第5話:相部屋の禁忌
「島だああああっ!」
それは誰の叫びだっただろう。ただ柱の上で舟をこいでいた水夫でない事は確かだ。
ともかく、早朝を引き裂いた一声は朝にまどろむ学生達を叩き起こすのに十分だった。
「うおおお! 島はどこだ!」
「早く進めよ! 邪魔だよ!」
「もう、見えないじゃない!」
甲板に続く階段は船室から沸き溢れる学生によって、たちまち埋め尽くされた。押し合い圧し合い、ツェン島が見える船首へと躍起になっている。連絡船も無いツェン島は『以前は軍の訓練所だった島』としか皆聞かされていない。どんな島なのか興味があるのは当然だろう。
もちろんアルマもその1人だ。しかし、なんとか甲板までは出られたものの体格で劣るアルマは人垣に飲まれ、島の一片すら見られないでいた。
「ちょっと、足踏んでる! あだっ、いたいって!」
それどころか踏まれ潰され、後ろへ後ろへと絞り出されていく。ついにはポンと集団からはじき出され、みじめにも甲板に倒れ伏した。そこでようやく正攻法では駄目だと悟ったのだ。
何か無いかと周囲を見回すと、人気の無いベンチに腰掛けるマティリアの姿があった。
「おや、アルマさんじゃないですか」
高そうなティーカップを手にくつろいでいる姿は、この騒ぎも我関せずと言った様子だ。昨夜、彼はアルマよりも遅くに寝たはずなのだが、顔には微塵の疲労も見当たらない。逆に嫌味なくらい爽やかな笑顔を貼り付けていた。
「アルマさん、おはようございます。今日も元気そうですね」
「そのセリフ、そっくりそのままあんたに返すわ……こんなところで何やってるのよ?」
マティリアはティーカップを軽く振って見せる。
「ご覧の通り朝のティータイムです。太陽が昇る限り、これが私の日課なのですよ。それよりアルマさんもツェン島をご覧になりたいのでしょうか?」
「そりゃ見たいに決まってるじゃない。これから1年を過ごす島がすぐそこにあるのよ?」
「ふむ、そうですか。ではこちらへどうぞ」
そう言って朝日にまぶしく光る銀髪をひるがえし立ち上がると、人ごみとは反対方向へ歩き出した。アルマは首をかしげながらも他に方法が無いので後を追う。
マティリアはずんずんと進み、とうとう船尾まで来てしまった。確かにそこは周囲より1段高く見晴らしは良い。しかし、マストや船内へ入る階段などが邪魔でツェン島は全く見えないのだ。
アルマは冷たい視線で女装の麗人をジトリと睨む。
「そんな顔しないで下さい。せっかくの美人が台無しですよ? 心配要りません。そろそろですから」
何が、と聞こうとした瞬間、南から強風が吹いてきた。東に進路を取っていた船はグラリと揺れ、すぐさま風向きに合わせてマストを傾け始める。
つまり、アルマ達の眼前が開けてきたのだ。
「春先の朝はこの辺りに強い南風が吹きます。冷たい海と暖かくなった大陸の関係でしょうか、詳しいことは分かりませんが毎年必ず吹くらしいのです。すごいですねぇ」
自然の脅威よりもアルマは目の前の男に対する警戒心を強めた。人畜無害な顔をして、頭の中は豊富な情報と冷静な思考が渦巻いているのだ。
しかし、感謝すべき事に変わりない。
「このままマストが傾けば、確かにここは絶好のスポットね。ありがと、マティリア」
「いえいえ、私も見てみたかったので、ほんのついでです。さあ、見えてきましたよ」
帆の影から青い海にポツンと浮かぶ島が現れた。周囲に他の島影は無いので間違えようが無い。
「あれがツェン島なんだ……緑がいっぱいで綺麗だけど、随分小さい島じゃない?」
「まだ遠いからそう見えるだけです。大きさ的には私達が住むだけなら広すぎる島だと聞いています」
「あなた、本当に何でも知ってるのね」
「そうだと良いのですが、知らない事はまだまだ山のようにあります。山と言えば、ほら、島を覆う山脈を見て下さい」
山と言うより丘といった感じの低い山々の連なりが、島の北から東側を通り南まで三日月のようにぐるりと囲んでいる。
つまり島の中央部と西側だけ広い盆地になっている構造だ。
「あの山々、ちょっと竜に似ていませんか?」
マティリアの言う通り、その連なる山頂のギザギザは昔話に聞く竜の背に似ていた。北側はなだらかなので尻尾、南側の険しい部分は顔だ。
となると、中央の盆地となっている部分を巨大な竜が抱いているようにも見えた。アルマがそのように感想を述べるとマティリアは満足そうに頷く。
「よい感性ですね。このツェン島は別名、竜の抱く島と呼ばれているそうですよ」
「竜の抱く島……ねぇ、学院はあの盆地にあるんでしょ?」
「ええ、おそらくは。それが何か?」
アルマは嬉しそうに手を叩く。
「学院も竜に抱かれてるって事でしょ。竜に包まれた学院なんて、ちょっと素敵じゃない!」
「確かに、感慨深いモノがありますね……さしずめ我々は竜に抱かれた卵、と言ったところでしょうか」
「そうね。いつか孵って竜になって、この空を飛べたらいいのにね」
その呟きに、マティリアは大きく一度だけ頷いた。
南風にのった船はみるみるツェン島に近づき、島の西側にある古い港へと寄港した。港といっても木の床と桟橋があるだけの、猫の額のような港だ。
船が桟橋へと吸い付つくと水夫達が手際よく船を固定し、渡し板を桟橋に通した。その途端、生徒達は待ちきれないと言った勢いで渡し板に殺到する。
「はい! 一列に並んでゆっくりと降りてください! こらそこ、走るな!」
生徒達の暴走を予期していたかのように、職員らしき人々が大声を張り上げて誘導を始めた。お陰で暴走は食い止められ、アルマも落ち着いて桟橋へと降り立つ事ができた。
「うわあ、なんかまだ揺れてるよお」
フラフラと体を揺らしながらアルマは島を見回した。しかし、生い茂った密林が邪魔して遠くまで見渡すことは出来ない。未開の地、という言葉がしっくりくる場所だ。これなら田舎領であるノインの方がはるかに発展している。
ただ、その大自然な光景の中に異彩を放つ人工物が見えた。
巨大なテントが密林の上から頭を覗かせているのだ。
「男子は右の入り口、女子は左の入り口からテントに入り、各自身体検査を受けるように!」
先程の職員が声を張り上げ、今度は学院生たちをテントに誘導してまわっていた。たちまち行列が出来上がったので、アルマも女子の群れの最後尾へまわる。
待つことしばし、アルマはテントの中へと歩を進めた。テントの中には受付が5つ程あり、受付の周りには没収された荷物の山が出来上がっていた。
没収された荷物の山には、本から油壷、宝石に金塊まである。
(なんであんなものが……)
「次の人、合格通知を見せて」
没収品に気をとられていた所に順番が回ってきた。慌ててバックパックから合格通知を取り出し、ふっくらとした中年の女性職員に渡す。
「アルマ=ヒンメル、ノイン領出身、14歳、経済学部ね。持ち込むものは何?」
「これです」
真鍮のランプを自慢げに職員に手渡した。古井戸に落ちても壊れなかった屈強な戦友である。
職員はランプを念入りに調べて底蓋を開くと、その中から火付け道具一式を取り出して渋い顔をした。
「あの、それが無いと火が付かないんです。ランプの意味がなくなっちゃうんですが、やっぱり駄目ですか?」
「ううん……まあこれはランプの一部だし特別に見逃してあげるか」
「よかったぁ」
「でも、そのバックパックは持ち込めないわ。1年後に返すからこちらに渡して。あと身体検査するから両手を挙げなさい」
「あ、はい」
バックパックを外し女性の職員に渡すと降参するかのように両手を挙げた。職員はペタペタとアルマの体をさわり、ポケットに手を突っ込むと、緑色の薄革を取り出した。
使われなかったゲロちゃんが恨めしそうにアルマを睨む。
「そ、それはゲロゲロ袋のゲロちゃんです、可愛いでしょ? あは、あはは」
「……これもバックパックと一緒にとって置くわね」
「いえ、捨てても構いません!」
「そう? なら後は問題ないわ。奥に進んで制服をもらってね。あなたのサイズは……3でいいと思うわよ」
「制服、ですか」
聞き慣れない言葉に首をかしげながら奥へ進むと、若い女性職員から制服一式が入っている布製のバッグを受け取り――その中身を見て驚いた。
シャツは綿素材で出来ており、スカートも上質な染色を施されている。綿の下着や黒革の靴も入っている。普通に全部買えば、3ヶ月分の月給が全て飛んでいくだろう。
アルマはその着心地を想像しただけで顔がにやけてきた。
「あの、これ本当にもらってもいいんですか?」
あわただしく働く職員は、それでもニッコリと笑って答えてくれた。
「はい、大切に使ってくださいね。あと、これがあなたの部屋の鍵になります」
「わ、私の部屋っ!?」
上等な服を貰えるだけでなく、自室まであると言われて頭が白くなる。
「はい、4号棟の1階の24号室になります。相部屋なので気をつけてくださいね」
「はいっ!」
「ここをまっすぐ進むと4号棟、5号棟があります。部屋で制服に着替えたら、このテントの横にある広場に集まってください」
「何かするんですか?」
「学院長からの挨拶ですよ。学院長、カッコイイですよぉ」
その若い女性職員は頬を染めてそう言うのだった。
「あ、4って書いてある。あの建物かな?」
職員に言われた道を進み続けると、やがて巨大な木造の建屋が見えた。変に細長い建物だがその作りは重厚だ。
頑丈な扉を開き中に入ると、薄暗い廊下をテトテトと進む。分厚い床板は体重の軽いアルマが歩いたくらいではギシリとも鳴かなかった。
「118、……123、124――ここね」
いざ、部屋を前にすると急に緊張してきた。相部屋と言われたが、嫌な人がルームメイトだっただけで学院生活は真っ暗なのだ。
(せめて貴族じゃありませんように!)
深呼吸し祈りながらドアをノックした。すると、バタバタと足音が響き「どうぞっ!」と言う少し慌てた返事があった。声だけで判断するとなんとなく優しそうな声だ。
アルマはドア恐る恐る開けると黒い頭が目に飛び込む。ボブカットの女性がアルマの眼前で跪いていたのだ。
「はっ、はじめまして! オリベ=カンナ、17歳です!」
フローリングの床に両手を内側にして付け、アルマを伏し拝むかのように深々と頭を下げた。
「不束者ですが末永くよろしくお願いしますっ!」
シュルトは鍵を手に暗鬱たる気持ちで部屋を目指していた。
(くそっ、個室じゃないのか)
ここ数年誰かと一緒に住むなど考えたことすらなかった。相部屋などわずらわしくてしょうがない。
(まあいい、相手がどんなヤツだろうと干渉させなければいいんだ。それに、俺に好んで近づくヤツなんて……)
そこまで考えた瞬間、頭の中に1人の少女を思い起こしそうになり、頭を振って消し去る。
だが、消しても消してもあの日に見た青銅色の瞳が脳裏に焼きついて離れないのだ。
「ふざけるな、俺にはもう誰も必要ない。絶対に誰も信用しない」
呪いのように呟きながら、目的の部屋を見つける。ドアに力を加えると錠は掛かっていないようで、あっけなく扉は開いた。
「あ、こんにちは」
部屋には既に先客がいた。柔らかそうな黒髪と、同じく大きな黒目。そして、日焼けではなりえない褐色の肌の少年だった。
(砂漠の民、か)
「僕、カサマ=レディンです。ご覧の通り砂漠の民です。どうぞよろしく」
にこりと笑って手を差し伸べる。
だがシュルトはその手を無視して、レディンの横を通って自分のベッドに腰をかけた。
「あの、ひょっとして、砂漠の民の事が嫌いなんですか?」
少しムッとした声にもシュルトは一切答えず、持っていた替えの衣類をタンスの中へ黙々と詰め込む。
「あの、せめて名前だけでも、教えていただけないでしょうか?」
「……シュルト=デイルトン。貴様ら砂漠の民が嫌いな、デイルトン公の息子だ」
「――っ!」
レディンの息を飲む音が響いた。住処を奪った盗賊団に内通していたデイルトン公は、砂漠の民にとって禁忌とも言える対象なのだ。
「あ、あの、でも、1年間一緒にいるわけですし、その、仲良くしませんか?」
レディンがもう一度手を差し出した瞬間、シュルトは立ち上がり思い切りそれを叩き払った。
「鬱陶しい事をするな! いいだろう、この部屋のルールを教えてやるよ」
シュルトはベッドから立ち上がり、かかとで部屋の中央をゴンと突く。
「ここを絶対に超えるな。そしてお互い一切無視しろ。それがこの部屋のルールだ」
シュルトの有無を言わさぬ迫力に、レディンは何も言い返すことが出来なかった。
「あの、私、結婚とか考えた事が無いし、その、女性と付き合う趣味は」
アルマがやんわりと断ると、カンナと名乗った女性は顔を真っ赤にしてブンブンと首を振る。3つも年上のする仕草とはとても思えない。
「ち、違います! 求婚とかそんなつもりは無かったのです。ただその、いつもの癖で」
「……いつも求婚を?」
カンナはますます慌てふためき、ペコペコと頭を下げる。
「違います! 信じてください! 今まで告白なんてしたことなんて無いですし、その、彼氏だって……」
真剣に取り繕ろおうとする様子に、悪い人ではないんだろうなとアルマは肩をすくめた。
「カンナさん。その前に部屋へ通してもらえると嬉しいかな」
「わあああ、すみません。どうぞどうぞ、汚くて狭苦しいところですが」
「私とあんたの部屋よ!!」