■6つのセリフの御題―「立ち止まらないで」[プレ/シリアス]
ねえ、変なの。
そんな風に言った子がいた。
どうして? どうしてなの?
――……
「シグリィ様? ご飯が冷めますが」
カミルの声で我に返った。シグリィは、頭を軽く振って、
「んー……まだ寝ぼけてるな、私は……」
とつぶやいた。
「何かぶつぶつ言ってましたよねー」
とこちらはセレンだ。「シグリィ様、心ここにあらずだと、よくそうやって独り言言ってらっしゃるんだから」
「そうか?」
「そうですよ」
そうなのか、とシグリィは自分の知らなかった一面を知らされて、沈黙する。
昨夜は野宿だった。旅を始めてもう三年。野宿にもいい加減慣れている。
ただ、自分は旅人のわりに体が弱いので、野宿は避けた方がいいのだが、そんなことは言っていられないのが現状だ。
目の前では焚き火の上に平たい石が載り、熱されている。そこの上に火に強い植物の葉を載せて、さらにその上で食料を温めるのだ。
今朝は肉ものだった。
保存食ではあるが、カミルじきじきに作ったものだからかなりいい味がする。
歯ごたえ抜群のそれを引きちぎって食べながら、シグリィは「今何を考えていたんだっけか」と思考にふけった。
ちょっと隙間があると、すぐに思考にふけるのが、弱冠十三歳の、彼の癖だった。
直した方がいいとセレンあたりにはよく言われるのだが……どうにも、引っかかることが多いから仕方がない。気になることはとことん考えてしまう。そういう気性なのだろうと思う。多分。
で……なんだっけか?
ああ、今寝ぼけて……
何かを思い出しかけていたような。
頭の中を駆け巡る言葉は、意味不明だった。
どうして? どうしてなの?
「誰の声だったかな……」
それさえもあいまいだ。自分は記憶力には相当自信があるというのに、こんなにも淡い記憶だとはよほどのことだ。余計に気になる。
「シグリィ様。冷めますから後になさっては」
火にかけられた食事は、今シグリィが手にしている肉だけではないのだ。料理担当のカミルとしては、できれば食べてほしいというところか。
「おいひーでふよーこのすーぷー」
はひはひ、と熱いスープを飲みながら、セレンが促す。
……そうするか、とシグリィもいったん思考を打ち切った。
旅人の朝は早い。何しろこの大陸では、ちょっと人里を離れると、人間を喰らう“迷い子”という怪物の巣窟だ。
朝早く起きて、とっとと次の人里に行くのが正しい判断というわけである。
そのわりには、自分たち三人はこの三年間、やたらのんびりと旅をしてきた気もするが。
(……まあ、カミルもセレンも人間では異常なほど腕がたつからな……)
心の中でそんなことを思いながら、目の前の連れ二人を見る。
「セレン! 今ゼオンスグリを取ったでしょう! それはシグリィ様用ですよ!」
「いいじゃない私にもちょうだいよう! ね、いいですよねシグリィ様!」
「ここらでは希少種なんですよ! シグリィ様のために私がせっかく夜通し探し回ったというのに……っ!」
「はむっ」
「口の中に入れるんじゃありませんーーーー!」
(……多分、腕がたつ……んだ。うん)
なんだか不安になってきたが、まあこの二人の漫才も日常茶飯事だ。
スープを口にゆっくりと運びながら、シグリィは呑気に大騒ぎしている二人を見つめていた。
それにしても……なんだか頭がぼんやりする。
昨夜は睡眠が足りなさすぎたか。そんなことを思って、こめかみに指を当てた。
――どうして?
(また聞こえてきた……)
気になるが周りがうるさい。落ち着いて瞑想できる状態ではないので、やっぱり後回しにする。
食後のデザート、ゼオンスグリ。この大陸でも珍しい、甘いスグリだ。シグリィはどちらかというと甘酸っぱい方が好みだが、スグリは基本的に甘酸っぱいを通り越してすっぱすぎるので、今回は特別にゼオンスグリに勝利の旗を挙げる。
果物は体にいい。体の中が爽やかになる。
「シグリィ様、肌きれー」
頬をつんつんとつっついてきながら、セレンが羨ましそうに言う。まだニ十三歳の彼女が言う言葉ではないと思うのだが。
カミルが食卓を手早く片付けながら、
「次の町を楽しみにしたらどうです? イギューハの町はたしかせっけん作りで有名な町でしょう」
「え? 本当ですか、シグリィ様」
「多分本当だと思うが」
文献でしか知らない自分に訊かれても、と思うのだが、他の町村でも噂にはあがっているから、嘘というわけでもないだろう。
セレンは俄然張り切りだした。拳を固めて、「早く早く!」と片付けをしているカミルと、呑気に果物を食べているこちらとを急かす。
「善は急げですよ! 私たちは旅人! 立ち止まってはいけないのですよー!」
――どうして?
「あ」
思わず上げた声に、カミルとセレンが不思議そうにこちらを見た。
「どうかしましたか?」
「シグリィ様もせっけん欲しかったことを思い出したんですか?」
「あ……いや、違う。関係ない。すまない」
顔の前で手を振って、最後のゼオンスグリを口の中に押し込んだ。
立ち上がり、大きく伸びをする。体の節々が少し痛んだ。これは念入りにストレッチが必要だ。
やがてストレッチが終わる頃、荷物係のカミルも出かける用意が出来たようだった。
「シグリィ様、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
「じゃあいっきましょー! いざ、イギューハの町へ!」
セレンが先頭を切って歩き出す……
シグリィの頭の中で、やはりその記憶は淡く霧がかっている。
当然だ。この記憶は、自分が体調を崩して寝込み、半ば寝込んでいる最中に起きた出来事――交わした会話の記憶だから。
――どうして? どうしてなの?
どうして、旅をやめないの?
そんなに体が弱いなら、どこかの町に住み着いちゃえばいいのに。
そんなことを言ったのは、一夜の宿を貸してくれた家の娘の、さらに友達。
この会話を終えれば、もう縁もないような、そんな関係。
はっきり言って自殺行為じゃない、と、ずけずけ言う彼女はそう言った。そのとき、ほんの少し苦笑を返した気がする。
やめちゃいなさいよ、と。
あまり深刻ではない調子で言われた。
だから、即答できた。
やめないよ、と。
自分は生まれながらの旅人。どこかで立ち止まることはできないのだと。
彼女には通じなかったようだ。不服そうな顔で、記憶は終わっている。
思い出したら少し笑えた。
「シグリィ様ー? 不気味ですー」
セレンに気づかれ、つんつんつんと頬をつっつかれた。
「すまない」
軽く謝り、前を向いた。
目的の町はまだ遠く、目の前には地平線が広がっている。
あまり植物のある地域ではなく、靴の裏はごつごつするが、それも歩いている感触。
大地からの、返事。
自分の愛する、四人の親のことを思い出す。今どうしているだろうか。気配は常に感じていても、姿は見えない。
彼らの願いのために、
……自分は、どこかで立ち止まることはできないのだから、
行く先を、指差した。
「さ、二人とも。立ち止まらずに行こう」
はーい、と気楽なセレンの返事。
あまり気負いなさいませんように、と慎重なカミルの返事。
どちらも、自分を支えてくれるのに必要な。
自分が立ち止まらないために必要な。
一歩一歩、大地を踏みしめる。
「立ち止まらないで」
この大陸を、知りなさい。
四人の親たちの、たしかな声が、聞こえた――
―FIN―




