十四話 リトゥスとヴァルエルス
店に戻ってきたヴァルエルスは、中に入るや否や悪態をついた。
「あぁぁぁっ、クソッ! あんなクソ男がいる屋敷になんて、行くんじゃなかった!」
「……ヴァルさん、あの……姫様に聞いた話なんですけど」
「っ! 後にしろ、今聞きたくない」
「――でも、大事な事なんです」
リトゥスは、さっさと奥の方へ引っ込もうとするヴァルエルスの腕を掴んで引き留めた。
「お願いします、聞いて下さい」
「……っ、お、おう……」
身を乗り出し言うと、ヴァルエルスは気圧されたような……戸惑ったような、どこか落ち着かない様子で視線を彷徨わせた後、しぶしぶと頷く。
「公爵家が、武神祭のために雇った腕利きというのは、ラルゴの……彼の事だと思います」
「…………なに?」
「アーヴィ族は、武を重んじる部族です」
「……まぁ、な。――いまでも決闘なんていう、古くさい慣習が残ってる部族だしな」
「……はい。……件の公爵家が、何人雇ったかまでは分かりません。ですが、腕利きの中に、ラルゴは絶対に含まれています」
「……あの野郎、そんなに強いのか?」
「強いです」
リトゥスが神妙に頷くと、ヴァルエルスはふてくされたように呟いた。
「……即答かよ」
「嘘を言っても、仕方ありません」
「んで? その強い強いラルゴ君と戦うって? お前が? ……名誉だ、誇りだ、んなものが、そんだけ大事か! てめぇの命より、大事だってのか!?」
ヴァルエルスは、ラルゴを止めようとしていた。
武神祭は名が示すとおり、お祭りだ。しかし、ラルゴとリトゥスが当たれば、事はお祭り騒ぎに留まらない。
それを分かっていたから、懸命に止めようとしてくれたのだろう。だから、ラルゴの宣戦布告を受けたリトゥスに腹を立てた。同時に、心配してくれている。
口の悪さと荒々しさでわかりにくいが、ヴァルエルスの隠している優しさを、リトゥスは確かに見つけた。
だから、今度は謝らずに、自分の思う事を伝えようと決めた。
「……ヴァルさん、たしかに、僕には人の気持ちを偉そうに語る権利はありません。でも、姫様や……あのジナシーさんのように、誰かを想った事はあります」
「……そうか。で?」
「姫様は、レイモンさんが傷つけられると怖がってました。ジナシーさんの態度を見るに、思い違いとは言えません。……好きな人に、自分を見てもらえないのは、悲しいですから」
リトゥスの脳裏に、ラルゴの顔が浮かんで、消える。
「でも、ジナシーさんは、間違っていると思います」
「……お前……」
「僕も、自分以外の誰かを想っている人に、恋をしました。振り向いてもらえないのは悲しい、あの人の目に映らないのはさみしいって思いました。でも、そこで好きな人の大切な存在を傷つけるのは、やっぱり間違っています。それは、人として、してはいけない事だと思います」
リトゥスと目を合わせたヴァルエルスは、複雑な顔をした。
「……なぁ、それは、自分に非がなかったとしても、か?」
「え?」
「自分に非が無くて、相手から一方的になじられても? それでも、報復は間違いか?」
真剣な眼差しで問うヴァルエルスに、リトゥスは微笑して頷いた。
「自分で、自分の恋を貶めるようなまねはしたくありません。……“好きだった”という気持ちだけあればいい。それで終わらせて、進めばいい」
「……綺麗事だ」
「はい。でも、僕は……恋は綺麗なものだと思っています」
ヴァルエルスは、はっと息を呑んだ。そして、ため息交じり「このお子様め」と呟くと、肩をふるわせる。
「ヴァルさん?」
「ははっ、まさかこのオレが、お子様に恋のあれこれを語られるなんてな。……一本取られた!」
笑っていると気付いたリトゥスは、慌てて続けた。
「これは、あくまで僕の考えで、一般論はまた違うと思いますけど、でも……――っ」
しかし、言い訳は途中で止まった。
ヴァルエルスの人差し指が、リトゥスの唇を押さえたからだ。
「お前の悪いところは、すぐにそうやって逃げ道を作るところだ。……もっと、自信をもって言え。これが、自分の恋の仕方なんだって、胸をはれよ。……綺麗事で、いいじゃねぇか。そういう恋心を大切に出来るお前を、オレは好ましいと思う」
「……え」
「……けどな、武神祭となると、話は別だ」
「どうしてですか? ヴァルさんは、僕を用心棒として雇ったのに。腕っ節をかってくれたんじゃないんですか?」
腕に覚えがあったから、なし崩し的だったとはいえ、ヴァルエルスに雇ってもらえた。
今まで、ずっとそう思っていたリトゥスは、急に不安になった。
「あの時は……! ――そりゃあ、まぁ、たしかに腕は立つと思ったけど……。何よりお前、死にそうな面してただろ」
そのくせ、オレに食い下がったりしなかった。とヴァルエルスは思い出すように目を細める。
「かと思えば、絡まれてたオレを助けるお人好しっぷりを発揮するし。……そのままほっといて死なれたら、寝覚め悪いから、理由を付けて雇ったんだよ」
「ヴァルさん……」
「でも、今は違う。顔も、生き生きしてきたし、少しずつだが、自分の考えも口に出すようになった。……だから、余計に駄目なんだよ」
ヴァルエルスは、ぐっと眉間に皺を寄せ、難しい顔をした。
「あの野郎なんだろ? お前が、わざわざアーヴィ族の里から出てきた理由っつーのは?」
「……それは……」
無意識に、短くなかった髪に手が伸びた。
ヴァルエルスの目が、その仕草を追いかけるように移動する。
嘘をついても仕方が無いし、理由も無い。リトゥスは、戸惑いつつも、頷いた。
「やっぱりな……。オレは、お前の腕を信頼してるから、武神祭に出場する事に関しては、どうこう言うつもりは無かった。……だけどな、あの野郎が絡むなら、話は別だ。あいつに関われば、きっとお前は最初の頃に逆戻りする。……今にもくたばりそうで、そのくせ誰にも助けてって言えない、どうしようもない頃に」
ヴァルエルスの言葉に、リトゥスは出会いを思い返した。
――もしも出会った時、なりふり構わず助けを求めれば、この優しい占い師は損得なく手を差し伸べてくれただろうと。
「オレは、そんなお前、見たくない」
今なら、彼のことがよく分る。やっぱり、優しい人だとリトゥスは笑みをこぼした。
優しい人だから、リトゥスを見捨てなかった。
今まで、リトゥスの過去を尋ねたりしなかった。
気付かないふりを続けて、リトゥスが自分で考えて動き出すのを待っていてくれたのだ。
「……ありがとうございます、ヴァルさん」
改めて感謝したリトゥスの口からは、自然と答えが出ていた。
「僕は、もう大丈夫です」
「……なんで?」
「僕にはあの時、戦う理由がありませんでした。でも、今は、ちゃんと意味を見つけられたんです」
「――それは……あれか? 姫に同情したから、か?」
「それもありますけど……」
「けど?」
「僕にとって一番の理由は、貴方です」
それが、リトゥスにとっての譲れないものだった。
戦う理由。その一番は、ヴァルエルスという存在だ。
きっぱりと断言すると、当惑した本人の目が見開かれる。
「……オレ? ――なんで……?」
「貴方は、僕の雇い主だとラルゴに知られています。もしも、僕が彼との戦いを放棄すると、雇ってくれたヴァルさんの名誉まで、地に落ちることになってしまいます」
「はぁ? なんだ、そんな事か……。あのな……オレは、あんな脳筋とは違うから、名誉だなんだとか気にしない」
「僕は嫌です」
ヴァルエルスは、気にしない。
己が他人にどう思われようと、どう言われようとも。
強がりでもなんでもなく、事実だ。きっと、「そんな事か」と言いながら、堂々と胸を張っているだろう。
彼は、自分に自信があり、確固たる考えを持っている。その心は、多少の事では決して揺らいだりしない。
けれど、リトゥスは駄目だった。
「僕は、故郷で貴方の名が貶められるなんて、我慢ならない」
ヴァルエルスという人間を知った今だからこそ、許せないと思った。
最初こそ、軽薄でいい加減で、どうしようもない駄目人間だと思っていたが、その実ヴァルエルスはしっかりと人を見ていた。
個々の状態をしっかり観察し、話の中から嘘と真実を探り当て、最善の道を提示する。
それが、王都一の占い師ヴァルエルスの姿だ。
リトゥスが今まで見てきて、学んだ、彼の姿勢だ。
「僕は、そんな貴方を尊敬しているんです」
「……あのな、真顔でそういう事を言うな。……照れるだろうが」
誤魔化すように咳払いするヴァルエルスに、リトゥスは「事実です」と首を振った。
「それに、もしも貴方を侮辱すれば……王家も黙っていないでしょう」
「へぇ……? なんでそう思う?」」
ヴァルエルスは、そこでようやく“らしい”笑みを浮かべてみせた。
向かい合い、リトゥスは自分がたどり着いた答えを口にする。
「貴方が、王族だからです」
くっくっと、ヴァルエルスが喉を震わせ笑う。
「まいったな……どこで気が付いた?」
「思えば最初から、変でした」
あちこちで金を借りているにしては、店に置かれている物は高価だった。これを売れば借金は帳消しになるのでは、と思うほどに。
さらに、城の構図にも詳しく、姫の部屋に繋がる抜け道まで把握している。姫自身が、ヴァルエルスをよく知っていた事も奇妙だった。
「何よりも、貴方はたかが地方の一部族について、詳しすぎる。アーヴィ族の決闘の事まで知っているのは学者か……あるいは、部族達の行動特性を把握しておく必要のある、王族だけが知り得る知識でしょう」
「――完敗だ」
ヴァルエルスが、両手を挙げて見せた。
「ただ、一つ訂正する点がある。オレは確かに王家の血が入ってはいるが、王家に籍はねぇ。孤児として育って、ガイル達といっしょにこそ泥まがいの事をして生きてきた」
「……」
「……たまたま、財布を盗んだ相手が悪くて、とっ捕まって……それがオレのお袋の顔を覚えていた奴だったんだよ。で、オレは速攻お縄になって、城送り。今なら、城に送られるのはおかしいって分かるけど、当時は学もなにもない、野良犬みてーなガキだったから、死刑になるんだって震えてたよ」
そして、死刑に怯えていたヴァルエルスの前に現れたのが、国王だったと言う。
「オレの母親に手付けたが、母親は城での仕事を辞して逃げたんだと。だから、オレの存在を知らなかったらしい。……ま、それからはつかず離れずだな。魔術の才能があるからって、城仕えの魔術師共の所へ放り込まれた事もあったけど、お高くとまった連中とは考えが合わなくて、ぶん殴って速攻クビ。オレの父親も、今更お上品に躾直すのは無理だと悟ったらしく、今はこの通り、占い師だ」
用心として、首に鈴はつけられたけどな、とヴァルエルスは笑った。
「鈴?」
「城へ忍び込んでの、定期報告だよ。……ついでに、占い師って言う立場を利用して集まってくる噂を、国王陛下にこっそり教えるっつー仕事だな」
「お城にいるよりも、城下にいるヴァルさんに情報が沢山集まるからですか?」
「ああ、そうだ。真偽の程は別にしても、町をぶらつくだけで、金持ち共の噂はたくさん耳に入るからな」
けれど、それは別にヴァルエルスがしなければいけない事では無い。
言ってしまえば、誰でも出来る。
それでも、王がヴァルエルスに頼む理由は。
(やっぱり、顔が見たいからかな)
なにせ、魔術の才能があるからと城でお抱えの魔術師にしようとしたくらいだ。
栄光の道を用意してやりたいが、断られた。ならばせめて、援助をしたい。たまに顔を見たい……、と言ったところだろう。
ヴァルエルスがそれをよしとしているかは別としても、気付いてはいるだろう。
「……今度はお前の番だ」
「僕、ですか?」
「あぁ。オレは、恥ずかしい秘密を打ち明けてやったんだ、お前も吐け」
「別に、恥ずかしい秘密ではないと思いますけど」
「うるせぇ。オレにとっては、恥ずかしいんだよ。……未だ、父親の手のひらの上とか、恥ずかし過ぎるだろ」
あぁ、そういうことかとリトゥスは頷いた。
「わかったら、キリキリ吐け」
「でも、僕は別に……」
「オレはさっき、お前に聞いたよな。里を出てきた原因は、あのラルゴとか言う野郎なんだろって。お前は頷いた」
「……はい。それが、どうかしたんですか」
「――お前、あの野郎に惚れてたんだろ」
リトゥスは、真実をぴたりと言い当てられたことに、驚いた。
同時に、どうして分かったのだろうと疑問に思った。
ヴァルエルスは、自分を男だと思っていたはずなのに、と。
「あの、ヴァルさん、それは間違っていないんですけど、その前に僕は、まだ貴方に話していなかったことが」
「お前が女だっていうのは、知ってる」
「――そう、僕が女……え?」
「お前が、男の格好している女だって事は、もう知ってる」
「――えぇっ!? なんでっ……!?」
ヴァルエルスは、片手で頭をかいて気まずそうに言った。
「……聞いちまったんだよ。話してるの」
「聞いた……? 僕は誰ともそんな話…………あっ」
一人だけ、心当たりがあった。
リトゥスが女だと気が付いたのは、自ら確認してきたのは、ただ一人だけ。この国の姫だけだ。
「それって、あの、秘密の通路の時……?」
「言っておくけどな、盗み聞きしようと思ったわけじゃねーぞ。迎えに行けば、なんか変な話してるから、出るに出られなかったんだよ……! だいたい、迎えに行ったら惚れた男がどうしたこうしたなんて話を聞く羽目になった、オレの気持ちも考えろ!」
「え、えぇ?」
「えぇー? じゃねぇよ! あんな人語も通じなさそーな脳筋を、切なそうな顔で語りやがって……! ……あー、駄目だ。思い出しただけでも気分悪ぃ。あんな野郎、さっさと忘れろ」
嫌そうに顔をゆがめたヴァルエルスは、ぽかんとしているリトゥスに気付くと、気まずそうに目をそらすと、咳払いをした。
「……べ、別にな、オレはお前が女だって分かったから、戦うなって言ってるんじゃない」
リトゥスは頷く。
ついさっき、リトゥスの腕を信用していると言われたばかりだ。
「あの野郎が気に食わない。お前にちょっとでも関わらせたくない。…………オレは、お前だから、戦わないで欲しいと思ったんだ」
「ヴァルさん、でも僕は……」
「分かってるよ。お前は、オレのため、だろ? ……ぽわぽわと流されやすそうな顔してるくせに、信じられねーほど頑固な奴だよ、お前は」
苦笑したヴァルエルスが、降参を示すように両手を挙げる。
「それじゃあ――」
表情を明るくしたリトゥスに、ヴァルエルスは頷いた。
「あぁ、でも、一つ言っとく。……オレは、もしお前が危ないと思ったら、そこがどこだろうが、お前を連れ出して逃げるからな。たとえそれが、脳筋野郎の前だとしてもだ」
「…………」
逃げる、という言葉にリトゥスの眉が困ったように下がった。
しかし、ヴァルエルスは譲らない。
「生憎、オレはあの脳筋になんと思われようが、心底どうでもいい。脳筋野郎の言う名誉だとか、そんなものより、お前の方が大事だ」
「僕が、大事……?」
思いがけない事をいわれたリトゥスは、ヴァルエルスの言葉を繰り返した。
「――っ、うるさい! いちいち繰り返すな……! ……とにかく、オレも折れてやったんだ。お前もちょっとは、オレに歩み寄れ」
赤い顔で尊大に言われて、リトゥスは吹き出した。
「僕、もしかして心配されてますか?」
「…………して悪いかよ」
ぶっきらぼうなヴァルエルスの返答に、リトゥスの胸の中がほんのりとあたたかくなる。
「いいえ。……不思議な事に、なんだかすごく、嬉しいです」
「! …………そうかよ。……ったく、ほんとに攫うぞ、馬鹿」
「ヴァルさん?」
そっぽを向いたヴァルエルスが何事か呟く。
聞き取れなかったリトゥスが彼を呼ぶと、返事の代わりに手が伸びてきて、ふにっとリトゥスの頬をつまんだ。
「…………なにするんですか」
「確認だ」
頬をつまんで、一体何を確認するのかは分からなかったが、ヴァルエルスはまだ頬を赤くしつつも、大真面目にリトゥスの頬をつまんでいる。
「…………やわらけーの」
「……ほっぺですから」
「――かわいい」
不意につまんでいた頬が開放され、するりと手のひらが一撫でして離れてった。
「…………あの、ヴァルさん、今……」
「その隙だらけの顔、他の誰にも見せんなよ」
間近で笑いかけられ、リトゥスは固まった。心臓が、奇妙なほど大きな音を立てたのだ。
「さぁて、飯でも食いに行くか~」
どぎまぎするリトゥスとは対照的に、ヴァルエルスは普段通りの彼に戻っている。
大きく伸びをしながら外に出ようとしていたヴァルエルスは、足を止めるとリトゥスを振り返った。
「なにしてんだ、早く来いよ――リトゥス」
「え?」
はにかんだような表情を浮かべる彼に、名前を呼ばれた。
心臓の音が、うるさい。ヴァルエルスに聞こえるのではと懸念するほど、大きく脈打っている。
「……はい、ヴァルさん……!」
熱い頬と早鐘のような鼓動を誤魔化すように、リトゥスは大きく頷いてヴァルエルスの傍へ駆け寄ったのだった。




