2・どうだい、先生、やってくれるかい?
一階のリビングに降りていく。
週に何回か家政婦を雇っているので、掃除が行き届いており、モデルルームのように綺麗だった。父娘が一緒に過ごす機会が、あまりないからだろう。最低限の物が置かれた質素さで、悪く言えば、生活感がない部屋だ。
「愛利はどうだい?」
鶫山警部は愛利が聞き耳を立ててないのを確認すると、口を開いた。
「頭は良いんだけど、もの凄く極端だ」
「どういうことだ?」
「理系が得意で、文系はからっきしダメ。特に理科は小学校レベルでは簡単すぎる。中学どころか高校レベルで教えてもいいぐらいだ。だけど、国語の方がまったく出来ない。漢字は読めても書けないんだ。漢字の漢も書けなかった。文法も理解できてない。いくら教えても分からない、というか、文字を見ただけで思考逃避するようで、覚える気すらなさそうだ。得意なのは100点。苦手なのは0点。と非常にバランスが悪い」
「んで、先生はどう教える気だい?」
「私立など中学受験させる気はないんだろ?」
「不登校児だぜ。学校に行ってくれることが親の喜びだ」
「なら、どの科目も平均レベルに上げるのではなく、アンバランスのままで良いと思う。愛利は、まずは勉強に慣れさせることからだ。得意なのをさらに得意にさせつつ、勉強のコツを教えていくつもりでいる。その方が、ダメな方の成績も、自然とあがってくるはずだ」
「おめぇ、ちゃんと先生してんだな」
警部は感心していた。
「まぁ、一応、塾の講師の経験あるんで」
「らしいな。お陰で助かってるわ」
俺の過去は調査済みなんだろう。
「てめぇのお陰なんだろう。愛利の奴、学校に行き始めたんだよ。教室ではなく、たまーに、保健室登校するぐらいなんだけどな。それだけでも、十分な成長だ」
「不登校はいつから?」
「小3だ」
『アイリスさんのおっかさんはどうしたんです? 家にはいませんよねぇ。もしかして、死んじゃったんスか?』
セーラが携帯から姿を出していた。
「おまえ、ハッキリ言い過ぎ」
「別にいいさ。気を使われる方が気まずいものだ。その時期に離婚したんだよ。まあ、俺の職業が職業だろ。だから、家にいねぇことが多くてよ。男作ってたんだよ」
『それで、アイリスさんはおっとさんに引き取られたんですね』
「そうなる。家で男とヤッてたのを愛利は見ちまったんだ。トラウマを与えた母親より、家にいねぇ父親のほうがマシだったってわけだ」
『うわぁ、おっかさん最悪っスねぇ。子育て放置のおっとさんも最悪の一歩手前っスけど』
「おめぇって、ほんと、ズケズケいうな」
妖精の遠慮のない正直な感想に、不快にならず、むしろ愉快そうにしている。
「それが切っ掛けで不登校に?」
「それだけじゃねぇな。両親の問題、愛犬の死、学校では苛められ、家に帰っても一人ぼっち。色々と積み重なった結果だ。考えてみれば、ならんほうがおかしいな。俺よ、娘に構ってあげられない代わりに、色んなもん買い与えていたんだわ。それもマズかったようだな。あいつ、起きている間中、部屋に引き籠もってゲームをやってたわ。それをやめさせようとしても、ヒステリックになってどうしようもなくなっちまった」
「それが、今はエムストラーンか」
「最近、明るくなったと喜んでたんだが、そういう訳だったんだな」
『アイリスさんが必要なのは親の愛情っス。刑事さん、一緒にいる機会増やしたほうがいいですよ』
「そうしたいが、年頃の娘は難しいんだわ。俺の後の風呂には入らないし、洗濯物は一緒だと嫌がるし。まあ、俺の料理は食べてくれるけど、他に食べ物ねぇからってだけだろうし」
エムストラーンではエルザさんとしてレストランを経営いるだけあって、料理の腕はかなりのものだった。
「まあ、アンタがいるんだ。俺は見守る立場でいたほうがいいだろ」
『だからと、一吹さん任せはヤバいっス。一吹さんは年上の女に捨てられたショックで、年端もいかないアイリスさんに手を出しかねない恐ろしさがあるっス』
「ねぇわ」
俺はツッコむ。
「つか、まったく関係ねぇ話ししちまったじゃねぇか。俺が呼んだのはそうじゃねぇ。みてもらいたいモンがあるんだよ」
そう言って、俺に数枚の写真を見せた。
男の顔写真だった。
年は四十代近くぐらいだろうか。
薄くなった髪、ニキビだらけの膨らんだ頬、潰れかかったような目、ガマガエルのような顔をしていた。
『うわぁ、見るからにワルな顔っスねぇ』
「見た目で判断するな」
「こいつに関しては判断していいぜ。畝川総司。38歳。土木作業員」
「何をしたんです?」
鶫山警部は、何も言わずもう一枚の写真を渡す。
女性が写っていた。
ボロボロとなった顔。衣類は脱がされて胸元が見えていた。
「こんなの見せないでくれ」
遺体写真だ。それも、殺害現場のもの。
直ぐに俺は警部に返した。
「これが奴のやったことなんだ。目に焼き付けておけ。遠慮はいらん、同情なんかすんじゃねぇ」
「何のことだ?」
「畝川総司は、一人暮らしの女の家に押し入って、顔面を強打しながら前と後ろの穴を犯した。行為後に絞殺。その後、屍姦をして、現金を奪って逃走をした。それを四件だ」
「最低のクズだな」
「ぶん殴って美女の顔が変形していく様に興奮するようだ。殺したことで、奴の芸術が完成するんだろう、興奮がピークに達して、遺体にまで手をだすほどだ。狂ってるよ。最初の事件から手慣れた犯行だった。強盗強姦はもっとやっているはずだ」
「犯人は逮捕されたんですか?」
「んな質問するな。されてたら、ここで喋ったりしねぇだろ。頭悪い奴だな。あー、くそっ、タバコ吸いてえわ」
鶫山警部は落ち着きなさそうに、足をソワソワとさせていた。
「なら、俺に喋ってどうしろと?」
「畝川の逮捕状は出てるんだが、もう少しってところで逃げられちまったんだ。奴の逃げ場を全て押さえたはずだが、どこにもいねぇ。それっきり三週間、畝川の姿は発見できず。現場の苛立ちはピークだぜ。サイコパス野郎を野放し状態なんだ、警察のメンツが立たねぇ」
『はぁ、海外にでも逃げちゃったんでしょうかねぇ』
「おめぇさん、頭いいな。一吹先生とは大違いだ」
『悪いちきゅーさんは、エムストラーンにいる可能性が大ってことっスね。たしかに、あそこは素質さえあれば、パスポートいらずで簡単に行けますからねぇ』
「俺に、エムストラーンにいる犯人を探せと?」
「そういうことだ。畝川総司を見つけてくれ。報酬金額は10万。ギルスじゃねぇ、円だ。どうだい、先生、やってくれるかい?」
鶫山警部は俺の肩に手を置いた。
「でも、エムストラーンにいない可能性もあるんですよね?」
「いやいる、絶対だ」
「その根拠は?」
「刑事のカン……と言いたいところだが、畝川を追いかけていた警官の話では、奴は忽然と姿を消したんだそうだ。透明人間になったようにパッとな。その場所に俺が行ってみたら、あったんだよ」
「異世界転送機が?」
「そういうこった」
畝川総司がエムストラーンにいるのはほぼ確定しているということだ。
「エルザの酒場のモグッポに声をかけておけよ。写真を向こうに持って行けないから、畝川総司の人相書きを用意してある」
とはいえ、逃亡中の殺人犯だ。
簡単に別人になれる世界で、顔と名前を地球と同じにするわけがない。
人相書きを貰っても、あまり意味をなさない気がする。
「なんで俺なんだ。鶫山警部のように、エムストラーンに出入りしている警察官がいるのでは?」
「以前に、千人近くの警官、自衛隊を異世界転送機の前に連れてったことがあるんだ。今回のように、犯人がエムストラーンに逃走する可能性を考えてな。その結果、何人に見えたと思う?」
「十人?」
「ゼロだ」
「千人もいて?」
『そりゃそうっスよ。エムストラーンへ行くには偶然性が大事なんです。作為的に仕組んだら、見えるものも見えなくなります』
セーラが説明をする。
「つーわけだ。実のところ、その千人の中にすでにエムストラーンに入っていた奴がいたんだ。そいつが言うには、テストの時は転送機が見えていなかった」
見えるものも見えなくなるということか。
「でも、見えなかったと報告が来たということは、行っている警察官を何人か把握しているということだろ?」
「なんだけどな。畝川を捜索させるためエムストラーンに行かせたいところだが、上には異世界を知らない奴が多いんだ。なにせ素質ある奴しか見えない世界なんでね。そいつらには、異世界にいっている警官は、仕事をサボッているように見えちまう。せいぜい、数時間ぐらいだ。それじゃあ、時間が足りないよな? だからこそ……」
「暇な俺に仕事が回ってきた」
「そういうこと。短時間で賢くなったじゃねぇか」
鶫山警部は笑った。
「俺の予想では、畝川総司は永住者になっている。地球に戻っても逮捕、死刑確実だからな。ならんわけがないんだ。永住者は地球に戻ることができない、だけどな……」
間を置いてから、
「たった一つだけ方法がある」
「それは?」
鶫山警部は俺の近くにきて、静かに言った。
「畝川総司を見つけ次第、殺せ」




