十六話 外道の筋書
リトゥスは、大部屋組から順当に勝ち上がっていた。
大部屋事の試合は、もはや試合よりも、大乱闘といった方が正しい状態であった。
なにせ、あちこちで怒号、罵倒が飛び交い、野次も飛ぶ。時折思い出したように悲鳴があがり、一人の巨体な参加者が他の参加者をちぎっては投げちぎっては投げを繰り返したせいで、ぽんぽんと人まで飛び交っていた。
最終的にはリトゥスと巨漢の一騎打ちになり、人を投げ飛ばしすぎて疲れていた巨漢が動きについてこられず、足をもつれさせ自滅して終わった。
そして、出来上がった対戦表が会場入り口に貼り付けられる。
レイモンはもちろん、ラルゴの名前もあった。
この二人とは、どうがんばっても決勝まで勝ち抜かなければ当たらない。
その上……。
「こりゃあ、面倒だな」
横で対戦表を眺めていたヴァルエルスも、顔をしかめていた。
「先に、レイモンと脳筋が当たるじゃねーか。……あの脳筋野郎、負けたら日を改めてとか言い出さねぇだろうな」
「ヴァルさんは、ラルゴが負けると思ってるんですか?」
「レイモンは、連続優勝してる強者だぞ。その上、今年は気合いが違う。……最後だからな。……あぁ、でも、お前がレイモンと当たっても、手加減とか考えるなよ? レイモンは、格好付け野郎だからな。強い奴と、正々堂々本気で戦って、正当な勝利をご主人様に捧げたいんだ」
「わかってます。……彼の気持ちに、水を差したりしません」
手抜きなど、勝負を穢している。
リトゥスもアーヴィ族として、そんな失礼なこと出来ない。
「悪いな。お前に、面倒な役回り押しつけちまって」
「なんでヴァルさんが謝るんですか」
「臆病な男を代表して、謝ってるんだよ」
伸びてきた手が、ぎこちなく頭の上に乗る。
「臆病って……ヴァルさんに、一番似合わない言葉ですね」
リトゥスが吹き出すと、ヴァルエルスは「そうでもない」と苦笑した。
「オレも、今まで知らなかったけど……――結構な臆病者だよ、オレは」
「ヴァルさん?」
「……こうやって……口実付けないと、大事な物に手を伸ばせないんだからな」
伸びてきた手は、二回ほどリトゥスの髪を撫でると静かに離れていった。
「男って奴はどうしようもなく勝手で、臆病で……――女ってのは、ほんと……強いもんだな」
「あ……あの……?」
「お前はいい女だって言ってんだよ」
リトゥスは、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。
優しい顔をしたヴァルエルスは、今とんでもない事を口にした気がした。
「……今……」
「二度は言わねぇ」
そう言って、耳まで真っ赤にした男は、ふいっと顔を背けたのだった。
――その後も、リトゥスは順調に勝ち上がっていった。だが、ヴァルエルスの予想を裏切り、レイモンはラルゴに破れた。
剣さえ交えぬまま、だ。
レイモンは、試合開始の合図と同時に、降参を宣言したのだ。
今年も彼の活躍を期待していた観客達は、失望からか次々と項垂れているレイモンに野次を飛ばす。
腰抜けめ、と吐き捨てたラルゴはすでにレイモンを見ていない。
出場者達の控えの場を……そこにいるだろう、リトゥスを睨み付けていた。
一方で、リトゥスは、あまりにも不可解な試合の終わり方に疑問符を浮かべた。
正々堂々と言っていた騎士が、剣すら抜かず自ら敗北を認めたのだ。おかしいとしか言えない。
「……どういう事だ」
唸るように呟いたヴァルエルスは、悄然と会場を後にするレイモンを追う。
リトゥスもまた気がかりで後に続いた。
◆◆◆
すぐにレイモンを捕まえたヴァルエルスが、背中に向かって叫ぶ。
「おい、レイモン! 一体、何を考えてる!」
「……ヴァルエルス殿」
振り向いたレイモンの表情は、固く強張っていた。
「――どうした? 何か、あったのか?」
「……姫様が……」
「なに?」
これを、とレイモンは懐から一枚の紙を取り出した。
そこには、簡潔な一文が綴られていた。
──女は預かった。無事に返して欲しければ、次の試合で自ら負けを宣言しろ──
「これ、脅迫状……!?」
「はったりの可能性は?」
リトゥスが目を瞠り、ヴァルエルスは思案するように目を細めた。しかし、レイモンは強張った表情のまま、首を横に振る。
「実際、姫様の姿が見えない。……試合が始まる以上、探しに抜けることも出来ません。真偽の程はわかりませんが、観覧席に姫様はおいでにならなかった。ただの悪戯と片付けるには、あまりにも……」
だから、レイモンは負けた。
万が一にでも、姫を危険にさらす可能性を考え、自身の誇りや勝利よりも、彼女を選んだ。
「……汚いまねをして……!」
「本当にな」
リトゥスの怒りに、ヴァルエルスが同調した。
「おい、リトゥス! 尻尾を巻いて逃げるつもりか!」
「……ラルゴ?」
レイモンを追いかけたのを、逃げたと勘違いしたのか、ラルゴが顔を真っ赤にして大股で近付いてきた。
その後ろからは、悠然とした足取りでジナシーがやってくる。すると、甘ったるい匂いが漂ってくる。お菓子や、花とも違う、鼻につくような嫌な甘さだ。リトゥスは顔をしかめ、ヴァルエルスは黙って眉間に皺を寄せる。
「おや、お二人も観戦に?」
さも今気が付いたとばかりに笑うジナシーは、店を訪れた時の挙動不審さが消えている。
今は、薄気味悪いほど落ち着いていた。だが、口調とは裏腹に、その足元はふらついており、顔色はもはや土色と言ってもいいほどに、悪い。
「……ジナシー殿、あなたは体調が悪いんだ。勝利は、もはや約束されたようなもの。休んだ方が良い」
「ラルゴ、君の気遣いは嬉しいけれど、今はとても気分が良いんだ。かつてないほどにね。君の勝利を祝いたい」
「……どこぞの腰抜けが怖じ気づいただけだ。勝利などと言う大層なものではない」
「いいや。そこにいる騎士は優勝候補だったんだ。それから戦わずして勝利を収めるなんて、素晴らしい事じゃないか」
ぱちぱちぱち。空々しい拍手の音が響いた。
乾いた拍手の中、レイモンは己をどれだけ侮辱されても、頭を垂れたまま、黙って耐えている。
一方で、ヴァルエルスはジナシーとラルゴを交互に見据え、鼻を鳴らした。
「なるほどね。……最初から、こういう腹積もりだったわけか」
「ヴァルさん?」
「レイモンを害するなんて、並大抵の腕じゃ無理だ。それこそ、うちのリトゥスくらいじゃねぇと、太刀打ち出来ねぇ。……だから、わざわざ“アイツ”の周りに餌をまいたんだろ」
ジナシーは、笑っている。
にこにこと、楽しそうに笑っているのだ。
「なんの事ですか、占い師殿。……それにしても、その口調……まるで、ならず者のようですよ? いやはや、やはり上辺をどれだけ取り繕っても、育ちの悪さはどうにもならないようですね。……生まれついてのゴミの匂いが、きついきつい」
「オレがゴミなら、そっちは吐瀉物だな。……恋敵の名誉を地に落とすため、惚れた女を利用するなんて外道な方法、ゴミ程度のオレには思いつかねーよ、ゲロ野郎」
レイモンがその言葉を聞くなり、険しい視線をジナシーに向けた。
「……まさか、貴方がひ……、お嬢様を……」
「憶測で物を語らない方が良い。お前達程度の小物、簡単に消し飛ばせるんだぞ? まぁ、そこの腰抜け騎士は、せいぜい明日からの身の振り方でも考えておくといい。……貴様の居場所は、もはやあの方のそばにはないだろうからな。では、ラルゴ。次も頼むよ」
ジナシーは上機嫌に笑いながら、去って行った。
「全く、気ままな雇い主だ。……負け犬同士が群れて吠えようと、所詮ただの遠吠えだがな」
どこか呆れた眼差しでそれを見送ったラルゴは、再びリトゥス達に鋭い視線を向け、嫌悪もあらわに吐き捨てる。
自分が言いたいことを言って満足したのか、くるりと向けられた背中に、リトゥスは初めて言い返した。
「……卑怯者に、言われたくない」
ぴたりと、ラルゴの足が止まる。
振り返ったその顔は、侮辱された事への怒りでいっぱいだった。
「なんだと……?」
「勝負事を穢して平然としている卑怯者に、どうこう言われたくない……!」
「言いがかりをつけるな! 俺はお前とは違う! 誇りあるアーヴィ族の、次期族長だぞ!」
「ジナシーさんとヴァルさんのやり取りを見て、何も思わない? 優勝候補だったレイモンさんが、どうして剣すら抜かずに敗北宣言したか、不思議に思わなかった? ――もしも知ってて、全部知らないふりをしているなら……君には、レイモンさんを笑う権利なんてないよ、この卑怯者……!」
「なんの事だ……!」
話が見えない、という顔をしている。
ラルゴは自分の事だけで頭がいっぱいで、何も知らないのかもしれない。
けれど、目の前でただならぬやり取りをしていても無関心……目にも入っていない様子なのは、視野が狭すぎる。
自分との決着に固執して、他の事は全部蔑ろにしているようなラルゴの態度に、リトゥスは歯がゆさを覚えた。
「落ち着け、リトゥス」
ヴァルエルスは、そんなリトゥスをなだめるように肩に手を置くと、探るような眼差しでラルゴを見た。
「おい――女を攫っただろ」
「……は? 女?」
意味が分からないと言いたげなラルゴに、焦れてリトゥスも声を上げる。
「レイモンさんの、大事な人だよ……! 人質にとられて、この人は満足に戦えなかったんだ……!」
「はぁ? なぜ俺が、そんな卑怯な真似をする必要がある……? 貴様っ、この期に及んで、侮辱するか!」
「ちげーよ、脳筋。……お前は、一切関わって無くても、お前のお仲間はどうだ? なかなか柄のよろしくない連中と、仲良くしてただろ?」
指摘されると、ラルゴは嫌そうに顔をゆがめた。
「あんな連中、仲間でも何でも無い。ただ、雇い主が一緒、それだけだ。……一応武神祭に参加していたようだが、俺以外は、ぱっとしない成果で終わったようだしな。だから、ジナシー殿は、俺に期待しているんだ」
「……実に平和で、おめでたい頭だな」
「なにっ!?」
「その、頼りないお仲間連中、今どこにいるんだよ」
「知るか。……敗北を恥もせず、そして鍛錬もせず、早速女を一人空き部屋に連れ込んでいたが……」
その一言で、レイモンの顔色が変わった。
「どこだ!? どこの空き部屋だ! ――貴様、よりにもよって現場を見ておいて、黙殺したのか!」
「なっ……! 女は、人目もはばからず連中にべったりとしなだれかかっていたんだぞ! 合意の上だと思うだろう!」
「それは、意識を失っててぐったりしていた、の間違いじゃねぇのか?」
指摘されたラルゴは、そういえば……と状況を思い返しているようだった。
「――先入観で、目が曇ってたな脳筋。……さっさと、見た場所を言え。俺は、この騎士を犯罪者にしたくないんでな」
レイモンは、凄まじい形相でラルゴを睨んでいた。
剣を抜かないのは、必死に自制しているからだろう。柄にかかった手が、ぶるぶると震えている。
「……東通路の、一番奥にある部屋だ」
ただ事では無いと伝わったのか、ラルゴが顔をしかめつつも、口を開く。それを聞くなり、レイモンは弾かれたように駆けだした。
「……一体、どういうことだ」
「お前の雇い主は、とんでもねぇ外道って事だ。好いた女を物にするために、恋敵を貶めた挙げ句、女のことも危機に陥らせる。で、あたかも最後に、自分が救世主を気取って助けるつもりだったんだろ」
「――馬鹿な! ジナシー殿は、気の小さい男だぞ! そんな大それた事を考えつくはず……!」
「平常なら、な。……さっきの様子、見ただろ。顔色もおかしいが、足取りもおかしかった。けれど、酒に酔ってるわけでもない。その上、あの甘ったるい匂い。……良家のぼっちゃんのくせに、ヤバそうな連中ともつながりがあるとなれば……。あいつ、禁制の薬をやってるな」
禁制の薬ならば、ヴァルエルスから散々田舎者と言われ続けてきたリトゥスも知っている。
摂取すれば、一時的に気分を解放してくれるが、依存性が高く危険な代物だ。
長く使用を続ければ、体に不調が出る事はもちろん、幻覚、幻聴――妄想にとりつかれ、心も病む。
ペイジャという植物から抽出された成分で作られたその薬は、当初医療目的で用いられていたが、危険な副作用があるとわかるとたちまち禁止された。
しかし、今でも水面下ではその薬がばらまかれているのだ。そして、依存症に陥らせ、欲しがる客と高い金で取り引きする。そんな商売が、王都の闇では成り立っている。
ジナシーもまた、目を付けられたカモなのだろう。
「……ラルゴ。君が僕と決着を付けるためにジナシーさんに雇われたのなら、武神祭が終わったら、あの人とは綺麗さっぱり手を切って、里に戻って欲しい」
びくっとラルゴの肩が跳ねた。
渋いお茶を口にした時と似た表情で、リトゥスを睨み付けてくる。
「……リトゥス、行くぞ。レイモンを追いかける」
ヴァルエルスに呼ばれ、リトゥスは黙って頷いて視線をそらした。
「――俺と貴様は敵なんだ。いちいち、人のことに口を出さず、自分身をの心配していろ」
そっけなく言い捨てたラルゴは、今度こそ足を止めない。
リトゥスもまた、振り返らなかった。
◆◆◆
ラルゴが言ったとおりの部屋に、姫は捕らえられていた。
「姫様、ご無事で……!」
「あぁ、レイモン……来てくれたのね……!」
二人が駆け付けると、レイモンはすでに姫を助け出しており、周囲には伸された男達が転がっているが、命に別状はないようだ。
「……間違いないですね、ラルゴと一緒にいた人達です」
リトゥスは床で伸びている男達の顔を確認し、ヴァルエルスを見た。
「だな」
一つ頷いた彼は、きつく抱き合っている騎士と姫に目をむけ……ため息をつく。
「まぁ……いま声をかけるのは野暮ってもんか……。仕方ねぇな、こいつらは縛り上げておくか」
「はい」
言いながら、リトゥスとヴァルエルスはよからぬことを企てた輩をぐるぐるっと縛り上げたのだった。




