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五話 全ては無意識


 ヴァルエルスは、一人が好きだ。

 こう言うと、まるで人嫌いで孤高を気取った偏屈者に聞こえるかもしれないが、別に人間が嫌いなわけではない。


 他人と飲んで、浮かれて明るく騒ぐのだって好きだ。出るところが出て、引っ込むところがきゅっと引っ込んでいる女達と一夜の戯れに興じる事も多々ある。


 ただ、自分の内側にまで立ち入られるのが嫌いなのだ。


 ずっと一人で店を切り盛りしていたのも、自身の私的な空間に異物が入り込むのが嫌だったから。

 ヴァルエルスをよく知る幼なじみ達は、それを正しく「人嫌い」と言うのだと渋い顔をしていたが……。


(なんだって、こいつは平気なんだろうな?)


 最近現れた例外を見て、ヴァルエルスは考えた。

 おいだの、お前だの……ひどい時はガキ、田舎者と、まともに名前を呼んだことが実はまだ一度も無い相手は、今日も気のない態度で、店の棚に叩きをかけている。 


(折角、このオレが店に出てるっていうのに……)


 そんなことを考えて、あれ? と首をひねる。


(なんか、今の考えおかしくないか?)


 従業員が掃除に熱心なのは良いことではないか。

 一体、自分は何が不満なんだとヴァルエルスは自問するが、しっくりくる答えが浮かばない。


「……なぁ」

「はい、なんですか」


 ヴァルエルスが声をかけると、唯一の従業員リトゥスは掃除の手を止め、振り返った。

 そうすると、不思議な満足感とくすぐったい気持ちが同時にこみ上げてくる。


(…………なんだ?)


 感じたことのない、変な気分だった。


「どうしたんですか、ヴァル様」

「ごほっ!」


 巷での通称で呼ばれ、ヴァルエルスは思わずむせた。


「ヴァル様?」

「お前、その呼び方止めろ!」

「どうしてですか、ヴァル様。だって、ヴァル様はヴァル様でしょう?」


 わざとかと思うほど様付けで連呼するリトゥス。

 今までは、誰に呼ばれたって笑顔で手を振れた。それなのに、どうして心拍数が上がるのか、ヴァルエルス自身が不思議でたまらない。


「様はもう、付けなくていい! ヴァルって呼べばいいだろう!」

「……え? …………あの、仮にも雇い主を、呼び捨てにするのは……」


 愛称で呼んでいいと言うと、今まで誰だって喜んだ。嬉しそうな顔をした。

 こんな、困ったように拒否されたのは初めてだ。


「はぁ? オレ様が呼べって言ってんだから、いいんだよ。おら、呼べ」

「僕には、雇い主を呼び捨てにするなんて無礼な真似できません」


 意地でも呼ばない気かと、ヴァルエルスは仕事用の机に手をついて立ち上がると、棚の前で「無理、無理」と首を振っているリトゥスに近付いた。

 リトゥスの真横から棚に手をかけて、脅し文句のように囁いた。


「――呼べ」

「だから、無理です」


 身長差があまりないせいか、ヴァルエルスが屈んだりせずとも視線はぴったりとかち合った。

 しかし、リトゥスの顔色は一切変わらない。


(なんだよ……無反応かよ)


 こんなに反応がないのは、初めてだ。ヴァルエルスは、手応えのなさに戸惑う。


(いや、待て。待つんだオレ。なんで、このガキ相手に手応えを求めるんだよ! おかしいだろ!)


 同時に、なぜそんなことを気にしてしまうのかと、自分の思考の暴走に混乱する。

 ヴァルエルスを見つめ返してくる瞳は、紫だ。神秘性を秘めたその色は、まるで心の内まで見透かすかのように、どこまでも静かで澄んでいて……――。


「あの……」

「……え?」

「近いです」

「――うわっ! 悪いっ!」


 気が付けば、その目に吸い込まれるように距離を詰めていた。

 鼻先が触れそう名ほどの至近距離。

 無意識のままとった自分の行動に、ヴァルエルス自身が驚いて飛び退く。


「いいえ。……どうしたんですか? 僕の後ろの棚に、なにか欲しいものでも?」


 反対に、リトゥスは冷静だった。

 動じていない。


(こんなに意識してるの、オレだけかよ!)


 心の中で叫んで……――ヴァルエルスは愕然とした。たった今考えたことが、信じられない。


(意識、してる? オレが、コレを?)


 こんな、田舎者で可愛げ皆無、真面目一辺倒なクソガキを?

 そんな気分でまじまじとリトゥスを見れば、再び掃除を始めようとしていたリトゥスが不思議そうに首をかしげた。


(待て待て待て。それこそ、おかしいだろ。……オレは、女専門だぞ!)


 目の前のいるのは、ヴァルエルスが好む妖艶な美女ではない。生真面目で優等生的発言が鼻につく、見た目は女受けしそうなだけの田舎者だ。

 決して、心惹かれる類いの人間ではないはずなのに。


「用がすんだのならば、どいてもらっていいですか? 掃除が進みません」

「っ」


 突っ張ったままの腕に触れられた途端、ヴァルエルスは熱でも感じたかのように慌てて腕を引っ込めた。

 そんな奇怪な行動を目の前で見せられれば、リトゥスもさすがに妙な表情をする。


「なんでもない! 絶対に、なんでもないんだからな!」


 何か言われる前に、ヴァルエルスは叫んだ。

 はたきを手にしたリトゥスは、困惑した顔でヴァルエルスを見ている。


「……このクソガキめ」

「言いがかりはやめてください。僕は何もしていません」


 たしかに、リトゥスは何もしていない。

 何もしていないくせに、ヴァルエルスの心を乱して仕方がないのだ。


「そんな事より、ヴァルさん。今日の夕飯は何にしますか?」

「ごほっ!」


 ヴァルエルスは、落ち着こうと空気を吸い込んだ途端、またしてもむせるはめになった。


「お、お前……!」

「大丈夫ですか?」


 咳き込みながら睨めば、さすがに驚いたリトゥスが背中をさすってくる。


「その呼び方はなんなんだよ!」

「え? 様付けは止めろと言われたので、僕なりに最適な呼び方を考えたつもりだったのですが……いけませんでしたか?」


 小首をかしげるリトゥスに、ヴァルエルスは言葉を失う。


(なんなんだ! なんなんだよ、お前は……!)


 調子が出ない。他人を翻弄することはあっても、翻弄される事などなかったはずなのに、リトゥスには調子を乱されっぱなしだ。

 絶対に顔が真っ赤だと自覚のあるヴァルエルスは、大きな手でリトゥスの目元を覆った。


「うわっ、何するんですか」

「うるせぇ、察しろ!」

「はぁ? 何をですか」

「だからっ――! お前には特別に、ヴァルさん呼びを許可してやるって言ってんだよ!」


 ふと、リトゥスの口元が緩んだ。


「本当ですか?」

「こんなんで、いちいち喜ぶな! ガキかよ……って、ガキだったな、そう言えば」

「……ヴァルさんは、口が悪いですね」

「今更だ、クソガキ」


 ふん、と鼻を鳴らしたヴァルエルスは、ようやくいつもの自分を取り戻した。

 リトゥスの目元を覆っていた手を離してやると、あのきらきらした目がヴァルエルスを映す。


(リトゥス……《宝石》ね。くそっ、名前負けしてねぇのがまた腹立つ)


 名前の由来を、知識から探し当てたヴァルエルスは悪態をついた。

 占い師という職についているせいか、《石》に関する知識もそれなりにある。ただのピカピカしているだけにしかみえない宝石にも、様々な意味がある。

 そんな《石達》は、総じて人の心を惹きつける。

 ちょうど、ヴァルエルスの目の前にいる《宝石》の名を持つ人間のように。


(あぁ、もう、クソ! 信じらんねぇ!)


 自分をかき乱す不届き者の頬に手を伸ばすと、ヴァルエルスは意趣返しのようにつまんだ。

 ふにっとした感触は、想像していたよりずっと柔らかい。


「……突然、なにするんですか」


 ムッとした顔のリトゥスも、常より幼く見えた。

 取り澄ました顔よりも、ずっといい。  


「お前、いつもこんな顔してろよ。ガキらしくて、いいと思うぜ」

「つまり、僕に、いつも貴方に頬をつねられていろ、と?」


 ますます不満そうなリトゥスに、ヴァルエルスは吹き出した。


「おう。――だって、その顔、可愛いと思うぜ、オレは」

「……え?」


 リトゥスの目が、驚きに見開かれた。

 ヴァルエルスも、自分が発した言葉に驚いた。

 しまった、と思って手を離すと慌てて背中を向ける。


「あー、なんか喉渇いたから、茶をいれてくる。お前はそのまま掃除してろ」

「……あ、はい……」


 何事もなかったかのように装って歩き、店と住居を仕切る扉を閉めた。


(うわぁぁ!)


 途端、限界が来てその場に座り込むと、顔を覆った。


(今、オレ、完全に無意識だった! 無意識で、可愛いとか言ってた!)


 可愛い、綺麗、色っぽい、美しい、麗しい。

 賛辞なんて言い慣れているはずだったのに、先ほど言った事を意識した途端、心臓が早鐘を打つ。


(まずいぞ。これは、本格的にまずい)


 こういう時は、女遊びだ。最近、美味い飯に釣られてどこにも出歩かず、夜遊びも控えていたから、男相手に血迷った発言をしてしまったのだ。

 今夜は久しぶりに、夜の町に出よう。

 決意するものの、ヴァルエルスは自分の手を見つめて、またも無意識に呟いた。


「……柔らかかった……」


 そしてまた、一人で青くなり赤くなりを繰り返し、悶絶していたのだった。


 一方で、店内に残されたリトゥスは頬に片手を当てていた。


「…………」


 頬が赤いのは、つねられたせいではない。

 たいした力が入っていなかったのだから、赤くなるはずがない。

 こんなにも頬が赤いのは、リトゥスが照れているからだ。


(お、王都の人って、恥ずかしい事、普通の顔で言うんだ……! あんな……か、かわいい、とか……)


 言われ慣れていない、ましてや普段から男の格好をしていて振る舞いも女らしさ皆無だったため、異性にそんな風に褒められた経験など皆無だったリトゥスは、真っ赤な顔で俯いた。


「――王都って、怖い……!」


 不意打ちのような言葉を思い出し、いつまでもドキドキとうるさい心臓。はやく静まってくれと祈りつつ、リトゥスはぎこちなく掃除を再開させた――。

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