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十二話 恋の話


「わたくしのお部屋へ、ようこそ。さぁ、中へどうぞ?」


 少女に促されるまま階段を上り切ると、そこは陽の光がいっぱいに差し込む明るい部屋だった。

 明るさに目を細めたリトゥスだったが、慣れてくると徐々に部屋全体が見えてくる。


「どうぞ、こちらへいらして?」


 そこは、可憐な容姿の少女に似合う、薄紅と白が基調の可愛らしい部屋だった。

 部屋の中に一歩踏み入ると、ふわりとした感覚が靴の裏から全体に伝わる。


(う、うわぁ……すごい……)


 ふわふわの絨毯。

 脚の部分に花模様が細工されているテーブル。

 椅子の背もたれにも、同様の凝った細工が見てとれる。

 

 リトゥスの横にあるのは本棚だ。通路を隠すための目くらましだろう。

 しかし、これもまた部屋の雰囲気を損なわない作りで、縁に葉や小鳥が彫り込まれている。


(なんて可愛い部屋……!)


 リトゥスは、こんな格好をしてはいるものの、実は年頃の娘らしく可愛い物だって好きだ。


 自分の外見には似合わないと知っているから遠ざけているだけで、綺麗な服や装飾品、可愛らしい小物などを見れば、心が躍る。


 つまり、予期せずして招かれたこの部屋は、リトゥスの少女らしい憧れが詰まっている宝箱のような物だった。思わず目を輝かせてしまっても、仕方が無い。


 少女は、きらきらした目で部屋を見回しているリトゥスを不思議そうに見つめた。


「このお部屋、そんなにお気に召しまして?」

「! い、いえ、あの……!」


 我に返ったリトゥスは、羞恥心から顔を赤くした。


「……じろじろ見たりして、ごめんなさい」


 恥じ入るように口にしたのは、謝罪だった。


 リトゥスは、自分が他人にどう見られるか自覚している。なにせ、幼なじみのラルゴが、最後まで自分を男だと信じて疑わなかったくらいなのだから。


 ましてや今は、兵士の格好をしている不審者なのだ……――部屋をキョロキョロと物珍しそうに見回され、少女が不快に思わないわけが無い。


 だが、少女は微笑むだけだ。

 怒っているのか、本心で笑っているのか、まったく読めない。


「どうぞ、楽になさって」


 テーブルの上には、お茶のセットが用意されていた。

 勧められるがまま椅子に座ると、少女が二つのカップにお茶を注ぐ。一つをリトゥスの方へ置いた。


「……あの……」

「お菓子もありますわ。あぁ、でも……殿方は甘い物は好まないかしら」

「それは……どうでしょう」

「まぁ、煮え切らないお返事。……どう答えても、わたくしは咎めませんわよ? ヴァルエルスなんて、わたくしがケーキを食べると、露骨に嫌な顔をするんですもの」


 雇い主の名前を出され、リトゥスは少し安心した。

 これで、目の前の少女とヴァルエルスが……――少なくとも一緒にお茶を飲む仲である事はわかったのだ。


 ヴァルエルスが連れてきた人間だと認識されているのならば、いきなり拘束されることもあるまい。

 ――しかし、だからといって完全に気を抜くわけにはいかなかった。

 なぜならば、この少女は……。


「……ヴァルさんと、知り合いなのですか? ――姫様」


 恐る恐るリトゥスが呼びかけると、クッキーをつまもうとしていた少女は、こてんと首をかしげ、そして「バレちゃった」と小さく笑った。


「もしかしたら、このまま気付かれないんじゃないかと思ったのに、残念ですわ」

「……それはさすがに、無理ですよ」

「だって、兵士さんは人がよさそうですから、もしかしたら騙されてくれるのでは……と期待してしまいましたの」


 秘密の通路を知っている、堂々とした立ち振る舞いの少女。身を飾るドレスも、整えられた部屋も、全てが最上の物だ。これで分からない方が、どうかしている。


「バレてしまったのならば、もう貴方も偽る必要は無いでしょう? 違いますか、ヴァルエルスの用心棒さん?」


 にっこりと微笑まれて、リトゥスは怯んだ。


「……僕のことを、ご存じなのですか?」

「えぇ。この前、ヴァルエルスが腕の立つ用心棒を雇ったのだと、自慢していましたから」

「そう、なんですか……」

「とても強いんですってね? うふふ……レイモンと、どちらが強いのかしら」

「…………」


 レイモンという名前を口に出したとき、姫は初めて年相応の無邪気な笑みを浮かべた。


「レイモンの事は、ご存じ? わたくしの騎士なのだけれど、ヴァルエルスは、もう貴方に紹介したかしら? 彼も、とても強いの。強くて優しくて、誠実で……、いつでも、わたくしを守ってくれるのよ」

「そうなんですか」

「ええ。それに、武神祭では毎年必ず優勝してるの、すごいでしょう? 今年も、出るのよ。彼なら、きっとまた優勝だわ。……でも」


 頬を僅かに紅潮させ、己の騎士を褒め称えていた姫は、不意に言葉を切り俯いた。


「姫様……?」

「でも、今年は何故か、ある公爵家の名前が出場者名簿に載ってましたの。……そのお家は、特別武芸に秀でている家でもないし、お祭り騒ぎをするような方々でもないのに……おかしいと思いませんか?」

「…………」

「噂では、腕利きの武人を雇ったと……。――近衛騎士を、わたくしの騎士を、害する気なのですわ」


 姫が悲痛な顔をした。


「お願いします、用心棒さん。どうか、どうかお助け下さいませ」


 椅子から立ち上がると、膝をつき胸で両手を組む。


「ちょ、ちょっと……止めて下さい……」


 縋るように見上げられ、姫にさせていい格好では無いとリトゥスは慌てて立ち上がった。

 どうにか止めようと、肩に手を置いた途端、何を思ったか姫は、リトゥスに抱きついてきた。


「お強いのでしょう? わたくしは、強い人が好きなのです、ですから、貴方がわたくしの望みを叶えてくれるなら……望む物を、なんでもさしあげますわ」


 ぐいぐいと体を押しつけて、潤んだ目で見上げ、熱っぽく囁く姫。

 しかし、その実彼女の目にはなんの温度も無い。

 ――これは、もしかして俗に言う……と、リトゥスは瞬きして姫を見下ろした。


(色仕掛け、というやつだよね?)


 リトゥスは、戸惑った。

 おそらく、姫は自分を男と思っている。だが、こんな事を仕掛けてきたのだろうが……――これは、あまりにも危険すぎる。


「……あの、こんな風に自分の身を危険にさらすようなやり方は、止めた方が……」

「そんな顔をしても、こうして胸に耳を当てれば、貴方が何を期待しているかなんて、簡単に分かりますのよ……? ほら、こうして胸に…………え? 柔らかい……?」


 リトゥスに抱きついたまま、胸にもたれかかった姫は、そこで初めて戸惑ったように顔を上げた。


「……貴方、まさか……」


 恐る恐る、リトゥスを見上げてくる姫。


「…………」

「女性、なのですか……?」

「はい、そうです」


 真っ正面からぶつけられた疑問に、リトゥスは是と返した。


「――まぁ……! わたくしったら、なんて事を……!」


 その返答で頭が冷え、冷静になったのか、姫は慌てて体を離す。


「大変失礼いたしましたわ……!」

「いえ、僕が同じ女で、よかったです。……姫様、なにか事情があるのは分かりました。ですが、同じ女として、言わせて下さい。……想う相手に、顔向けできないようなことはしない方がいい。それが、どれだけ相手を想っての行為だとしても、です」


 姫はすぐには何も言わなかった。しばし、じっとリトゥスの顔を見つめていた。


「…………それは、体験談ですか? 貴方にも、そういう経験が?」


 大きな瞳が、自分の髪と耳飾りを見つめていると気付いたリトゥスは、苦笑した。


「……僕は、結果的に相手を失望させてしまいました」

「…………椅子におかけになって? ――貴方とは、ゆっくりお話ししたいわ。アーヴィ族のお嬢さん」


 椅子を手で示され、リトゥスは大人しく腰掛ける。

 姫も、向かい側の椅子に腰掛けた。


「やっぱり、アーヴィ族だとすぐに分かりますか?」

「えぇ。耳飾りは元より、貴方の上着は、アーヴィ族特有の染め物だもの。ただ、貴方の髪が……その……」

「故郷を出るときに、切られたんです」


 言いよどんでいた姫は、リトゥスの一言に目を瞠った。


「誰に?」

「…………」

「まさか……、想う方に切られたのですか?」

「――僕の、片思いだったんです」


 そう、ただの片恋だった。一方通行だったのだ。

 リトゥスは今になって思う。きっと自分は、嫌われていたと。


 故郷にいた頃は、そばにいられるだけで嬉しいと浮かれていて、気づけなかった。族長によろしく頼むと言われて喜んでいた。その無神経さが、きっと彼を苛立たせていたに違いない。


「僕は、こんな見た目ですし……。彼は、外の世界に触れて欲しいという彼のお母さんの意向もあり、ずっと里を離れていたから、僕の性別なんて知らなかったんです。変に意識させないようにっていう親たちの考えもあったし、僕もこういう格好の方が性に合っていたので、改めて性別のことを説明したりしなかった……」


 言えば、何か違っていただろうか。

 自分は、兄の模倣をしているのだと口に出していれば、何か変わっていただろうか。

 出会った時は、よろしくと笑ってくれた彼が、顔をゆがめて自分を見るようになる羽目にはならなかっただろうか。


 ――姫に話しているうちに、リトゥスの中にはぽつりぽつりと疑問が浮かぶ。


(そっか、僕はずっと、後悔してたんだ……)


 あぁしておけばよかった。こうしておけばよかった。

 ラルゴに髪を切られた時、リトゥスは自分の行動は全て間違いだったのかと悩んだ。


 今、答えは見つかった。


 男の子の格好をして、ラルゴのそばにいたのは、彼にとって一番近しい相手になりたかったからだ。同時に、言う事を聞いて役割をこなすことで、大人達に褒められたかったから。


(……僕は、とんだわがままだったんだ)


 大人達に認められたい、褒められたい。ラルゴにとって近い人間でいたい、関係を壊したくない、でも彼に好かれたい。


 本音は何も語らずに、いいところだけを取ろうとしていたのだ、これでは好かれるはずも無い。

 姫に話すうちに、リトゥスの気持ちは整理されていた。


 心のもやが晴れてきたリトゥスだったが、話を聞いていた姫の表情はどんどん曇っていく。

 リトゥスが男の格好をしている理由。片恋の相手、ラルゴとの出会いと、髪を切られた時の状況、明かしていなかった事情。


 全てを語り終えた後、姫は眉をつり上げていた。


「なんですの、その男……!」

「ひ、姫様?」

「早とちりで貴方の髪を切った上、それを手柄のように言い触らすなんて……! そんな男、やめて正解ですわ!」


 自分の事のように怒り、傷ついた表情を浮かべる姫に、リトゥスは笑みをこぼした。


「……姫様は、優しい方なのですね」

「なんですの、急に……?」

「会ったばかりの僕の話を、真剣に聞いてくれるから、いい人だなって……」

「褒めたって、お菓子しか出ませんわよ?」


 言いながら、お菓子を勧めてくる姫は、照れたのか耳が赤い。

 リトゥスは、自分の雇い主の照れたときの反応を思い出す。


「――姫様と、ヴァルさんは、似てますね」

「……え?」

「二人とも、他人の話に真剣に耳を傾けてくれる、いい人です。……ヴァルさんは、普段の態度でちょっと……わかりにくいけど」


 姫は、リトゥスの言葉に驚いたようだったが、すぐに笑みを浮かべた。


「――ヴァルエルスと似ている、なんて言われたのは初めてです。……ふふ、なんだか嬉しいです」


 二人は、顔を見合わせて笑った。

 ほのぼのとした穏やかな空気が流れる。それをぶち壊したのは、通路の暗がりから響いてくる低い声だった。


「……おい、田舎者のクソガキ……! お前は言いつけも守れない程ガキだったのかよ?」

「あら?」


 姫は驚いた様子も無く小首をかしげ、開きっぱなしにしていた秘密の通路へ視線を向けた。


「く~そ~が~き~……!」


 のっそりと顔を出したのは、笑顔なのに目は全く笑っていないヴァルエルスだった。


「お前なぁ! 散々っ、探しただろうがっ!」

「す、すみません……」


 彼はだんっと足音荒く、姫の部屋へと入ってくる。


「まぁ、ヴァルエルス。どうか、この方を責めないで下さい。わたくしが、お茶に誘ったんですのよ? そもそも貴方が、いつまでも来て下さらないから悪いのに」


 姫は、たいそう苛立っているヴァルエルスを見ても全く怯えていない。それどころか、逆に拗ねたように頬をふくらませて、彼へ小走りに駆け寄っていく。  


「ねぇ、ヴァルエルス。貴方も一緒にお茶にしましょう? わたくし、貴方が来るのを待っていたのよ」


 つん、と袖を引く姫を見下ろしたヴァルエルスは、わずかに目元を和らげた。


「……今日は、忙しいから、また今度な」


 声も、苛立ちを押さえ込んだのか、幾分か優しい。

 その分、リトゥスに向ける視線は険しかった。


「――仕事に戻るぞ」


 さっさと来いと言外に促される。リトゥスには、頷く以外の選択肢は無かった。


「ごちそうさまでした、姫様」

「え……、せっかくお話しできたのに、もう行ってしまうの?」

「はい」

「……では、またいつでもいらして? わたくし、ヴァルエルスだけではなく、貴方にも会いたいわ」


 聞き分けよく見送る姫は、少しだけ寂しそうに見えた。

 しかし、すでに通路に向かったヴァルエルスから苛立たしげな声が飛んでくる。


「さっさとしろ」

「今、行きます。……では、また」

 再会を約束する言葉に、姫は目を見開いた。

そして、年相応の笑みを浮かべる。


「優しい方。貴方が新しい恋と出会う事を、祈らせてくださいませ」


 最後にそう言って、リトゥスに向かって優雅な一礼をしてみせたのだった。

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