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第58話:非国民と消えない時間(下)

 小鳥のさえずる声に、シュルトは意識を取り戻した。

 じくじくと痛む頭、降り続ける雨音、そして(むくろ)となった母の冷たい重み。

 それら全てが何が起こったかをシュルトに突きつける。

 だからシュルトは目を固く閉じた。

 信じたくない。

 目を開けたくない。

 目を開けたら、全てが現実になってしまう。

 母とぬかるんだ地面との間で、シュルトはこの悪夢が消え去るのをじっと待っていた。


「ちっ! もう死んでやがる」


 突然、雨音に紛れて聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

 誰の声だろう――そう考える前にシュルトの体を覆っていた冷たいモノがずるりと引き上げられた。

 何が起こっているか分からない恐怖に目を閉じていられなくなり、つい目蓋を開いてしまった。

 雲が見えた。

 空は一面のどす黒い雲で、弱々しい朝日を浴びたそれは今にも落ちてきそうだ。

 顔をわずかに上げ、次に視界に入った光景を見てシュルトは息を止めた。

 剣の師であるヒルゾが母の髪を掴み上半身を宙につり下げいたのだ。じろじろと母の顔を不躾に覗き込んでいる。


「駄目だな……くそっ、本部の馬鹿どもが! 俺がここまでお膳立したのに、全部ぶち壊しやがって!」


 ヒルゾは苛立ちまぎれに母をぬかるんだ地面に叩き付けた。

 母の体はそのまま地面に頭から倒れ込む。

 悲鳴は愚か、ほんのわずかな抵抗すらない。

 生きている人間では、あり得ない事だ。

 見てしまった。とうとう、母の死が現実になってしまった。


「……う、あ」


 シュルトが嗚咽のような悲鳴を漏らすと、ヒルゾがぐるりと振り向いた。


「なんだ、弟の方かよ」


 ぺっと唾を吐き、ヒルゾは近づいてくる。

 次の瞬間、シュルトのわき腹に激痛が走った。


「あぐっ……げほっ」


 ブーツのつま先で脇腹を蹴り上げられたのだ。

 シュルトは堪え難い痛み逃げようとのたうち回る。


「ヒ、ヒルゾ先生、なんで——」

「うるせえよ!」


 柳眉を逆立てたヒルゾは、泥まみれのシュルトの太股(ふともも)をブーツのかかとで踏みつけた。

 痛い痛いと悲鳴を上げるが、逆にさらに力を込めて踏みにじる。


「てめえみたいな甘ちゃんが一番むかつくんだよ! 何の苦労も努力もなしにのうのうと暮らしやがって!」


 ブーツのかかとで何度も腿を踏みつけられ、痛みのあまり声が出なくなったシュルトのアゴをヒルゾは無造作に掴んだ。


「いいぜ、教えてやるよ。師匠から出来の悪い生徒に最後のオケイコだ。てめえに真実ってヤツを教えてやる」


 ねっとりとした息を吹きかけながら告げる。


「俺はかの盗賊団の一人だ。このドライ領を利用しに来てやったんだよ。てめえの父親はそれを知っていながら俺を引き入れた。この薬欲しさにな」


 シュルトから手を離し、ヒルゾは懐から浅黒く質の悪そうな紙袋を取り出した。

 それをすぐに懐にしまうと、ゆっくりと立ち上がる。


「このちっぽけな薬欲しさに、てめえの父親は色々とやってくれたよ。情報の提供に武器の横流し。終いには王の婚約者まで誘拐して、てめえら一家もろとも非国民って訳だ。そう、そうだよ。あれもこれも何もかも、てめえの父親が薬欲しさに招いた事なんだよ」


 そう言いながらヒルゾは母の亡骸をつま先でひっくり返す。

 泥に汚れた母の顔が曇り空の薄明かりにさらけ出され、言い様の無い嫌悪感が体中を這い上がってきた。


「や、やめろっ!」


 ヒルゾの足に飛びつくが、凄まじい力で髪を掴まれ一瞬のうちに動けなくなる。


「このクソガキが、いい加減てめえの立場ってもんを理解しろや!」


 拳が眼前に迫り、鈍い音と一緒に殴り飛ばされた。

 それでも気が収まらないのか、ヒルゾは倒れたシュルトを何度も何度も蹴り付ける。

 固いブーツの先があたる度、シュルトはごめんなさい、助けてと情けない悲鳴を上げ続けた。


「おいっ! 何をやっているんだ!」


 どこからか怒声が飛んできて、ようやくヒルゾは足を止めた。

 ペッと唾を吐き捨てると、走ってきた男に向かって怒鳴り返す。


「みりゃあ分かるだろ。この非国民に天罰を下してたんだよ!」

「非国民……そうか、その子はデイルトン家の」


 シュルトは泥と血でにじむ視界を男へ向けるが、見も知らぬ顔だった。

 おそらく夕べの男達と同様、正デイルトン家に正義の裁きと石を投げにきたのだろう――シュルトは男の視線から逃れるようにぎゅっと目を閉じる。


「ならこの子は私が預かろう。だから、これ以上この子に危害を加える事は、私が許さない」


 しかし、男は平然とそう言い切った。

 この言葉に驚いたのはシュルトだけではない。ヒルゾは何を言っているんだとすごんでみせるが、男は一歩も引かず預かるの一点張りだ。


「おい、てめえはこの領の奴じゃねえな? もしそうなら、この俺が知らねえ訳がねえ」

「確かに、私はこの領の者ではない。それがどうかしたか?」

「どうしたか、じゃねーよ! てめえ関係無えだろうが、すっこんでろ!」


 ヒルゾが男の胸ぐらを掴んですごんでみせたが、男は怯むどころかその手を振り払い、初めて感情を荒げて怒鳴り返した。


「関係ならある!」


 男は乱れた衣服を直そうともせず、呆然と成り行きを見守っていたシュルトを指差した。


「私にもこの子と同じくらいの娘がいるんだ。放ってなどおけるものか!」


 その答えを聞くや、ヒルゾはやってられないとばかりに深くため息を吐いた。

 そして、無言で腰に差していた細身の剣を引き抜く。

 剣は既に誰かを斬ったかの様に、血の様に赤い液体がぬらりと光っていた。


「まさか、それはゴルゴンの血? なんでそんな盗賊どもを毒剣を――」


 男は剣が抜かれた事より、その剣がそこにある事が信じられないと目を見開いて驚いた。


「はん? よく知ってるじゃねえか。なら、生かしちゃおけねえな」


 ヒルゾは下手に構えたまま滑る様に男との間合いをつめ、剣を無造作に斬り上げた。

 男は後に退がりながら身をひねってかわすが、必要以上に大きく避けたせいか、ぬかるみに足を取られて転ぶ。

 勝負が着くには十分過ぎる隙が生まれた――にも関わらず、男は起き上がるより早くシュルトに向かって叫んだ。


「君、今だ! 早く逃げろ!」


 その声にシュルトは初めてヒルゾが自分から離れている事に気付いた。

 慌てて起き上がり、ヒルゾと男に背を向けてふらふらする足を叱咤しながら走り出す。

 早く逃げなくては、早く、どこかに隠れなくては。

 シュルトは良く知っているはずの屋敷を必死で見渡した。

 そして、見つけてしまった。

 今は使わなくなった外の釜戸、昔、使用人も交えてにぎやかに食事をする時に囲んだ大きな釜戸の中に息をひそめている人影を。

 青銅色の瞳で心配そうにこちわを覗いていた人、それはシュルトにとって世界で最も信頼できる存在で、


「姉様っ!」


 だから、シュルトは大声で呼ぶと言う、取り返しのつかない失敗を犯した。

 姉が何故隠れていたかなど考えもせず、大声を上げながら古びた釜戸に向かってまっしぐらに走り出す。


「姉様! エステル姉様っ!」


 何度も呼ばれ、エステルは顔を強ばらせたてうつむく。

 だが、次に顔を上げると意を決する様に歯を食いしばり、釜戸から出てシュルトに向かって走り出した。


「シュルト!」

「姉様っ!」


 昨日見たはずの姉の顔が、何故かとても懐かしく感じて涙があふれてきた。

 早く姉の元へ、そう気持ちばかりが急ぐが、腿の骨にヒビでも入っていたのか走る度に痛みが増し、後少しで姉の元にたどり着くと言う所で痛みに耐えきれずに転んでしまう。

 砂利だらけの地面に体を打ち付けるが、それでも姉の元へ早く行きたいと気持ちは止まらない。すぐに手をついて上半身を起こし、そこに心配して駆け寄ってくる姉を期待していた。


 しかし、姉は立ち止まっていた。

 それどころかシュルトを見てすらいない。見ていたのは、その後ろ。

 シュルトはハッとして背後を振り返った。


「逃げるなよ、エステル。逃げらたらどうなるか、賢いお前は分かってるよな?」


 シュルトの目の前には赤く禍々しい刃と、その向こうに悪魔のような嘲笑を浮かべたヒルゾがいた。




「乗れ」


 ヒルゾが脅す様に告げると、エステルは一歩一歩ためらいながら馬車に乗る。

 続いてシュルトもずるずると足を引きずってその後に続いて馬車に乗り込んだ。

 見た事が無い馬車で、少なくともデイルトン家の物ではない。

 小さな覗き窓しか無い、無骨で陰気くさい馬車だった。


「おい、出せ。間違っても大通りは通るなよ」


 ヒルゾが命令すると、誰かが御者席にいたのだろう、馬車は静かに走り出した。

 姉のエステルは蒼白な顔で、体を震わせて馬車の奥に小さくなっている。

 シュルトはその姉に近づいて座ろうと腰を上げるが、襟首をヒルゾにむんずと掴まれた。


「勝手に動くんじゃねえよ。お前はここだ」


 そのまま馬車の床に背中から叩き付けられる。

 シュルトは何が起きたのかと顔を上げようとするが、その先に赤く濡れた刃が迫り、ピクリとも動けなくなった。

 ヒルゾはシュルトに剣を突き付けたまま、懐から浅黒い質の悪そうな紙袋を取り出すと、姉の膝に放り投げた。


「飲め」

「……」

「聞こえなかったか? さっさと飲め」

「だ、駄目だよ、姉様っ! それは、その薬のせいで父様は――」


 次の瞬間、眼前にあった刃が何のためらいも無くシュルトの左目に突き刺さった。

 熱い、そう感じた直後に頭の中を引き裂かれるような痛みに、シュルトは悲鳴を上げながら目を押さえて狭い床をのたうち回る。


「てめえは黙ってろよ。そんなこたぁもう誰だって知ってるんだ。てめえ以外はな」


 でだ――と言葉を切り、ヒルゾはエステルの前にかがみ込みむと、シュルトの血がしたたる剣をその目の前にちらつかせた。


「この剣には毒が塗ってある。なぁに、すぐには死なないさ。一晩中苦しみ、もがきながら死んでいく」


 痛い、助けてと叫ぶシュルトと目が合ったエステルは、我慢できず口元を押さえて、泣きながら首を振る。


「どうして、こ、こんな、酷い事……」

「酷い? 酷いって? 酷いのはてめえらの父親だろう? 他人の娘をさらって、悪魔のような奴らに売り渡したんだ。そりゃあ、そいつのガキにも相応の事をしてやらなきゃならんよなあ」


 ヒルゾは剣を鞘に納めると、ポケットから小さなビンを取り出した。


「これは解毒薬だ」


 エステルは弾かれた様にヒルゾの手にある物を見つめた。

 ビンの中には茶色い液体が半分程、馬車の動きに併せて揺れている。


「さて、どうすればいいか、賢いお前は分かってるよなあ?」


 嗚咽を漏らしていたエステルは、ヒルゾの右手にある小さなビンと左手にある浅黒い紙袋を交互に見つめた。

 そして、ガタガタと走る馬車の床で泣き叫び苦しんでいる弟を見下ろす。


「シュルト……」


 小さくそう呟いた後、エステルは膝に横たわっていた薬の袋を、そっと手に取った。


「水はねえからな、一気に飲み込め」

「……その前に、先に解毒薬をシュルトに」

「あん?」


 ヒルゾは顔に怒りを浮かべ、エステルの金色の髪を掴んだ。


「てめえも立場が分かってないみたいだな、おい?」

「さ、先にこれを飲んだら、あなたは絶対にシュルトを見捨てる。それなら、いっそここで殺された方が……」

「クックック、小賢しいな。流石は公爵令嬢と言った所か……楽しみだぜ、その態度がこいつを飲んでどう変わるのか、本当に楽しみだ」


 嫌らしい含み笑いをこぼしながら、ヒルゾはビンの口を開いて床に膝をつく。

 そして、シュルトのあごを掴んで口を開けさせると、その隙間にビンの中身を全て流し込んだ。


「解毒薬はこれっきりだ。だが、毒ならまだまだある。もしおかしな事をすれば――分かってるよなあ?」


 エステルはそれには答えず、青銅色の瞳で真っ直ぐにシュルトを見つめる。

 シュルトが視線に気付いて目を上げたとき、エステルは小さく笑った。

 真っ青な顔で、体は震えたままで、それでも口元に微笑みを浮かべたのだ。


「ねえ、さま……」


 事ここに至って、姉がいったい何を怖がっていたのか、何を覚悟したのか、シュルトはおぼろげながらようやく理解した。

 今だけの苦しみではない。これから一生を捨てる覚悟をしたのだと。シュルトの代わりに地獄へ足を踏み出そうとしているのだと。


「飲ん、じゃ、だめっ――」


 シュルトの弱々しい静止は、何の意味も無かった。

 小さくのばした手の向こう側で、姉は薬を全て流し込んだ。

 痛みと血で朦朧(もうろう)としていたシュルトの意識が、その時一気に冷えきった。

 一方でヒルゾは口元をつり上げ、満足そうに椅子に腰を下ろした。

 呆然とするシュルトを眺め、あごに手をやる。


「さて、こいつをどうするかな」


 そう呟いた後で、ヒルゾは口元から笑みを消し、再び立ち上がった。


「そこの馬車、止まれ! 止まるんだっ!」


 遠く、馬車の外から誰かが怒鳴り立てる声が飛び込んできた。

 ヒルゾが馬車の後方にある隙間のような小窓から外を眺め、小さく舌打ちする。


「くそっ、さっきの野郎か。あのくたばり損ないが面倒なこと……いや、待てよ。ちょうどいいモノがあるじゃねえか」


 ヒルゾはニヤリと笑い、シュルトのえり首を引っ掴んで無理矢理立たせた。

 その目からはまだ血が止めどなく流れ、あごから床へと赤い線を引いた様に滴り落ちる。


「おら、てめえの最後の使い道ができたぞ」


 そのままずるずると何も抵抗しないシュルトの体を引きずり、馬車の扉を開け放った。


「クックッ、しっかり足止めしてこいよ!」


 ヒルゾがそう叫ぶと、次の瞬間、シュルトは馬車の扉から蹴り落とされた。

 肩から地面にぶつかるが、勢いは止まらず、もんどりうって地を転がる。


 その時、時間の流れが変わった様に感じた。

 痛みが極限を超えたせいか、死を覚悟したせいか、全てがゆっくりと流れる。

 顔すれすれに転がる馬車の車輪、馬の蹴り飛ばした石ころ、舞う土煙、それら一つ一つが残された右目に止まった様に焼き付けられていった。

 馬に乗り追いかけてきた先程の男の必死の形相、馬車の中から覗くヒルゾの嫌らしい笑み、そしてその脇に駆け寄り必死でシュルトに手を伸ばす、姉の姿。


「シュルト! 生きて、どうか――」


 だから、姉の最後の記憶は、わずかに開いた扉から見えた青銅色の瞳と、悲鳴のような願いの声だった。

 



 そこで、目が覚めた。

 何度も、何度も、何度も見た夢なのに、胸の中が詰まり息ができない。


「姉……さま」


 あの後、姉がどうなったのかを想像するだけで胸が焦げ、どす黒い物が溢れてくる。

 しかし、もういないのだ。この黒い物を消す唯一の手段は、もうこの世のどこにも無い。

 ヒルゾは死んだ。姉も死んだ。

 もう何も、何も無い。

 シュルトは何かに追いすがる様に、震える手を宙にのばした。

 と、突然、柔らかく温かい何かがシュルトの差し出した手を包む。


「シュルト」


 声のした方に目を向ける。

 そこにあったのは涙を浮かべた青銅色の瞳――姉さま、と思わず口に出しそうになって、辛うじてこらえた。

 何故なら、そこにいたのは姉ではなく。


「アル、マ」

「……うん」


 アルマは泣き笑いを浮かべて頷いた。

 手を包むぬくもりに、胸の奥を閉めていたどす黒い何かが溶けていく。

 熱く煮えたぎるようだと感じていたそれは、実は氷よりも冷たかったのだと初めて気付いた。

 気付いたと言えば、ベッドに寝かされていた事にもようやく気が付いた。

 陽の入る窓辺に置かれた、簡素なベッドに泣かされていたのだ。


「ここは?」

「兵舎よ。フィロゾフにお願いして一番陽のあたる部屋を借りてね、それでね――」


 そこでアルマは言葉を詰まらせ、代わりに涙をこぼした。


「なぜ、泣く?」

「だって、もう二度と話せないかもって思ったら、本当に怖くて、ちゃんとシュルトと話せないまま、二度と、だから……」


 そうだった。

 ずっと彼女を避けてきた。

 ヒルゾも姉も死んだと聞いてから、アルマに近づかないようにしていた。

 それが、彼女をこんなにも苦しめていた。

 アルマの頬からこぼれて落ちた涙が、陽の光を受けながら、握られたままのシュルトの手に落ちた。


「……怖かった」

「え?」


 泣いて欲しくない。

 姉の様な涙を、アルマには流して欲しくない。

 その思いが、考えるより先にシュルトの口を、心を突き動かしていた。


「俺は、ずっと、ずっとある男を殺そうと、それだけを願って生きてきた。それが全てだった。だが、そいつはもう死んでいたと知らされた。願いは叶った、それなのに、消えないんだ」


 シュルトは握られていない方の手で胸をえぐるように掴んだ。


「殺したい。そいつが泣き叫び、許しを請う顔が見たい。思いつく限りの苦しみを味あわせてやりたい」


 アルマはシュルトの手を握ったまま、涙のあとも拭わずに、ただ黙って聞いていた。


「この、どうしようもない気持ちのやり場が欲しかった。だから、アーシェルの復讐に手を貸すと約束した。そうしないと、俺は、もう生きていく事さえできないんだ」


 アルマの手がピクリと動いた。

 それは、何故と言う言葉を雄弁にシュルトに伝える。


「殺したいと思っていた奴と同じくらい、俺は自分が許せない。俺が愚かだったから母様も、姉様も苦しみ抜いて死んだんだ。俺は、絶対に過去の俺を許せない。でも――」


 知らず手に力が入ったせいか、アルマの顔が痛そうに歪んだ。


「なのに、俺は死ぬのが怖い。生きていても地獄しか待っていないのに、周りを不幸にしかできない非国民なのに……それでも、死ぬのが、消えるのが怖いんだ」


 その時、アルマは握っていた手を離した。

 そして、少し怒ったように言った。


「死んだって、消えないよ」


 アルマは握っていた手をシュルトのように胸の上に置く。


「私の中で、もうシュルトは消えないよ。シュルトだってそうでしょ? あなたが憎んでた人も、お母さんもお姉さんも、消えないんでしょう?」

「それは……そうだが」

「生きてて欲しかったって思ってるんでしょう? 私だって一緒だよ。辛くても、私のわがままかもしれないけど、生きて欲しいもの」

「だが、俺は、どうすればいい? 目的は消えた。助けたかった姉様も死んだ。もう、俺には何も無いんだ」


 シュルトはそこまで言った後、


「折れない剣」

「は?」


 アルマはにっと笑って、ぶんと剣を振る真似をしてみせた。


「私が持ってるもの、お父さんとお母さんからもらった言葉。失礼だと思わない? せめて枯れない花とかでもいいと思うんだ」


 小さく頬を膨らませ、ベッドの脇にちょこんと座った。


「でも、私はこの言葉を貰ったの。これがたぶん、私を支えてる大事なもの。ねえ、シュルトにはない? お父さんや、お母さんから貰った、大切な言葉」


 シュルトは目を閉じて、思い出す。


「父様は、強くあれと。デイルトン家にふさわしく、強く在り続けろと……母様は」


 母様から貰った、最後の大切な言葉。

 幾度も夢の中で投げかけられた、祈りのような言葉。


「生きて、幸せになれ、と――」


 言葉を口に出した瞬間、母の願いが胸に落ちてきた。

 命をかけてシュルトに託した事、それは復讐ではなかったのだ。

 シュルトの顔を覗き込むように問う。


「じゃあ、お姉さんは?」

「姉様は……姉様も、俺に生きて、幸せに、なれ、と」


 熱い物がこみ上げて言葉が詰まった。


「あるじゃない。結構大変よ、幸せになるのって」


 そう言って、アルマはシュルトの胸をとんと叩いた。


「でも、頑張らなきゃ。きっとね、生かしてもらった人が取れる責任の取り方ってね、言葉を、思いを継ぐ事だと思うの」


 そう言って、アルマは笑った。

 陽の光を浴びて嬉しそうに笑ったアルマは、息が止まるくらい美しかった。


(幸せになるのは難しい、か)


 確かにそうだろう。途方も無い勇気がいる。

 だが、同時にそれはとても簡単な事なのだろう。


(不幸にするかもしれない)


 恐れは震える程にある。

 それでも、自分が幸せになれるとしたら、きっと他に道はない。


 だから、シュルトは手を伸ばした。


「アルマ、好きだ」


 そう呟いて、アルマを抱きしめた。


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