわけじゃないんだから。それより俺やアスタッドさんなんて小隊だよ?支都市の兵団と合わせたって数百人しかいないんだからライデルはまだましだよ。イースルングは少しは備えがあるけどウルムウンテなんてたぶんろくに戦えないよ」
「イースルングとかウルムウンテに決まったわけじゃないだろ」
「そっくりそのまま言葉を返すよ」
この丁々発止も慣れたものだな、とマルローは心配になった。ライデルの傍にはいつもリーチャーがいた。それが今回ばかりは別行動をしなければならないのである。リーチャーがいないとライデルはどうなってしまうのだろう。
リーチャーはどんな時もライデルに側仕えして、彼の抜けた部分の補佐をしてきた立派な青年だ。彼なくして今のライデルはあり得なかったし、彼と離れたライデルの言動がどこまで制御できるのかそれは采配の才人にも分からなかった。
アスタッドが抜け、リーチャーが抜け、ライデルを諌められるのは後は自分だけ。
しかし自分は親衛隊をまとめ、かつライデルが指揮官とはいえ結局は自分が指揮を執る羽目になるのだろう。ライデルのお守りばかりしてはいられない。
更にはトルドレンの司教や市長との謁見の補佐をし、都市の兵団長らとの連携も取らねばならない。そこへ来てアリアの月から降り注ぐ悪魔がトルドレンに降り立ったら……。
これは一番大変なのは自分なのではないか。マルローは冷静にそんなことを考えていた。
その目線の先に小さな丘が見えてきた。到着予想からいってあそこがティランの一里塚なのだろう。
「一里塚が見えてきたぞ。あそこまで言ったら小休止だ。馬を軽くさせて荷駄に曳かせる。特に問題なければあと2回休憩を取って、夕方には山の麓だ。そこにウルムウンテが支援する仮宿があるはずだから近くで野営張らせてもらう。翌日山を越えて小休止を挟んだら昼にはイースルングだ」
「イースルングで一泊したら俺とはお別れだね」
「なんだよジネディ、寂しいのか?お前は俺がいないと駄目だからなぁ」
「そっくりそのまま言葉を返すよ」
平坦な道を煌びやかな兵団は進んでいく。アスタッドは若人の背中をいつまでも見送っていた。思い起こすのは幼き頃から育て上げた実子の如き青年の頼もしい笑顔である。自然と笑みが浮かび、一筋の涙が頬を伝った。
ミリアム様、リディアーヌ様、先代ギヨム様。若は立派に御成長なさいました。
老騎士の目には千人の兵を従え聖銀槍ディヒータンを手に騎馬を駆る英雄の姿がはっきりと浮かんでいた。
込み上げる感慨に顔を押さえる老人の頭上を1羽の黒い鳥が飛んで行った。