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第47話:守るために

 破れ、焦げ臭い匂いを放つ麻袋の切れ端から小麦がさらさらと流れ落ちる。

 これは辛うじて焼け残った貴重な食料だ。麻袋を抱え持つ男は舞いあがる小麦の粒子すら惜しいと言わんばかりに、慎重に慎重に傾けていく。

 しかし、流れる小麦は無常にもピタリと止まった。

 固唾(かたず)をのんで見守っていたカイツは小麦のたまった皮袋をひったくり、その中を勢い込んで覗き込んだ。


「こ……これだけか! たったこれだけなのか!」


 かすれ、裏返った悲鳴のような声を漏らし、カイツは穴が開くほど皮袋の底を睨み続ける。

 テントの表面を破って作った急ごしらえの皮袋には、ところどころ熱で茶色に変色した小麦が申し訳程度にしかなかったのだ。300人が20日も食いつなぐほどにあった食料は、今や1食分にすらならぬ程まで減ってしまっていた。昨夜、海に麻袋を浸すのをもっと早く止められればここまで被害が出なかったのだろうが、統制ある行動が全くの裏目に出た。


「……それで、カイツ様、これからどういたしましょうか?」


 おそるおそる尋ねたのは大テントに集められた伝令の一人だった。

 カイツは呆けた顔を上げると、そこにいる人々がじっと自分を見つめている事に気付いた。そして、ようやく自分が300人の兵を束ねる指揮官だということを思い出す。戦うにしろ退くにしろ、自分が次の命令を出さねばならないのだ。


(しかし、一体何を命じれば……)


 昨夜から何も食べずに徹夜で働いた兵たちは、空腹と疲労に耐えながら今頃テントの中で死んだようにぐったりしている事はずである。もう士気などないに等しく、怒鳴って動かすのも限界だ。脱走者が未だに出ていないのは、たとえ逃げてもこの島のどこにも行き先が無いと言う絶望的な状況のお陰だろう。

 となると一度撤退して立て直しを図るしかない――その考えが頭を過ぎった直後、アグリフ=ラーゼの冷笑とその奥から見つめる赤い瞳を思い出し、ゾクリと総毛立った。


「……た、戦うぞ」

「しかしカイツ様、さすがに食料がこれではどうしようもありません。一度学院に戻り――」

「撤退はないっ! 出陣だ!」

「しかし、この状況では」

「黙れっ! 貴様は奴らの卑怯な作戦に屈服しろと言うのか? 何の戦果もなく、おめおめと逃げ帰れとでも言うのか?」

「い、いえ……では、せめて急使を送り、食料を補給してもらってはいかがでしょうか?」

「バカを言うなっ! 我々は学院で保有していた三分の一の食料を持ってきたのだぞ。もう戦闘に裂ける食料などあるわけがない!」


 そう、救援を求めるなど冗談ではない。食料を焼かれたので補給してくれ、などと泣きついたところであの冷血な男が応じるわけがなかった。代わりに来るのはカイツを『調整』するための暗殺者に決まっている。

 不安気に戸惑う伝令たちに、カイツは唾を吐きながら力説した。


「いいか、総力戦で一気に決着をつけるぞ! 今日中にあの砦を落とせば何も問題ないんだ。昨日は手ぬるかったのだ。全員で砦の壁をよじ登ってしまえば、あんな砦など造作なく潰せるはずなのだ! そうすれば、野良猫どもが溜め込んだ食料は思うがままだぞ! さあ、さっさと行って出撃だと伝えんかっ!」


 ひときわ大きい声で命じると、カイツは部屋にいた伝令や護衛を強引に追い出す。そして、蒸し暑いテントの中でひとり息を乱しながら、血走った目で宙を睨んだ。


「こ、こんな所で、落ちてたまるか。我はクライフ家の跡取りなのだぞ。こんな一度の失敗ごときで……」


 と、部屋を追い出されたばかりの護衛の一人が、テントの幕の向こうからよく通る声を響かせて告げる。


「カイツ様、アグリフ様からの使者が到着しました」


 その言葉に、カイツの心臓がびくりと跳ねた。

 そんなバカな。いくらなんでも早すぎる。昨夜の一件はまだアグリフの耳には届いていないはずだ。

 親指の爪を噛み切りそうなほど強く咥え、護衛に向かって尋ねる。


「本当に学院からの使者なのか? どんな奴なんだ?」

「はっ、アグリフ様のガーディアンだそうです。名前はたしか、シャデラク様と」

「シャデラク――あいつ、が」


 あまりの驚きに視界が暗くなりかける。あの盗賊まがいの悪魔のような男が来たのだ。

 よろめきそうになった体をなんとか踏みとどめ、カイツはハッと部屋中を見回した。


「ま、待て! 我が呼ぶまで待たせておけ! いいか、ここに近づけるなよ!」


 そう怒鳴って護衛を下がらせると、カイツは部屋の真ん中に置かれた小麦の入った皮袋をむんずと掴む。


「こんな、こんな所で我が終わっていいはずがない。そんな事が許されるわけが無いのだ!」


 ぎりと奥歯を噛み締めると、テントの裏にある僅かな隙間をまくり上げ、ぐいぐいと頭から突っ込んでいく。

 しばらく身を隠せばいい、再び支持者を集めて再起するのだ。ノイン領の下級貴族たちに声をかければきっと協力するだろう。なにせ、彼らが学院に入れるよう試験問題を流したのはクライフ家の力あってのことなのだ。


「そうだ。そもそもあの赤毛に取り入ろうとしたのが間違いだった。我は上に立つ者、あんな男などに……うっ」


 テントの向こう側へ出た途端、強い陽光が視界を白く染めた。この徹夜明けに、この強い朝日はこえたる。

 と、まぶしかった光が急にかげる。何事かと見上げれば、そこに逆光を背にした男がひとり、静かにカイツを見下ろしていた。


「ここまで無能とはな……」


 聞き覚えのある、低く、冷淡な声。

 それを聞いただけでカイツは誰であるのか瞬時に理解した――が、それはあまりに遅すぎた。


「ま、まて。これはっ」


 言葉を遮り、シャデラクはカイツの胸倉を掴むと一気に引き上げた。細身の体に似合わぬ凄まじい力だ。

 吊り上げられたカイツは足をジタバタと振り回し、涙目で懸命に乞う。


「た、頼む。殺さないでくれ! 何でもする。だからっ」

「ああ、殺さないさ……俺はな」


 シャデラクは無表情にそう呟くと、それ以上の無駄口は許さぬとカイツを背中から地面に叩き付ける。そして、息が出来なくなって苦しそうにそうにもがくカイツを黙々と引きずっていった。



 広場に出たシャデラクは口笛をするどく吹き、周囲の注目を集める。見張りをしていた者もテントで涼んでいた者も、何事かと思いたちどころに集まってきた。そして、集まった生徒たちが目にしたものは、石ころだらけの広場に無様に転がされているカイツだ。

 呆気に取られている生徒達に向かい、シャデラクは静かに響く声で淡々と告げた。


「見ろ。こいつは、お前らを裏切った」


 そして、カイツとは反対の手に持っていた皮袋の口を開き、中に入っている貴重な食料を会衆にむけて見せた。


「こいつは指揮を放棄したばかりか、この最後の食料を盗み、一人で安全な場所へ逃げようとしていた。お前らには出撃の命令を出しながら、だ」


 その言葉の意味を理解した生徒達の顔にゆっくりと憎悪が生まれ、疲れ切っていた空気の色が張り詰めたものへと変わっていく。

 じりじりと近づいてくる人と、その恨みのこもった無数の視線に、カイツはひぃとかすれた悲鳴が漏らした。

 何か言わなくては――そう思って口を開いた瞬間、シャデラクの長い指が喉を締め付け、言葉はただの空気に変わってしまう。


「我が主、アグリフ様はこう言われた。もしも指揮者が無能な場合、皆でしかるべき処理をしても構わぬ、とな」


 そこでカイツは理解した。これは皆の非難がアグリフに集まらぬようにする予防策なのだ。こんな無茶苦茶な状況では、小さな失敗がとてつもなく大きな不満に変わってしまう。それを効率よく『消化』しようと、あの赤い悪魔はあらかじめ準備していたのだ。だから、前線にすら出てこなかったのだ。


(嫌だ、死にたくない! こんなところで、父様と母様にも会えずに)


 必死で訴えようとするが、シャデラクの並外れた握力はカイツを生かさず殺さず、人形のようにその場に釘付けにされた。


「さあ、お前らはこいつをどうする?」


 シャデラクの声に、誰かが足元にある拳ほどの石を拾い上げた。


「許せるわけがねえだろう。あれだけ働いた俺達を、飢え死にさせようとしたんだぞ」


 水面に落ちた石のように、ひとつの不満の声は新たな恨み言を生み、足もとに無数にある石を一人、また一人と拾っていく。


「散々威張り散らしやがって」

「俺の仲間は、こいつの無茶苦茶な作戦のせいで死んだんだ! アルカンシェルのクズどもも憎いが、こいつだって許せるかよ!」


 ふっと締め付けていたシャデラクの指が喉からはずれた。そして、そのままカイツに背を向けて去っていく。

 自由になったカイツは空気をむさぼりながら、必死になって叫んだ。


「わ、我は、伯爵家の人間だぞ! 何をしようとしているのか貴様らは分かっておるのか! 重罪だぞ!」

「うるせえ! 貴族なんかもうねえんだよ!」

「いつまでも調子に乗りやがって!」

「この裏切り者がっ!」


 最初の石が、投げられた。それはカイツの足元に軽く当たっただけだが、呼び水には十分だった。

 次々に石が飛来し、頭をかばった腕や肩に容赦なく降りかかる。


「や、やめろっ! わかった。食料は返すから……」

「ふざけんな! それは元々俺たちのものだ!」

「貴族なら避けてみろよ! おらっ!」


 さらに強く石が投げられ、額や腹にあたり次々と血が流れ出た。

 周囲を見回すが逃げ道など無い。あるのは飢えの苦しみと、出口をみつけた憎しみ、そしてぎらぎらとした殺意。


「父様、助けて……」


 カイツがそうつぶやいた瞬間、口元に飛来した石が歯を叩き折った。




「見ろよ、シュルト。散々威張り散らしたツケが回ってきたみたいだぜ」


 無様に許しを請うカイツを、ザイルはざまあみろと鼻で笑った。


「石打ちなど、誰が殺したのか分からせぬ、卑怯な殺人行為だ。罪の意識など、だれも持ちはしない。だれも……」


 背後からかすかに聞こえた声に、ザイルは驚いて振り返る。

 そこには、顔を真っ青にしたシュルトが、腕を抱えて小刻みに震えていた。


「どうしたんだよ、シュルト。顔が真っ青だぜ?」

「……何でもない。気にするな」

「何でもないこと無いだろ、顔が真っ青だぞ?」

「何でもないと言っているだろう……すぐに治る」


 苦しそうに言われても、納得できるものではない。ザイルがやきもきしていると、シュルトはとうとうその場にうずくまってしまう。

 言わんことかとザイルが駆け寄り、しかしどうしていいものかと手を止めた時、シュルトのうめくような呟きが耳に届いた。


「……母様…………もう、やめて……」


 ザイルは慌てて立ち上がり、その場から数歩下がった。

 触れてはいけないことが誰にだってある、そう思ったからだ。




 シュルトが回復したころ――つまり、動かなくなったカイツが海に投げ捨てられ皆が散った後、大量にあったテントが次々に折りたたまれていった。


「やったぜ! あいつら退却してくれるみたいだぞ! これでアルカンシェルに帰れるな!」

「ああ、そうだな……ザイル、それでお前に頼みがある」


 なんだよと首を傾げると、シュルトは先ほどの失態を取り繕うように深呼吸を一つしてから言った。


「今回の作戦はお前が考え、実行したことにしてくれ」

「……は? 何のことだ?」

「つまり、敵を撃退した手柄をお前の物にしてくれ、という事だ。アルカンシェルにいる奴らは、俺が可哀想だと同情し、見下しているからこそ俺の存在を無視している。しかし、俺が目立てばそれは一変するだろう。妬みか恐れか、いずれにせよ何らかの行動を起こすのは時間の問題だ」

「それは、まあ、あるかもしれないけどな。でも、それなら俺だって妬みの対象になるんじゃないか?」


 そう尋ねると、シュルトは苦笑を漏らした。


「無いとは言い切れないが、その可能性は低いだろう。それより、お前にはこの手柄が必要なはずだ。手柄を立てるとは発言力を得ること。クレアを守りたいなら、いつか力が必要になる日がくるだろう」


 シュルトの言っている事はよく分かった。なにせ今のザイルにはまだ、なんの力も無い。アグリフがクレアの命を狙っている以上、わずかでも状況を変えられる力は、確かに喉から手が出るほど欲しかった。


「……でも、本当にいいのか? お前だって守りたい奴がいるだろ? たとえば、アルマとか」

「アルマと俺は、何の関係も無い」

「な、何の関係も無いなんて事があるかよ!」


 あまりにそっけなく言い切ったシュルトに、ザイルは思わず怒鳴りつけていた。

 だが、後悔などしない。シュルトがこの手の話が嫌いだとは思っていたが、この言い草はあんまりだと思ったからだ。


「あいつはお前のために命張ってみんなに交渉してくれたんだぞ? お前を庇えば、みんなからどんな目で見られるか分かっていて、それでも大切な仲間だって叫んだんだ! それを、何の関係も無いなんて言うなよ!」


 シュルトは何か言い返そうと口を開いて、しかし、顔をしかめただけで何も言わずに口を閉じた。


「あいつだって、守って欲しいと思ってるんじゃないか?」


 ポツンと言ったザイルの言葉に、シュルトは心当たりがあるように瞳を揺らめかせる。

 しかし、次にシュルトの口から出た言葉は、ザイルの期待していた言葉とかけ離れていた。


「俺はあいつと、何の関係も無い」


 なんでだよ、と言いそうになってザイルはハッとその言葉を飲み込んだ。

 シュルトが関係を持つ――それはつまり相手も非国民にしてしまう事だ。非国民のレッテルがどれほど苦しい現実を生むのか、今のザイルには知る由も無い。しかし、シュルトの体に無数に走る呪いのような傷は、その一端を物語っていた。彼に深く関われば、いつカイツのように石打ちされてもおかしくないのだ。


(だから、誰も必要以上に寄せ付けないのか? 好きだから、こいつは遠ざけようとしてるんじゃないか?)


 関係ない――彼が無表情に言い切った真意は、本当はどこにあるのだろうか。そして、もし自分が非国民だったら、クレアに近づけば近づいただけ苦しめることしかできない人間だったら。

 ザイルは深い闇に触れてしまったような気がして思考を止め、頭を振ると小さく息を吐いた。


「わかったよ」


 ザイルの返事に、シュルトは何の事かと顔を上げる。


「今回の作戦は俺が考えた。それがお互いのためになる、そうだろ?」

「あ、ああ」

「よし、決定だ。俺はバカみたいに笑っていることにするさ」

「助かる…………それと、最後に、もうひとつだけ、その、頼みがあるのだが……」


 珍しく歯切れ悪く言ったシュルトに、ザイルは「まだあるのかよ」と肩をすくめた。

 しかし、シュルトはそれきりなかなか口を開かない。

 早く言えよと促したのに、それでも言い難そうに迷った後、ようやく小さい声で告げた。


「俺の、支持者になって欲しい」


 一瞬の間をおいて、ザイルはプッと噴き出した。

 そして不満そうなシュルトの肩に手を置いて、大きく頷く。


「分かったよ。タンツェン家の名にかけて、俺はお前を支持するよ」

「――え」

「なんだよ、その意外そうな顔は。素直にありがとうくらい言えないのか?」


 ザイルが口元を歪めて目を覗き込むとシュルトは視線を逸らせ、かすれた声で搾り出す。


「……ありがとう」


 その小さな言葉を恐れながら口にしたシュルトを、ザイルはできるだけ明るく笑い飛ばした。




 アーシェルは隣に立つアルマを見つめる。

 アルカンシェルの屋上から外を見て、朝からずっと微動だにしないアルマは、どう見ても気の張り過ぎだった。レディンやシュルトが来る前もそうだったが、アルマはなんでも背負い込もうとする癖があり、それが自分自身を追い込んでしまうようだ。

 しかし、アーシェルが指摘したところで変わりはしないだろう。なにせ力を抜く事は力を入れる以上にコントロールの効かない事だ。それに、細々(こまごま)した人間関係が苦手なアーシェルは早々にあきらめていた。

 こういう事はカンナの方がまだ向いているのだと、晴れ渡った青い空に大きなあくびをひとつする。


「アーシェル、今は見張り中よ。もう少し真面目にやって」


 目ざとく指摘するアルマに、アーシェルはムッとして思わず言い返す。


「……敵、ぜんぜん来ないし」

「来ないからって油断したら、見張りの意味なんて無いじゃない」

「アルマ、なんかピリピリしてる」

「ピリピリなんてしてない」

「してる」

「してないっ!」


 声を荒げたアルマに、アーシェルもさすがに目を丸くして驚いた。

 これはさすがに普通では無い。ズィーガーの脅迫がそんなにこたえているのだろうか?


(……違う)


 きっと、アルマが恐れているのはズィーガーの脅迫でも姿を見せない赤犬たちでもない。彼女の目が探しているのは、おそらく敵ではないのだ。


(やっぱり、そうなのかな)


 アーシェルが口元を歪めたとき、外を見つめていたアルマの目が見開かれた。

 次いで砦の壁から上半身を乗り出し、ぎゅっと目を凝らす。


「ア、アルマ! 落ちる!」

「ほら、アーシェル! あれ! あそこを見て!」


 静止の声など全く耳に入らないようで、アルマは川向こうの茂みをぐいぐいと指差す。

 いったい何事かと指した方を見て、アーシェルは「あ」と小さく声を上げた。




「カンナ! レディン!」


 螺旋階段を落ちるように駆け下りながら、アルマは声を張り上げる。

 アルカンシェルの住民たちもその大声に何事かと部屋から顔を出すが、アルマの顔を見て肩の力を抜く。その嬉しそうな表情が敵の来襲を告げるとはとても思えなかったからだ。

 アルマは1階まで降りるや通路をダダダッと走り、門の前へと急ぐ。そこには驚いた顔をしているカンナやレディン、ナバルやウルスラの顔をもあった。


「みんな! これ、どけて!」


 誰かが返事するより早く、アルマは門の前に詰まれた麻袋を掴みあげた。麻袋はずっしりと重かったが、ひるむことなく通路の脇に引きずっていく。

 その様子にカンナはハッとしてアルマに詰め寄った。


「アルちゃん、もしかして……」

「そう! シュルトが帰って来たの! 戦いが終わったのよ!」


 嬉しそうに頷いたアルマに、レディンとカンナは互いの顔を見て笑顔をこぼし、逆にナバルとウルスラは信じられないと顔を見合わせた。まだ戦いが始まって一日、お互いが剣を交わす事すらしていないのに、もう戦いが終わるなど信じられない方が当然だろう。

 その時、ナバル達の背後から切羽詰った声が響いた。


「ザイルが、戻ったの?」


 振り返ると、ずっと部屋に閉じこもっていたクレアが肩を上下させていた。ザイルが居なくなった直後から、クレアは人と接するのが怖くなったとでも言うように、ほとんど食事も取らず部屋へ閉じこもっていたのだ。

 アルマが大きく頷いてみせる。

 すると、クレアはじわりと瞳に涙を浮かべ、力尽きたようにその場へ座り込んだ。彼女がどれほどザイルを心配していたのか、改めて思い知った気がした。


(私、自分のことばっかりで、ぜんぜん気付かなかったな……それにしても、一体誰がクレアに伝えたんだろ)


 アルマが不思議に思った瞬間、クレアの後ろからアーシェルがひょっこりと顔を出した。なるほど、彼女が伝えたのだ。

 アーシェルはぼうっとしているようで、意外と人を良く見ている。さっき怒鳴ってしまった事も、今晩謝っておかなければ――そう思ったが、今やるべき事はそれでないだろう。

 パンパンと手を打つと、びっくりして顔を上げたクレアに笑いかける。


「さ、早く会いたいなら、これをどけるの手伝って!」


 クレアは返事の代わりに麻袋に飛び掛っていった。



 作業は順調に進み、たちまちのうちに麻袋は扉が開けられるほどに撤去された。その頃にはアルマ達の後ろにぎっしりと人が集まり、皆、何がどうなったのかを知ろうと首を伸ばしていた。


「じゃあ、開けるよ! せーの!」


 アルマの号令で、重厚な金属扉を数人がかりで押す。

 以前はアルマとカンナ、アーシェルの3人で開けることのできた扉だったが、敵に叩かれて変形したせいか酷く重くなってしまった。

 しかし、最初だけはギイギイと軋んだ音を立てて踏ん張っていた扉も、途中からはするりと開いた。全体重を乗せて押していたアルマは、思わずつんのめって前に飛び出してしまう。


「わっ、わあ――」


 だが、倒れかかったアルマの体を、誰かがふわりと受け止める。

 懐かしい、太陽のようなにおいがした。


「おい、大丈夫か」


 その声に顔を上げると、シュルトの顔がそこにあった。

 一瞬、頭が真っ白になる。

 そしてすぐに、自分がシュルトに抱きとめられていて、それを後ろから大勢の人に見られているのだと思い出し、突き飛ばすように身を離した。


「あ、うん、大丈夫! ほら!」


 わけもなく腕をぐるぐると回したアルマの横を、赤い何かが通り過ぎる。

 赤いと思ったのは、クレアの髪だった。

 クレアは迷わず、ためらわず、まっすぐにザイルの胸に飛び込んでいった。

 優しくただいまと言うザイルの声と、震える声でおかえりと返すクレアの声が、アルマにかすかに届いた。


(すごいな……)


 お互いが生きていることを確かめ合うようにきつく抱き合うその姿は、なぜか男女の嫌らしさなど微塵も感じなかった。後ろから響く口笛ですら、二人を祝福する凱旋歌のように変わってしまっていた。

 そして、ふと我に返って、自分がシュルトにおかえりすら言っていなかったことに気付く。

 アルマは静かにこちらを見つめていたシュルトに向かって口を開き――


「おい、早くどうなったのか教えろ!」


 しかし、後ろから飛んできた野太い声がそれを遮ってしまった。振り向かなくても分かる。この無駄に響く声はズィーガーの声に違いない。

 シュルトはあっさりとアルマの前から移動すると、抱き合っていたザイルの肩を小さく叩いた。

 ザイルはゆっくりとクレアの体を離し、息を吸い込む。


「昨夜、俺の作戦で敵陣に夜襲をかけた!」


 報告が始まったぞと、アルカンシェルからは次々に人があふれ出てくる。

 ザイルとシュルトはすっかり囲まれてしまった。


「そして、敵の食料を徹底的に焼き討ちし、これ以上の戦闘を不可能にさせた!」


 ザイルを囲んでいた人々から大きくどよめきが漏れる。

 そのどよめきが収まった一瞬を狙い、ザイルは力の限り声を張り上げた。


「そして今朝、敵は学院に撤退した! 俺達は、勝ったんだ!」


 耳が割れるような歓声が沸きあがった。

 たちまち、騒ぎ出す生徒たちにザイルはもみくちゃにされ、賞賛と質問攻めにあう。


「すげえじゃねえか! ただのチビだと思ってたぜ!」

「そうだよ! お前は小さな巨人だよ!」

「いったい、何をやったんだ! あのカイツとか言うヤツはどうした?」


 その問いに、浮かれているザイルは大声で応えた。


「死んだよ。カイツはみんなから石打ちにされて死んだ。自業自得だ」

「ざまあみろ! 威張り散らした報いだぜ!」

「これで当分は攻めて来れないだろう!」


 再び歓声に沸きかえる会衆の中、アルマはぐっと胸を押さえた。


(カイツが……)


 アルマはノイン領で出会ったカイツの顔を思い出す。エラの張った顔を、決して怠惰な生活を送っていたわけでは無いだろう鍛えられた体格を、そして豪奢な服を。

 あんな豪奢な服を着せてもらえるのだ。きっと家族に大切にされていたのだろう。そしてそんな彼が学院に入る事になったのだ。両親もさぞ喜んでいただろう。死んだと聞いて、どれほど悲しむだろうか。

 降伏せずに戦う選択をして、本当に良かったのだろうか――


「アルマ」


 名を呼ばれ、いつの間にかうつむいていた顔を上げる。

 シュルトだった。心配そうに、こちらへ近づいてきた。


「アルマ、大丈夫か?」


 これほどの事をしたのに、シュルトの周りには人がいない。

 悲しいことだったが、いまはそれが少しだけ嬉しかった。


「うん、気が張ってたのかな。ちょっと疲れちゃった」

「無理をするな。お前は自分の出来ないことにも責任を感じる事があるが、それは辛いことだぞ」

「うん、そうなんだけど、でも私は――」


 アルマが吐こうとした弱気な言葉を打ち消すように、シュルトはその先を力強い言葉で覆った。


「お前は十分やっている。それは誰が見ても分かる事だ。だから…………お、おい」

「ごめんね。あれ……止まらない。ちょっと、変だね。あはは、ひっく」


 ごしごしと袖で涙を拭うアルマに、シュルトは伸ばしかけた手を握り、苦しそうにじっと耐えていた。

 その光景を少し遠くから見たザイルは、クレアの手を手繰り寄せ、そのぬくもりに顔をゆがめた。


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