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第52話:前夜祭(上)

 チッ――チチチチッ


 どこからだろうか、鳥の声が聞こえる。

 レディンは鳥達のさえずりに反応し、目蓋をぴくぴくと震わせた。


「う……ん……」


 やがて、まどろみながらゆっくりと目を開く。

 体が痛い――どうやら机に突っ伏したまま眠ってしまったらしい。

 朦朧(もうろう)とした意識の中、その視界に赤々と燃え続けるランプが映った。


「うわああっ! しまった!」


 慌てて机から起き上がるや、頭を抱えたレディンは脇に置かれたランプを恨めしそうに見つめる。

 ランプ――といっても陶器の皿に油と綿芯を入れただけの簡素なものだが、その皿の中身を恐る恐る覗き込んだ。

 皿の中にあった油は、当然ながら昨夜見た時に比べ見る影もなく減っていた。


「あああ……」


 レディンは目頭を手で押さえながら、今度は机の中央に置かれた紙を調べた。

 紙には整然とした文字が書き連ねてあったが、それも半分まで。残り半分は奇妙な文様がぐねぐねと動き回っている。

 聖典の写本中だというのに、不覚にも居眠りしてしまったのだ。


「まずい、これはまずいですよ。貴重な油と紙を無駄にしたなんてアルマさんが知ったら、一体なんて言われる事か……うわああ! 想像しただけで胸が――」


 その直後、扉を叩くけたたましい音が部屋に飛び込んだ。

 レディンは「ま、まさか」と慌てふためきながらもランプを吹き消すと、おそるおそる扉を開いた。


「レディンさん、おはようございます!」

「――ああ、カンナさんでしたか。おはようございます」


 そこにいたのは満面の笑みを浮かべたカンナだった。ほっと息を吐き、レディンも笑顔を返す。

 カンナは出会った頃からずいぶんと髪も伸び、独特の艶のあるその黒髪は少しだけ肩にかかるようになっていた。

 それだけなのに随分と大人びて見えるようになるから、女性と言うものは不思議だ。


「あの、レディンさん……よろしければ朝ごはんを……その、一緒に屋上で食べませんか?」


 しかし、子供のようなあどけない仕草は相変わらずで、ただ食事を誘うだけなのに手を後ろに回したり胸元でもじもじさせたり、果てには上を指したりと大忙しだ。

 唇を真一文に結んで返事を待つ表情がおかしくて、レディンは笑いをこらえながら頷く。


「一人で食べるご飯ほど味気ないものはありません。喜んでご一緒させてください」

「やったぁ! なら早速行きましょう! 今日はとっても晴れてて気持ちがいいんですよ! さあ、早く!」

「ちょ、ちょっと待ってください。今起きたばかりで、せめて顔だけでも拭いてから――わわわっ」


 手を引いて強引に階段を登りはじめたカンナの横顔を見て、やっぱり何も変わってないかとレディンは小さくひとりごちた。




「安いよ安いよ! 完熟モルルの特売だ!」

「ラッツ貝の蒸し焼きはいかがですかぁ! 大粒ですよぉ!」


 二人が屋上へ上がると、そこは朝から大賑わいの様相を呈していた。

 なにせ広大とは言い難いスペースに10を越える出店がひしめき合い、競うように声を張り上げているのだ。

 しかも、中には座って食べられるようにベンチや竹の御座を店先に配備している店もあったが、そのどれもが人で埋まっている。


「やっぱり朝は賑やかですね」

「それはそうですよ。暗い部屋で食べるなんて、カンナには考えられません」


 砦の部屋には窓が無い、ランプでも使わない限り中は相当暗かった。

 夜や雨天はともかく、陽の照っている内は外で食事をしたいと思うのが当然で、とくに見晴らしの良い屋上は格好の食事スポットだ。

 そして、需要ある所には供給を――という訳である。


「確かに。こんな気持ちのいい日に部屋にいるなんて、少しもったいないですね」


 見事に晴れ渡った空に向かってぐっと伸びをしたレディンは、清々しい朝の空気と美味しそうな料理の匂いを胸いっぱいに吸い込み、朝食を求めて出店を巡りだした。




「天高くラマ肥ゆる秋! この真っ赤に熟れたモルルの実を見てくれよ。今朝売れなきゃ学院の連中に売っちゃうよ」

「さあさあ、今朝釣れたばっかりのソンマだ。この脂の乗り具合をとくとご覧あれ! 塩焼きしたこいつをがっついたら最高だぜ!」


 呼び止められる度に商品に目が行ってしまい、レディンは肩をすくめた。


「皆さんの口上がずいぶんと滑らかになってきましたね。思わず引き込まれてしまいます」

「そうなんですよ! 皆さんの口がうまいせいで、ついつい余分に買っちゃって、いっつもアルちゃんに叱られるんです」

「ああ、それは怖いですね」


 クスクスと笑ったあと、レディンはふと屋上をぐるりと見回した。


(ここもようやく、活気が戻ったんですね……)


 クーデターが未然に鎮圧された翌日、学院からは約300人の生徒が東へ移住して行ったが、アルカンシェルからも半数近くの生徒が東へと去ってしまった。

 その中にはザイルやクレアなど仲の良かった人々も含まれており、住人が一気に減った当時のアルカンシェルは、まるで廃墟のようにさびしくなったものだ。

 確かにここを去っていった人々の気持ちは分かる。

 一刻も早くこの危険な島を脱出したいだろうし、たとえ脱出の事が無くとも東にあった大きな兵舎の方が、薄暗いこの砦よりもずっと住みよいだろう。

 しかし、シュルトとアーシェルまでもが黙って消えてしまった時は、血が凍る思いだった。


「二人とも、何も言わずに行ってしまうなんて……」


 思わず口から漏れてしまった小さな呟きを、カンナは聞き逃してくれなかった。


「まだあの二人の事を気にしてるんですか。それなら、レディンさんはどうしてここに残ったんですか?」

「え――」

「だって、アーシェルさんは妹ですし、シュルトさんの事だってすごく気にかけてたじゃないですか」


 そう尋ねられ、レディンは即答できなかった。

 確かに自分にとって一番近しい人と言えば、あの二人のはずだった。

 なのに何故、未だに自分はここに残っているのだろう。

 カンナはちょいと小首を傾げ、期待を込めた眼差しでレディンの顔を覗き込んだ。


「ひょっとして、カンナのことが心配で残ってくれたとか――」

「いえ。たぶん僕は、あの二人に会ってもかける言葉が無いんです。アーシェルはともかく、シュルトさんに言葉をかけるのはもう僕じゃないような気がするんですよ……って、カンナさん?」


 気がつけば、カンナは歩調を速め、随分と先まで行ってしまっていた。


「ちょっと、カンナさん。待ってください、どうしたんですか」

「だってレディンさんってば、カンナの事なんて全然気にかけてくれません」

「そんな事ありませんよ。シュルトさんたちがいなくなった日から、カンナさんも寝込んでいたでしょう? どうしたのかって随分心配したんですよ」

「ほんとですかっ!?」


 そんな言葉でカンナはケロっと機嫌を直す。

 せっかくの朝ごはんが殺伐としなくて済みそうで、レディンも内心で胸を撫でおろした。


「本当ですよ。あの時は食中毒が酷くなった頃じゃないですか。中には亡くなった人もいますし、ひょっとしたらと思って気が気じゃなかったですよ。しかも、カンナさんもアルマさんも部屋から全然でてこなくて……」

「……そうだったんですか、ごめんなさい」

「無事ならいいんですが、病気だったんですか?」

「いえ、カンナはあの時、ちょっと紅姫ちゃんに頼ってしまって」

「え?」


 レディンが何のことかと首を傾げたので、カンナは腰に差した赤い鞘をぽんと叩く。


「この子に頼っちゃったんです。そうすると悪い夢ばっかり見て、しばらく体調崩しちゃうんですよ。何故か分からないんですけど」

「そう――なんですか」

「あはは。そんな顔しないでくださいよ。もう全然大丈夫なんですから」

「……はい、そうですね」


 確かに、生徒同士が争い合う必要などもう無いはずだ。この事はそっとしておくべき事かもしれないとレディンは小さく首を振った。


「さて、そろそろ朝食を――」


 と、その時、店先のベンチに見覚えのある懐かしい顔がいる事に気が付いた。


「ザイルさんっ!」


 思わず大声で呼んでみると、ベンチに座っていたその男はビクリと振り向く。

 やはり見間違いではない、ザイルだった。

 ザイルもすぐにこちらに気付いたようで、口いっぱいに頬張っていたソンマの塩焼きを慌てて飲み込む。


「おお、レディンにカンナじゃないか! 元気だったか?」

「見ての通りですよ。ザイルさんは?」

「元気くらいが俺の取り柄だよ」


 ザイルは立ち上がり、レディンの差し出した手を握る。

 気のせいか、ザイルの手はずいぶんと手が荒れていた。

 彼も安穏と日々を過ごしていたわけではないのだろう。


「いやぁ、それにしてもここはすげぇ賑わいだな。いつもこうなのか?」

「はい。ようやく人数もザイルさんたちがいなくなった時と同じくらいまで増えまして、あの頃の活気が戻ってきましたよ」

「戻ったって、これは前以上の賑わいだぜ? 兵舎なんていっつもピリピリしてるからな。にぎやかなのは造船所くらいだ」

「そうですか……それにしても驚きましたよ、いきなりザイルさんがこんなところにいるですから。あっ、もしかして戻ってきたんですか?」


 この問いに、ザイルは申し訳なさそうに首を振った。


「いやいや、今日は色々と用事があって来たんだよ。最近はフィロゾフの奴が何を勘違いしてるのか俺をこき使いやがってよ、たまったもんじゃないぜ」

「そう言っている割にはなにか嬉しそうですよ。用事っていったい何なんですか?」

「へっへっへ、そう慌てなさんなって。ところでアルマはどこにいるんだ?」


 レディンとカンナの顔が少し困ったように顔を見合わせると、ザイルはこの世の終わりのような顔になる。


「ひょっとして……留守なのか?」

「すみません。このところアルちゃんは収穫の対応でとにかく大忙しですから」

「今、学院に行ってるんですよ。帰りは午後の便と一緒に来るので、おそらく夕方くらいになるかと」

「なんてこった、これじゃあ間にあわねえじゃねえか! くそお、大見得切って来たってのに……」


 ザイルはすっかり意気消沈して屋上にへたり込む。

 その背中に何か励ましの言葉をかけようとしたときだった。


「荷物がきたぞっ!」


 見張りの声に屋上にいた生徒達は一瞬静まり返り、次の瞬間驚きと喜びの完成を上げる。


「おいおいおい! まだ朝だろ。なんでこんな時間に荷物が届くんだよ!」

「物流ギルドか? キャラバンか?」

「キャラバンだ! 姫さんがいるから間違いない!」


 見張りの怒鳴り返す声にレディンとカンナは顔を見合わせ、二人そろってザイルに向かって叫んだ。


「「ザイルさん、ラッキーですよ!」」


 何事だと戸惑うザイルの手を引き、屋上の端へと引っ張って行く。

 そして壁に身を乗り出すと、そこから地上を見下ろした。


「あ、いました! あそこです! アールちゃーん!」


 カンナが差す先を見ると、大きな台車が何台か生徒達の手によって引かれていた。

 その先頭でアルマが屋上にむかって大きく手を振っている。

 他の生徒達もレディン達のように壁際に身を乗り出し、アルマや荷車をその目で確認しては驚きの声を上げた。


「おいおい、本当にキャラバンだよ。さては収穫も近いし朝一の便を追加したな」

「いや、物流ギルドに対抗したんだろ。あっちは最近調子がいいからな」

「何にせよありがてえ! おい、仕入れに行ってくるから店番頼んだぞ!」


 一人が行動を開始すると、他の者も遅れるまいと階下を目指して走り出した。

 それを見たレディンも砦の縁から手を放すと、後に続こうとザイルを促す。


「ザイルさん、よかったですね。さあ、早く下へ行きましょう」

「お、おう。そうだな……いや、ちょっと質問していいか?」


 なんでしょうかと首を傾げたレディンに、ザイルは恥ずかしそうに口を開いた。


「その……キャラバンって、いったいなんなんだ?」




 シュルトとアーシェルが突然いなくなったあの日。

 レディンが二人がいなくなった事をアルマに伝えると、彼女は一見平気そうな顔で受け止めた。

 しかし、カンナの看病と称して部屋に閉じこもると、まる三日も出てこなかったのだ。この時にレディンを含め、ナバルや他の者達が二人のことを心配したのは本当のことだった。


 そして三日後、何を思ったのか、どういう結論を彼女が出したのかは未だに知らないが、アルマはカンナを連れてひょっこりと部屋から出てきた。

 おなか減っちゃったと呟きながら。


 それからと言うもの、アルマは以前にもまして働き始めた。

 まず行ったのが畑の開墾である。

 農学部の生徒達にアグリフから貰った証書――警備隊を組織して畑を守ると言う約束の手形を突きつけ、根気強く説得し、ついには大々的な開墾が始まった。

 一旦畑が軌道に乗り始めると、アルマはそれを別の者に指揮させ、次の事に取り掛かった。

 

『商業とは有る所から無い所へ商品を運び、売ることである』


 アルマはいつものように突然拳を突き上げてレディン達に宣言すると、物を運ぶシステム作りに没頭し始めたのだ。

 しかし、「物を運ぶ」ただそれだけの事だったのだが、アルマはこれに苦戦した。

 当初はアグリフに約束した通り料理や加工した食料品を学院へ売りに行き、その帰りに学院が持っていた大量の道具などをアルカンシェルで売ってそれなりの利益を得た。

 ここから輸送量を増やして――そう思った矢先に道中を何者かに襲われる事件が相次ぎ、その度商品からリアまでことごとく強奪されてしまったのだ。


「それは……まぁ、昔の俺みたいに食い詰めたヤツならやりそうなことだな」


 レディンの話をじっと聞いていたザイルは、ポツリとそう零した。

 螺旋階段を下りながら、レディンは当時のことを思い出す。


「ルートを変えてみたのですが、すぐに嗅ぎ付けられてダメでした。でも、護衛の人員を増やすと今度はコストが掛かりすぎて赤字になってしまって」

「そりゃあ困ったな」

「ええ。それで煮詰まっていたアルマさんに、僕の故郷で行われていたキャラバンという行商の寄り合いの事を話したんですよ」


 盗賊の多かった砂漠の商売たちは、身を守るためにお互いの移動するルートや日程を合わせて集団で移動していた。これをいつしかキャラバンと呼ぶようになったのだ。

 もっとも砂漠の民は盗賊たちに追い詰められ、キャラバンはとうの昔に消滅してしまったのだが、未だに砂漠の民は行商人の事をこう呼ぶ者もいる。


「話している内にアルマさんの目の色が変わりましてね。次の日には、手当たり次第に色々なグループのリーダーに声をかけだしたんです。一緒に学院相手に商売をしないかって」

「ははは、アルマらしい。交渉してるとこが目に浮かぶよ。あの押しの強さは半端無いからな」

「それが押す前に快く了承してくれた人が結構多かったんですよ。それであっという間に参加希望のグループが集まって、今のキャラバンの原型になる組織ができちゃったんです」

「ふーん。じゃあ、物流ギルドって言うのはなんなんだ?」


 ええとですね、とレディンが頭を整理しようとした時、後ろから詰まらなそうに聞いていたカンナが元気よく割り込んできた。


「はいはい! カンナが説明します!」

「お、おう」

「簡単に言うと、キャラバンはお店ごと移動するんですが、物流ギルドは品物だけなんですよ」

「カンナさん、それはかなり分かりにくいと……」


 しかし、ナバルはぽんと手を叩いて頷いた。


「おお、なるほどな。目的が同じ商人が一緒に移動するのがキャラバンで、物だけを送ってくれるのが物流ギルドってわけか! そりゃあ、あの軍事力で輸送できれば襲おうなんて奴はいないか」


 長々と説明していたレディンはがくりと肩を落とし、それでも説明を続けた。


「はい、ザイルさんのおっしゃる通りです。物流ギルドはアグリフさんが作った運送専用の組織で、仕事を余らせた軍学部の生徒を有効利用してるみたいです。荷車を持っていない人や、個人でやってる人に人気があるそうです」

「了解了解、よく分かったよ」


 何度も頷くザイルに、カンナは不思議そうに声をかける。


「でも、キャラバンも物流ギルドもちゃんと兵舎への便がありますよ。本当に知らなかったんですか?」

「いやぁ。ずっと造船所で船を造ってたもんだから、すっかり世事に疎くなってたみたいだ。それにしても、ここの賑やかっぷりには驚かされたが、そう言う理由があったんだな」

「はい。ここが賑やかなのは、アルちゃんのお陰なんですから!」


 そう言ってカンナは我が事のように胸を張る。しかしその一方で、レディンはその言葉を素直に喜べなかった。

 確かにアルマのお陰でアルカンシェルは昔のような活気――いや、前以上の活気まで成長した。

 だが、シュルトがいなくなってからのアルマの異常なまでの頑張りは、どこか危なっかしい気がするのだ。

 例えるなら張り詰めた弓の(つる)か、斬れ味ばかりを求めて細く研ぎすぎた剣か……


「レディンさん!」

「あ、はい。カンナさんどうかしましたか」

「どうかしたじゃないですよ。どこまで降りるんですか? 倉庫までいっちゃいますよ」


 気が付けばレディンだけが一階を超えてさらに下へ向かおうとしていた。

 これはいけないと慌てて(きびす)を返す。

 そんなレディンを見て、カンナは心配そうに首をかしげた。


「なんか今朝のレディンさん、ちょっと変で元気ないですよ。何かあったんですか?」

「あ、いえ……その、実は昨夜、聖典の写本中にランプをつけたまま寝てしまったんですよ。それで油が残りわずかになってしまって。あはは」

「あちゃあ、そうなんですか――あっ」


 と、カンナは急に視線を逸らし、指でごにょごにょとサインを送る。

 しかし、取り繕う事に慌てていたレディンは、その微妙なサインにとうとう気付かなかった。


「おまけにインクが染みて紙が2,3枚駄目になってしまいました。こんな事がアルマさんに知れたら、絶対に鬼のような顔でいびられるに決まってますからね。それで朝から憂鬱でしょうがなかったんですよ。あははは」

「……ふうん、そう。鬼のような、ね」

「はは――はっ?」


 背後から聞こえた声に、レディンはギギギと振り返る。


「アル――マ、さん」


 まさに鬼の面がそこにはあった。


「……レディン」

「はいっ!」

「私は鬼じゃないから、ここで首を釣って死ねなんて事は言わないわ」

「は、はい! ありがとうございますっ!」

「でもね、仕事で失態を犯したら代償を払うのは当然――そうよね?」

「は、はい?」


 不安そうに声を上げたレディンにびしりと指を突きつけ、アルマは刑を宣告した。


「今晩ご飯抜き」

「待ってください! それは酷い、あんまりですって!」


 レディンが泣きそうな顔で懇願すると、知らん振りをしていたカンナも可愛そうに思ってくれたのか助け舟を出してくれた。


「そうですよ、アルちゃん! レディンさんは一生懸命働いたから眠っちゃったんです。なのに罰だなんて、ありえません! そんな小さい心だから、胸まで赤貧になっちゃったんですよ!」

「胸が、赤貧……」


 ただし、助け舟は泥舟だったらしい。

 アルマが押し黙ったのをひるんだと勘違いしたのか、カンナは得意げな表情で畳み掛ける。


「アルちゃんってばもう15歳ですよ? カンナが15の頃はもう今と同じくらいありましたから、やっぱり性格が胸に出ちゃったんですよ。ほら、ええと……あ、そうです、自業自得ですよ! きゃっ! レディンさん、カンナって頭良くなってませんか?」


 レディンは何も答えず、ただ悲壮な沈黙が一拍流れた。

 ひゅおあと奇妙な息を吸う音が響き、アルマが指をカンナにむける。


「……カンナ、覚悟はいいわね」

「はい?」

「あんたもご飯抜き」

「ぎゃああああああっ!」


 カンナは絶望に泣きながらその場にうずくまる。


「――ったく、お前らは相変わらず騒がしいな」


 クツクツと笑いをこらえる声にアルマは不機嫌そうに振り返り、そこにいた人物を見て表情を一変させる。


「ザイルじゃない! 久しぶり、元気だった?」

「おお、俺もクレアもお前らほどじゃないけど元気だよ。あと、シュルトとアーシェルもな」

「あ――うん、そうなんだ。良かった」


 アルマは満面の笑みを保つが、レディンはその瞳が大きく揺らぐのを見てしまった。

 幸いというべきか、ザイルはそれに気付かなかったようで上機嫌で言葉をつなげていく。


「今日は客じゃなくて、フィロゾフの野郎の使いできたんだが、実は――」

「あの、ザイルさん」


 アルマが上の空になっているのを感じたレディンは慌てて言葉をはさむ。


「通路じゃ皆さんの迷惑ですし、外の広場に行きませんか?」





 竹御座を借りたアルマは、アルカンシェルの前に広がる広場で日当たりのよさそうな場所にそれを敷くと、上に座って空を見上げた。

 秋の空はどこまでも高く、いつもなら飛べそうなほど気持ちがいいはずなのに、何故か心が躍らない。

 むしろ、心臓のあたりが引きつって、どこまでも沈んでいきそうな気分だ。


「はい、モルルの実を買ってきました。アルちゃんもどうぞ」


 視界にカンナの顔がどんと入り、手のひらよりも大きなモルルの実をひざの上に置いてくれた。

 彼女の笑顔に、胸のつかえがようやく取れる。

 あの時と同じだった。


「ありがと、カンナ」

「いえいえ、これで晩御飯抜きはナシですよね」

「それとこれとは話が別」


 えーと言うカンナの不満そうな声を聞きながら、アルマは姿勢を戻す。

 やがてザイルが飲み物を持って御座の上に座り、ぐいと一息にあおった。

 その姿に何故か懐かしさのようなものは感じない。100日近くも別れていたのに、つい昨日も一緒にいたような気がするのだ。

 しかし、時は確実に流れてしまった。

 ザイルも昔のようなオドオドした雰囲気が少し消えて、落ち着きのようなものが感じられるようになっていた。

 そんな感想をアルマが抱いてるなどとは知らぬザイルは、空になった竹のコップを御座の上にとんと置く。


「ふぅ――そう言えば、さっきレディンから聞いたけど、畑が無事に収穫できそうなんだって?」


 アルマがまだ食べているからだろうか、ザイルは本題から少し離れたから尋ねた。


「そうなの。でも、種蒔きの時期が遅かったからダメだった畑も多いけどね――もぐ」

「それでもほとんど始めて畑を作ったヤツらばっかりだろ? それで収穫できるなんて奇跡に近いと思うぜ。俺も農学部としては畑を作ってみたかったなぁ」


 肩をすくめてそう言ったが、ザイルはここに残るなどとは欠片も考えてなかったのだろう。

 クレアをアグリフから少しでも遠ざけておきたい、そしてこの島から脱出させたい。彼はそれだけを願って、真っ直ぐに行動しているのだから。

 なぜか少し羨ましくなってしまい、アルマは口に詰め込んだ甘い果実を胸の奥へと飲み込んだ。


「奇跡なんて事はないって。経験者がアドバイスしてくれたし。それをしっかりやれた人は、豊作とはいかないまでも収それなりにね」

「へえ……じゃあ、心配してた盗難は大丈夫なのか?」

「もちろんよ。アグリフも重い腰を上げて警備隊を組織してくれたし、これからガンガン使ってやるわ!」

「くっくっく、そりゃあ学院の連中もご愁傷様だな。――あ、そうか! それで学院に行ってたわけか」

「ご名答。ところでそっちの調子はどうなの? 次の試作船はいつごろできそうなの?」

「そうだった!」


 ザイルはぽんと膝を打って両手を広げた。


「とうとう完成したんだよ! 試作船じゃない、本物の脱出船がな!」

「嘘っ! だって噂じゃ釘が全然足りないって聞いたわよ。あてが見つかったの?」


 チッチッチッとザイルは得意げに指を振る。


「アーシェルがはめ込み式でも丈夫な木の組み方を見つけたんだよ。それを元にシュルトが設計図を作り直して一気に造り上げたんだ。よく分からないんだが水圧が掛かったり、木材が水を吸うと頑丈になるような設計らしい。たっくよ、あいつらの頭の中身は底なしだぜ」

「そう……なんだ」


 どうして、せっかくの良い知らせなのに気が沈んでいくのだろうか? 

 あの二人の話が出る度に呼吸が止まってしまう。

 アルマは無理やり笑顔を作ってみたが、果たして自分が笑えているのか自信が無かった。


「それでだな。食料を大量に発注したいって事になって、直接アルカンシェル代表様に会いに来たってわけだよ」

「え? あ、そうか。船に積み込む保存食ね」

「違うって、それはもうこっちで用意してあるんだ。兵舎の周りには相変わらず獣が多くてな、干し肉が結構作れたんだよ。兵舎に隠されてた小麦もまだほとんど手をつけてないしな」


 なら何の食料かとアルマが眉根を寄せると、ザイルはニヤリと笑う。


「明後日の夜、出航前のパーティを開くことになったんだ。前夜祭ってヤツだよ。なにせ一大イベントだからな、飛び切り豪華なご馳走を作って欲しいんだ。もちろん、あんたは賓客として招待するよ」


 招待と聞いて、一瞬の嬉しさと、それを全て覆う不安が胸を埋め尽くす。

 一瞬返答に詰まったアルマに、ザイルは不思議そうに口を開きかけた時だった。


「はいっ! はいはいっ! カンナもパーティ参加したいです!」

「僕もどんなご馳走が出るのか興味あるんですが……」


 カンナとレディンがじりじりとザイルへにじり寄る。

 押し迫る二人を手で抑えながら、ザイルは苦笑を浮かべてうなづいた。


「心配するなって。出航の無事を願ってケチ臭い事は抜きだって話になってる。一般客なら参加は誰でも自由、好きなだけ来いってんだ!」

「やったあああっ! やりましたよレディンさん! ごちそうです!」

「はい! 楽しみですね」


 パンパンと手を叩きあう二人を見て、ようやくアルマは息を吐き出すことができた。

 動揺を悟られないよう、食料の調達のことだけに集中する。


「参加者無制限……となると、相当の材料が要るわね。それを明後日までとなると、今から動いてギリギリか――予算はいくら?」

「ずばり上限は100万リア、思う存分使ってくれ」

「うっわ……そんなに使って本当に大丈夫?」


 あまりの金額にレディンやカンナまでもがぽかんと口を開く。

 今の物価にして、100リアあればそれなりのご飯にありつける。

 このモルルの実ですら一個50リアなのだ。


「なに、脱出船に乗る100人分の財産だよ。出て行くヤツに金なんか必要ないだろ?」

「ああ、なるほどね。分かったわ、とびっきりのご馳走を用意して見せるから!」


 そう、今は色々考えるのはよそう。

 アルマは立ち上がり、レディンとカンナの二人を見下ろし、ぐっと拳を握る。

 それを見た二人も慌てて立ち上がった。


「カンナ、ナバル達を集めて。レディンは今から料理の準備をお願い。学院向けに料理を作ってるメンバーを全員集めるの」

「了解しました!」

「えっと、アルちゃんはどうするんですか?」


 カンナの問いにアルマは決まってるじゃないといつもの笑顔で返す。


「食材調達よ。さあてガンガン値切るわよ!」


 そして、最高の食材を用意しよう。

 とびきりのパーティを演出しよう。

 彼らと胸を張って再会するために。


「それじゃ、準備はいい? せーのっ」


 アルマの言葉に二人は頷きを返し、掛け声とともに拳を高らかにあげた。


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