三話 迷惑な運命
リトゥスと占い師の縁は、金の有無により途切れた。
これで、二度と会う事はない相手となった……――そのはずだったのに、リトゥスは一時間も経たぬうちに、件の占い師と再会する羽目になった。
「うおっ!」
「失礼……、え?」
己を見つめ直す機会を得たはいいが、まずは今夜の寝床を確保しなければいけない。
自分の所持金に負担をかけずに泊まれる宿屋は……などと、リトゥスは考え事をしながら曲がり角にさしかかった。
すると、ふいに角から人が飛び出してくる。
あっと思ったリトゥスは、持ち前の反射神経を生かして上手く避けたが、相手は進路に人影を見て驚いたのか、そのまま尻餅をついてしまった。
気の毒な事をしてしまったと思い、リトゥスは座り込んでいる相手に「大丈夫ですか?」と言いながら手を差し出した。
低く呻きながら顔を上げた相手をみて、リトゥスは目を見開いた。
なんと、ぶつかりかけた相手は、二度と会うことはないだろうと思っていたあの《占い師ヴァル様》こと、ヴァルエルスだったのだ。
「――お前……」
びっくりしたのは、向こうも同じだったようだ。
彼もまた目をみはり、尻餅をついたままリトゥスを見上げてくる。
束の間、二人は揃って驚いた顔をし、互いを見つめていた。だが、占い師はハッと突然後ろを振り返ると何かを確認し、慌ただしく立ち上がった。
「くそっ、やべぇな……! 追いついてきやがった……!」
どうやら、またしても何かから逃げているらしい。
「先ほどのお二人ですか?」
小男と大男。でこぼこだった二人組を思い浮かべて尋ねると、占い師は首を横に振り、即座に否定した。
「違う。あの二人はなんとか丸め込んだ。…………こっちの方は……」
「このクソ占い師! 人の女房をたらし込みやがって!」
言い終わる前に、顔に青筋を浮かせた男が走ってくる。
彼は、リトゥスの存在などまったく目に入っていない様子だった。大股で近付いてくると、無防備な占い師につかみかかる。
「あの女! 亭主であるおれをコケにしやがって! お前が、いらない知恵を授けたからだろ!」
「あぁ? ただ、当たり前の事を教えてやっただけだ。暴力亭主なんざ、ゴミの日に捨てちまえって言う、至極単純で当たり前の知恵だ」
胸ぐらを掴まれ凄まれているというのに、飄々と言ってのける占い師ヴァルエルス。
これでは、完全に相手を挑発している。
リトゥスは彼の言葉を聞いて、怒り心頭の男を再度観察した。
案の定、ヴァルエルスの火に油を注ぐような発言に、男の顔はますます怒気に染まっていく。
「だれがゴミだ! ゴミは、あの女なんだよ! おれは、あのゴミクズ女がまっとうな人間になれるよう、しつけてやってるんだ! それを、それを……! あの淫乱女! 目を離した隙に、お前と懇ろになりやがって!」
「そいつは、ひでぇ妄想だな。オレは、人妻と婚約者がいる女には手を出さねぇ主義だ。……しっかし、あの奥さんの訴えを聞いて、そんな考えにしか行き着かねーとは、とことん終わってる男だな、お前」
「うるせぇ! おれに指図するんじゃねぇ!」
「はは……そうやって、大声出して奥さんの事も押さえつけてきたのか? ――自分より、遙かに非力で小柄な女相手に? ……オレも、褒められた人間じゃねーのは自覚してるが……おまえはそれより、さらに下だな。ゴミクズ野郎」
何か言えば、倍の言葉を言い返すヴァルエルスには、舌戦では勝てないと察したのか、男がとうとう手を振り上げた。
「おれを、馬鹿にするんじゃねぇ!」
けれど、ヴァルエルスは少しも怯まない。不敵な笑みを崩さず、自分に振り下ろされる拳を見ている。
無抵抗であるのに、不思議なほどに堂々としている彼の姿を見て、リトゥスはとっさに声を上げていた。
「やめてください!」
「なんだっ、邪魔すんな!」
腕を捕まれた男は、苛立った様子でリトゥスを振り返る。
血走った目と荒い息が、男が相当な興奮状態である事を示していた。
「どんな事情があったとしても、無抵抗の相手に手を上げていい理由にはなりません」
「黙れっ! あの馬鹿女にも、このクソ野郎にも、礼儀ってやつを教えてやらないといけないんだよ!」
「礼儀を教えるのなら、言葉で説明すれば良いだけでしょう。こんな風に、暴力を用いる必要はないはずです……!」
男は疎ましげにリトゥスを睨んだ。
そして、次ににやりと口角をつりあげる。
「おまえも、生意気だな」
獲物を見つけた。
そんな風に言いたげな目だった。
完全に、自分が思うがままに力をふるう事を楽しんでいる。
「お前みたいな生意気な奴も、おれが根性をたたき直してやるよ……っ!」
言いながら男は、リトゥスが掴んでいた腕を振り払おうとした。
きっと、言葉と同時に拘束を振りほどき、リトゥスを殴るなりしようと頭で想像していたのだろう。
しかし、腕の拘束が振りほどけなかったことで、その妄想は実行されなかった。喜色に満ちていた男の顔が、間の抜けたものに変わる。
「生意気な言動だったのは謝罪します。ですが、貴方のやろうとしている事は、正直目に余りました」
男は、自分の腕を掴んだまま淡々と語るリトゥスを改めて見やると、徐々に顔を青くしていった。
「な、なんで……振りほどけないよ……!」
「なぜ? それは、単純に鍛え方が違うから……ではないでしょうか?」
一度だけ、リトゥスは手にみしりと力を込めた。
ひっと男が喉を鳴らす。
「……悪行は、いずれ己の身にかえってきますよ。何倍もの業になって」
リトゥスが、静かに口にした言葉ががトドメになった。
ぱっと手を離した瞬間、男は慌てて逃げ出した。
何度か足をもつれさせ、転んだが、それでも振り返らずにバタバタと逃げ去っていく。
「はっ! 小せぇ男。結局、自分より圧倒的に弱いと思った奴にしか、大きく出られないんだ」
自分の襟元を整えたヴァルエルスが、鼻を鳴らした。
ただ、リトゥスは男が悪し様に罵っていた奥方を思い、逃げ去る後ろ姿から視線を外せずにいた。
「あの人の奥さんは、どうなるんです? 大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ。書き置きのこして、神殿に保護を求めろって言ってある。あの野郎、テメェが浮気相手の所から朝帰りしたら、置き手紙一つ残して女房が消えてたって、オレの所に怒鳴り込んできたんだからな。けっ、ざまぁみやがれ」
もう、アイツの手の届く所にはいないとヴァルエルスは断言した。
「そうだったんですか……、それなら、よかった。安心しました。では、僕はこれで」
理不尽な暴力を振るわれる人はいない。安堵したリトゥスは、別れを告げて歩き出そうとした。
これ以上、ここで話し込む理由もなくなったからだ。
「……待ちな」
しかし、一転し不機嫌な声になったヴァルエルスに、呼び止められた。
足を止めて振り返れば、探るような視線とぶつかる。
なんだろうと首をかしげると、ヴァルエルスは鋭い目つきで、リトゥスの頭からつま先までをじろりと睨め付けた。
「お前、なんでオレを助けた。恩を売って、ただで占って貰おうって魂胆か?」
「いいえ。占いの件は、もういいんです」
「……じゃあ、なんでだ? なんで、助ける?」
「なんでって……、なんとなくと言うか、自然の流れというか……」
リトゥスの答えは、ヴァルエルスが気に入るようなものではなかったらしい。
彼は渋面になり、腕を組んだ。
「理由になってない」
「…………そう言われても、そもそも明確な理由なんてなかったし……」
「はぁ? お前は理由もなく、ケンカに割って入るのか? チッ! 正義漢かよ、うざってーな」
結局ヴァルエルスは、リトゥスの行動が気に入らないらしい。
別に何かを期待したわけでもないので、そこまで嫌ならもう解放して欲しいというのが、リトゥスの本音だった。
「……あの、もう行ってもいいですか? 僕、そろそろ今日泊まる所を決めないといけないので……」
「あ? ……田舎くさいと思ったら、案の定か。昨日今日王都についたばかりの、ガチの田舎者かよ。……あー、めんどくせぇー」
なにがだろうと、リトゥスは首をかしげた。
今の会話のどこに、彼が面倒がる要素があったのだろうか?
ただ、今すぐ自分との会話を打ち切り別れれば、それで終わりだろうにと、不思議に思う。
だが、ヴァルエルスは打ち切るどころか、さらに言葉を続けた。
「聞け、田舎者。オレは、借りは作らない主義だ」
「? でもさっき、貸した金を返せって言われてましたよね? ……あれは、借りでは?」
「~~っ、それはそれ! これはコレだ! ……いちいち細かいガキだな。坊ちゃん面してるくせに……!」
「はぁ、そうですか。それじゃあ、さようなら」
「待て! 人の話は最後まで聞けよ、クソガキ! 本来なら、オレはお前みたいな田舎くさいガキ、ましてや野郎になんざ、これっぽっちも親切にしてやろうなんて思わないんだが」
なぜこの人は胸を張って、最低なことを言っているのだろう……――リトゥスは、不思議な生き物を目にしたような心境で、ヴァルエルスの講釈を聞いていた。
「お前みたいな田舎くさいガキに借りを作ったまま有耶無耶にされる方が、ずっと嫌だ。……よって、だ。今夜、泊めてやる」
「え?」
「お前みたいな田舎者は、どうせ泊まる所も確保できなくて、場末の安宿になんとかたどり着いたと思ったら、一晩で法外な宿泊料をぼったくられ、日が昇ると身ぐるみまで剥がされて外にたたき出されるのがオチだ」
そんな恐ろしい目に遭わないように、優しいオレ様が一晩宿を貸してやると、ヴァルエルスは実に偉そうな態度で、提案してきた。
これで、貸し借りは無しだと言いたいらしい。
元々、そんなつもりは無かったリトゥスは、彼の提案を断ろうとした。
だが、まるで見計らったかのように邪魔が入った。
「見つけたぞ、ヴァルエルス!」
「いたぞ! ヴァルエルスだ!」
通りの向こうから、今度は複数の男達がリトゥスの隣にいる男を指さしている。
「げっ、やべぇ……」
「…………なんですか、あの人達」
「取り立て屋だよ……!」
「え? さっきの人達以外からも、お金を借りてるんですか……!?」
「うるせぇガキ! 大人には色々あるんだよ! とにかく、逃げるぞ!」
ヴァルエルスは、まくし立てた。かと思うと、リトゥスの手を引っ張って走り出す。
「ちょっと……!? なんで僕まで……!」
「オレと一緒にいるところを、連中にバッチリ見られたんだ、オレのお仲間扱いだろうな! お前みたいな押しの弱そうなガキ、ひっ捕まえられたら、ケツの毛までむしられるぞ!」
「僕は関係無いでしょう!」
「諦めろ! オレと一緒にいた時点で、連中の目には同類にしか見えねぇよっ!」
聞こえるだろうと促され、リトゥスが耳を澄ませば――。
「逃げたぞ、捕まえろ!」
「おい! あのガキはなんだ?」
「知らん! だが、あの馬鹿のダチなら、ガキだろうとむしり取れるもんは全部むしり取れ!」
――等々、聞くに堪えない言葉がわんさか聞こえてくる。
リトゥスは、思わず悲鳴じみた叫び声を上げた。
「――なんで!?」
「連中は、質が悪いからなぁ……」
「そんな他人事みたいに!」
引きずり込んだ張本人である《占い師ヴァルエルス》は、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
「まぁ、諦めろ。これが、運命ってやつだ」
「~~っ! 答えになってません!」
その必死の追いかけっこは、辺りが暗闇になるまで続いたのだった。