8・美しい
とどめを刺したのは俺ではなかった。
猿たちだ。
ミニクキモノは、俺たち以上に身体能力があり、攻撃力の高さは凄まじいものだった。
ゴムのように伸びるリーチの長いパンチは大木を倒すほどの力だ。モロに食らえば、ひとたまりもなかっただろう。
ユニークビーストなだけはある。
だが、ミニクキモノは致命的なものが欠如していた。
恐怖心だ。
弱いものには強気になり、強い者にはへつらう、典型的なクズな性格をした奴だ。
異世界からやってきたイェーガーと戦うのは初めてなのだろう。ミニクキモノは好戦的になっている俺たちにビビリ切っていた。攻撃をしてきたところでミスの連続。本気で挑めばこっちが不利なのに、ミニクキモノの頭の中は「このままでは死ぬ」という恐怖しかなく、逃げることだけを考えていた。
畝川の魔法で何週間と氷漬けにされていようと、相当な体力が残っていた。氷の魔法で身動きを取れなくさせて、俺とメグミの剣による攻撃でミニクキモノにダメージを与え続けていく。
「クゲェ! グャ! ギャァ……」
ダメージを受けるたびに、腹に付いた口から悲鳴を上げていたが、その声はか細いものになってきた。
「…………」
声も動きもなくなった。
1時間近くかかったが、これで終わりだ。
そのときだ。
後方で戦いを見守っていた猿たちが、ミニクキモノに向かって一斉に襲いかかった。
何十匹もの猿が、瀕死となったミニクキモノを取り囲んだ。
一匹の猿が、ミニクキモノの長い爪を剥がす。
「ギゲァァァーーっ!」
ミニキクモノは悲鳴を上げた。さらに一本、一本と爪を剥がしていく。
すべての爪を剥がしたあとは、複数の猿が綱引きをするように両腕を握って、ミニクキモノの腕を引きちぎった。
猿たちは殺された仲間の恨みを晴らすべく、足を潰して、目玉を取り出し、鼻にクソを押し込み、口に岩をありったけに入れ、ケツの穴に枝を刺して、とミニクキモノの体を容赦なくズタズタにして、生き地獄を与えていった。
「グゲァ! ギャア! ビケギャア! グゲアァァァァァーーっ!」
ミニクキモノは、残っている体力で絶叫を上げていく。悪夢を見そうな恐ろしい叫びだった。セーラは耐えきれずに、後ろを向いて「くわばら、くわばら」と耳を塞いでいた。
助けてください、ごめんなさい、許してください、もう二度といたしません、死にたくない、などと猿たちに懇願しているのだろう。
慈悲など与えるわけがなかった。
ミニクキモノが殺してきた猿たちも、同じように懇願をし、その姿に喜びながら殺していったのだから。
当然の酬いあるし、これだけでも足りないほどだ。
「………………」
ミニクキモノの声が消えた。
原形が留めないほど体がバラバラになっていた。もぎ取られた右の腕がピクピクと動いている。それも止まった。復讐を遂げた猿たちの下は、黒い血の池ができていた。
死んだのだろう。
少しして、ミニクキモノの死体から泡が出て、空に向かって上昇していき、跡形もなく消滅していった。
残ったのは、黒い球だ。
ビーストハート。
ユニークビーストの心臓だ。
猿たちの間から、まるで逃げるかのように、俺たちの所へと転がってきた。
俺はそれを拾う。
「ほれ、食べていいぞ」
セーラに渡した。
「いいんですかねぇ。うーん、なんか、申し訳ねぇっス。持ち帰るにしてもアレですしねぇ……」
律儀なものだ。ダークドクロを倒した時に、次はルルさんに差し上げると言ったのを気にしていた。
「残しておくと復活するかもしれないんだろ。さっさと食べとけ。ルルにやるときは、アイリスと一緒に戦った時でいいだろ。向こうだってそうするはずだ」
「ういっス、食べるっス、でも、あの野郎のビーストハートと思うと、あまり食べたくないなあ」
クンクンとにおいを嗅いでいく。
「猿のキンタマと思いながら食えば、精力がつくかもしれないぞ」
「余計、不味くなるわっ!」
セーラは自身の顔以上に大きく口を開いて、ビーストハートをひと飲みする。喉、胸、腹と体が膨らんでいき、胃の中でボン!と音を立てて爆発をした。
体は直ぐに元通りになった。
「うーん、味は同じっスねぇ。ウマウマなのが悔しいぐらいですよ」
納得がいかないと複雑な顔をする。
「うどんとどっちが美味かったか?」
「比べるもんじゃねぇっス。妖精にとって食事は、味覚を楽しむためにありますんで」
「ビーストハートは?」
「栄養分といったところっスね。うちというか、ヴェーダの巨像に、ビーストハートのエネルギーが流れていってるんじゃないかな。そんな感覚があるっス。普通に食事しても、そんな感じになりませんからねぇ」
「もしかして、セーラって食べなくても平気なのか?」
「ヴェーダの巨像が元気でいれば、100年飲まず食わずともへっちゃらっスよ」
「おまえ、今後は食事抜きな」
「うちの楽しみを無くす気かっ!」
突如、森が震えた。全方向から雄叫びが聞えてくる。
激しいざわめきだった。森が、生きているかのようだ。
ミニクキモノが消滅したことで、魂が抜けたように呆然としていたテナジカザルが、いつの間にか周囲の木の上に登っていた。
枝を両手で掴んで、大きく揺らしていく。
「クケギャ、キギャ、クギャー」
ヒステリックな叫びだ。
人間の耳には不快となる嫌な響き。
ミニクキモノによって殺された仲間への追悼であり、復讐を遂げたことへの歓喜なのだろう。
泣いているようにも、喜んでいるようにも見える。
テナシナザルは、内部に溜まっていた感情をありったけに吐き出していく。感情の高ぶりがピークとなって、踊りだけでなく、殴り合いをしたり、木の実を投げ合ったり、自慰や交尾まで始めていた。
「どこにいく?」
メグミは、畝川に剣先を向けた。
畝川は背中を見せている。
自分の力で歩ける体力はなく、木の枝を杖代わりにして、ぎこちなく歩を進めていた。
「帰るだけだ」
「逃げるつもりか?」
「地球だ」
「その体力でか?」
と俺は聞いた。
「役目は終わった」
畝川は、木の上にいる猿たちを眺めていく。
「後は帰るだけだ」
満足げだった。人を殺してきた男とは思えない晴れやかな顔をしている。
「分かった」
俺は、畝川に肩を貸す。感謝もなく無言だった。彼の体重が俺にかかった。
「自首するんだろ?」
「ああ」
「ならいい」
俺たちは、テナシナザルを背にして、アイラ樹海を歩いて行く。
少しして、猿たちの騒ぎがピタリとやんだ。
ざわめいていた森が、時間が止まったかのように静寂に変わった。
ちらっと振りむいて見る。木の上にいるテナシナザルたちが俺たちに向けて、深々と頭を下げていた。
※
アイラ樹海を出た。
緑の原っぱが広がっている。爽やかな風が心地良かった。透き通った真っ青な空が俺たちを迎えていた。
空に浮かんだユリーシャの光を見つめ、畝川は眩しそうに目を細めた。体を預けていた俺から離れて、ふらふらとしながらも、走るように前へ進んでいく。
「美しい」
足を止めて、彼は呟いた。
――それが最後の言葉だった。
メグミが、彼の背中に短剣を突き出していた。
モグッポの武器屋で購入したものだ。斬れ味が良いだけあり、刺身を切るように骨を貫通させて内蔵部に入っていく。
抜くと血が滲んでいき、ドッと溢れていった。
さらに鎖骨の部分を刺して、直ぐに抜き、右肺の部分を刺して、直ぐに抜いた。
ドサッ。
畝川はスローモーションのように倒れていく。
メグミは、畝川に馬乗りになった。
ミニクキモノにとどめを刺したテナシナザルのように、畝川の体をめった刺しにしていく。
畝川は、抵抗しない。悲鳴も懇願もあげなかった。人形のようにメグミのされるままになっている。
「なにをやっているんだ!」
「止めないでくれ!」
メグミは短剣を振って、俺の動きを封じた。
「君がやらないなら僕がやる! いや、やらせてくれ! ここまで猿に免じて我慢していたんだ!」
猿の前で殺さなかったのがせめてもの慈悲と言わんばかりだ。
「こいつは地球に戻って自首しようとしていた。それは俺たちを騙すための嘘じゃなかった。殺す必要はないんだっ!」
「ないわけがない! 僕こそ、こいつを殺す権利がある!」
「どうして!」
「こいつがメグミを殺したからだ!」
彼女から涙が散った。恨みを晴らすべくさらに短剣を突き刺した。
「なにが悟りだ! ふざけるな! こいつがなにを悟ろうが、ブッタやキリストだったとしても、僕はこいつを許さない! メグミにあんな残酷な、ムゴいことをして……どんなに苦しんだか、辛かったことか……たとえ世間が許そうとも僕は許さない! いくら反省しようが、メグミは帰ってくることはないんだ……」
メグミは心臓部を突き刺した。
刃を深々と入れていった。
「帰ってくることは……ない……」
その手が止まった。
「…………」
息が切れたのだろう。
畝川はピクリともしなくなった。
「僕がエムストラーンでメグミの姿になっていたのは、メグミを殺した奴を探すためだった。メグミの顔でいれば、犯人は気付いてくれる、そう思ってのことだった」
メグミは嗚咽をあげる。
「なのに……なのに……」
心臓部を突き刺していた短剣を抜いた。握る気力がなくなり、草の上に落ちていった。
「こいつは、メグミのことを覚えていなかった。自分が殺した女の顔を分かっちゃいなかったんだ!」
音もなく、畝川の死体が消えていった。
バイラスビーストのように泡になることはなかった。血のあとを残して瞬間的に姿を消した。
地球のどこかにある、畝川が住んでいた家へと帰っていったのだろう。
「ああああああああああああっ!」
メグミは馬乗りとなった体勢のまま、むせび泣いている。返り血を浴びて体中が赤く染まっていた。
俺は黙って見ていた。できることはない。メグミの慟哭が収まるのを待つしかなかった。
目をつぶった。
畝川の死に顔が目に焼き付いている。
このことは、メグミに言うべきではないだろう。
畝川の死に顔は、あまりにも安らかなものであったということは……。




