七話 奇妙な依頼人
金貸しの二人を見送り、占い屋にはリトゥスとヴァルエルスだけになる。
ヴァルエルスは、仕事用の机に座り、手持ち無沙汰なのかパラパラと本をめくった。
「ヴァルさん、行儀が悪いです」
リトゥスが注意すると、ヴァルエルスは拗ねた子供のように唇をとがらせる。
「へぇへぇ。お育ちがいいんですねー」
「別に……普通です」
「そうか? オレには、育ちの良い坊ちゃんに見えるけど?」
「どこがですか?」
「全部だよ。ぜ・ん・ぶ! ……まず、オレに占いを頼んだとき、お前は食い下がってこなかった。切羽詰まってるやつは、もっとなりふり構わないで同情を引こうとする。でも、お前はあっさり立ち去った。それなのに、オレが絡まれてたら助けようとした。普通自分の依頼を体よく断った相手を助けようなんて思わない」
そうだろうかと、リトゥスは首をかしげた。
誰だって、目の前で人が殴られそうになったら助けないだろうか、と。その思いは顔に出ていたのだろう、ヴァルエルスは「ほら、そういう所もだ」と顔をしかめて指摘してきた。
「そんなんだから、オレみたいなのに、いいように利用されるんだ」
「え? 僕は、利用されていたんですか?」
「…………。あのな、どう見たって、体よく使われてるだろ。用心棒兼従業員……なんて言って、掃除やら料理やらされてるじゃねーか……」
ぼそぼそと気まずげに呟くヴァルエルスに、リトゥスは苦笑した。
そんなこと、全然気にしていなかったのに……と。
「僕はむしろ、感謝していますよ」
「はぁ?」
「王都には、知り合いもいなかったので、成り行きとはいえ、ここに置いてくれて感謝しています。ありがとうございます、ヴァルさん」
「~~ッお前は……、もう……! そういう所が、つけ込まれるって言ってんのに、あぁもう!」
自身の髪を乱暴にかき乱したヴァルエルスは、一見苛立っているように見えた。話にならないと唸っている様子は、彼が機嫌を損ねたと考える方が妥当だろう。
しかし、飄々とした男の耳が赤い事に、リトゥスは気が付いた。
「……もしかして、照れているんですか?」
「なっ……! 普通いちいち聞くか、そういう事!?」
「あ、顔も赤い」
「ちょっと大人しくしろ、お前!」
雇い主の言葉に、リトゥスは素直に頷く。
ヴァルエルスという人を、リトゥスはいまだに理解できない。
(やっぱり、よく分からない人)
けれど、悪い人間ではない事はよく分かっている。
言動の一つ一つが、斜に構えていたり悪ぶっていたり……とにかく、ひねくれていて素直さというものが欠落しているためわかりにくいのだが、彼は弱い者の味方だ。
殴られそうになっていた時も、そうだった。暴力をふるう夫から逃れたかった女性に、ある提案をして、その夫から逆恨みされていたのだ。
自分は良いことをしたと口には出さない。自分は善人だと態度にも出さない。占い料は高いし、生活態度は荒れているし、困った人。
しかし、本当に困っている人間には手を差し伸べる、わかりにくい優しさを持つ占い師だから、夕暮れ通りで働く女性達から支持されるのも頷ける。
ちょっと面倒な性分だが、リトゥスは不思議とヴァルエルスのそんなところが嫌いでは無かった。
くすぐったい気分になったリトゥスは、口元を緩めると、一人ぶつぶつ言いながら本をめくっているヴァルエルスを見つめた。
「……なんだよ?」
「ヴァルさん。さっきから気になっていたんですけど……本が逆さまです」
それでは、何も頭に入らないだろうと、彼が手に持っていた本を指し示す。
慌てて確認したヴァルエルスは、赤い顔をさらに赤くし――まるで熟れた実のように真っ赤な顔で叫んだ。
「――っ! ……お前、そういう事は、はやく言ってくれ!」
悪いとは思ったが、その言動がなんだか可愛らしくて、リトゥスはとうとう声を上げて笑ってしまった。
ふてくされたような顔で、ヴァルエルスがリトゥスを睨む。
「笑うなよ」
「ごめんなさい」
「笑いながら謝られても、説得力がない」
それはそうだとリトゥスは頷く。
けれど、ヴァルエルスも本気で機嫌を損ねたわけではないらしく、笑顔のリトゥスを見つめると、つられたように笑い出した。
「あー、オレ何してんだかなぁ」
「僕は最初、そういう訓練でもしているのかなと思いました」
「……本を逆さまに読む訓練とか、どういう意図でやるんだよ」
「それは僕にも皆目見当が付きませんが、ヴァルさんは不思議な人なので、一風変わった訓練も有りかと」
「ねぇよ。……だいたい、不思議ってのはお前の方だろ」
本を机に置いたヴァルエルスは、腕を組んでリトゥスを見つめる。視線を受け、首をかしげたリトゥス。その拍子に、左耳の飾りが揺れた。
ヴァルエルスの視線は、その耳飾りに注がれている。
「ヴァルさん?」
「……なぁ、お前……、本当は王都に何しに……――」
カランカラン。
来客を知らせる音が、軽快に鳴り響いた。
やけに響いた音に弾かれるように、リトゥスとヴァルエルスの視線は、互いから外れ、扉の方に向けられる。
そこには一人、客人がいた。
「あの……今、よろしいでしょうか……?」
恐る恐る顔をのぞかせたのは、青白い顔の、気弱そうな男だった。
男が身につけているものが上等なものばかりだと気が付いたヴァルエルスは、話を中断させられたという不快感を、あっと言う間に打ち消した。
そのかわり、極上の部類に入る、商売用の笑みを浮かべる。
「もちろんです。さぁ、中へどうぞ」
リトゥスも、世話になってから数回程目にした光景だった。
がらりと口調を変え微笑むヴァルエルスは、優雅で神秘的な雰囲気を醸し出す占い師にしか見えない。
気弱そうな男も、あからさまに安堵した様子で店内に足を踏み入れた。
「ご用件は?」
「はい、あの……はい……」
尻すぼみになる言葉。
同時に、リトゥスの方へチラチラと視線が向けられる。
今まで、仕事の話をするときは席を外すのが常だった。
リトゥスは、今回もいつもと同じように奥の方へ行こうとしたのだが、ヴァルエルスが手で制した。
「ご安心下さい。この者は、私の弟子ですので」
「えっ? あ、あぁ……お弟子さんなのですか……」
それで納得がいったのか、あるいはリトゥスで時間を取られるのが惜しかったのか、男はそれ以上追求せず、勧められた椅子に腰掛けた。
落ち着かない様子の、青白い顔。にもかかわらず、額には汗が滲んでおり、男は手にしていたハンカチで何度も額を拭っている。
(緊張している……? にしても……なにか変だな、この人)
落ち着き無く、ぐるぐると視線をさまよわせている男。その目は、いつまでも定まらない。
端で見ているリトゥスですら、その異様さに気が付いたのだから、対面して座っているヴァルエルスは当に分かっていただろう。しかし、一切の感情を表に出さずに微笑むだけの彼は、やはり王都で一番の占い師と言われるだけあった。
「緊張されているようですね。……何か、飲み物でもお持ちいたしましょうか?」
「い、いいえ、大丈夫です」
びくっと肩をふるわせた男は、ぐしゃりとハンカチを握りつぶすと両手の指を組んだ。
そして、何を思ったかくるくると指を遊ばせ始める。
(…………おかしい)
リトゥスの中で、はっきりとした警戒心が生まれる。
怪しいのではない。
様子が変なのではない。
――おかしいのだ。
ちらりと、ヴァルエルスがリトゥスの方を見た。
「――……」
薄い笑みを浮かべた唇とは反対に、全く笑っていない目がリトゥスを捕らえ、細められる。
黙っていろ。
そう言われた気がして、リトゥスは頷いて窓辺に移動した。
どうやら、それは正解だったようだ。
ヴァルエルスは、相手に見えない机の下、でひらひらと手を振ってくれた。
「じ、実はですね……!」
二人のやり取りには気が付かなかった男が、突如机にバンと両手をたたきつけると身を乗り出してきた。
「実は、さるお方の、心の在処を知りたいのです!」
勢い込む男に対し、ヴァルエルスはあくまで笑顔を崩さなかった。
だが、こめかみの辺りがひくついている。至近距離かつ大声で、顔に唾がかかったらしい。さりげなく袖で顔を拭いていた。
「ほぉ……心の在処、ですか……」
「はい……! 私の婚約者になる方なのですが、どうしても、彼女の心がどこにあるかわからなくて……」
「なるほど。――委細、承知いたしました」
ヴァルエルスは、見た目だけは優雅に微笑む。
「この占い師に、お任せ下さい。三日後、また来ていただけますか?」
「えっ? ま、まだ何も話していないのに、大丈夫なのですか?」
懐疑的な目を向ける男だったが、ヴァルエルスの微塵も揺らがない笑みを見て、なぞの安心感を得たのか「よろしくおねがいします」とか細い挨拶を残し去って行った。
「……ヴァルさん、三日後なんて言ってましたけど、どうするつもりなんですか?」
「あー?」
男が去った途端、ヴァルエルスは元の柄の悪い男に戻っていた。
長い足を机の上にドンとのせ、椅子にだらしなくもたれかかっている。
数秒前までの、神秘的な占い師はどこへ消えたのだとリトゥスは口をへの字に曲げた。
「かったるいなぁ……、あのくそったれ、人にツバかけやがって、挙げ句、ボクチャン女心が分かんないのぉ~だと。情けねぇな、おい。んなの、本人に聞けよ」
「ヴァルさん。行儀が悪いです。それと、お客さんをあまり悪く言うのは……」
「クソガキ、覚えとけ。オレの占いは、他人の心を知る道具じゃねぇ。あくまで、自分の行動指針にするもんだ。……だいたい、他人の気持ちなんて、みんな分からないんだよ。それを、テメーで聞こうともせず、安易にオレの所に来る根性も気に入らねぇ」
「でも、引き受けたじゃ無いですか」
ヴァルエルスは当たり前だと、皮肉っぽく笑った。
「あの汗かき男が使ってたハンカチに、公爵家の家紋が刺繍されてた。……金払いがいいなら、客としちゃぁ上物だ。受けるに決まってるだろ」
「公爵家……? すごい、よく気が付きましたね……! 僕は全然わかりませんでした」
「当たり前だ。何年この商売やってると思ってる。人間観察は、基本中の基本だ。相手の持ち物だけじゃねぇ、何気ない仕草や行動、話し方……これで、大体の性格やら金払いの良さを図れる」
「それじゃあ、僕のこともぱっと見て分かるんですか?」
「あ? そりゃあ、まぁ…………」
ヴァルエルスが皮肉めいた笑みを引っ込め、戸惑ったような視線をリトゥスに向けた。
何度かあちこち彷徨ったあと、そっと顔を背けられる。
「ヴァルさん?」
「終わり」
「はい?」
「終わりだ終わり! 今日の商売は終わり! 飯にするぞ!」
何が気に障ったのか、ヴァルエルスはむすっとした顔になり立ち上がる。
そして、呆気にとられるリトゥスを残し、住居の方へ行ってしまった。
「……ヴァルさんって、いい人だけど、やっぱりちょっと変わってるなぁ……」
ぽつりと呟いたリトゥスは、気難しい雇い主の機嫌を損ねぬうちにと店の出入り口と窓を施錠し、後を追いかける事にした。
そして夕食の時間。すっかり機嫌を直していたヴァルエルスから、リトゥスはある提案をされた。
「明日は、実地調査するぞ」
「じっち、ちょうさ?」
「おう。あの汗かき男の《婚約者》を調べる」
「でも、ヴァルさんは、あの人に何も聞いていませんでしたよね? どうやって調べるつもりなんですか」
スプーンをくわえたヴァルエルスはニタリと笑った。
「行儀悪いです」
「あいあい、ごめんなさーい……――っとに、口うるせぇな、お前は」
「そうさせているのは、ヴァルさんです。……でも、そんな顔で笑うって事は、なにか考えがあるんですね」
ヴァルエルスはスプーンを置くと、パンを手に取った。
そのまま口に運び、かぶっとかみ切る。
もぐもぐと咀嚼しつつ、自信満々といった風の笑顔でリトゥスを見た。
「ひりふぁいか?」
「口に物を入れたまま喋ったら、駄目なんですよ」
「……むー」
「唸るのも、駄目です」
もごもごと何か言っていたが、大方また「口うるさい」とでも言っているのだろう。
察しが付いてしまったリトゥスは、手のかかる年上の男にコップに入った水を差し出した。
「はい。喉に詰まらないように、どうぞ」
「んっ!」
どうやら、ちょっと危なかったらしい。ヴァルエルスは素直に受け取ると、ごくごくと飲み干す。
ようやく口の中を空にして、もったいつけていた答えを教えてくれた。
「あの汗かき男は、公爵家の人間。そうすると、婚約者っつーのも、それなりの身分になる。――それでもって、さらにオレ様の人脈を駆使すれば、あ~ら不思議! あの汗かき男が、フィールズ公爵家の長男ジナシーで、この国のお姫さんの婚約者有力候補だって分かるわけだ」
「お姫さま……? あの人、お姫さまの結婚相手だったんですか……!」
「違う。あくまでも、有力候補だ。……まぁ、家柄的には申し分ないからな。ただ、今日直接見て、あの男があくまで《有力候補》の域でしかない理由ってのがわかった」
言いながら、ヴァルエルスは腕を組んで目を細めた。
「――ありゃ、妙だ」
「そう、ですね……。今までヴァルさんの店に来る人達は、みんな落ち着きがありました。あんな風に……その、挙動不審な方は……」
「お前もそう思うか。……だから、実地調査が必要なんだよ」
悪戯小僧が、名案を思いついた。
まさしく、そんな表現が似合う顔で、ヴァルエルスはぴんっと長い人差し指を立てると、リトゥスを指さした。
「つーわけで、明日は早起きしろ」
「は、早起き?」
「おう。城に忍び込むぞ!」
「……城………えっ? ……お城……!?」
実地調査と称し、信じられない提案をする王都一番の占い師。
城に忍び込むなどと言う発想そのものが、まず信じられない。
冗談だろうとヴァルエルスを凝視したリトゥスだったが、いくら待っても彼の口から否定の言葉は聞こえてこない。
「お城に、忍び込むって……そんなの無茶ですよ、ヴァルさん!」
「日中は、まぁ厳しいだろうな。だから、早起きするんだろ。今日は早く寝ろよ、ガキ」
「ちょっと、待って下さい……! 早起きとか、早寝とか……もしかして、僕も行くんですか……?」
「そう言ってるだろうが」
ヴァルエルスは、王都一番の占い師だ。
ちょっとよく分からない所がある人だが、悪い人間では無い。
そう思っていたリトゥスだが、ここにきて新たな発見をしてしまった。
(こ、この人、実はとんでもない人かもしれない……!)
嬉々として城に忍び込む計画を立てる占い師と向かい合うリトゥスは、一人おろおろと、うろたえていたのだった。