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ハロウィンの夜―2

 ひとつ。みすぼらしい服を着た胴体に、狼の頭部がのっかった何か。

 ひとつ。一見大柄な人間でありながら、よく見るとこめかみに釘が刺さり、顔にも肌にもつぎはぎの痕がある何か。

 ひとつ。黒いマントに身を包む細身の紳士――だが、目が赤い。鷹揚に微笑む唇の端に、やはり牙が見える何か。

 ひとつ。黒いローブに大振りのとんがり帽子。箒にまたがった老婆のような何か。

 それは絵本に出てくる魔物たちだ。全体的に黒い色彩の彼らだったが、光から生まれたゆえかそれとも誰かの意図か――その輪郭は月色に発光していて、闇に溶け込むことはない。それどころか滑稽な彼らの姿は静かな夜空とはあまりにもそぐわず浮いている。

 そう、滑稽だった。

 何しろ彼らは等しく頭身が低いのだ。一番紳士然とした黒マント――吸血鬼――でさえ、四頭身もない。幼い子供の体格に近い。不自然に大きな頭はとても重そうで、通常の生き物ならばバランスを保つことさえ難しいだろう。だが彼らはそれが当たり前のように手足を震わせ、動きだした。

 顔だけ狼の狼男がその大きな頭を振り見出し、ぐおおと唸る。音声はないが、仕種がそれを思わせる。

 釘の刺さったフランケンシュタインが、のろのろと鈍重に歩き出す。

 吸血鬼は一歩退き、マントを気障に払い、構える。

 魔女は箒に乗ってすいすい空を飛び渡り、手に持った玩具のような杖を振る。杖の先端からはやはり作り物にしか見えない光が飛び、ピンク色やオレンジ色といった派手な色に何度も瞬いた。

 四体の人形のような魔物は、パンプキン伯爵を囲んでにらみすえた。

 まるで、子どもに見せるための劇だ。

(……いや。劇そのものか)

 絵本の中を、人形たちが再現している。この町の子どもなら誰もが知っている光景なのだろう。町の子どもたちはいつの間にか魅入られ、固唾をのんで空の劇を見守っている。

 ――これは夢?

 夢じゃない。夢よりずっと鮮明な、幻だ。本当はこの手の届かない遠い遠い場所で繰り広げられている虚像。

 けれど今、子供たちの目には、何よりもたしかなリアル。

 そしてシグリィは気づいた。自分も――子どもなのだ。

 期待に輝く無数の瞳。その中には大人のものも幾多に含められていた。疑心を抱く者さえ目を逸らすことができず、まさしく町中の視線を集めた先――

 魔物に囲まれ、退路を塞がれた伯爵は。

 動揺した様子もなく、優雅にレイピアを一閃。

 それを皮切りに、一斉に魔物たちが伯爵に襲いかかった。

 子どもたちが喚声をあげた。ひとつひとつの動作、すべてが見やすいスローモーション。躍りかかる魔物たちを、パンプキンな伯爵が華麗にかわし、反撃の一打を次々と加えていく。魔物たちの連係プレーに時おり危なくなりながらも、ふとした瞬間に逆転する。

 まさしくヒーローの活劇だ。

 背後におわす月の冴え冴えとした輝きは、まるで戦いの行方を見守る女神の眼差し。

 狼男やつぎはぎ男の動きは面白おかしく、吸血鬼はあくまで気障で、魔法使いの放つ魔法は見た目だけ派手。返す伯爵のふるう剣からはまぶしいほどの火花が散り、魔物たちを追いこんでいく。といっても彼らは月を背にした位置から外れることもない。

 ――おそらくあの月の方向に、この幻の元がある。

 空に心を奪われる町の人々を横目に、シグリィは月の下部を見た。闇夜に沈む大地。遠いその場所に何かが見えるわけでもない。それでも、

 それが誰の力によるものなのか。

 シグリィは腹の底から愉快な気持ちが湧き上がってくるのを感じた。彼女らしい、夢と愛嬌のある幻想世界――

 ――彼女は魔女の衣装を着ていたのだったか。

 今空で暴れている老婆と同じような衣装だ。マントに箒にとんがり帽子。

 ハロウィンでいう魔女は、基本的に悪役のはずだった。だが“悪役”と決めたのは人間のほうであり――

 時にはこんな茶目っけも出すのかもしれない。

 見つめる先、伯爵に散々打ちのめされた魔物たちは、やがて伯爵の前にひれ伏した。

 伯爵はレイピアをおさめ、大きくうなずく。そして、膝をつき、魔物たちに手を差し伸べた。

 ワァッと子どもたちが一層声をあげた。

 伯爵の手を取り立ち上がった、よったりの魔物。月を背にし、伯爵を中心にして、彼らは一列に並んだ。揃ってこちらを見る――町の方向を。

 劇の幕引き。登場人物たちは観客に向かって、深く礼をした。

 拍手と口笛が鳴り響く。

 やがて魔物たちはこちらに背を向け、月へと還っていく。その背中が徐々に小さくなり、点となって消えるまで町の熱狂はおさまらなかった。

 娯楽多き東部で、ひとりの術者が生んだ酔狂の夜。

 きっとこの先ずっとこの町で語り継がれるに違いない幻。町に刻まれた思い出のひとかけら。絵本をめくる子どものような心に思いをはせて、シグリィは我知らずこぼれる笑みを止めることができなかった。



 セレンの術は広範囲に渡った。数年ともに過ごしているカミルでさえ、中々見ることのできない規模だ。

 丘の上、次々と幻を頭上に生み出す女。その体を常に魔力の波動が包んでいる。ゆらゆら立ち上るオーラのようなそれは、あまりにも魅惑的な色をしていた。

 見惚れる一方で、カミルは剣の柄に手をかけていた。――それが、セレンからの頼みごとだった。

『これだけの規模の術使っちゃうと、“迷い子”寄せちゃうから。あなた、相手してくれる?』

 だからこそ、町から離れたところへ来た。魔力で生み出した虚像はすべて、町からほど遠い距離に展開している。この距離なら、“迷い子”はこの丘には来ても町には行かない。

 セレンは魔力の開放を続けている。一つの曲のように紡がれ続ける詠唱。まさしく歌うように。

 昼間あれだけ遊び回って、今これだけの力を行使する。単純な体力ならカミルのほうが遥かに上のはずなのだが、こういうときのセレンには決して勝てない気がする。

 やがて――

 いったいどれくらいの時間だったのだろうか。

 虚像たちは、月に吸いこまれるように消えた。

 夜空が本当の姿を取り戻した。月は無数の星を従え、静かにそこに浮かんでいる。

「――ハァッ!」

 セレンは大きく息を吐き、その場にひっくり返った。

 顔にはどっと玉の汗が噴き出し、乱れた呼吸に咳き込む。二、三度体を跳ねさせた彼女が漏らすうめき声は、長時間の詠唱で枯れていた。

 やがて咳が落ちついたころ、セレンはどさりと背中を地面に落として「疲れた!」と声を上げた。

 言葉とは裏腹に、彼女は達成感に満ちた表情を浮かべていた。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫だけど、今“迷い子”きたらちょっとムリ」

「……無理しすぎではありませんか」

 セレンの魔力キャパシティが尋常でないことは重々承知しているが、だからと言って強大な力の行使にリスクがないわけではない。生身の人間には違いないのだから、体には相当な負担がかかるはずだ。

 だが、彼女は片腕を上げ、虚空で人差し指をくるくる回した。

「だって全力でやらなきゃもったいないじゃない。一年に一度しかないお祭りなのよ?」

「それはそうでしょうが」

「あ、分かってないわね? いーいカミル」

 人差し指がぴんと立った。起き上がれるならそれをこちらに突きつけたかったに違いない。

「一年に一回! ねえ、私たちが健康でいられるのはだいたい五十歳まででしょう? 単純に計算してよ、私たちにはあと三十年もないじゃない。つまりこのお祭りを全部経験できても三十回足らず! しかも毎年この町にいる可能性を考えるともっと少なくなるでしょ。そもそも私たち、明日には死んでても別にフシギじゃないでしょう?」

 早口にまくしたてる。おまけに枯れていて、お世辞にも聞き取りやすい声ではない。

 だが困ったことにカミルは、自分が彼女の言葉を一字一句聞き漏らさないことを知っていた。

「――さらにさらに。例えばシグリィさまが『子ども』である時期、って考えるともう片手で数えられるわ。私たちが二十代のうち、って考えてもいい。もちろん三人とも大人になってからも楽しみかたもある。でもどうやったって、ひとつの年齢のときに一度しか経験できないわよね?」

「………」

「私がこの世で一番惜しいものは時間よ、カミル」

 そう言って、女は微笑んだ。

 この上なく透明な微笑だった。

 ――この世で一番貴重なものを逃さないために。疲れたなんて言っていられない。

「むしろ体力とか健康とかって、そのためにあるよーなもんよ。私にとっては、ね」

 悪戯っぽく言う、彼女の目は猫の目のように。

 気まぐれなようでいて、本当はひとつの芯を抱いた者の瞳。

 カミルは苦笑を口の端に刻む。

「だから、そのためにお金は惜しまないわけですね」

 ――その金を稼ぐのにも貴重な時間を費やすのだから、言ってみれば金と時間は同等なのだが。

 カミルはそれを言わなかった。

 セレンがそこまで“今の時間”にこだわる理由。それは彼女自身のためではないと気づいていたから。

 視線を巡らす――町の方角へ。

 多くの人々に紛れて、そこには彼らの主もいるはずだ。今頃どんな顔をしているだろうか。同年代の子どもたちと比べたら随分大人びているし、知識ならばカミルもセレンも勝てやしない。だが、圧倒的に経験の足りない主。

 この一夜は、たしかに少年の糧となるのだろう。心に降り積もっていく思い出のひとかけらとして。

 セレンが息を吐いた。大分整った呼吸をたしかめながら、彼女は言った。

「この町ではハロウィンにはカボチャがつきものなのね。この町のカボチャは味がいいのよ。今頃きっと町中がおいしそうな匂いで満ちてるんだわ」

「そうでしょうね」

 答えながら、カミルはとある一方を目に映していた。

 遠くから段々と近づいてくる黒い影の一群。統率されているわけではない、ただ目的が同じだけの凶暴な群れ。

「……早くシグリィ様の元に帰らなくては。心配をかけてしまう」

「そうね」

 任せたわー、とセレンは言って、目を閉じた。動けない以上、いっそそのほうが回復が早いと判断したのだろう。

 ――自分は彼女のように、夢のある思い出は生み出せない。

 けれど、彼女のフォローぐらいならできる。今までだってそうだったのだ。これからも、きっとこれが続くのだ。

「あとでカボチャを買っていきましょうか」

「え、ほんと!?」

「勘違いしないでください。あなたにじゃなくシグリィ様にです」

 えー、と不服そうな声を上げるセレンはまだ目を閉じたまま。きっと見えなかっただろう――自分が笑みを浮かべていたことには。

 靴底からかすかな地鳴りを感じ取る。

 満天の星空の下、握った刃は月光を弾いていつになく輝いていた。



 祭りの翌朝は静かだった。まるで町がいまだ昨夜の夢にまどろんでいるかのように。

「おはよう。……セレンはまだ寝ているのか」

「ええ。昨夜騒ぎすぎでしたから」

 いつもより遅い起床の主を迎えて、カミルは穏やかに「お疲れではありませんか」と訊いた。

 大丈夫だ、と少年は笑った。

「いい匂いがするな」

「台所を借りました。今朝はかぼちゃ料理です――一日遅れですが」

「お前が作ったのか。それはぜひ食べたいな」

 セレンを起こそうかと少年は言った。

 カミルは首を振った。

「寝かせておきましょう。魔女は力を使い切って眠っているんです」

「そうかもしれないな」

 そう言って食堂へ向かう少年。たぶん彼は気づいていただろう――セレンの部屋からかすかに漂うカボチャの匂いに。

『お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ!』

 昨夜のセレンの声がよみがえる。カミルは少し笑った。菓子を差し出したところであの女は、悪戯ならぬあらゆる面倒や騒動を起こすに決まっているのだ。

 だが、それでいい。

 別に悪戯するのをやめさせたくてお菓子を渡すわけではない。昨夜子どもたちにお菓子を配っていた大人たちも、きっと。

「パンプキンパイもありますよ、シグリィ様」

 目覚めたときにあの魔女はどんな顔をするのだろうか。それが心から楽しみだ――ごまかすように澄ました顔をしながら、彼はそう思った。

 

<終わり>

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