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第8話:紅き姫と闇夜のランプ

 クレアの襲撃を警戒しながら、アルマは小走りになって帰り道を急ぐ。

 木々が鬱蒼(うっそう)と茂る小道はあっという間に暗くなる。日はまだ赤くもなっていないのに、足元に目を凝らさなければ木の根につまずきそうなほどだ。


(今日はまだ新月だって言うのに)


 もう数分でここには濃密な闇が訪れ、寮までの道を手探りで進むはめになる。

 夕闇を怖れてか路上に生徒の人影はもう無い。つまり、誰の助けも期待できないのだ。自室にランプを置いてきたことが心底悔やまれた。


「だめだめ、悪い事ばっかり考えちゃだめ! ほら、前向き上向き!」


 パンパンと頬を叩くと、気を取り直すために持っている明るい材料を探す。ユノの言っていた手持ちカードの確認だ。

 左手の小さな麻袋を振ると、中にはまだリアがたっぷりと残っている。盗られたのはたった1000リア分の食料だけだ。右手にズシリと重い塩袋だって何かの役に立つかもしれない。部屋に帰れば愛用のランプだってある。まだまだ悲観する事はないのだ。

 次いで、部屋でアルマを待っているであろう人を思う。


(ほら、ルームメイトがクレアみたいのじゃなくて良かったじゃない)


 ホワンとしたカンナの優しげな顔が脳裏に浮かび、気負っていた心が少し楽になる。

 女でありながら彼女は強いと言う。ユノの言を借りるなら、まさに金脈にも勝る人脈だ。


(レディンもいい人そうだし、あの2人ほんとお似合いね。でも、マティリアは便利だけど貴族だし過信は禁物かな。あとは、シュルトか……)


 国中の嫌われ者、シュルト=デイルトン。

 もし、彼と交友があると皆に知られれば、商売上マイナスに働く事は目に見えている。アルマからは物を買いたくないと言い出す者もいるだろう。

 ユノの警告した『悪い人脈』にピタリと当てはまった。

 上を目指すと決めたからには、迷う事無く縁を切るべきである。

 特別に好きなわけでも、好かれているわけでもないのだ。

 難しいことじゃない、ただ背を向けて無視するだけでいい。

 それは特別な事じゃない。むしろ皆と同じように、普通になれば済む話――


 そこまで考え、胸に詰まっていた息を深く、深く吐き出した。


(あーあ、私って商人に向いてないのかな)


 アルマの問いを避けるように、太陽は木々の間に隠れたのだった。



 寮の入り口付近には樹林が無く、ちょっとした広場になっている。

 ようやくアルマが帰り着いた時でも、広場には夕日の赤い光がうっすらと届いていた。

 その薄明かりの中、数十名の女子生徒がいくつかのグループになって多くの材料を切り刻んでいる。おそらく夕食を作り、ここで売る気なのだろう。

 本当なら私も、と羨ましそうに彼女らを眺めながら、アルマはトボトボと寮へと入る。

 廊下は既に真っ暗だった。


(さすがにカンナはもう帰ってるよね)


 静かにノブを回すと鍵は掛かっておらず、抵抗無く扉は動いた。

 無用心だなぁと思いながら扉を押し開き、中の様子を見て「あれ」と声を漏らす。

 部屋は暗く、人影も無く、開け放たれた木窓がギィギィと風に揺れていたのだ。


(まさか……泥棒っ!?)


 ザワリとした不安が胸を締め付ける。

 盗まれて困るものといえば、父のランプと替えの衣類だ。

 慌てて確認しようとして……すぐにランプを見つけた。何の事はない、置いた時と同じ状態で、机の上にポツンと突っ立っていたのだ。

 ランプが無事ならば衣類も無事だろう。アルマはふぅと安堵の息を吐く。


「じゃあ、なんで窓が開いてたの……」


 アルマの呟きに呼応するように、カンナのベッドがもぞもぞとうごめいた。


「……カンナ?」


 おそるおそるベッドに近づき、布団をガバリとまくる。

 そこには、猫のように丸まったカンナが、カタカタと震えていた。


「何、やってるの?」

「その……暗いのが、ちょっとだけ苦手で」


 しかし、その怖がり方はちょっとどころではない。

 アルマは机の上に出しっぱなしにしていたランプを指差した。


「ここにランプがあるじゃない、なんで使わなかったの?」

「だって、それはアルちゃんのです」


 断としたその言葉に、ジワリと胸が熱くなった。

 当然のように盗る者もいれば、こう言う善人だっているのだ。アルマはカンナがルームメイトであった偶然を心から感謝した。

 手早くランプをつけてカンナへ向けると、その顔が穏やかなものへと変わる。


「落ち着きました。ありがとうございます」

「どういたしまして。でも、そんなに怖いなら、さっさとランプくらい買えばよかったのに」


 カンナはそうなのですがと頬を指で掻く。

 仕草がいちいち幼く、しかしそれが似合っていた。


「実は、ランプやろうそく、あと点火道具の類いは全部売り切れてしまったそうなのです」

「……ああ、そうか! あー、もう、やられた!」


 アルマはドカリと椅子に座り込むと、頭を掻いて悔しがった。


「アルちゃん、どうしかたんですか? 何がしまったなんですか?」

「買い占められたのよ、火を」


 口に出すといっそう悔しさがこみ上げてくる。

 文明の礎とは火である。逆を言えば火が無くして文明的な生活は難しい。買い占めれば、どれだけの値をつけても買おうとする客はいることだろう。


「誰か知らないけど、頭の切れる人はいるものね。食料よりよっぽど効率がいいじゃない」


 ブツブツと愚痴りながら、開いていた木窓に手を伸ばして閉める。

 そんなアルマを見て、カンナは眉根を寄せた。


「……よく分かりませんが、カンナはアルちゃんが買い占めてなくて良かったです」

「どうして? 私が買い占めてたら、カンナにだってランプの1つや2つ、分けて上げられたのよ?」

「でも、みんな困っています。そんな意地悪したら、カンナはアルちゃんの事を嫌いになります」

「っ!」


 冷や水を浴びせられたような衝撃だった。

 迷惑も考えずに無闇やたらに利益を追求すれば、当然のように人望を失うだろう。そして、人望を失った商人はどうなるのか――


(ううう、想像もしたくないわ。そんな簡単な事が抜け落ちてたなんて、ちょっと頭を冷やさないと)


 頭をブルリと振り、塩とリアの入った麻袋を机の上にドサリと置いた。


「あの、アルちゃん。それ、なにか食べ物ですか?」

「ああ、これ? ごめん、これはただの塩なの。後で歯磨きにでも使いましょう。それよりカンナこそ、なにか食べ物買ってない?」

「カンナも……ちょっと出遅れてしまいまして、テントに着いたときは何も残っていませんでした」


 しょんぼりしたカンナのお腹が、くぅと寂しそうに鳴く。


「あああ、もうっ! せめて干し杏が盗まれてなければ分けてあげたのに!」

「干し杏があったのですかっ!?」


 カンナの目が濡れたように輝いた。

 杏は西の果物と言っていたので、彼女にはなじみの深い食べ物なのかもしれない。


「あ、うん、それをクレア=ラーゼとか言うバカ女に取られちゃったの」

「ラ、ラーゼって、あのラーゼ商会の?」

「そうよ。カンナも知ってるなんて、よっぽど儲かってるのね。でも、あんなの追い剥ぎか強盗よ!」

「そう、ですか。それは災難でしたね」


 本当に災難よと微笑んで、アルマは椅子ごとカンナに一歩近づく。


「そこでお願いがあるの。カンナ、私の、ガーディアンになってくれない?」

「カンナが、ですか?」

「うん。私、カンナなら信じられる。報酬だってちゃんと払うし……駄目、かな?」


 カンナは一瞬だけ顔を綻ばせ、しかし次の瞬間、笑顔はフッと陰ってしまった。


「……ごめんなさい」


 正直、その言葉はショックだった。

 断られる事は無いだろうと、勝手に思っていた自分がいたのだ。


「あの、カンナも、アルちゃんがいい人だって思っています。そのお誘いは本当にうれしくて……でも先約が」


 そう言ったカンナの顔は深い悲しみに満ちている。その顔があまりにも泣きそうだったので、アルマはショックを押し殺した。


「そっかぁ、しょうがないか。うん、カンナにも付き合いがあるもんね。変な事頼んでごめん」

「あの、本当にごめんなさい。でも、時々護衛するくらいなら喜んでお供しますから」

「うん、お願いね」


 プツリと会話が途絶え、外の騒がしい声がかすかに2人の耳に届く。


「あの……」

「しっ! 静かに」


 アルマはバンと窓を開け、耳を澄ませた。


『もう、こんなに暗くちゃ何も出来ないじゃない! 火はまだ起こせないの?』

『待ってよ、もう手が痛くて……』


 声がしたのは、先ほど寮の広場でワイワイと食事を作っていた辺りだ。


「むふ。火を買い占めた連中、よっぽどの欲張りさんね。今夜は動かないで値を張り上げるつもりよ」

「それが、どうかしたのですか?」

「絶好のチャンスなの。ねぇ、カンナ、さっそくだけど今日一晩だけ護衛をお願いしてもいい?」

「今夜って、今からですか!?」

「そう。そしたら夕食おごってあげる」

「わ、やりますっ!」


 即答したカンナはベッドの下から1本の真っ赤な木刀を引っぱりだした。おそらくカンナが持ち込んだ所持品だろう。

 アルマもランプとリア袋、そして売れるかもしれないと塩袋も持っていくことにした。


「アルちゃん、準備完了です」

「うん、あと物騒なんだから、これからはちゃんと鍵掛けるのよ?」

「はいっ!」


 どことなく親子のような会話の後、二人はランプの灯火を頼りに部屋を出たのだった。



 外へ出ると、外にいた生徒の数はさらに増えていた。そして、その誰もが羨ましそうな顔で二人を、否、ランプの光を見ている。

 こみ上げる笑顔を抑え、アルマは貴族でなさそうな相手を見つけると真っ直ぐに近づいた。


「こんばんわ、調子はいかが?」

「ね、ねえあなた、火を貸してくれない? スープを作りたいんだけどなかなか火が点かなくて」

「それは大変よねぇ……」


 切羽詰った表情で迫る女生徒の後ろには、大量の野菜が転がっていた。


「よし、じゃあ特別に300リアで分けてあげる」


 その値段を聞いた女生徒は一瞬呆気に取られた後、キッと眉をつりあげて激昂する。


「ちょっと、いくらなんでも高すぎるわよ! せいぜい50リアってところでしょ? そんなのボッタクリよ!」


 カンナも不安そうにアルマを見つめた。しかし、ランプに赤く照らされたアルマの表情は涼しげである。


「まぁ落ち着いて、あなたに売るのは種火だけじゃないの」

「……どう言う事?」

「あなたに売るのは、今夜、この4棟前で火を売る権利そのものよ」


 女子生徒は興味を持ったらしく「続けて」と話を促す。


「あなた、ここでスープを売るつもりでしょ? でも、ついでに火も売って欲しい人は多いと思うの。1つ50リアで売ったとしてもたった10人に売れば500リア、ほら200リアの儲けよ」

「でも、あなた達がいたら――」

「大丈夫、私たちはすぐに別の場所に移るから。あなたはここで思う存分儲けてくれていいの。どう?」


 女子生徒はちょっと待ってねと仲間と話し合い、すぐにアルマの前に戻ってきた。


「分かった、300リアね」

「ありがと。私はアルマ。あなたの商売の成功を祈ってるわ」

「アルマね、覚えておくわ。正直、野菜を大量に買っちゃって、早く消費しなきゃって焦ってたのよ」


 そう言うと女生徒は商談成立とばかりに手を差し出す。

 アルマも内心、安堵のため息を吐きながらその手を握った。


「じゃあ、帰りにあなたのスープを買うことにするわ。少しはおまけしてくれる?」

「残念、その頃には売り切れよ」


 こうしてアルマの最初の商談は、微笑みの中で終了したのだった。





 次なる標的(ターゲット)である5棟へ向う道中、カンナはじっとアルマを見つめた。


「アルちゃんて、すごい人だったのですね」

「そ、そうかな?」

「はい。最初、火を分けるだけなのに300リアだって言った時、お腹が減って意地悪しているのかと思いました」

「あんたがどういう目で私を見てるのか、よぉく分かったわ」

「ちっ、ちがいます! そのですね、ほら、誰だってお腹が減るとイライラして……」


 必死に取り繕おうとする態度に、アルマは堪えきれずにクスクスと笑い始める。


「あー、酷い。冗談だったんですね」

「ごめんごめん。でも、私たち経済学部はこうやってリアを1番稼いだ人が文官になれるの。これくらい出来て当たり前よ」

「やっぱり課題があるのですね。カンナの課題はこれです」


 カンナは腰に結わえ付けていたリア袋をゴソゴソとあさり、三角型のプレートを1枚取り出した。


「それ何?」

「これはリーベデルタと言うプレートで、教官がこの島にたくさん隠したそうです。これを2枚持っていれば合格で、1番集めた人が武官になれます」


 アルマは手渡されたプレートを見つめてふぅんと相槌を打つ。味も素っ気もない真っ白な正三角形のプレートだが、ずいぶんと頑丈素材で出来ていると分かる。


「っていうか、こんなのが2枚で卒業できるって、結構簡単なんじゃない?」

「はい、カンナもそう思います。でも、教官はこんな風に脅かすんですよ」


 カンナがピタリと立ち止まり、アルマの持っていたランプの光がゆらりと揺れた。


「卒業を捨ててでも、1年間生き抜く事を考えろって」

「……ああ、そう言う事なんだ。やっぱり軍学部ってシビアね」

「え? 今ので何か分かったのですか?」


 まあねと頷いて、プレートを投げ返した。

 クルクルと放物線を描いたリーベデルタは、カンナの手に音も無く着地する。


「私が商品を盗まれたのと一緒よ。そのプレートを持ってる人はいつか狙われる。そして、奪った人もまた奪われる。三角関係(リーベデルタ)なんて皮肉な名前ね」

「奪い合い、ですか」

「そう。しかも相手は軍学部の試験を突破した強者(つわもの)ばっかり。カンナ、本当に大丈夫なの?」


 もちろんですと即答し、カンナは持っていた赤い木刀を眼前に掲げ持つ。


「カンナはオリベ道場を再建するため、みんなの期待を背負ってここにいるのです。1番にはなれなくても、この紅姫にかけて卒業しなくちゃいけないのです」

「ベニヒメ?」

「はい」


 カンナの柔らかそうな手が、木刀の柄と刃先を水平に引っ張る。すると、木刀は2つに分かれ、その中心に眩しいほどの白刃が現れた。

 怪しく光る白刃に、カンナの目がうっとりと細められる。


「この紅姫はオリベ家の家宝なのです。純粋に斬ることなら、どんな武器よりも優れていると言われています。でも凄いのはそれだけじゃありません……アルちゃん、ちょっと持ってみてください」

「い、いいの?」


 アルマは持っていたランプや荷物を地面に置くと、家宝という刀をおそるおそる受け取った。見た目よりも遥かに重い刀に少しだけ戸惑う。


「アルちゃん、こう、両手で雑巾を絞るように構えて見てください。すると、なにか聞こえませんか?」

「こう?」


 ややぎこちなく構えると、目を閉じ、音に集中する。

 風の音、葉がこすれ合う音、自らの心音すら聞こえたが、それ以外には何も聞こえない。


「特に、聞こえないけど……」

「聞こえませんか? 二の腕が食べたいとか、脇腹が所望じゃとか?」

「捨てなさい、こんなもんっ!」


 アルマが投げつけるように刀を突き返すと、カンナは変ですねと紅姫を正眼に構える。

 地面に根が張ったような、刃先すら動かない静かな構え。その姿は流石にサマになっていた。


「カンナには紅姫ちゃんの声がハッキリと聞こえるのですが……」

「分かった分かった、信じるわ。で、その紅姫ちゃんは今何て言ってるの?」


 その瞬間カンナの肩が跳ね上がり、慌てて紅姫を赤い鞘にしまう。


「あの、カンナじゃないですよ? 紅姫ちゃんが言ったんですよ?」

「いいから早く言いなさい!」


 アルマがずいと顔を近づけ脅迫するように言うと、カンナは観念して口を開いた。


「こんな胸まで貧相な貧民を斬るでないぞ。わらわに貧がうつるって」

「それもう1回貸しなさい! 一晩中塩水に漬け込んで刀身も真っ赤にしてやるわ!」

「ごめんなさいっ! この子ほんとは良い子なんです。やれば出来る子なんですぅ!」


 カンナが紅姫を胸に抱えて逃げ出した。

 アルマもランプと荷物を拾うと、奇声を上げて追いかける。


 相変わらず月は出ていなくて、ランプの小さな灯りは頼りなくて、数歩先には闇しかない。

 なのに何故だろう。もう暗いだなんて感じないのだ。

 それはまるで、闇が優しくなったかのようだった。



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