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十一話 不穏な気配


 城に忍び込み、調査を終えた二人は、依頼人との約束の日を迎えた。


  依頼人……フィールズ公爵家の長男ジナシーは、やはり今日も挙動不審だった。


 しかし、ヴァルエルスが「貴方の想う人は、今、心の天秤が非常に不安定に揺れている時期だ」と告げると、おどおどと彷徨っていた視線が、ぴたりとヴァルエルスに定まった。

 忙しなく汗を拭っていた手も、すとんと膝の上に下ろされている。


「今は、少し距離を取り、落ち着くのを待った方がよいでしょうね。お互いのために」

「……そうですか」


 声も、落ち着いている。

 もっと落ち込んだりするものだと思っていたが、そんな気配は微塵も無い。リトゥスの目には、ジナシーが別人のように見えた。


「……そうだと思っていたんです。……ありがとうございました」


 憂い顔で、力ない笑みを浮かべたジナシーは、静かに席を立つ。


「……やっぱり、あの男が邪魔なんだな」


 去り際、視線を床に落としたジナシーは、暗い目をして呟いた。



 ジナシーが店を出て行くと、なんとも言えない沈黙が店内を支配した。


「……ヴァルさん……今、あの人……」


 リトゥスは、自分の空耳だと思いたかったが、ヴァルエルスにもきちんと聞こえていたようで、彼は一つ頷くと腕を組み、椅子に寄りかかった。


「何かしでかす気だな、あの男」

「何かって……?」

「それが分かれば、苦労はしない。……ただ、あの野郎、最後にオレと目を合わせたんだよ。どうしたんだってくらい、目をかっ開いてやがった」

「……なんだか、雰囲気もおかしかったです。……悪い予感がするのは、僕だけですか?」


 何かがおかしかった。

 まるで、箍がはずれた桶から、水がこぼれ出す瞬間を目にしたような気分だ。


「……城に行く」


 難しい顔で、ヴァルエルスは立ち上がった。


「え? 今から、ですか?」

「あぁ。ちょっと確かめたい事がある。店はもう閉めるから、今日は終わりだ」


 有無を言わせず、ヴァルエルスは手早く店の扉を施錠して窓も閉めてしまった。


「確かめたいこと……、あの人に関する事ですよね?」

「そうだ」

「……僕も、ついて行ってもいいですか?」

「――え」


 驚きに目を丸くするヴァルエルスを見て、リトゥスは出過ぎた事だったかと俯いた。


「すみません、僕も気になって……。ヴァルさんの邪魔をする気は無いんです、迷惑だったら、留守番をしているので」

「……おい、すぐ謝るなって言っただろ?」

「――」


 ぽん、と頭にヴァルエルスの手が乗せられた。


「すぐ出るぞ、支度しろ」


 恐る恐る顔を上げれば、リトゥスの雇い主は笑っていた。いつもの皮肉っぽい笑い方ではなく、とても穏やかで優しい笑い方だ。


(ヴァルさん、こういう顔も出来るんだ……)


 思わず見入っていると、ヴァルエルスと視線がかち合った。


「……」

「――」


 見つめ合う形になってしまうと、ヴァルエルスの顔から笑みが消えた。


 もったいないと思う反面、見過ぎて怒らせたのかという懸念がリトゥスの頭をよぎる。

 何かしらの言葉をかけようと、リトゥスは口を開いた。同時に、何かを確かめるようにヴァルエルスの指がリトゥスの頬に触れる。


「…………」

「……あ、あの……?」

「……柔らかい……」

「そ、それは、まぁ……ほっぺですから……」

「…………くっ!」


 ふにふにされたままのリトゥスが、至極当たり前の意見を口にすると、ヴァルエルスはぱっと手を離し俯いた。


「――ほっぺとか、なんだその言い方……! 田舎者ってみんな、そんな言い方するのか!?」

「僕の言い方、どこかおかしかったですか?」

「いや、おかしいって言うか、ほっぺとか……かわい……――じゃねぇよ、田舎者!」


 突如、ヴァルエルスは大きく頭を左右に振った。

 呆気にとられているリトゥスを余所に、その後二度、三度と深呼吸を繰り返す。


「――よしっ、落ち着いた……!」

「は……? はぁ……。それは、よかったです」

「行くぞ」


 リトゥスは大人しくヴァルエルスに従う。


(ヴァルさんって、本当に読めない人だなぁ……)


 そんなことを考えながら、彼の後を追いかけた。



◆◆◆



 また兵士の格好をして、例の秘密の通路に入る。

 分かれ道で、足を止めると、先を見てくるからここで待っていろとリトゥスに言いつけたのも同じだった。


 そして、ヴァルエルスの姿が見えなくなり……――と、ここまでは同じだった。


 違ったのは、別の足音が聞こえた事だ。


 突如響いた、新たなる足音。リトゥスは、意識をそちらに向けた。


(――ひ、人……!?)


 ヴァルエルスが行ったのは、右側。

 けれど、足音は反対側の左から徐々に近付いてくる。


 この通路では、身を隠す場所もない。


(そ、そうだ、ヴァルさんの方へ行けば……! あそこの角に身を潜めれば、バレないかも……!)


 リトゥスは、とっさに曲がり角へ視線を向けた。


(ここから、あそこまで……)


 全力疾走すれば間に合う距離だ。そう、この兵士の鎧姿で全力で走れば……。


(駄目だ! 絶対うるさい……!)


 ガチャガチャとした音は、通路内で反響するだろう。

 今コツコツと近付いてくる、誰かの足音のように。


(こうなったら、巡回の兵士のふりを……、あぁ駄目だ! ヴァルさんが、ここは秘密の通路って言ってた!)


 どうしよう、どうしよう。

 ぐるぐると悩みながら、リトゥスはじりじり後退していた。

 なるべく音を立てないようにして、相手の気が変わるように祈る。

 しかし、ぽつんとした点のような灯が近付いてくるのは明らかだった。


「あら?」


 程なくして、おっとりとした声音が聞こえた。


「――あらまぁ、珍しいお客様」


 滑らかな青色のドレスに身を包んだ、蜜色髪の少女。その細い手に燭台を持ち、立っていた。


 彼女は、リトゥスを見ても動じた様子がない。コロコロと、可愛らしい笑い声を上げただけだ。


「あ、あの……、僕は、決して怪しい者では――!」

「面白い方ね。まだ、何も聞いていないのに」


 もっともな事を言われて、リトゥスは墓穴を掘ってしまった自分の迂闊さを悔やんだ。


「もし? 自称怪しくない兵士さん?」

「は、はい!」

「よろしければ、お茶の相手をして下さらない? わたくし、待ち人が来なくて退屈してましたの」


 リトゥスは、少女の無防備な誘いに眉を寄せた。


「……あの、こんな所でこそこそしている怪しい者を、軽々しくお茶になど誘わない方が……」

「あらあら? たった今、自分で怪しい者では無いと仰ったでしょう? ……それとも、嘘だったのかしら?」


 おっとりと微笑む少女は、ただただ可憐だ。――にも関わらず、圧を感じるのは何故だろう。


「貴方が嫌だと仰るなら、それでも構いませんわ。……でも、わたくしは退屈が過ぎてしまい、うっかり叫んでしまうかもしれませんわね。……怪しい者が、隠れていたって」

「!」


 リトゥスを試すように微笑む少女は、他者を自分の思い通りに動かす事に慣れている風だった。


「そうしたら、貴方も……貴方のお仲間さんも、あっと言う間に捕まってしまうんじゃないかしら。まぁ、大変」

「なっ……!」


 なぜ、ヴァルエルスのことまで知っているのか。顔色を変えたリトゥスだったが、少女は意味深に笑うだけだ。


(カマをかけられた……?)


 リトゥスの視線を受けても、少女は泰然としている。


「ご心配なさらなくても、貴方のお仲間さんでしたら、必ずわたくしの元へやって来ますわ。……わたくしは、待ちぼうけが嫌いなの」


 そう言って、少女は踵を返し、来た道を戻り始めた。


(この子、ヴァルさんを知ってる……?)


 揺さぶりをかけられたと思ったが、続く言葉を聞く限り、少女はリトゥスが誰と来たか把握しているようだ。


「はやく、兵士さん。来て下さらないと、わたくし大声で、曲者がいるわと叫んでしまいそうよ」


 脅し文句が聞こえ、リトゥスは少女の後を追いかけた。


 おそらくだが、この少女はリトゥスが逆らえば脅しだけでは終わらせない。それだけの力がある。――この如何にも……な隠し通路を知っており、なおかつ堂々とした振る舞いが出来るドレス姿の少女となると、否が応でも正体が想像できた。


(このままついて行ったら、不味い気がする。けど、ついて行かなくても大変な事になるし……!)


 ほんの少しだけ希望を持って、ヴァルエルスが戻ってこないだろうかと反対側の通路を振り返ったが、残念ながらその気配は無く……リトゥスは腹をくくり、少女の隣に並んだ。

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