鶴の恩返し [ネタ/コメディ]
*「鶴の恩返し」パロディ
それは今となっては昔のお話。
ある村に、一人の若い青年が住んでいた。
早くに親を亡くし兄弟もいない彼は、毎日小さな畑を耕して、採れた作物を隣町まで売りに行く。細々と続ける暮らしに不満を持つこともなく、ただひっそりと過ごす日々。
ある日のこと。いつものように隣町まで出かけた彼はその道中、罠にかかった鶴を見つけた。
それは見事な鶴だった。罠から逃れようともがくその羽ばたきさえも目を奪う。空に散る羽根の何と軽やかで優雅なことか。
――可愛そうに。
青年は鶴を逃がしてやることにした。足の怪我には布を縛りつけ、最低限の止血もした。
すっかり憔悴した様子で治療を受ける鶴に、優しく語りかけながら。
「罠には気をつけなさい。猟師も生活がかかっているから本気になります。次は助けてあげられるか分からない」
幸いそれほど深い傷ではなかったらしい、ほどなくして鶴は自力で立ち上がった。数度翼をはためかせ、一声高らかに鳴く。
青年は微笑んだ。
本当に美しい鶴だ。滑らかな曲線を描く背も、ツンと突き出したくちばしさえも。
だがそんな姿かたちより何より、
飛び立つ前に、青年に向かって長い首をかしげてみせた――何か言いたげで、でも表現できずに困っているかのようなその仕種が、鮮明に記憶に焼きついたのだ。
それから数日後のこと。
その日は雪が降っていた。日中から降り出した白は夜には吹雪へと変わり、風と共に青年の小さな家を激しく揺らす。
そろそろ眠る時間か、と青年が囲炉裏の火を消そうとした、その時。
戸が――強く叩かれた。
「………?」
風の音ではない。まして雪の音でもない。
訝しく思った青年は、息を殺して耳を澄ます。
再び、戸を叩く音。ドンドン、ドンドン、ドンドンドンドンドンドン――
「――うるさい!」
思わず戸を思い切り開け、彼は怒鳴った。「何度叩けば気が済むんです――!」
目の前にいた誰かは――
突然の家主の怒鳴り声にも何故か、ひるむことなく。
「だってすぐに出てきてくれないんだもの。吹雪なのに。私寒いのに。そりゃあ叩くわよ叩くでしょ叩かなきゃおかしいでしょ!」
むしろ猛然と言い返してきたその人物に、青年は絶句した。
美しい女だ。
たおやかな体を、見るからに上等そうな着物に包んでいる。さらりと背中に流れる長い黒髪は濡れたように艶やかだ。吹雪の中を歩くための笠は被っていても、それ以外何一つ荷物を持っていない。
何より笠の下からのぞいたその瞳は、不思議なほど強く明るい輝き。夜空に一等輝く明星のように。
「客が来たらすぐに対応するのが礼儀ってものでしょ、村では人と人との繋がりが大事で――ああ」
寒い、と急に思い出したように震えあがり、娘は自分の身を抱きしめて肩をすぼめた。
「――ええと。中に、入れてほしいなー、とか……ダメ?」
強気な態度から一転、控えめに上目づかいをする。
その眉尻が何とも頼りなさ気に下がっているのが、あまりにも哀れで。
「……上がりなさい」
青年はため息と共に、娘を中へと促した。
その日から、あれこれ理由をこじつけては、娘は青年の家に居座り続けた。
名は名乗ったものの、どこから来てどこへ行くつもりだったのかを尋ねると、途端にあたふたし始める。青年が厳しく問いつめようとすると、拗ねて膨れて部屋の隅で縮こまる。もう嫁に行っていてもおかしくない年齢に見えるが、その態度は子供としか言いようがない。
そう――子供のような女だった。
雪を見てはしゃぎ、晴れた空を見て眩しそうな顔をし、雑草の生えた地面を見て嬉しそうに目を輝かせる。
そんな娘に調子を狂わされ続け、そもそも女一人を強引に路頭に叩き出すわけにもいかず、青年は娘を家に置き続けた。
「家にいるからには家のことを手伝いなさい。ごくつぶしならこちらも容赦せず追い出しますよ」
そう言うと、娘は渋々と家事を始めたのだが――
数日としない内に、青年は娘に家事をやめさせた。
(……どんだけ家事ができないんですか……)
料理をやらせれば家畜の餌並なものを生み出し、掃除をやらせればますます部屋が荒れる。唯一できるのは洗濯だった(服にこだわりがあるかららしい)――が、二人分の洗濯だけで一日潰れるはずもない。
かと言って畑仕事をやらせる気にはなれない。この地方では、人数の少ない女性に腰に負担のかかる仕事はさせないのが一般的で、青年もそう教わってきたのだ。
「むしろ畑仕事の方が楽しそうなのに」
娘はそう言ってしきりに残念がった。
意外と体力はあるようだから、ひょっとしたら向いているかもしれない――いやいや、畑をぐちゃぐちゃにされてはたまらない。
ごくつぶしスレスレとなりかけている娘を改めて見て、青年は深くため息をつく。
「全く。……別に手先が不器用なわけではなさそうですが」
娘の白く細い手は、針仕事が似合いそうにも見える。
だが、やらせようとは思えなかった。……血まみれになられても困る。
これから一体どうしたものかと青年が考えあぐねていたある時、娘は唐突に言い出した。
「こうなったら奥の手よ。私に機織りをさせて!」
「機織り……?」
一体どこからそんな発想が出てきた。実はねー、と娘は実に楽しそうに話し始めた。
「三軒隣のお友達が、古い機織り機もう捨てるって言うから、もらうって約束しちゃった」
「は?」
「奥の部屋に置けばいーわよね?」
「いや、ちょっと」
娘の最大の特技。それは村の人々と仲よくなるのが異常なほど早いということだ。青年の知らぬ内に何をどうやったのか、村中で彼女を知らない者はいない、どころか『また遊びにおいで』などとすれ違うたび声をかけられるのだ。
困ったことに、娘はすっかり青年の『妻』と見なされていた。
『これ、奥様に~』などと村人に言われるたび、何やら豆腐の角に頭をぶつけたい気分になるのだが。
機織り機は本当に青年の狭い家の一部を陣取った。
使い古されたそれを眺めて、娘は嬉しそうに笑った。
「うーん、愛を持って使われてきた道具っぽくていいわよね。じゃあ今日から早速お仕事始めるわね」
くるりと青年を振り返り、「でも!」と突然人差し指を突き出して。
「約束して。私が機織りしてる時は、ぜーったいに部屋を覗いちゃダメ。いい?」
「はあ? 何でそんな」
「だってあなた、絶対横からあーしろこーしろ口出してくるでしょー? 集中できないんだもの」
「………」
「はい、約束。指切りげんまん!」
強引に青年の小指に小指をからめて「――指切った!」弾むように指を放すと、娘は笑った。
「見ててよね。私だって、あなたの役に立ってみせるんだから」
「―――」
その時の娘の顔が――
……造形の美しさ、よりも。浮かべる表情が、新たなことに挑む子供のように無邪気で誇らしげで。
青年の全ての言葉を奪ってしまった。
この何もない村に生きてきて、これほど鮮やかに笑う女性を、彼は見たことがなかったから。
青年が畑仕事をしている昼間、家からはぎっこんばったんと機織りの音が聞こえる。
何かやらかしはしないかとはらはらしながら、青年は何度も様子を覗きたい衝動にかられた。それでも、約束は約束だと自分に言い聞かせた。
しかし、問題はやはり深刻だった。
半月経ち、ある日奥の部屋から出てきた娘はいやに意気消沈していた。
青年は心配になって「どうしました?」と声をかけた。
「……できた」
おずおずと差し出されたのは――布。
娘が反物を織り上げた時は、必ず褒めようと――子を持つ親のような決心をしていた青年は、しかし言葉を詰まらせた。
――ボロい。
形があまりにも歪んでいる。模様も――前衛的独創的、と思ってもらえたら御の字的に、何が何やら分からない。しかもあちこちから糸が飛びだしているのだ。
これでは雑巾にもならない――言いかけた言葉を飲みこんで、青年は珍妙な顔で黙りこむ。
「……は、初めてだったから」
一人で織るのは初めて――そう繰り返し、娘はむうっと悔しさをこらえる顔で青年を見上げた。
「練習すれば上手になるわ。練習すれば! ほら、最後の方は最初の方よりよくなってるでしょ?」
「……はあ、まあ……」
正直似たり寄ったりだったが。彼女のやる気をくじくのは気が引けた。他にやらせることもないし、頑張りたいというのならそれで……
しかし、「やっぱり止めさせておくべきだったかもしれない」と青年は再び後悔することとなる。
半月、また半月と過ぎて行き、反物――とはとても呼べないシロモノ――を織り上げるたび、娘が目に見えて痩せ細っていくのだ。
たしかに、その完成度はほんの少しずつだが上がっていた。このまま織り続けたなら、いずれは良い物が出来上がるかもしれない。だが、だが――
「あなたが体を壊してどうするんです……! 私はそうまでして働かせたいわけじゃない!」
今日もまた奥の部屋にこもろうとする娘の、細くやつれた背中に、青年は悲痛な声を投げる。
娘はぴたりと立ち止まった。
「――だって、働きたいんだもの」
娘は囁くようにそう言った。
振り向かないまま。けれどその声はとても優しく。
「それぞれに働いて、助け合って支え合って。一緒に暮らすって、そういうことじゃない?」
「―――」
「私は大丈夫よ」
肩ごしに振り向き、娘は軽く片目をつぶった。
そのまま奥の部屋に入っていく娘を、止めることはできなかった。
*
ぎっこん、ばったん。今日も機織りの音がする。
畑にも聞こえるその音が、最近では日常になっている。その音がすると安心する自分に、青年は気づいている。
規則正しい音を立てるその場所を見つめて、青年は娘の言葉を反芻する。
『助け合って支え合って』
(……だからこそ)
――弱っていくあなたを無視できない。そんな当たり前のこと――
次に部屋から出てきた時、あなたは一人で立っていられるのか?
青年は家に飛びこんだ。
迷わず奥の部屋の戸を開け、娘の名を呼ぶ。もういい、と――
――バサリ、と何かがはためく音がした。
青年の目の前、で、
一羽の美しい鶴が
一声
――何より目に焼きついたのは、長い首をかしげるその仕種
「どうして」
戸を開けてしまったの――
いつの間にか鶴は消え、目の前には悲しそうな顔でたたずむ娘が一人。
「……約束、したのに」
その娘は心を隠さない。嬉しい時も、悲しい時も、必ずその顔にはっきりと表れる。
――彼女はとてもとても
「姿を見られたら、もうこの家にはいられない。さよならだわ」
ぽつりとつぶやく。
全てが終わってしまった、そんな諦めの響きがにじむ。
しかし青年は、そんな娘を見つめたまま問う。
「――どうしてこの家に来たんです」
「あなたは私を助けてくれた。恩返しなんて大層なことは言わないわ。あなたの傍は居心地がよさそうだったから」
再び青年を見た娘は、懐かしそうに目を細めた。
一緒にいたかったの、と。
青年は思い返す。娘と過ごした時間を。
娘と交わした言葉のひとつひとつを。
そして、娘が見せた表情の全てを。
――目の前の人が人間ではないということに、自分はいつ気づいていたのだろう?
考えるまでもない。最初から――だ。
青年は吐息のように笑った。
「あんな吹雪の中を、あんな風に訪ねてくる旅人はいませんよ」
「え?」
「最初から分かっていた。あなたの正体なんて……それなのに、今更それがはっきりしたからと言って、何が問題なんです?」
呆れるほど淡々と紡がれる言葉に、娘はきょとんとする。
青年は彼女の視線をまっすぐ見た。
「出ていく必要はない。このままうちにいればいい」
娘の澄んだ瞳がみるみる見開かれ――
「――で、も。私は、鶴だから」
「鶴だからこのまま放ってはおけないんです。また私の知らないところで簡単に罠にかかるでしょうし」
ため息をついたふりをして、青年は腰に軽く手を当てた。「言ったでしょう、今度は助けてやれるか分からないと。だったら、最初から私の目の届くところにいなさい」
「―――」
「それに」
まだ、機織りの練習中でしょう?
そんな茶化すような言葉が、娘の諦めの滲んだ心に光を与える。
輝きだした娘の顔。しおれた花が再び咲いたかのような。いや、はばたく力がまだ翼に残っていることを、思い出した鳥、の――
何もかもが鮮明に記憶に焼きついていく。
けれどいつかこの一瞬を忘れてしまうことがあっても、自分はきっと構わない――そんなことを青年は思う。
何故ならこの先の未来に、今よりずっと鮮やかな記憶を、目の前の娘はもたらしてくれるに違いなかったから。
「……で。絶食しているわけでもないのに、どうして機織りくらいで痩せるんです? そんなに精神的に負担ですか」
「違うわよ。使ってる糸が自前なの」
「……まさか羽根ですか。羽毛は人間化すると体そのもの……? まあたしかに、」
「普通は髪の毛なんだけど。でもハゲたくないし、色々細工してごまかして変身して」
「それ以上言わなくていいです」
「だから知らない方がよかったでしょう? 私の正体なんか」
その後二人は仲よく幸せに暮らしましたとさ。……多分。
≪終わり≫