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第54話:前夜祭(下)

 昼過ぎ、ようやく兵舎へたどり着いたアルマ達は、休む間もなく調理作業に追われる事となった。

 井戸の周りに土釜や机が用意されており、アルカンシェルの生徒達は黙々と持ってきた食材を料理へと変えていく。

 お陰で作業は順調に進んだものの、時も負けじと進み続け、気が付けば陽は西の山間に姿を消そうとしていた。


「おーい、会場の用意が出来たから料理を運んでくれ」


 その指示が飛んだのは、全ての準備が終わった直後だ。

 レディンは丹念に仕上げた大鍋の味をみて恍惚とした表情を浮かべており、他の者もやり遂げた達成感をその顔に浮かべていた。

 何とか間に合ったとアルマは息をつくと、パンパンと手を叩いて皆に最後の指示を出す。


「さあ、自分で作ったものは自分で運んでよ。どれも本土じゃ滅多にお目にかかれない物ばかりなんだから、どうだ!って見せつけながら運ぶのを忘れないで。100万リアが安い買い物だったって兵舎のみんなに言わせてやるのよ!」


 おうと言う呼応が響き渡り、アルカンシェルの生徒達は次々と皿に盛った料理を会場へと運び始めた。

 会場は兵舎の傍にある大きな広場で、おそらく演習場だった時も皆が集まる場所だったのだろう。

 アルマとカンナが胸を張って会場に入ると大きなどよめきがおこった。なにせ、彼女らが担ぐ棒には皮と内蔵を取っただけのリブが2頭も吊るされているのだ。

 一方でアルマは微笑を浮かべながらも、会場に集まった人の多さに思わず息を飲む。


「すごい人……アルカンシェルからは8割くらいが参加してるはずだけど、学院からも来てるのかな?」

「さっき学院の人を見ましたから、たぶんいっぱい来てるんじゃないでしょうか。それにしても明るいですね」


 カンナの漏らした感想にアルマはゆっくりと頷いた。

 まるで夜を吹き消そうと言わんばかりにかがり火が焚かれている。普段であればその無駄っぷりに頭を抱えて卒倒しそうになるところだが、何故だか今夜は似つかわしく感じた。

 夜だというのに一人一人の顔がハッキリと見えるほどだ。


「アルちゃん、行きますよ」

「あ、うん」


 思わずシュルトやアーシェルの顔を捜してしまっている事に気付き、アルマはぶんぶんと首振るとリブを吊るした棒をしっかりと担ぎ直す。

 そして、会場の中心部にある焚き木の前に来ると、その両脇に立ててある棒にリブを設置して、パーティが始まるのをじっと待つ。


 やがて、フィロゾフがお立ち台の上に登り、いつものように眼鏡を中指で押し上げた。


「自分はフィロゾフ=メンシュハイト、不肖ながらこの兵舎を束ねております」


 威厳と落ち着きを持って朗々と語るその姿は、アルマに挨拶をしていた時とは別人としか言いようがない。

 ザイルが言うにはなし崩しで決まったリーダーらしいが、兵舎の仲間や料理を用意したアルカンシェルの生徒達に感謝を述べる態度は、なかなかどうして立派に見えた。

 フィロゾフのスピーチはやがて、船を造る際に見舞われた困難を語る。


「しかし、途中で少なかった釘がとうとう底を尽き、船底を隙間なく加工する術も見つかりません。ほんの100日ほど前まで、我々は造船をあきらめかけていたのです。――しかし、我々は画期的なアイデアでこの苦境を乗り越えました」


 フェイロゾフの言葉は熱を帯びており、苦境を乗り越えた興奮がありありと伝わってくる。


「木の端に凹凸を掘り込み、はめ込んで固定すると言う砂漠の民に伝わる技術を利用し、船の骨組みを構築したのです。この結果、我々の船には一本の釘すら使っておりません!」


 おおおと感嘆の声があちこちから上がった。にんまりとその反応を楽しんでいるのは、全て知っている兵舎の生徒たちだろう。

 これは間違いなくアーシェルの出した成果だとアルマにも分かった。

 しかし、船の骨組みをいくらうまく作っても、水が船に入らないよう隙間なく木材を並べる事が出来なければ、船としては致命的だ。

 そんなアルマの思いを読み取ったかのように、フィロゾフは言葉を続ける。


「次いで、ある程度の精度で作った船底に、テントに使われていた撥水革を何重にもあてました。この状態で船が水に入ると、船底に張ってある革が木材の隙間に入り込み、その後は水圧がしっかりと間を埋めてくれます。水圧で水の浸入を防ぐという実に画期的な手法を我々は見つけ出したのです!」


 おそらく、それがシュルトの成果だろう。

 二人ともこの地で元気にやっていたのだと思うと、なぜか訳も無く涙腺が緩む。

 壇上にいるフィロゾフはぐるりと会場を見回すと、満足そうに頷いて話を続けた。


「明日お目にかける船は、何十年も航海できるような耐久力は望めないでしょう。しかし、我々の目的は本土に戻る事。2日か3日、船が保てば十分です。必ずや本土にたどり着き、救援を呼ぶ事を約束しましょう!」


 拳を振り上げたフィロゾフに拍手が沸き起こるが、同時に「長いぞ!」「料理が冷める!」と言う声が飛びかう。

 フィロゾフはぴたりと口をつぐみ、「そうか、アルマさんの料理が冷めてしまうか」と(つぶや)きながら眼鏡をくいと押し上げると、脇にいた女生徒から金属製のカップを受け取った。


「すまない。船が完成した嬉しさに、つい話が長くなったようだ。今晩は出航を祝う前夜祭、思う存分食べて飲んで語り合って欲しい」


 そして、かがり火を浴びてまばゆく光るカップを高らかに掲げる。


「航海の成功を願って――乾杯!」


 地を揺るがすような乾杯の呼応が響いた。

 その音が夜の空に吸い込まれるや、飢えた生徒達は料理に殺到する。

 アルマは始め、リブステーキの切り分けをやるつもりだった。しかし、「斬り分けはカンナの仕事です」と嬉々としたカンナにその役を奪われ、仕方なく他の仕事に移ろうにも誰もがやんわりと断ってきた。

 レディン曰く、「今日くらいはゆっくりと楽しんでください」だそうだ。

 悪い気もしたが、正直に言うとかなり疲れていたので、お言葉に甘えてと先にご馳走にありつく事にした。

 木皿に大量の食材を盛り、会場の端近くに設置された丸太イスに腰を落ち着ける。

 そう。たぶん、それが間違いの元だったのだ。




「はじめまして、アルマ=ヒンメル殿。噂通りお美しい。それがし、フィーア領の子爵家の次男で……」


 目の前でにこやかに挨拶をしている男は、これでいったい何人目だったろうか。

 10人までは数えていたが、それ以降は数える気力も失せてしまった。

 分かっているのは、目の前の男がアルマの前にできた長い列の最後の一人だと言う事だ。

 回りくどい自己紹介が終わり、男が深々と礼をして去っていくやいなや、アルマはお皿に残っていた鳥の腿肉に手を伸ばし、豪快にかぶりつく。


「――冷えてる。あー、もう、信じられない! 挨拶なんて後でいいじゃない!」

「相変わらずだな、アルマ」


 背後から聞こえた低い声に、アルマは雷に打たれたように立ち上がると、ゆっくりと振り返った。


「……な、なんだ、ヅィーガーか」

「なんだとはなんだ。久しぶりに会ってまともに挨拶も出来んようでは、貴族の世界では生きていけんぞ」


 ヅィーガーは相変わらず人を馬鹿にするように唇の端を上げると、手に持っていたカップをぐいとあおった。


(なんでこんなのと聞き間違えるかな……)


 アルマは乱れた心臓を整えるように静かに息を吐くと、ヅィーガーが言った妙な事にようやく気付く。


「貴族の世界って? なんで私がそんなところに生きなくちゃならないのよ」

「やはり何も気付いてはおらんようだな。まったくいつまで貧民でいるつもりだ、貴様は……」


 ヅィーガーは深々とため息を吐くと、アルマに向かって指を突きつけながら仕方が無いから教えてやると忌々しそうに言った。


「この学院を卒業すれば、おそらく貴様は貧民などではいられなくなる。それどころか首席になってみろ。貴族が喉から手が出るほど欲しがっている国家経済への影響力を手に入れるのだぞ。そして貴様は一番そこに近い。落ちぶれかけた貴族にとって、お前を伴侶として手に入れることが出来れば、どれほどの益になるか考えたことがあるのか?」


 言われてようやくあの男達の目的に気付いた。

 確かに貴族のほとんどいないアルカンシェルでは、こんな事はありえなかったことだ。

 フィロゾフがあんな態度をとったのも、これが原因だったのかとアルマはしごく納得する。

 その表情をどう取ったのか、ヅィーガーは苦虫を噛み潰したように顔をしかめてカップの底に残っていた果汁をぐいとあおった。


「ふん。しかし、皆もどうかしているな。権力のためとは言え貴様のような子供を伴侶に選ぶなど、正気の沙汰とは思えんわ」


 それについては思わず首を縦に振りそうになった。

 子供と言う部分は引っかかるが、結婚相手を損得勘定のみで決めて幸せになれるだろうか。それに、仮に自分が国の要職についてたとして、誰かの都合で仕事をするとでも思ったのだろうか。そうだとしたら、考えただけでも不快な事だ。


(ひょっとして、そういう意味で子供なのかな……)


 押し黙ってしまったアルマを見て、ヅィーガーは怪訝そうに眉をしかめる。


「しばらく見ないうちに随分と大人しくなったな……ふむ、貴様も少しは貞淑という言葉を学んだと言う事か」

「それは――」

「だが、いい気になるなよ! さらに研鑽を積み、俺と対等に話せるくらいにならねば貴族の世界では生きていけんからな!」

「は、はぁ……」

「まぁ、同情はしてやろう。なにせ貴様は根っからの貧民だ。粗野で下品な本性を隠すのは並大抵の事ではないだろうからな。ぶあぁっはっはっは!」


 言いたいだけ言うと、満足したように肩をゆすらせながら、ズィーガーは去っていった。

 一人ポツンと残されたアルマは、腹立ち紛れに皿に残っていた正体不明の肉の塊を口に放り込んだ。


「むぐぐ……ああああっ! せっかくのご馳走なのに美味しく感じないなんて、もう最低っ!」


 口直しに知り合いのところに行って愚痴でも聞いてもらおうかと会場を見回した。


(誰か……)


 しかし、数秒も経たないうちに急に不安が襲ってきた。

 賑やかに笑いあう人々の顔を一人づつ確認する度に、胸が苦しくなるほど緊張していく。


(シュルトがいたら、どうしよう)


 いや、そもそも最後の挨拶くらいしっかりしようと決めてきたのに、ここで怖気づいていては本末転倒ではないか。

 別に会って別れの挨拶を言うくらい、本当になんでもない事のはずである。

 何でこんなに不安になるのかと、空の皿と睨めっこをしながらアルマが自分を叱り付けた時だった。


 ぱんっ!


 乾いた音が会場に響き、会場の一角がしんと静まり返った。

 その一角に目を向けると、そこに見知った二人の顔を見つける。


「ザイル……それに、クレア」


 少しだけ痩せて、あれだけ自慢げにしていた真っ赤な髪を後ろで細く束ねてしまっているが、あれは間違いなくクレアだ。


「信じられないわ! なんで黙ってたの!」


 クレアは怒りを顔いっぱいに浮かべ、周囲の視線など一切気にしないでザイルに怒声を叩きつける。


「ごめん、クレア。でも俺が辞退すれば、クレアは確実に船に乗れ――」


 乾いた音が再び響き、ザイルの言おうとした言葉を封じた。

 しかし、目に涙を浮かべたのは叩いたクレアの方だった。

 口元を押さえて悔しそうにザイルを睨む。

 やがて、その涙がボロボロと頬を伝ってこぼれ落ちるや、それを隠すようにして会場を走り去ってしまった。


「クレア……」


 残されたザイルは苦笑を浮かべると、バツが悪そうに頭を掻き、周囲の視線を避けるように会場を後にしようとする。

 後を追わなくては、突然そう思い立ったアルマは、慌ててザイルの後を追った。

 特に何を言いたかったわけではない。ただ、なんとなくザイルと話をしなくてはと思ったのだ。


 会場を少し出たところでザイルに追いつくと、力なくうな垂れた背中へそっと声を掛ける。


「ザイル、その、大丈夫?」


 アルマの声に、ザイルはゆっくりと振り返った。

 少し腫れた頬を隠しもしないで振り返ったその表情は、やはりどこか辛そうだった。


「失敗だったよ」


 ザイルは自嘲気味に笑うと、言い聞かせるようにゆっくりと後悔の言葉を連ねる。


「反対されるからとか、傷つけるかもしれないからとか、そんな事を考えずにちゃんと話しておけばよかった。たとえ喧嘩になっても、理解されなくても、もっと話せばよかったんだ。話す機会は幾らでもあったのに……」


 何か気の利いた言葉がないかとアルマが押し黙ると、ザイルは持っていた松明をぐいとアルマに押し付けた。


「シュルトとアーシェルは、造船所で船の最終チェックをしてる」


 突然その二人の名前が出てアルマは目を丸くして固まったまま、突きつけられた松明を受け取る。


「あいつらは二人とも船に乗る。陽が昇ればすぐに出発だ。今夜を逃したら、もう一生会えないかもしれない」

「え……あの……」

「造船所はこの道をまっすぐ海の方へ向かった左手にある大きな建物が造船所だ」


 ザイルは真っ暗な道を一本指し示すと、アルマに向かってニッコリと微笑んだ。


「行って来いよ。こんな惨めな後悔は、俺一人で十分だ」

「でも、私はアルカンシェルのリーダーで、ここを離れちゃ――」

「お前の用意した料理は最高だったよ。どれも本当に美味い。リブステーキも船で食べたやつとは比べ物にならなかった。最高だって舌の肥えてるクレアが絶賛してたんだ。だから」


 ザイルはアルマに向かって拳をすっと突き出した。


「だから、俺が頼んだアルマ=ヒンメルへの依頼は、もう十分果たされたと思ってたんだが、勘違いかな?」


 突き出された拳を見て、アルマはぐっと胸元を抑える。


「……でも」

「らしくねえな。後悔したくないんだろう?」


 そうだ、そうだった。自分は絶対に後悔などしたくなかったはずだ。

 この学院生活を振り返った時に心から笑いたい、せめて笑ってさよならと言ってあげたい。

 アルマは小さく頷くと拳を作り、ザイルの差し出した拳にコツンとぶつける。

 これで、契約終了だ。


「ザイル、ありがと!」

「おうよ」


 アルマはザイルから貰った松明を手に、ただ真っ直ぐに道を走り出した。

 その後姿を見送りながら、ザイルはいつか泣いていたアルマを思い出す。そして、それを抱き寄せることも出来なかったシュルトを。

 しかし、今夜くらいは心を通わせてもいいはずだ。

 たとえすぐに別れるとしても、本音を心に秘めたままより後悔するわけがない。

 そう、今の自分のように。


「さて、と。もう一本松明でも貰ってくるか」


 ザイルはガシガシと頭を掻いて、会場を振り返る。

 と、フィロゾフが都合よく松明を手にこちらへ向かってきた。


「おい、ザイル。アルマさんはどこへいった? こっちへ歩いていったと聞いたんだが」

「もう行ったよ」


 それだけ言うと、ザイルはフィロゾフの手から松明をひょいと拝借して早々に立ち去ろうとする。

 慌てたフィロゾフは意外とすばやい動きで回り込んだ。


「ちょ、ちょっと待て! 行っただけで分かるものか! いったいどこへ行ったんだ?」

「だから、決まってるだろ」


 ザイルはやれやれと肩をすくめると、しれっと答えてみせた。


「あいつの行くべきへ場所さ」





 ザイルに言われた道を真っ直ぐに進んでいくと、巨大な建物にぶち当たった。

 ここだろうかと建物を見渡すと、近くの木陰に大型の獣がいる事に気付く。

 ハッと実を硬くして松明をかざすが、その獣は火に動じることなくゆったりとまどろんでいた。

 黒い毛並み、特徴のあるとがった耳、そして曲がった短い鼻、アルマの記憶にある名前が引っかかる。


「……レーベ?」


 その声に黒い獣はパチリと目を開き、不思議そうにアルマを見つめた。

 間違いない、レーベだった。

 半年近い間にこんなに大きくなってしまったのだ。


「うっわぁ、見違えたね」


 アルマは目を丸くして近づくと、恐る恐るその頭を撫でてみた。

 すると、レーベは警戒心もなくその手に目を細める。


「よしよし……ねぇ、レーベ。お前の飼い主はどこ?」

「ふごっ」


 レーベが返事をすると、足元に空気が波のように揺れた。

 その鼻が指す先は、やはりこの巨大な建物の中。


「ありがと、レーベ」


 ポンポンと頭を叩いて礼を述べると、アルマは松明を握りなおし建物の中へ向かう。


「シュルト、アーシェル」


 建物の中を照らしながらボソボソと呼びかけるろ、奥からも松明を持ってこちらへ歩いてくる人影があった。

 小柄な少女、浅黒い肌に空色の目――アーシェルだ。


「アーシェル……」


 アルマが聞いた自分の声は、何故か少しだけ震えていた。

 どうしてだろうか、彼女の視線がとても怖く感じるのだ。

 かつての仲間にそんな事を感じるなんてと、アルマは静かに深呼吸すると、精一杯の笑顔を作った。


「アーシェル、久しぶり。元気だっ――」

「シュルトには、会わないで」


 アルマの言葉を断ち切るように、アーシェルの硬い声が風のように通り抜ける。


「で、でも、明日には二人とも島を出て行っちゃうんでしょ? 最後にお別れを言いたくて、私、」

「シュルトも、あなたには会いたくないって」


 呼吸が止まった。

 なんでと言う思いと、やっぱりと言う思いが入り交じって、胸の中をぐちゃぐちゃにかき回す。


「本当にシュルトがそう言ったの?」


 かろうじてそう訪ねたが、アーシェルはそれに答えなかった。

 代わりに小さな声で「さよなら」と言うと、そのまま(きびす)を返すして奥へと消えていった。

 アルマは、それ以上中に入る事ができず、去るより他何もできなかった。




「……ボク、憎まれたよね」


 アルマが去った後、アーシェルは眠っているレーベの前にしゃがみ込んで、そう尋ねる。

 眠っているレーベは答える訳もなく、アーシェルもそれを望んでいるのではなかった。


「レーベ、ごめんね。ろくな食べ物を、上げられなくて……これから、一緒にいられなくて」


 アーシェルはレーベの首かかっている紐を、手に持ったナイフで切った。


「お願い、幸せになって」


 そう言った後、それがあまりに高慢な願いだと気付き、ため息が漏れる。

 親を殺し、育てると拾って、たいした食料も与えられず、しまいには自分の都合で捨てているくせに、幸せなれなどとよくも言えたものだ。

 アーシェルは眠り続けるレーベの額を撫で、自分の罪を思い知る。


(こんなに警戒心がなくなって、この島で生きて行ける訳がない。レーベをこんなにしたのは、ボクだ)


 レーベが生き残る唯一のチャンスはさっき消えた。

 アルマの気持ちを知りながら、レーベをお願いする事などとてもできなかったのだ。

 ようやく思い知った。復習を果たすまで、自分は何も手に入れてはならない事を。

 それでも、アーシェルは願わずにはいられなかった。


「レーベ、お願い……生きて」


 その願いはあっという間に夜の闇に溶け、跡形もなく消えた。


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