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第55話:海へ

「アルマさん、起きてください。もう船が出ちゃいますよ」


 レディンは等間隔なノックの音を響かせ、扉ごしに何度も呼びかけていた。

 もう朝なのだとアルマはゆっくりと目をこする。

 腫れぼったい目蓋、広い部屋、いつもと違うベッド。

 昨夜の記憶が瞬きする間に(よみがえ)り、耐え切れなくなったアルマは頭から毛布をかぶった。


「最後くらい見送ってあげましょうよ。アルマさん、起きて下さい」


 レディンは根気強く扉を叩き続ける。

 彼の優しさなのだろうが、こんな時は酷くわずらわしいと感じてしまう。

 どう返事しようか朦朧(もうろう)とする意識で考えていると、すぐ隣から苦悶のうめき声が聞こえた。


「……ううぅ、頭、痛い、です」


 カンナの声だった。毛布をめくって隣を見ると、ベッドでぐったりと横たわり、耐えるようにマクラにしがみついているカンナがいた。

 夕べ部屋に戻ってきた時は、アルマの様子にも気付かず上機嫌で意味不明な言葉を繰り返していたのに、お酒でも飲んだのだろうか。

 いつもならば駆け寄って大丈夫かと尋ねるのだが、アルマはもう一度頭から毛布をかぶる。


(――前にもこんなこと、あったっけ)


 あれはシュルト達がいなくなった後の事だ。

 カンナが今のようにぐったりと寝込んでいる横で、アルマもこうやって毛布に包まって時間が過ぎるのを待っていた。

 そう、あの時も今も、時と一緒に胸の痛みが通り過ぎるのを、ただじっと待ってた。


(嫌いだ……大嫌いだ)


 あの時と同じ感情が胸に渦巻いていく。


(嫌いだ……こんな私なんて、大嫌いだっ!)


 ベッドに閉じこもっている自分が、クジクジしている自分が、なによりあの二人のことを祝福して送り出してやれない自分が、たまらなく嫌いだった。


「アルマさんっ!」


 レディンの戸を叩く音が一段と大きくなった。


「アルマさん、もう時間がありません! 急いでください!」


 そんな事は分かっている。

 その瞬間を見るのが怖くて、こうやって毛布の陰に隠れているのだから。


「お願いです……遠くからで構いません。シュルトさんとアーシェルの無事を願って、見送ってあげてください」


 レディンの声がわずかに震えた。

 彼だって妹や親友を見送りたいのを堪えて、アルマを必死で連れて行こうとしているのだ。

 それが正しい事だと信じて。


(遠くからなら……大丈夫かな)


 アルマは深いため息を吐くと、ゆっくりと起き上がり鍵を開けて扉を開く――

 と、レディンの手がにゅっと伸びて二の腕を強く掴んだ。


「え、ちょ――」

「さあ、急ぎますよ!」


 そのままグイグイと引っ張られ……気が付くと全力で走らされていた。




 空は分厚い雲が空を覆っていた。出航の門出にはふさわしくないかもしれないが、アルマの心情にはぴったりだ。

 レディンはぜいぜいと息を乱しながら、造船所の横を通り抜け、小さな丘の上で足を止めた。


「よかった、間に合ったみたいですよ」


 そこからは港が一望できた。

 西側にあった小さな港とは段違いの広い港で、板張りの船着場はかなりの沖合いまで伸びている。浅瀬に船底をこすり付けないようにするための設備なのだろうが、その上に多くの生徒が見送るためにひしめき合っていた。 

 そして、その向こうに船が見えた。


「さあ、ここから見送りましょう」


 レディンはアルマが見送りたくない理由を聞かなかった。

 だからだろう、アルマは少しだけ気が楽になって船を見る事ができた。


「あれが、脱出船」

「ええ。あんな物を僕らと同い年の人が造ったなんて信じられませんよ」


 レディンが目を細めてしきりに感心するが、それは確かにすごかった。

 100人しか乗り込めないと聞いていたのでどれほどかと思っていたが、近くにいる人が小動物のように小さく見えるほど雄大だ。

 落ち葉のような片方だけ先の尖った大きな船、帆の形といい、あのツヴァイ港で見た船に負けていないバランスのよい美しいフォルムをしている。マストも大小二本あり、船の脇から覗いている船底は昨夜聞いたとおり乳白色の革が覆っていた。

 甲板の上には脱出する生徒達がぎっしりとひしめいており、見送りにした生徒達へしきりに手を振っている。 


「おーい、バラストが足りないぞ! その予備の石を上げてくれ!」

「そんな事より甲板にいるやつ等を中に入れろよ! 全員上にいたらバランスが悪くて当然だろ!」

「無理だって! いいから石を持ってこい! 後で捨てるから!」


 遠くからそんなやり取りがアルマの耳にも届いた。

 苛立っているような怒鳴り声ではない。どこか緊張しながらも興奮を抑えきれない、そんな熱を帯びた声だ。

 もう出航が近いのだ。


「とうとう出航ですか。シュルトさんもアーシェルも、あそこにいるんですね」

「うん。無事に出航できると、いいね……」


 明るく言ったつもりだったが無理だった。

 胸が締め付けられるように痛い。


(どうして――)


 どうして、大切な友達を満足に送ることも出来ないのだろう。

 いや、せっかくの門出に手を振って笑って上げられなくて何が友達か。


「出航! 出航!!」


 その掛け声が曇り空にこだますると、次々に帆が降ろされた。

 帆は風を孕むとバサリと膨らみ、船体がゆっくりと傾いていく。


(アルマ、本当にいいの?)


 カン、カンと木が軋む音が響き、船がその巨体をゆっくりと海の上に躍らせていく。


(こんなお別れで、本当にいいの?)


 船がゆっくりと船着場から離れた。

 それが分かった途端、頭の中がカッと熱くなった。


「しっかりしろっ! アルマ=ヒンメルッ!」


 自分の頬をしたたかに打つと同時に、足が前へと動き、加速し、悲鳴を上げそうな勢いで丘を駆け下りる。


(嫌――こんな別れ方なんて、絶対に嫌!)


 風のように走っていると、なんて下らない事で悩んでいたのかと我ながら怒りがこみ上げてくる。

 カンナにも言ったはずだ。絶対に後悔したくない、学院生活を振り返った時、心から笑ってやるのだと。そんな大事な事も忘れていたなんて。

 じっとりと湿った潮風をいっぱいに吸い込み、胸にたまっていた言葉を力の限り吐き出した。


「シュルトのバカー!」


 船着場で手を振っていた生徒達が何事かと振り返るが、まったく気にならなかった。


「最後くらい、ちゃんと挨拶しなさいよっ!」


 船着場にいた生徒達の間に入り、かき分け、船の後姿に必死で追いつこうとする。


「私、シュルトに会えて嬉しかったんだから!」


 言葉にした後で、本当にそうだったのだと感情が(せき)を切ったようにあふれ出てくる。


「本当に、出会えてよかったって、思ってたんだから――」


 涙が後から後から沸いて出て、それを拭うことすらせずにアルマは懸命に進み続ける。

 しかし、船との距離は開く一方だ。

 ようやく、船の止まっていた波打ち際まで来た頃には、船はもう拳ほどの大きさになっていた。


「だからっ……ありがとうくらい、言わせて、よ……」


 最後は声にならなかった。

 何もかも終わってしまったのだ。

 ザイルの言うとおりだった。ちゃんと話せばよかった。

 たとえ拒絶されても、嫌われても、もっと話せばよかった。

 ちゃんと機会はあったのに……後悔であふれてくる涙をぐいと拭い、小さくなっていく船と広大な海を呆然と見つめた。


「――え?」


 ふと、視界の端に妙なものが引っかかる。

 シュルト達をのせた船のずっと向こうに、黒いシミのような物とそこから立ち上る白煙が見えたのだ。

 一瞬、涙のせいで見えた錯覚かと思い、袖で涙をゴシゴシと拭い、じっと目を凝らす。


「見間違いじゃ、ないよね……」


 その黒いシミは間違いなく海の上に存在し、しかも徐々に大きくなっていた。

 妙な胸騒ぎがする。

 と、背後からゼイゼイと息切れが近づいてきた。


「ア、アルマさん、いきなり走るなんて。ビックリしましたよ」

「レディン、あれ、なんだと思う?」


 切迫した声にレディンは表情をひしきしめ、指の先をじっと見つめる。


「……なんでしょうか。船、ですか?」

「そうかも知れないけど、遠くてよく分からない。でも、あれが船なら、シュルト達の造った船より遥かに大きい事になる」

「そ、そうですね。少なくとも二倍はありそうですが……あ、アルマさん! あの船、アーシェル達の船に近づいてますよ!」


 レディンの言ったとおり、船は急激に速度を上げてシュルト達の乗っている船に近づいている。

 その速度は明らかに異常だ。この島へ乗って来た大型帆船とも比べものにならなかった。

 アルマの周りにいた生徒達も、すぐにその船の存在に気付き、戦々恐々とした声を上げる。

 その不安が頂点にたっした時だった。

 黒い船が天の割れるような音を上げ、火を噴いた。




 シュルトは甲板にしがみつきながら、その光景を見ていた。轟音の直後に、船の近くの海面から巨大な水柱が立ち上ったのを。

 水柱が起こした波に船は激しく揺れ、甲板にいた生徒達は立っている事などとてもできない。みな悲鳴を上げながら甲板に伏せて、必死でしがみつく。


 パララララ


 巻き上がった水しぶきがひと呼吸遅れて甲板を打つ。

 その冷たさに我に返った生徒達は立ち上がるや甲板の上を逃げ惑い、あるいは突っ伏したまま錯乱する。

 このままでは――いち早く冷静になったシュルトはマストの下に走ると、垂れ下がっていたロープを握り、力の限り引いた。


「手伝え! 船を転進させるぞ! あれから逃げるんだ!」


 シュルトの怒声のような命令にアーシェルをはじめとして数人の生徒がロープを引くのを手伝い始めた。

 その甲斐あって帆はギリギリと回転し、黒船に正面から近づいていた脱出線はかろうじて進路を変える事に成功した。

 しかし、こんな事で逃げ切れるとも思えない。ただの時間稼ぎだ。

 シュルトのすぐ後ろでロープを引いていた男は、水まみれになった甲板に拳を叩きつけて叫ぶ。


「何だよあれはっ!」


 しかし、それに答えられる者はだれもいない。分かっているのは、今なお危機を脱していないという事だけだ。

 シュルトはロープをさらに握り込み、気持ちの折れかけた生徒達に指示を出す。


「とにかく進路を風下に向けろ。できる限り逃げるんだ!」


 わたわたと動き始めた生徒達に混じって、アーシェルも必死で歯を食いしばってロープを引く。


「こんなところで、死ねない」


 しかし、船の回頭はすぐには終わらない。舵を付ければもう少し早くできたのだろうが、できる限り構造を簡略化したツケをこんなところで払うなどとシュルトにも予想外だった。

 止む無く2本のマストを操って徐々に進路を風下に向ける。

 と、もう少しで進路が定まる時に船がぐらぐらと傾きはじめる。

 シュルトが振り返ると、船内から生徒達が甲板に次々と出てきていた。


「上に出るなって! バランスが崩れ――」

「それどころではないだろう!」


 注意しようとした男子生徒を一喝したのは、船内から這い出てきたヅィーガーだった。


「こんな状況で船内にいろだと? 愚鈍もたいがいにするんだなっ!」


 さすがと言うべきか、ヅィーガーは逆に注意し返すや男子生徒を押しのけてしまった。

 そして、そのまま揺れる甲板の上をヨタヨタとやってきて、シュルトに向かって怒鳴りつける。


「一体あれは何だ! 何が起こっている!」


 それには答えず、シュルトは風を読みながら慎重にロープに力を込める。

 やがて、風下と船の船首がピタリと一致した瞬間、ロープを引いていた生徒達に指示を飛ばした。


「よし、このままの角度を維持しろ! それから」

「無視するとはいい度胸だな、この非国民がっ! さっさと状況を説明し――うおっ」


 シュルトがズィーガーの足を横から蹴り飛ばすと、がっしりとした巨体が雨に塗れた甲板の上に見事にすっころぶ。

 後頭部を抑えてのた打ち回るズィーガーに「黙ってろ」と釘を刺し、シュルトは後方を見た。

 設計などの差から速度が違うのは仕方が無いにしても、その差の詰まり方が異常だ。


「くそっ、何なんだあれは」


 同じ風を受けているはずなのに、とシュルトはある事実に気付いた。

 黒船は帆を畳んでいるのだ。それでいて、風よりも速く動いている。


蒸気機関(ダンプ)……」


 アーシェルが呟いた言葉に、シュルトは耳を疑った。


蒸気機関(ダンプ)だと? あれは王家の廃止と一緒に開発が中止されたはずだ。それに、船に使うなど聞いたことも無いぞ!」

「でも間違いなく、あの白煙は蒸気期間(ダンプ)の水蒸気」

「なら、あの武器は一体なんなんだっ!」


 シュルトの声を掻き消すように、再び轟音が鼓膜を打った。

 船体の一部が吹き飛び、船が大きく傾く。

 甲板にいた生徒達は悲鳴を上げ、何人かは海に投げ出された。

 しかし、残された生徒も助けるどころか立つ事すらままならない状態ではどうしようもない。


「おい、当たったぞ! どうするんだよ!」

「うわああああ、死ぬ! 死ぬんだっ!」

「神さま……」


 阿鼻叫喚の状況に、シュルトも混乱していた。

 戦うどころか、逃げることも、さらには相手が何なのかすら分からない。

 ここまで絶対的な状況など、どうすることも出来なかった。


(アルマ)


 思わずその名が浮かんでしまい、訳も無く悔しさがあふれた。

 ギリリと歯を食いしばりながら、謎の黒船を睨みつける――と、その甲板に備え付けられていた巨大な筒がこちらを捕らえるのが、ハッキリと見えた。

 全身を悪寒が駆け抜ける。


(ここにいたら、死ぬ)


 シュルトは傍にいたアーシェルの腰を引き寄せると、ぐいと持ち上げるや甲板から海へと身を躍らせた。


 甲板が吹き飛んだのは、その直後だった。



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