二十話 男の本気
(どうしてこうなったんだろう……!)
リトゥスは、落ち着かない気分でそわそわと視線を彷徨わせた。
綺麗に着飾った人々の中、ぽつんと一人きり。好奇心に満ちた視線が向けられる度、どこかおかしいのかとビクビク震え、とうとう壁際まで逃げてきた。
話は通しておく――姫が言った言葉だが、この意味をもっと考えておくべきだった。
何も考えないで呑気に城にやって来たリトゥスは、たちまちヴァルエルスと引き離され、侍女に取り囲まれた。
リトゥスが驚いている間に、まとめ役とおぼしき女性が一礼しこう言った。
姫様から、恩人である貴方様に失礼ないように言いつかっております、と。
――そして、普段は姫の身支度を調えているだろう侍女達の手により、リトゥスは十年ぶりにスカートをはく事になった。
顔に薄化粧まで施され、まさに至れり尽くせりだ。
仕事をやり終えた侍女達は、完璧! と言い笑顔を浮かべ、リトゥスを送り出してくれた。
――だが、慣れない格好のリトゥスは、今ちょっと泣きそうになっていた。
(変なのかな? そりゃあ変だよ、変なんだよね、絶対! だって、僕みたいな背の高いのが、可愛い女の子の格好なんて、変に決まってるよ! どうしよう脱ぎたい……!)
可愛い物は好きだが、自分には似合わないと分かっている。
なにせ、ラルゴにはずっと男と思われていたくらいだ。
そんな自分が今更、こんなきらきらした服装に着替えたって……、そこまで考えた時だった。
「おい、リトゥス! お前、なんで待ち合わせた場所にいないんだ!」
ずかずかと大股で近付いてくるのは、怒った顔のヴァルエルスだった。
「あ、ヴァルさん……!」
心細さが、一気に解消される。
しかし、ヴァルエルスの顔は晴れるどころかますます機嫌が悪そうにしかめられた。
自分の格好がいつもと違う事を思い出し、やっぱり似合っていないのだとリトゥスはますます不安を煽られた。
「……なんだ? なんかお前、涙目じゃねーか?」
「え? な、泣いてません」
「嘘つけ。……おい、誰だ? オレの目盗んで、誰がお前に声かけた」
誰にも声などかけられていないし、そもそも泣いていないとリトゥスは必死に首を横に振る。
しかしヴァルエルスは不機嫌なまま、リトゥスの頬に触れた。
「じゃあ、なんでそんな不安そうな顔してるんだよ」
「え? 僕、不安そうでしたか?」
「ああ」
どうしたんだ、と今度は幾分か穏やかに尋ねられ、リトゥスは蚊の鳴くような声で答えた。
「……僕の格好、変、ですよね」
「はぁ?」
「こ、こんな……女の子みたいな格好、おかしいですよね」
「女の子みたいなって……、お前は女だろうが。何が変なんだよ」
「だって、僕みたいな大女が、こんな、可愛い服着たって……」
「馬鹿か」
むにゅっと頬をつままれた。
指を離したヴァルエルスは、やっぱりどこか怒ったような顔をしている。
「可愛い女が、可愛い格好する事の、何がおかしい?」
「……え」
「すげぇ泣きそうな顔してるから、どっかの馬鹿がちょっかい出してきたのかと思ったじゃねぇか。……あー、焦った」
「……ヴァルさん?」
「なんだよ?」
「……えっと、今…………」
聞き違いではない。
だが、面と向かって聞き返すのは、とても恥ずかしい。
どうしたらいいのだろうと、リトゥスは徐々に頬を赤くし俯いた。
「……だから、そういう顔を他に見せんなって……」
ヴァルエルスの声が降ってくるけれど、下を向いているからどう言う顔をしているのかは分からない。
ただ、不安で握りしめていたリトゥスの手は、ヴァルエルスの手によって開かれて、しっかりと繋がれる。
「お前は、可愛いから心配なんだよ。……だから、オレから離れないで、黙って傍にいろ」
「――――」
驚いて顔を上げれば、リトゥスと同じように頬を赤くしたヴァルエルス。
「……返事は?」
じろり、とちょっとふてくされたような視線が向けられる。
「……はい……」
胸が苦しいけれど、嫌ではない。
不思議な感覚に締め付けられつつ、リトゥスは何とか頷いた。
「おう」
満足そうに笑ったヴァルエルスの顔を見ると、ますます頬が熱くなり、リトゥスは直視出来なかった。
そうして二人でいると、祝賀会が始まった。
王がねぎらい、後は皆が自由に踊ったり会話に興じたり、並んだ料理を食べたりして過ごす。
「さて、何か食うか?」
ヴァルエルスに促された所で、一段と華やかな姫に声をかけられた。
「ふふ、見つけました剣士様! 思った通り、よく似合ってますわ」
「姫様……! あ、あの、このたびは、こんなによくしていただいて」
「何を言うの! 貴方はわたくしの恩人なんだから、そんな風にかしこまらないでくださいな!」
「……いや、普通に無理だろ。……だいたい、誰に断ってリトゥスを着飾った」
「あら? ヴァルエルスの許可なんて、別にいらないでしょう? 肝心なところで気が利かない貴方ですから、どうせ彼女の格好までは気にしていなかったのでしょうし。――誰のおかげで、可愛らしい剣士様の姿を見られたと思っているんです?」
「ぐっ」
勝ち誇ったような姫に、ヴァルエルスが悔しげに言葉を飲み込んだ。
そこへ、恐る恐る……それこそ信じられない物を目にしたかのような、小さな呼びかけがあった。
「……リトゥス?」
三人は一斉に振り返ると、それぞれの反応を見せた。
「ラルゴ」
リトゥスは、ごくごく普通に幼なじみの名を呼んだ。
「まぁ……!」
姫はまたしても目をつり上げ。
「げっ、脳筋」
ヴァルエルスは顔をしかめ、さりげなくリトゥスを隠す位置に立つ。
「なんだお前、話しかけてくるんじゃねぇ、しっしっ」
「……追い払い方が雑ですわね、ヴァルエルス。……それだけ余裕がないのでしょうけれど」
「うるせぇ……!」
ヴァルエルスと姫のやり取りを無視し、ラルゴは今時分が目にしたものを再確認するように呟いた。
「――ほんとうに、女だったんだな」
「それがどうした。お前には、なんの関係も無い。どっか行け」
「……すまないが、リトゥスと話をさせてくれないか」
「あぁ?」
追い払おうとしていたヴァルエルスは、気に食わない答えを聞いたとばかりに片眉をつり上げた。
「おい、あんま図々しい事抜かすなよ? ……一体、今更こいつに、なんの――」
その時、甲高い女性の悲鳴が響き渡った。
人の集まりが、さっと左右に割れて一本の道を作る。
そこをふらりふらりと、酩酊しているかのような足取りで近付いてくるのは――。
「ジナシー殿?」
ラルゴが、目を丸くして雇い主だった男の名を呼んだ。
「――ますます匂いがきつくなってるな。……これなら、鼻の良い奴以外でも、わかるだろうな。香水だとかで誤魔化しようがねぇ」
ヴァルエルスは、ジナシーから漂う甘ったるい香りを嗅ぎ取り動揺する祝賀会の参加者達を眺め、口の端をゆがめた。
「姫、姫、姫」
気の弱そうな男の面影は、どこにもない。
へらへらと締まりのない笑みを浮かべた男は、迷わず姫の方へ近付いてきた。
周囲が道を空けたのは、そのただならぬ雰囲気と、手に持っていた短剣が原因だろう。
「貴方はわたしの物だ、姫。貴方も玉座も、全て、全て、私の物だ……!」
それは、貴族に生まれた男が口にすれば、叛意有りと捉えられても言い訳できないような物言いだった。
怯える姫の肩を、音も無く現れた騎士が抱き寄せた。
「お下がり下さい、姫様」
「レイモン……!」
不安が一気に消し飛び、姫は全幅の信頼を寄せた眼差しで己の最愛の騎士を見上げる。
「ふざけるな、貴様がいなければ、貴様さえいなければ……!」
仲睦まじい様子を見たジナシーは、余計に逆上し、奇声を上げた。
そのまま二人に襲いかかろうとするが、リトゥスが横から体当たりして止める。
「今のうちに、姫様を!」
「かたじけない……!」
レイモンは、素早くリトゥスの意を汲み、抱き上げると、素早く場を離脱する。
「待て! 返せ! 私の物だぞ!」
「貴方のものじゃ無い! 姫様は、誰かの所有物なんかじゃ無い!」
聞くに堪えないと叫ぶと、ジナシーの目がぎょろっとリトゥスを捉えた。
「……お前、そうだお前達。邪魔をして、邪魔ばかりして、どいつもこいつも……私を影で笑ってるんだろう! あの目障りな男も、お前達も、みんな、全部、消えてしまえ! 消えろ!」
自棄を起こしたようにぶんぶんと短剣を振り回すジナシーは、そのままリトゥスを標的に定めた。
しかし――。
「黙れ馬鹿! こいつに手を出すんじゃねぇ!」
今の今まで荒事などとは無縁そうだったヴァルエルスの拳が、ジナシーの頬にめり込んでいた。
身構えていたリトゥスの目の前で、どしゃりとジナシーは倒れ込む。
「ハッ、んな貧弱さで、どうこうできると思ったか」
ぷらぷらと利き手をぶらつかせつつ吐き捨てたヴァルエルス。一体、どれほど重い一撃を放ったのか、磨き抜かれた床に倒れたジナシーは、白目を剥いて気絶していた。
「……ヴァルさん」
「あ?」
「ヴァルさんって……実は、結構動ける方ですか?」
「あー? さぁて、どうだかな」
思わぬ剛力っぷりを見せた王都一の占い師は、ふと目を細める。
「覚えとけ、男ってのは大事な存在のためなら、しがらみ全部ぶん投げて、捨て身になれるんだよ」
そして、初めて出会った時同様、不敵な笑みを浮かべると、そっとリトゥスの手を取ったのだった。




