十八話 勝者の望み
「俺の完敗だ」
立ち上がったラルゴは、はっきりと口にした。
「――手合わせして分かった。お前の剣筋には、何一つ曇りがない。あの頃のままだ。……曇っていたのは、俺の目の方だったんだな」
舞台を降りたリトゥスは、ラルゴの言葉に驚くが、駆け寄ってきたヴァルエルスは嫌そうに顔をしかめた。
「……今更気付いたのか。……剣と剣でしか語れないとか、どんだけ脳筋なんだよ」
「黙れ。アーヴィ族にとって、剣とは己の心だ。決して嘘はつけない。剣と交えれば、全てが分かる」
「……脳筋過ぎて、ついて行けねぇ……。行こうぜ、リトゥス」
付き合っていられないと呆れ顔のヴァルエルスに促されたのだが、待てとラルゴが呼び止めた。
「……リトゥス、ここで決着を付けると言っただろう」
「うん。だからもう、それは……」
言いかけたリトゥスの視界から、ラルゴが消えた。
「けじめだ。俺の髪を切り落とせ」
気位の高い彼が、地面に膝をつき、リトゥスに向かって頭を下げている。命に等しい髪を切れと。
リトゥスは、つむじを見下ろしていた。だが、首を横に振る。
「その必要は無い」
「……リトゥス?」
「ミモザとの事は、誤解だって分かってくれたんだよね?」
「……ああ」
「それなら、もういいよ。分かってくれたなら、もういい。……ケンカはお終い、仲直りしよう」
手を差し出せば、ラルゴは戸惑ったようにリトゥスの顔と手を見比べる。
「……お前は、それでいいのか? 俺がしたことは、とてもケンカなどで片付けられる事では……」
「勝者は僕だ。言う事聞いて」
「リトゥス……」
「ケンカは終わり。……僕達は、これで……――今度こそ、友達だ」
改めて口にすると、なんだか晴れやかな気分だった。
ラルゴも同様に、憑き物が落ちたような顔をして、ようやくリトゥスの手を握ってくれた。
「……ああ。……すまなかった、リトゥス」
長い長い回り道を終え、二人はなんのしがらみもない、ただの幼なじみになれた。
「なぁ、もういいか? そろそろ行くぞ」
ふいに、握手していた手を強引に解かれる。
「ヴァルさん?」
「忘れたか? この後、女神の祝福だの王からの褒め言葉だの褒美だの、色々あるんだ。優勝者であるお前は、直々に望みを聞かれるんだから、ちゃんと考えてる時間が必要だろ」
「あ、そうでした……」
「ったく、ぼーっとするなよ」
リトゥスは、ちらりと控えの場に目を向けた。
物陰に隠れるように、騎士と姫の姿が見える。姫は、リトゥスの勝利を喜ぶかのように、小さく手を振ってくれた。
それに応えながら、リトゥスは口元を緩める。
「でも、望みはもう、決まっているんです」
「なに?」
「本当に讃えられるべき人は、僕達じゃない。……そうでしょう、ヴァルさん」
「……あ? あー……なるほどな」
人の悪い笑みを浮かべるヴァルエルス。
「なんだ? どういう事だ?」
置いて行かれたラルゴは、不思議そうな顔で首をかしげる。
「女神の祝福は、真の勇者に相応しい。……そういう事だ、脳筋」
「さっぱりわからん! あと、その呼び方はやめろ!」
「うるせぇ。あ、お前には協力して貰うことがあるから、逃げるんじゃねぇぞ、脳筋」
「なんて口の悪い男だ!」
「でも、ヴァルさんは優しい人だよ」
リトゥスが擁護すると、ラルゴはあんぐり口を開けた。
「これがか!?」
「うるせぇって、なんべん言わせる気だ脳筋。……ありがとな、リトゥス」
嫌そうな顔を一変させ、ヴァルエルスは照れくさそうに笑うと、リトゥスの頭を撫でたのだった。
◆◆◆
その後、しばしの休息時間を与えられたリトゥスは、ヴァルエルスに連れられ観客席に向かい、ガイル達と顔を合わせた。
「おっ! 今日の主役が来たな!」
「おめでと~リトゥス!」
二人は、リトゥスの勝利を喜んでくれた。
しかし、すぐにヴァルエルスがガイルと肩を組むと、こそこそと話し始めた。
「ガイル、一つ頼みがある」
「なんだ? お前がそんな真面目な顔するなんて、珍しいな」
「ちょっとな……ある男を注意して見ていて貰いたい」
「へぇ……」
ひそひそと小声で会話を交す、ヴァルエルスとガイル。
リトゥスは、ルードからねぎらいの言葉と共に飲み物を差し出される
「お疲れ様、リトゥス。これ、屋台で売ってた果実水。おいしいよ」
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いいの、いいの~。ヴァルエルスと兄貴の話、長引きそうだから。他にもあるよ、串焼きに~、パンに~」
そのまま二人で、屋台の味を堪能していた。
「それで、リトゥス、ご褒美は何を貰うか決めてるのか?」
「……はい」
「そっか。楽しみだな」
深くは聞かずに、ルードは笑ってくれる。
実際は、賭けなのだが……――それでも、リトゥスは頷いた。
きっと上手く行く。
なによりも、自分が自信を持た無ければ駄目だからと。
――そして、再び舞台上。壇上の王から、リトゥスにねぎらいの言葉がかけられる。
望むものを与えよう。
そう言われたリトゥスは、一度深呼吸すると、一言一句間違わずにはっきりと言った。
「では、姫様を」
「……なに?」
「姫様と近衛騎士、二人が共にいられる未来を下さい」
「近衛騎士、というのはレイモンか? ……あのような敗北をさらした男と、我が娘を共に、だと?」
「レイモンさんは、やる気が無かったわけでも怖じ気づいた訳でもありません。大事な人が人質に取られて、戦えなかったんです。だから、こんな大勢が見ている場で恥をかこうが、剣を抜かなかった。自分の体面よりも、大切な人の安全を選んだんです」
王は、ちらりと横に立つ姫を見た。
彼女が自分の傍にいなかったことを、王も把握しているのだろう。
「戦わなかったことを、腰抜けだと非難する人もいるでしょう。けれど、レイモンさんは自分よりも大切な人の安全を優先させた。口で言うのは簡単だけど、なかなか出来る事ではありません」
「…………」
「そして彼は、自分の手で無事大切な人を救い出した。レイモンさんこそ、真に讃えられるべき人です」
無言であごひげを撫でる王。
姫が「お父様」と呼びかける。
「……なるほど。この度の噂で、すっかり自棄になり腐ったのかと思ったが……どうやら、思う以上の男だったらしいな、レイモンは。……レイモン! ここへ!」
戸惑った顔をしたレイモンが舞台上に歩み出る。
姫の顔が、ぱっと喜色に輝いた。
「此度の優勝者よ。そなたの望みは、本当にこれでいいのだな?」
「はい。これがいいのです」
「分かった。ならば……女神の祝福は、レイモンにおくるとしよう」
すると、姫はパッとかけだして、レイモンの額に口付けた。
勝者に……武神祭を制した真の勇者に贈られる、女神の祝福だ。
沸く会場の中で、一人の男が顔をゆがめてその光景を見ていた。
茶番だと吐き出された言葉を聞いている者はいない。……盗み聞きしている者はいたが。
男は、やがておぼつかない足取りで立ち去っていく。
「……ヴァルエルスの言う通り、あれはやってるな」
「うん。臭い」
通路の角から顔を出したガイルとルードは、誤魔化すために振りかけただろう香水に混じって漂ってくる甘い匂いに顔をしかめ、フラフラと歩くジナシーの後ろ姿を見送った。




