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十話 とある疑念


 結局、ヴァルエルスは臆した様子も無くあちこちを歩き回った。


「やっぱ、どこを突いてもレイモン、レイモンだな」

「でも、みんな褒めていますね。とても強い騎士だと」

「……肝心な所で動けない、ヘタレだけどな」

「? 知り合いなんですか?」

「さぁな~?」


 考えるリトゥスと、含み笑いを浮かべるヴァルエルス。二人へ向かって、きらりと光る何かが飛んできた。


 ばしゃっと大きな音がして、滴が飛び散る。

 きらりと光った物の正体は、水だった。


「やだ、ごめんなさい! わたしったら……!」


 どうやら侍女が水の入った桶をひっくり返したらしい。慌てて走り寄り、謝罪しする彼女に、ヴァルエルスは愛想良く笑う。


「いや、気にしないでくれ。そのうち乾く。……それに、こいつの頭を冷やすには、丁度良かった」

「え?」

「……新人なんだけど、姫様に憧れが過ぎてね。いま、レイモン様の話をして、現実を教えていたところさ」


 侍女は、察したように頷いたが「でも……」と声を潜めて続けた。


「最近は、そうでもないみたいよ?」

「へぇ? というと?」

「……ここだけの話なんだけど、ね。ほら、レイモン様って姫様に思いを寄せていたでしょう? 姫様だって、レイモン様には態度が違ったし……。だから、みんな二人の間には割っては入れないと思ってたけど……、レイモン様、最近避けられているらしいの。それで、大分落ち込んでいるみたい」

「へぇ……」

「姫様のご結婚の話が整いそうだって噂もあるから、新人君にはあんまりいい話じゃないでしょうけどね」


 悪戯っぽく笑う侍女に、リトゥスもぎこちない笑みを返した。

 もう一度謝罪した彼女に、気にしないようにといい、その場を離れた。


「よし……切り上げるか」

「いいんですか?」

「ああ。なにせ、ずぶ濡れだからな」


 ――ずぶ濡れで歩き回ると悪目立ちする。下手に印象に残るのはよくない。

 そんなヴァルエルスの弁に従い、二人は元の場所へ戻る事にした。

 

 周囲の気配を確認し、ヴァルエルスはさっさと通路の中に引っ込む。

 兜を脱いで、頭を振っている彼に向かい、リトゥスは問いかけた。


「ヴァルさん。どうするんですか、今回の依頼……」

「あぁ? そんなもん、簡単だ。貴方の婚約者は、気持ちが揺れ動いている状況だって伝えりゃいいんだよ」

「え? ……でも、姫様は自分の騎士が好きなんですよね?」

「――なんでそう思う」


 何気なく言ったつもりだったのだが、ヴァルエルスの声が固くなった。


「なんでって……、聞いたとおりです。婚約の話が出て、レイモンさんを遠ざけたからですよ」

「……へぇ? それだけで?」

「二人は、お互いを特別視していたらしいじゃないですか。でも、相手は違う。……叶わない、それが分っているのに、好きな人の傍にいるのは……苦しいです」

「分かった風に言うんだな」


 自分の髪をくしゃくしゃとかき回したヴァルエルスは、つかつかと歩き出す。


「――それは、僕だって、……人を好きになった事くらいありますから」

「あ?」


 不機嫌を隠しもしない低い声が、返ってくる。


「ヴァルさん、姫様の気持ちは揺れ動いているなんて言うのは、嘘じゃないですか?」

「…………」

「待って下さい、ヴァルさん、僕の話聞いてますか?」


 どんどん先に行ってしまうヴァルエルスを追いかけると、彼は睨むような鋭い眼差しで振り返った。


「だから?」

「だから……って、言われても……。気持ちは明らかなのに、嘘をつくのは、どうなのかなって……」

「じゃあ、聞くが……。お前は他人の言葉一つで、自分の気持ちを断ち切れるのか?」


 リトゥスは、息を呑んだ。


「叶わない気持ちは苦しい。あぁ、そうだろう。……誰だって苦しいんだ。あの挙動不審な依頼人だろうが、それは同じだ。姫の気持ちは、貴方にはありませんで納得して引き下がるような男なら、オレの所には来てねぇ。――真実で愛情が殺せるなら、占い師なんてモンは必要ねぇよ」


 ヴァルエルスは怒っている。

 でも何に? と、リトゥスは考えた。


(僕が、ヴァルさんの仕事に立ち入るような事を言ったからかな?)


 つい、姫に気持ちを重ねてしまったが、考えてみれば依頼人もまた同じなのだ。振り向いてもらえない相手を思い、不安を抱いている。


「人の心の機微もわからねぇ坊主は、引っ込んでろ」


 ヴァルエルスは、理解していた。

 でも、リトゥスは行動の奇妙さだけに気を取られ、深い所まで考えていなかった。


「ごめんなさい、ヴァルさん。……今の発言は、僕が浅はかでした」

「……」

「ヴァルさんの大事な仕事にまで立ち入って、ごめんなさい」

「…………この、甘ちゃんめ」


 さぞかし激怒したのだろうと覚悟していたリトゥスは、ため息交じりの声が穏やかだったことに驚いた。


「そう素直に謝られると、調子狂うだろうが」

「でも……今のは、僕が悪かったです」

「あぁ、そうだな。……まぁ、オレも悪かった」

「ヴァルさんは、悪くありませんよ。仕事に真摯に向き合っていたんですから」

「……心の機微もわからねぇ……なんて言ったりして、悪かった。売り言葉に買い言葉にしたって、酷かった。謝る」


 そう言って、頭を下げた男。

 パチパチと数回瞬きしたが、リトゥスの前には頭を下げたヴァルエルスがいる。


「な、何をしているんですか!」

「悪かったと思ったから、謝ってるんだろうが」

「男が頭を下げたりしちゃ駄目ですよ!」


 アーヴィ族の男は、「悪かった」「すまなかった」と謝罪の言葉は口にする。だが、決して頭は下げない。


 首をどうぞと差し出すようなこの仕草は、アーヴィ族では全面降伏を意味している。


 誇り高いアーヴィ族の男子は、決して頭を下げない。首をあらわにしない。するのは、情けない敗者だけ。


 ――ずっとそんな環境で育ってきたリトゥスは、ヴァルエルスの行動に驚き、慌てた。


「はぁ?」

「はやく、頭を上げて……! 悪いのは僕の方で、とにかくヴァルさんが謝る必要も無くて、ましてや頭を下げるなんて……! 僕はヴァルさんに首を差し出されても、切り落とす気なんてありませんから!」

「はぁ!? なんて、そうなるんだよ!」

「だ、だって、頭を下げるから……!」

「だから、謝っただけでなんて首云々に……って……あー、そうか……」


 引きずられるように動揺したヴァルエルスだったが、泡を食っているリトゥスの片耳で揺れている飾りを見て納得したように、平静を取り戻した。


「お前、アーヴィ族だったな。そう言えば、聞いた事ある」

「……え?」

「お前ん所じゃ、男は死ぬとき以外、頭下げねーんだっけ?」

「は、はい。そうです、その通りです、けど……よく、知ってますね」

「まぁオレ様は、王都にその名轟く、凄腕占い師だからな」


 得意げに笑うヴァルエルスに、リトゥスはぎこちない笑みで答えた。


「おっ、出口につくぞ」


 彼が、アーヴィ族の風習について詳しいならば、必ずある事について言及されると思い身構えていたのだが……。


 明るい太陽の下に出たヴァルエルスは、それ以上アーヴィ族に関し触れる事は無かった。


(髪が短いのなんて……一番、目に付きやすいのに……)


 ここまで詳しいなら、知らない筈が、ないだろう。


 アーヴィ族で短髪が、意味する事を。


 それなのに、いままで追求してこなかったのは、無関心からか――あるいは、わかりにくい優しさか。


 どちらにせよ、リトゥスは今までヴァルエルスの態度に救われていたのだと気が付いた。


(こんな、みっともない僕なのに、知らん顔でいてくれる人)


 兜を脱げば、短い髪がパサリと頬にかかる。


「ヴァルさん、あの……」


 お礼を言いたくて、ヴァルエルスを見たリトゥスはそこで、言葉を途切れさせた。


「あ? どうした?」

「あ、あ、あ」


 言葉が上手く、出てこない。


「貴方、なんで、脱いで……!」


 ヴァルエルスは、すでに鎧を脱いでいた。

 別にそれはいい。身軽になりたいという気持ちは分かる。


 だが、何故彼は上半身裸なのだろう?

 衣服は一体どうしたのだろう?


 リトゥスのぶつ切りの疑問に、ヴァルエルスは布を絞りながら答えた。


「水かけられたろ。濡れて気持ち悪いから脱いだだけだ。お前も、さっさとそれ、脱いだらどうだ?」

「ぬっ、脱ぐぅ!? ――うわぁっ! こっちに来ないで下さい!」

「は?」

「服、服を――!」


 絞っていた布こそ、ヴァルエルスの服だったらしい。

 彼は、広げながら怪訝な顔をした。


「別に、こんなの、なんでもないだろ」

「なんでもあるんです!」

「おい、本当に大丈夫か? お前、顔真っ赤だぞ? 蒸されたか? はやく、鎧脱げって」

「来ないで下さい!!」


 リトゥスは慌てて茂みの中に飛び込んで両手で顔を覆った。


「おい、なんだその反応! 乙女か!」

 

 文句を付けながらも、ヴァルエルスはしぶしぶ濡れた服に袖を通す。


「……ほんと、何なんだよお前。意味分かんねぇ」


 ブツブツ言ってはいるが、ちらりとリトゥスを見るだけでそれ以上は近付いたりしない。


「なんか可愛いとか……ほんと、意味分からん」

「ヴァルさん、服着ましたか……!?」

「着ました! 着たから、とっとと草むらから出てこい!」


 がさがさと、草をかき分け確認すると、ヴァルエルスはちゃんと服を着ていた。

 濡れた服の感触が不快なのだろう、その顔はもの凄く不機嫌そうだ。


「……どうも、お騒がせしました」


 おずおずと出てきてリトゥスが謝罪すると、ヴァルエルスは鼻を鳴らした。


「本当にな。……で?」

「はい?」

「お前は脱がなくていいのか?」

「ぼ、僕!? 僕はいいです!」

「鎧着てても、服は濡れただろう? オレみたいに、一回脱いで、絞ったらどうだ?」

「無理! 絶対に無理です!」

「…………」


 リトゥスがもの凄い剣幕で拒否すると、ヴァルエルスは沈黙した。

 すっと目を細め、観察するような視線を向けてくる。


「……なんで赤くなる? そっちの気でもあるのか?」

「そっちのけ……? えっと……、何のことですか?」

「…………ダメだ、わかんねぇ」


 意味が分からないと問い返すと、ヴァルエルスは両手をあげて降参の格好を取る。


「お前って、本当に意味が分からない奴だよな」

「えっ? ……それは、なんというか……ごめんなさい」

「すぐ謝るな」

「は、はい、ごめんなさ……あっ……!」


 慌ててリトゥスが口を押さえると、ヴァルエルスは愉快そうに笑っていた。

 伸びてきた手が、当たり前のようにリトゥスの頭を撫でる。


「くそ真面目すぎんだろ。……ほら、帰るぞ」

「ヴァルさん、僕をからかったんですね……!」

「今頃気付いたのか? 鈍い奴」


 笑い声を上げたヴァルエルスに、リトゥスはむっとした顔になりずんずんと先を歩き出した。


「もう知りません……! 僕は、先に行きますからね……!」


 それでもケタケタと愉快そうに笑っているヴァルエルス。

 リトゥスは、完全にへそを曲げ、ずんずんと大股で歩き出した。


 ――その背中を、いつの間にか笑いを消したヴァルエルスがじっと見ていたことには、気付かずに。


「…………そう言えば、アイツ……。オレの前では、絶対に着替えたりしないな……」


 思案するような顔つきのヴァルエルスが呟いた、小さな小さな独り言も、すねたリトゥスの耳には届かなかった。

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