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第61話:予兆

 結局、今後やる事が決まった所で話し合いはすぐに解散となった。


 シュルトにこれ以上無理をさせてはいけないと、レディンが強く注意したからである。

 なにせ溺れたあげくに二日も飲まず食わずなのだ。

 疲労や空腹、渇きを顔に出さなかったシュルトの精神力は賞賛に値するだろうが、レディンに言わせればそんなのは無用なやせ我慢である。

 アルマとカンナを部屋から追い出すや、レディンはすぐさま厨房へ行くと作っていた小麦粥をシュルトへ持って来た。


「いいですか、ゆっくり食べて下さいね」


 小言のような一言と一緒に差し出された皿の上には、どろりとした一種不気味な固まりがあった。色は茶色で泥だと言われても納得しそうなモノだ。

 しかし、見た目に反して香りがいい。

 痛いほどお腹が空いていたシュルトは、香りにつられるように湯気の立つそれをスプーンですくい、頬張った。

 熱い、しかし、その後に下の上に広がった味は、


「……うまい」

「そ、そうですか? ただ小麦を煮込んだだけのモノで、味付けだって少しの塩を入れただけですし」

「いや、だがこれは」


 驚いたのは味だけでない。口の中に広がる香りが、温かさが、体にしみ込んでくるようだ。

 まるで、何年かぶりに家に帰ってきたような感じがした。

 遠い昔に忘れてしまった記憶から、家族で笑いながらテーブルを囲んだ記憶が蘇る。


「そうか、あの頃は、こんなに食事がうまかったんだな……」

「え? 何か言いましたか」

「いや、なんでもない。それよりレディン、アーシェルはもう寝たのか?」


 レディンがアーシェルのベッドを覗くと、彼女はとっくに寝てしまったようだ。枕を抱くようにすうすうと気持ち良さそうに寝息をたてている。

 彼女とて、目を覚ましたのはシュルトの数時間前。同じ粥を食べて、さっき話している時は眠気のピークだったらしい。

 そう伝えると、シュルトは口に含んだ粥を飲み込んで尋ねた。


「……レディン。少し聞いてもいいか」


 勿論ですとレディンは嬉しそうに笑った。

 その笑顔は本心を隠すための仮面でも、哀れみや(さげす)みの道具でもなく、ただ単純に話が出来るのが嬉しくて出たのだと、直感で分かってしまう。

 それも、事あるごとに憎まれ口をぶつけ、迷惑をかけている非国民を相手にだ。

 逆の立場だったらどうだろうかと考え、自分に対する嫌悪にシュルトは小さく息をついた。


「ああ、立ったままだと話し難いですよね」


 レディンは何を勘違いしたのか、ベッド脇にずりずりと重たそうな木製の椅子を持ってきて座った。

 しかし、なんと話せば良いのだろう、とシュルトはベッドの上で少しだけ目を閉じた。


(こいつの傍にいると、何故か落ち着くな)


 窓の外からは、虫が、鈴の音のような鳴き声を波のように繰り返している。

 少しだけ潮の匂いを含んだ風を、シュルトはゆっくりと吸い込んだ。


「なあ、レディン……お前は、父親を殺された事を、どう思っている?」


 シュルトは悩んだあげく、単刀直入に聞く事にした。

 レディンならそれでも答えてくれると思ったからだ。

 案の定、レディンは顔をしかめる事すらなく、まじめ腐った顔で問い返した。


「どう思っているっていうのは、僕が復讐をしたいのか、と言う事でしょうか?」

「そうだ。憎くはないのか? 石を投げた相手を殺したいと思わないのか? 守れなかった自分が、許せないとは思わないのか?」


 シュルトが持っている皿が小刻みに震えた。

 レディンは目を閉じ、父が殺された事をもう一度思い出し、少しだけ困った顔を浮かべた。


「今は、もう少しも憎くはありません。

 ただ、父が亡くなって数年は、石を投げた人達の顔が何度も夢に出て、その度に僕は悔しくて、悲しくて、」

「どうやったんだ? どうやって、その、お前は憎しみを過去に出来たんだ?」


 レディンは驚いて目を見開いた。

 あのシュルトが憎しみを捨てたいと言っているのだ。


「教典には許せ、と書いてありましたが、とても出来ませんでした。

 許すなんて、嘘でも言葉にできない。忘れることはもっとできない……そんな時、父さんの言葉を思い出したんです」


 レディンはそこからの一言一言を、まるで宝物でも見せるかのように、丁寧に一語一句をシュルトに伝えた。


「後悔で苦しい時、どうしようもない時はまず自分を許しなさい。

 そうしないと、誰も愛せなくなる。

 自分が嫌いなのに、その手で誰かに触れる事がどうして出来るのかって」


 そこで言葉を切ると、レディンはニコッと笑った。


「それで気付いたんです。

 誰より許せないのが僕自身だったって。

 僕のせいで父さんは死んでしまった。

 僕さえいなければ、アーシェルは父さんと暮らせていたはずだ。

 その後悔ごと、僕は僕を許したんです。

 これが僕なんだって認めたんです」


 都合の良い話ですけどねと頬を掻くレディンに、シュルトは何も言えなかった。

 愚鈍さ故に母を姉を死に引き込んでしまった自分を許すなど、都合が良いにも程がある。

 そんな事が出来るものだろうか。

 答えが出なかった代わりに、シュルトは皿に残っていた小麦粥を一気にかき込んだ。

 そんなシュルトの様子を見て、レディンが覗き込むようにして尋ねた。


「シュルトさん。ひょっとして、アルマさんに告白でもしたんですか?」

「ぶほっ」


 シュルトは口に含んだ粥を全て吐き出し、盛大にむせた。


「ケホッ、ゲホッ!」

「……お、驚きました。様子がおかしいとは思ってましたが、まさか本当に告白してたなんて。その、おめでとうございます」

「き、貴様」


 シュルトが睨み上げると、レディンは散らばった粥を布切れで拭き取りながら飛び切りの笑顔を浮かべた。


「冷やかしてるわけじゃないです。僕も嬉しいんですよ。本当におめでとうございます」

「何がそんなに嬉しいんだ!」

「そりゃ嬉しいですよ。シュルトさんに愛を説いた者としては達成感でいっぱいです」


 シュルトはますます不機嫌な顔を浮かべたが、レディンの幸せそうな顔を崩せないと分かると、やがて盛大にため息に換えた。

 このままだと誤解されるだろうと思って、自嘲気味に付け加える。


「結局、振られたよ」

「え?」

「告白した途端、張り手をお見舞いされた。勘違いも良い所だ」

「そんな、まさか……その、カンナさんが言ったようにエッチな事でもしようとしたんじゃないですか?」

「……いや、断じて違う!」


 答えるまでに一瞬間を空けてしまった事を悔やむ。

 確かに手を伸ばしてアルマを抱き寄せようとしたが、やましい気持ちは無かったはずだ。

 そんなシュルトの様子をじっと見てレディンは首を傾げた。


「振られたにしては、随分と明るいですね」

「その方が良かったと思ってるからな。これでアルマを不幸にしなくても済む。非国民は一人で十分だ」


 そう言って笑ったシュルトの顔を見て、レディンは泣きそうな顔を浮かべた。


「シュルトさん、少なくともこれだけは言わせて下さい」


 ずいと顔を寄せて、シュルトの手を握った。


「さっきシュルトさんはアルマさんに、もう一人じゃないって言いいましたよね。

 それはシュルトさんも同じです。

 もう一人じゃない、少なくとも僕はシュルトさんの隣にいます」

「……なんで、お前はそこまで俺に構うんだ」


 困惑した顔のシュルトに、レディンは「だって、ほら」と両手を広げてみせた。


「僕らはルームメイトじゃないですか」






「じゃあ、明朝、日が昇ると一緒にアルカンシェルに帰るんですね」


 部屋に戻るなりカンナが尋ねた。いつもおとなしいレディンが強い口調で注意したせいか、いささか不機嫌なようだ。


「アグリフが攻めて来るかもしれないってシュルトは言ってたから、信じたくないけど準備はしなくちゃ。

 あと、アルカンシェルのみんなも船が沈められたって聞いて、不安に思ってるだろうから」

「そのシュルトさんを置いていく事になりますけど、いいんですね?」

「……」


 アルマが答えに窮してしまうや、カンナは盛大にため息を吐き、アルマをベッドに押し倒した。


「きゃ、ちょ、ちょっとカンナ」

「正直に言って下さい。シュルトさんと何があったんですか?」


 カンナの目が怖い。怒っているのは、どうやらレディンに注意されたのが原因ではないようだ。

 きっと中途半端な嘘を吐いたら、当分許してはくれないだろう。


「ええとね、その……」

「え? 聞こえませんよ?」

「その、シュルトが、ええと、好きだって」

「そんな事だろうと思いましたよ! あのネクラ野郎、人が油断してる隙によくもしゃあしゃあと」


 ギリリと歯を鳴らすと、カンナはアルマを開放して起きあがる。

 悔しそうに両手で髪をかきあげ、脱力して自分のベッドにうつぶせに倒れ込んだ。

 そのままベッドに顔を埋めたまま、疲れた声でアルマに尋ねた。


「で、聞きたくもないですけど、なんて返事したんですか?

 まさかと思いますけど、OKしたんじゃないですよね」

「ま、まさか! そんなわけないでしょ!」


 その一言でカンナはガバリと起き上がった。

 信じられないと目を見開いてアルマを凝視する。


「断ったんですか!?」

「だ、だって、私、そう言うの良く分からないから。恋だってした事無いし」


 あははと頬を掻くアルマを、カンナは信じられないモノでも見るような目で凝視した。

 

「……まさか、ひょっとして、もしかして、万が一ですけど、アルちゃん」

「な、なに?」

「自分が恋してるって気付いてないんですか?」


 そう言葉にしてしまった直後、カンナは両手で口を塞いだ。


「今のはなしです! 忘れて下さいっ!」

「え? 何?」

「い・い・か・ら、忘れて下さい!」

「は、はい」


 アルマが頷いたのを確認して、カンナはこれ以上何も話すまいと、再び自分のベッドに突っ伏した。


「じゃあ、カンナは寝ます。明日も早いですし、何だか色々と考えて疲れちゃいましたから」


 しかし、アルマからの返事は無い。

 見ると、カンナに押し倒されたままの姿勢で、既に眠っていた。


「そっか、二日も徹夜したんでしたっけ……」


 その無垢な寝顔にカンナは微笑み、アルマに毛布かけるとサイドテーブルにあった小さなランプを吹き消した。

 部屋はすぐに闇に紛れる。

 かつては怖かった闇だが、アルマがそこにいると感じるだけで、大して怖くなくなっていた。

 シュルトだけでない、自分もまた彼女に会って変わってしまったのだろう。


「ほんと、シュルトさんにはもったいないですよ」


 そのつぶやきは、どこか諦めの声音を帯びていた。




 それから3日が過ぎた。


「レーベ、待ちなさい」


 疲れを知らないかのように長い坂を上っていくイモシシを見て、アーシェルはうんざりとした顔で注意した。

 当然、獣に通じる訳も無く、差はさらに広がっていく。

 むーと頬を膨らませ、小さくなっていくレーベを見ていたが、その先に灰色のモノがわずかに顔をのぞかせた。

 

「見えた」


 アーシェルが振り返ると、後ろを歩いていたシュルトも目をこらす。


「アルカンシェルか、懐かしいな……」


 と、そのアルカンシェルの方からやってくる人影があった。

 レーベはその人影を見るなりアーシェルの元に走って逃げてきたが、人影の方もシュルト達を見るなり、大きく手を振って走ってきた。


「シュルトにアーシェルじゃねえか! 久しぶりだなっ!」

「ナバルか」


 ナバルは息も切らさずに二人に近づいて、ようと手を挙げる。

 その仕草に、レーベはアーシェルの後ろから牽制のうなり声を上げた。


「どうどう。なんだ、でかいイモシシがいると思ったらレーベだったのか。せっかくの獲物だと思ったのにーーって。蹴るなよ、アーシェル。悪かったって」


 随分とたくましくなったようだが、ナバルはナバルなようだ。

 親父臭い笑みを浮かべると、ナバルは二人をじろりと眺めてうんうんと頷いた。


「なんだ二人とも、もう体調の方はバッチリみたいだな。アルマから死にかけてたって聞いてたんだが」

「いや、正直体力は戻ってない。だが、あそこに居るとかえって休めんからな」


 シュルトは顔をしかめて兵舎で休んでいた2日間を思い返していた。


『あいつがあの黒船を呼んだんだ! あの非国民が全ての現況だと、何故分からん!』

『落ち着いて下さい、ヅィーガーさん。僕だってアルマさんにお願いされて』

『やかましいっ! あんな貧民にほだされよって、それでも貴様はこの兵舎のリーダーかっ!』


 毎日どころか、朝昼晩とこの調子でヅィーガーが喚き立て、その尻馬に乗った生徒達も不満を扉越しにぶつけたのだ。

 アルマが居なくなった途端これである。

 フィロゾフが体を張って守ってくれたのは意外だったが、それでも気が休まる訳もない。

 まだ万全でない体調を押し、丸一日掛けてアルカンシェルに来る事にしたのだ。


「おーおー、相変わらず不景気なツラしやがって。まあ、無事で何よりだ」

「お前は……少しやせたか?」


 その一言にナバルは困ったような顔で頷いた。


「そうなんだよ。なにせ油モノはねえ、砂糖はねえ、少しでも良いモノ食おうと頑張ろうとしたら、あっちこっちと歩いて稼ぐしかねえ。そりゃあ痩せるってモンだぜ、ったくよぅ」


 口の方は油モノが無くても随分と潤滑に動くようだ。

 シュルトは額の汗をぬぐってあたりを見回す。ナバル以外には誰もいないようだ。


「ナバル、お前なんで一人でこんな所に来たんだ?」

「アルマの嬢ちゃんに頼まれて兵舎に発注に行くんだったんだよ。

 ったく、あの人使いの荒さはどうにかならねえもんかねえ。

 と言う訳で、ここらでお別れなんだが、その前に嬢ちゃんから伝言があるんだ」

「アルマから?」


 ああ、とナバルは顔から笑みを引っ込めて、眉をひそめた。


「俺は心配のし過ぎだとは思うんだが、一応、会ったら伝えて欲しいと言われてるからな」

「分かったから、伝言とは何だ?」


 まあなんだ、とナバルは少し言い難そうに言葉を濁した後で、ため息を吐くように言った。


「レディンが学院に行ったまま、帰って来ないんだ」



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