ほほえみ――2
「手伝いというと、このお宅のご主人たちのですか?」
「ああ」
旅をするにはお金が必要だ。
もしくは、世話になった分を労働力で返す必要がある。
彼らの場合、それは主にカミルが行っていた。女性でなくてはいけない仕事の場合はセレンもやるが、どちらにしろシグリィはまるで手伝っていない。まあこんな子供に仕事をさせようとする者もいないのだが。
外見年齢は、十歳――のはずだ。
だが、中身については、自分でも他の十歳児と同じだとは思わない。
間違っても“大人”ではないが、“子供”――とも、言い難いような。この三か月で何人か自分と同年代の子供たちを見てきたが、少なくとも彼らと同じような言動を取れる気がしない。どちらかというと、それより年長の子供たち、もしくは大人の言動の方が同調できる気がするのだ。
それでもセレンなどは、
「シグリィ様は子供です! こ・ど・も! だから護られてくださいね!」
としつこいほどに言うのだが。
――カミルとセレンがシグリィに手伝いをさせないのは、いわゆる“甘やかしている”のとは違うらしい。
「とりあえず、他の人と関わる前にまず私たちに慣れてみませんか?」
出会ったばかりの頃にセレンがそう言い、彼らはそうしてきたのだ。人と関わることにまるで慣れていない彼を、いきなり大量の――彼にとっては大量の――人々の只中に放り出すようなことは避けようと。
シグリィを完全に囲いで囲うような真似はしないが、むやみに他人と関わらなくてもいいように、二人は彼を守ってくれていた。
それでも、そろそろ――と思う。
そろそろ、もっと色んなことを知りたい。
そう思えるのは多分、カミルとセレンの傍に落ち着けるようになったからなのだろう。
「……手伝いたいんだが、……子供で初心者の私が行っては、迷惑、かな」
自分では判断できずに、カミルを見る。
カミルは穏やかに微笑んで、首を振る。
「まさか。大丈夫です、私も教えて差し上げられますから――こちらのお宅の一番下の子は、シグリィ様より年下ですしね」
家の主人と一緒に家畜の世話に行った子供たち。若い彼らの姿を、シグリィは脳裏に思い描いた。この家の部屋を借りてから、挨拶ぐらいしかろくにしていない彼らを手伝う――そのこと自体に、特に不安があるわけでもない。ちゃんと働けるなら、彼らは拒絶しないだろう。
自分で言うのもなんだが、自分は器用な方だ。教わりさえすれば、大抵のことはできると思う。やや体が弱いことの自覚はあるが、そこさえ気をつければいい。
と、ふと食卓でまだ話し込んでいたセレンの声が、こちらに向いた。
「シグリィ様ーぁ。この村にも本好きがいるそうですよー! 見せてもらいに行きましょう?」
シグリィは振り向いた。
家の婦人と並んで座っていたセレンが、こちらに明るい顔を見せている。
他人とあまり関わらないようにしていたシグリィは、いつも行く先々で見つけた本を読みふけっている。この北方地域にはあまり本は入ってこないため、村によっては全くと言っていいほど読む本見つからないのだが、この村には好事家がいるらしい。
読みたい――と思った。
しかし。
シグリィはもう一度カミルを見た。
「……家畜の世話というのは、何時から何時までやるものかな」
「そうですね、午前中ずっとやってからお昼に休んで、午後もかかりっきりと言ったところですか」
すらすらとそう答えてから、カミルはすかさず「シグリィ様は軽く手伝うだけでいいんですから。途中抜けても問題ありませんよ」
とつけ加えた。
「……そうか。ありがとう」
シグリィはカミルを見つめながら、気持ちがぐるぐると落ちつかないのを感じた。
カミルやセレンの気遣い。それに“ありがとう”と言うことは覚えた。
だが、まだ足りない。言葉だけでは足りない気がする。自分の顔は動かない。動いてくれない。
ぐにい、と自分の両手の指で自分の口角を持ち上げてみる。自分では見えないが、たいそう滑稽な顔になったことだろう。大真面目なのだが。
ぷっ、とカミルが小さく吹き出した。
「大丈夫ですよシグリィ様。お気になさらず」
シグリィが何をしようとしたのか分かったらしい、カミルは物柔らかに微笑んだ。
……何だか余計に気持ちが落ち込む。
肩を落としたかけた彼は、これではいけないと思い直し顔を上げた。ありがとう、とせめてもう一度言葉を告げて。
結局、シグリィは午前中家畜の手伝いに行ってから、午後にセレンと一緒に好事家のもとへ行くことにした。
シグリィたちが世話になっている家では、乳牛と豚を数頭ずつ飼育している。
この村では基本的に「自分の家族の分プラス他家と物々交換をするための分」を育てる習慣だそうだ。村全体に食料が行き渡るように、毎年村人が集まって、各々の家が飼育する量を相談し合ったりもするらしい。
色々教わる気でいたが、朝食後にやることと言えば片づけや掃除が主とのことだった。他には搾りたての牛乳を近所に届ける仕事があったが、それはシグリィではなくカミルが手伝いを引き受けた。
カミルはこの村で宿を借りたその日から手伝いをしている。配達等を利用して近所にも顔を出すことで、彼は顔見知りを増やしては色々と手際よく立ち回っていた。どうも彼は、近所づきあいや世間話と言った類に慣れているようだ。
家の大黒柱と長男が、カミルを連れて牛乳配達へ行く。
残った二人の弟は、厩舎の清掃。シグリィはそちらを手伝うことにした。
掃除となれば、当然服が汚れる。貸してもらった大きめの前かけを着て、小屋の中を見渡す。
これから糞尿の始末をしようという家畜小屋の中には、むわっとくる強烈な臭いが充満している。
シグリィは感覚が人より鋭い。小屋の空気は目に刺さりそうなほどだと思ったが、「すごいな」と一言つぶやいただけで終わらせた。人々はこの環境で毎日働いている。まして牛や豚たちはここが生活場所なのだ――そう思えば、嫌だと思うはずもない。
「そっち。そっちの糞、これで全部集めて。で、この桶に入れて」
シグリィより三つ年上だという次男が、つっけんどんな声で言って道具を渡してくる。
なぜか怒ったような顔をしている。何か怒らせたかな――と思ったが、そもそも今まで挨拶ぐらいしか口を利いたことがない。しかもシグリィ自身はおそらく無表情だろう――自分の顔が見えないので分からないが、表情らしい表情を作った覚えもないのだから。
三か月、人を見ていればシグリィにも分かる。表情のない人間は――怖い。
だからむしろ、怒ったような顔をしている次男坊の方が、自分よりずっといい顔をしているのだと思う。
「分かった」
道具を受けとりながらうなずいたシグリィは、言われた場所に向かう最中にまた自分の顔をつねった。
若い兄弟は、部屋を間借りしている旅人に容赦がなかった。次男坊は次から次へとシグリィに指示を出し、決して休ませない。しかし、その指示は的確であるようにシグリィは感じた。だから、おとなしく従うことにした。
問題は三男坊のほうだ。
「お前、掃き方とろいぞっ」
の一言から始まり、やたらとちょっかいを出してくる。やれお前の腕は細すぎるだの、やれ服装が変だの、あーだこーだと難癖をつけてくる三男坊に、シグリィは何も言い返さなかった。「ああ」とか「うん」とか返すだけで、黙々と作業を続けた。
聞き流せば聞き流すほど、三男坊はむきになってますますちょっかいをかけてくる。最初は自分も作業をしながら声だけ飛ばしてきたのが、気づけばシグリィの隣に立ち服を引っぱったり小突いたりし始めた。それでもシグリィがろくな反応をせずにいると、三男の語調が強くなっていき、内容もだんだんエスカレートして、やがてとうとう小さな少年はシグリィに蹴りを入れた。
それでもシグリィは、何も言わなかった。
代わりに、次男坊が三男坊の頭をぽかりと殴りつけた。
「ばかっ! 何やってんだ、お前も働けよ!」
「うるせーよにーちゃん! だってこいつナマイキなんだもんっ!」
「ナマイキなのはお前だ! つーかお前、お前もだ!」
と、次男坊は急にシグリィにも指をつきつけ、「お前も少しは言い返せよ! なんでおとなしく言われっぱなしなんだよ!」
「……? いや……」
まさかそんなことで怒られるとは思わなかった。シグリィはきょとんとして、「すまない」と謝った。
「だから……っ、そこで謝るんじゃなくて……っ!」
き~っ! と次男坊は髪をかき乱して地団駄を踏む。
シグリィは戸惑う気持ちを、小首をかしげることで表した。
「……悪いとは、思っていたんだ。何も、うまく返事ができなかったから……」
「――は?」
「だからノエフは怒っていたんだろう?」
こうなったら自分の考えを全部言ってしまおう。シグリィは思い切った。
「すまない、私は今会話の勉強中で……すぐにはうまくなれないんだ」
三男坊が驚いたように飛び上がって、まじまじとシグリィを見つめる。
「な、お、おれの名前……」
三男ノエフをひとまず置いて、シグリィは次男に顔を向けた。
「……ルーヴェも、ノエフに何も言わなかったし。だからここは私が悪いのだろうと思って。違うのか?」
「――なんっ」
次男ルーヴェは、ぐっと詰まった。その目があちこち逃げるようにさまよい、やがて彼はひとつ咳払いをした。
「なん……だよ、俺らの名前、覚えてたのかよ」
宿を借りて今日が三日目。兄弟は家の手伝いや遊びのために一日のほとんどを外で過ごしていたし、対するシグリィは一日のほとんどを部屋で過ごしていた。カミルやセレンと一緒に外に出たとしても、ルーヴェたちとは行動範囲が重ならなかったのだ。だから今日まで、本当にほとんど顔を合わせていない。
シグリィは目をしばたいた。
「当然だろう? 一度聞いた名前は忘れない。ましてや世話になっている家の人の名前は、最優先で覚える」
兄弟の名前は、彼らの母親からちゃんと聞いていた。それに、彼らの両親の口から息子たちの名前はよく出る。本人と顔を合わせないからと言って、その人の名前を聞くことがまったくない、なんてことはないのだ。
「名前は大切だから。覚えるのは好きだし、この先も忘れない」
言いながら、シグリィは心の中で、うんとうなずいた。
ちゃんと、喋ることができている。
今まで考えすぎていたに違いない。
考えることは大切だが、行動できないくらいに考えるのはよくない。多分これくらいでいいのだろう――言っていいことと悪いことの区別は、今はまだよく分からないが。そこのところは、これからカミルとセレンに鍛えてもらうことにしよう。
きっと大丈夫だ。喋ることは、怖いことじゃない。




