ハロウィンの夜―1 [ネタ/コメディ]
*ハロウィンの設定を都合よく改変しておりますぬるい目でお願いシマス
「トリックオアトリート!」
突然そんな声を上げながら、セレンが部屋に飛び込んできた。
彼女の姿を見たカミルは、一瞬呆気にとられて目をしばたいた。
「何なんです、その格好は?」
「魔女!」
じゃーん、とか言いながら女は羽織った黒マントを持ち上げてみせる。頭にはやけにとんがった大ぶりの帽子。おまけに片腕に、なぜだか箒まで抱えている。
魔女。カミルはその単語を口の中で繰り返した。いぶかしく思って問う。
「……大昔に朱雀の術者の女性をそう呼んだと聞きますが……」
「その魔女じゃないわよ。でも似たようなものかしら?」
セレンはそう言って、にやあと笑った。
何かをたくらんでいる目だ。
カミルは全身で警戒した。そもそも、言っている意味が分からない。
時刻はもうすぐ夜更け。所は旅人である彼と彼女、そして彼らの主である少年の三人がここ数日世話になっている宿の一室だ。狭いながらも綺麗なこの部屋に泊まっている――セレンは一人隣室だが――この数日間、とりたてて問題は起きていなかった。カミルとしてはそろそろ何かが起こるはずだと思っていたのだが。
やっぱり、何かが起きそうだ。
正しくは、セレンが何かを起こしそうだ。
自然と目つきが鋭くなっていく。それを見て、「やーね」とセレンはマントをひらひらさせながら楽しげにその場で踊った。
「別に何もないわよー。ただ“ハロウィン”をやってみたかっただけ」
「はろ……なんですって?」
「ハロウィンだ」
答える声はカミルの背後から聞こえてきた。
肩越しに振り向くと、窓際の椅子に座って静かに読書をしていた少年が、いつの間にかこちらを見ていた。
「この東では有名な、物語の中の行事のことだと思うぞ。収穫祭と悪霊祓いと聖人祭を兼ねて行う」
「さっすがシグリィ様」
少年の言葉が正しいらしい、セレンは嬉しそうに笑う。
はあ、とカミルは気の抜けた声を出した。彼はその行事をまったく知らなかった。
「物語の中の行事、ですか?」
「そういうことになってる。実際、東で本当に行われていたという記録がないからな。ただ――物語の中での描写がとてもリアルだったから評判になった。場所によっては物語そのままに行事を再現するところもあるらしいが」
「そーですよー。この町もそうみたいです」
商店街でお店が出てましたー、とセレンは言った。
日中はほぼどこかをほっつき歩いているこの女が、町の人間と交流を深めているのは知っていたが。
具体的にどんな行事なんです、とカミルは聞いた。
セレンはその質問を待ってましたとばかりに、満面の笑みで一歩こちらに近づいた。
「――お菓子をくれないと悪戯するぞっ!」
がおーと箒を持っていないほうの手でマントを高く広げる。一応威嚇というか、襲いかかろうとする姿勢に見えなくもない。そんな格好で、セレンはケケケと奇妙な笑い声をあげる。この女はなぜか、こういった変な笑いかたをすることがしばしばあった。しかもそれが異様に似合っているのが問題だ。
「……お菓子?」
意味が分からない。悪戯ってなんだ。しかしセレンは満足そうである。
「ハロウィンでは悪魔や使い魔の仮装をして家々を回るんだ。そしてお菓子をもらう」
少年が簡単に解説してくれた。「……本当は、それをやるのは子どもなんだが」
「いーじゃないですかー。大人も一緒に楽しんでこそですよっ」
「大人はお菓子を用意するほうだと思うぞ」
と少年は苦笑したが、目が面白がっている。
「シグリィ様も仮装しませんか。お店でいろいろ売ってましたよー」
セレンはとことこと窓際まで歩いていき、少年の前に立った。
少年は女を改めて見上げ、感心したようにうなった。
「ずいぶん似合っているなセレン。ハロウィンでいう魔女も術を使う人間のことだから、お前には合っているんだな」
「ですよねー私もそう思います。あと猫娘とかかわいーなーと思ったんですけど」
「……その猫娘とやらは使い魔としての猫が発展したのか?」
「さあ? この町のシュミじゃないですかー?」
二人の会話は尽きない。
その邪魔をしたいわけではなかった。特に少年が楽しそうならそれでいい。そう言いたいのは山々だったが。
カミルは腹の奥底から湧き出すような声で、低くつぶやいた。
「つまり――セレン。その仮装道具……買って、きたわけですか……? 旅費が少ないから節約しろと昨夜も言ったはずですが」
ぎくり、と女が硬直した。
たかがマント。たかが帽子。たかが箒。
だが! ゴミではない以上どう考えてもそれなりの費用をかけているはず……!
「ま、マントも帽子も箒も他で使えるもの!」
苦し紛れの彼女の言葉尻を、逃さず捕えて叩き返した。
「だったら今後一年そのマントと帽子を身に着けて箒で掃除していなさい!」
そこからガミガミ説教コース。見かねた少年に止められるまでそれは続いた。
床に正座で叱られたセレンは、最後に悲痛な声で呟いた。
――ホンモノの悪魔がここにいる! と。
ハロウィンがこの町の行事となりつつあるのは本当らしい。夜が更けるにつれて、外が騒がしくなっていく。
窓の外にたくさんの灯が燃え、子どもの歓声と大人の談笑が夜の町に響く。
私たちも行きましょう、とセレンは少年の手を取った。
少年は笑って、三人で行こう、と言った。
外は秋の夜だ。本来は肌寒くてもおかしくない。だが、あちこちにある灯火と人々の熱気のおかげで寒さは消えていた。
気持ちのいい夜だ。月と星は地上の賑わいを、のんびり見下ろしている。
セレンが作った町の知り合いが、彼ら三人を快く祭りに参加させてくれた。好意で少年に簡単な仮装――こちらも黒マントと口にくわえる作り物の牙、どうやら吸血鬼らしい――をさせ、お菓子をもらう役を回してくれる。そしてとっくに大人なセレンにまで、お菓子をおすそ分けしてくれた。
町の広場につくと、中央で子どもだけのゲームをやっていた。
セレンは少年を急き立ててそのゲームの輪に参加させた。そして自分は足早に、広場の入口で待っていたカミルのところに戻ってくる。
「あのゲームしばらく続くんだって。今のうちだわ」
「何がですか?」
問うと、セレンはずり下がってきていた帽子のつばをくいと上げた。その陰から覗いた猫のような目が、意味ありげににやりと笑った。
「ちょっと手伝って、カミル」
「はあ?」
「いいから!」
むんずとカミルの手を掴み、「れっつごー!」
と公園の外に向かって走り出す。
「ちょっ――セレン! どこへ行く気ですか!」
「外!」
「外って――セレン!」
町のあちこちを埋める、盛況な人の群れ。その合間を器用にすり抜けていく。本物の猫さながらだ――しかも引っ張っているカミルの体の大きや動きまで計算した道を走っている。カミルにしても、身のこなしには自信はあった。いつの間にかセレンの手が彼の手を放していても、彼は特に困ることなく彼女の後を追っていく。気持ちは腑に落ちないまま。
彼らは町の敷地から飛びだした。
セレンはさらに走った。――熱気に満ちていた町を出ると、外は一気に気温が下がった。顔や襟元を吹き抜けていく風が冷たい。しかしその分、とても澄んだ空気だ。
静かな草地。上には、夜空。
銀色の月は満月に近く、堂々とした風情で星々を従えている。漆黒の中にあっても眩しいほどの輝きだ。セレンはかなりの速度で先を行くが、全速力というわけでもない。おそらく彼女も、辺りの風景を楽しみながら走っているに違いない――彼女のスカートの裾は軽やかにはためいている。
十五分ほども走っただろうか。
セレンは小高い丘の頂点に立って、ようやく足を止めた。
くるりと町の方角に振り向く。つまり後ろを走っていたカミルと向き合う形になった。月は、セレンの丁度頭上にあった。
一瞬、女が月を従えたかのように見えた。
表情がはっきり見えるほど明るい。セレンはマントを払い、両腕を広げる。
「ここなら大丈夫ね!」
「……何をする気ですか?」
怪訝な顔をして尋ねる。
「もちろん――」
セレンは箒の先で空気を薙いだ。そして両手で掴み直し、片目をつぶる。
「――本物の魔女になるのよ!」
*
気がつくと、カミルとセレンの姿が見当たらなくなっていた。
「どこへ行ったんだ……?」
シグリィは広場の中央から辺りを見渡した。
子どもたちによるゲームが一段落し、一同は次の催し物のために動きだしている。このまま広場の真ん中にいたのでは邪魔になるだけだ。子どもの波に押されるようにして、シグリィも広場の外周へと退散する。
そこにも、二人の姿はなかった。
訝しくは思ったが、危ない気配はなかった。セレンはハロウィンを目一杯楽しみたいに違いないから、きっとカミルを引っぱってあちこち遊びに行っているのだろう。シグリィを置き去りにしている以上、それほど待つことなくここに戻ってくるはずだ。
だったらここで動かずにおこう。シグリィはのんびりと、広場に出ている屋台を回り始めた。
ハロウィン物語に登場する食材はカブである。だがこの町の特産はカボチャのため、カブではなくカボチャがあちこちで使われていた。カボチャ料理はもちろん、カボチャをくりぬいたランタンや被り物、置物など。
その中にひとつ、おかしな人形があった。粘土で作った人形だ。頭はカボチャ、体は人――装飾の多い服にマント、羽根つき帽子にレイピア。これは何だろうとシグリィが店の人間に聞くと、「これはこの町で生まれたパンプキン伯爵だよ」と教えてくれた。ハロウィン伝説が遊ぶように人々の口で語られるうちに、新しく生まれたキャラクターであるらしい。
体はすらりとしているのに、顔だけが滑稽な伯爵。これはセレンが好きそうだ。むしろ彼女が昼間この人形を買ってこなかったことが奇跡とも言える。シグリィはおかしく思いながら、その店の人間と談笑した。
それから小一時間経っただろうか。
活気に満ちている地上からふと視線を上げると、空には煌々とした丸い月が見えた。月明かりの眩しさに、一瞬目がくらみそうになる。
――カミルとセレンが戻ってこない。
意外と遅いな。特別焦るでもなく、シグリィは辺りを一瞥した。と。
月から目をそらしたその視界の端に――何かが、見えた。
広場がざわめいた。
「あれは何だ!」
誰かが叫ぶ。場が一斉に、月の方角を見る。どよめきが、広場を――否、町全体を支配する。
シグリィは目を見開いてそれを見た。
泰然と浮かんでいた丸い月。それを隠すように――
どこからか現れた光の波が、大空を流れていく。
――極光? いや、違う。
「虹……?」
それも違う。あえて名づけるなら虹色の極光――
空にかかったカーテンのように。流線型に波打ちながら、人々の視界を横切っていく。
時おり、波間に月の銀色が垣間見えた。しかしすぐに覆われるそのさまは、まるで貴人の姿を隠すビロードのようだ。これは。
人々はひと時、その幻想風景に浸った。シグリィもまた。
やがて、空に変化が現れる――すうと溶けるように消えていく虹色の波。
人々はひととき、その幻のような光景に見とれた。
やがて光のカーテンが流れゆき、月の丸い輪郭がのぞいた。月が戻ってくる――そう思った、そのとき。
町人たちは再びざわめいた。
巨大な黒い影が、月に映りこんでいた。動いている。ひらひらと、布が揺れるような動き。しかしそれは、先ほどのような極光のカーテンとは違う。
マントだ。
シグリィがそう気づいた刹那、黒かった影は花開くように色づいた。
裏地の赤いマントと、一昔前まで貴族が着ていたような足の線をぴっちり見せるタイツ、それに装飾過多な衣装。片手にはレイピアを掲げ、人々の視線を受けて気取った仕種で格好をつけると、細い剣の先端で大ぶりな羽根つき帽子のふちをちょいと突き上げる。
顔がのぞいた。大きな、とても大きな顔。茶色? 違う、あれはオレンジ色――
目は扇形、鼻は三角。口はぎざぎざした笑み。その内側から、灯火のような光が漏れている。
シグリィは屋台のひとつを見やる。この町の名産、パンプキン人形。
伯爵だぁと誰かが叫んだ。子どもの声だ。
まるでその声を合図にしたかのように、月を背にして空に浮かんだパンプキン伯爵は、大きな動作で彼の頭上を振り仰いだ。まるで何かを宣言するかのように、レイピアの先端を虚空に向かって突きつける。
銀の先端がきらめいた。
弾けた光が無数の輝きとなって空に散らばる。黒の背景によく映える数々の光は徐々に大きくなり、やがてそれぞれに変形していく。