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第46話:アルカンシェル攻防戦(下)

「急げ! 食料を川から引き上げるんだ! 第二隊は下流に流れた食料を、第三隊は上流を調査しろ!」


 カイツの怒声が鳴り渡り、指示された隊はすぐさま号令に従った。何十人もの生徒が腰まで川に浸かりながらも、水底に沈んだ麻袋を統率された動きで次々と引き上げている。

 幸いにも麻袋は水に強く、濡れたくらいで破れるという心配はなさそうであった。流されてしまった袋も順調に引き上げられているようで、損害は最小限に抑えられそうだ。

 しかし、指揮を執るカイツの表情は苛立ちに満ちていた。

 その怒りの視線が向く先は、今崩れたばかりの橋である。片側の支柱が全て、斜めに切断されていたのだ。


「くそ、小ざかしい手を使いおって!」


 今でこそ悪態がつけるようになったが、あの光景を見た瞬間は体中から血の気が引き、言葉がしばらく出てこなかったほどだった。

 なにせ、ただでさえ貴重な300人分の食料20日分が、荷車ごと川底へ落ちたのだ。しかも、その直後に上流から水が押し寄せるや、一瞬のうちに川を増水させ食料をざぶりと飲み込んでしまったのである。

 もし、全ての食料が水に押し流されてしまっていたら、間違いなくアグリフの逆鱗に触れていたことだろう。そうなれば自分はどうなったか……


「な、何をやっておる! まだそこに袋があるぞ! 時間が経てば経つほど、小麦はにじみ出ているのが分からんのか! 急げ!」


 背中に這い上がる恐怖を誤魔化すように、カイツは八つ当たり交じりの指示を飛ばし続けた。


「報告!」


 その声に振り返ると、伝令隊の一人が地に(ひざ)を着いていた。

 カイツが大仰に頷くと、伝令はそのままの姿勢で報告を始める。


「上流を調査したところ、やはり塞き止められていた跡を発見しました。ですが、その周辺に人影は見えず――」

「くそっ、逃げ足の速いヤツめ! 狼煙を上げたのと同じネズミだな」


 二度までも計画を邪魔されたのだ、見つけたらただでは殺さぬと心に誓う。

 しかし、今優先すべきはネズミの捜索ではなかった。


「第三隊に伝えろ。上流の調査を中止、早急に第四隊と合流し荷車の引上げ作業へ移れ――とな」

「はっ!」


 胸に手を当てると男は走り去り、それと入れ替えに違う伝令がカイツの前に膝を着いた。


「報告! 下流に流れた食料ですが、すぐ近くの川底で止まっておりました。若干の小麦が水に溶け出ておりますが、損害は極めて軽微です」

「ふ――ふはははっ! 所詮は無駄な抵抗だったようだな! 愚か者どもめがっ!」

「はい、ですが……」


 上機嫌に水をさされ、何だと睨みつけるカイツに、伝令係はおずおずと申し出た。


「現在引き上げ作業を継続しておりますが、さすがに一度水に浸かったため、小麦は少なからず濡れているようです。このツェン島は高温多湿ですから、このままですとカビや雑菌が繁殖する恐れが……」

「ふむ、確かに食料を乾かす必要があるな。よくぞ進言した!」


 恐れ入りますと頭を下げた伝令は、気を良くしたのかさらに進言する。


「カイツ様、これだけの食料を乾かすには、広く日当たりの良い場所が必要です。ですが、この辺りは邪魔な木々で日光が遮られ、地も湿っております。手の開いた隊を散開させ、陽当たりと通気の良い場所を探されてはいかがでしょうか?」

「それは一理あるが、手の空いた部隊か……」


 カイツは戦場を見回し、そのゴタゴタ加減に吐息を漏らした。

 今やアルカンシェルを攻撃しているのは、砦の入り口を攻撃している第一隊のみだ。その作業も遅々として進んでいないようだった。


「奴らのふざけた抵抗もこの辺りが限界だろう。万全を考えれば、ここは焦っても無駄だな……」


 なによりこのまま攻め滅ぼしては、こちらに被害が出ない。向こうが攻めてくるように仕向けねばならないのだ。

 そのためには愚策を見せ、向こうが攻め気になるのが一番なのだが、最初の策略はあの貧民のせいで被害を最小限に抑えられてしまった。こうなっては夜営して、次策を練る必要があるだろう。日はまだ傾いてすらいなかったが、陣営を組む場所も探す事を考えると、この辺りが頃合かも知れない。


「よし、第一隊による攻城を一時中断、その後第一隊は小隊に分ける。濡れた食料を乾かせ、かつ夜営できる場所を探すように伝えろ」

「はっ!」


 提案が受け入れられ上機嫌になった伝令は、返事をするや風のように走り去る。

 そして、残されたカイツはその後ろ姿を見送ると、次に目の前にある砦を忌々しげに睨み上げた。


「野良猫どもめ、何をしようと無駄な足掻きだ。絶対的な状況は、何をやっても変わるものではない……最後の夜を震えながら過ごすがいい」


 砦の頂上から不安気に覗いていた生徒達に向け、不敵な笑みを浮かべると、ゆっくりと(きびす)を返した。





 大樹に背を預けて仮眠をとっていたマティリアは、金属音が止むと同時に目を開いた。


「……攻撃が、止まったようですね。いったい何が起きているのか」


 しかし、いくらアルカンシェルの方角を睨んでみても、樹木が鬱蒼(うっそう)と邪魔するここからでは、状況はおろか砦の欠片すら見えない。様子を見に近くまで行こうかとも思ったが、リーベルにここで待てと言われた手前、移動する事もままならなかった。


「まったく、リーベルさんはどこまで行ったのか……」


 マティリアの胸で好奇心と自制心がせめぎ合い、自制心がかなり劣勢になりかけた頃――茂みからひょっこりとリーベルが現れた。


「リーベルさん、遅いですよ! 私の好奇心が可愛そうだと思わないのですか!」


 マティリアの文句を肩をすくめて受けると、リーベルは人差し指をピッと立て「分かったぞ」と誇らしげに告げる。


「さっきの騒動の原因だが、アルカンシェルの前に小さな橋があっただろ? あれが食料をたっぷり積んだ荷車ごと落ちたらしい」

「らしいって……まさか、直接誰かに聞いてきたんですか?」

「当然だろ。あの正規軍とやらの中にも特別生徒はちゃんといるんだからな」


 その説明に「ああ」と納得したマティリアは、腕を組んで(あご)をひと撫でした。

 あの小さな橋はオーク材でできており劣化もしていなかったはずだ。いくら重い荷車が乗ったからといって、都合よく壊れるなど少し不自然では無いだろうか。

 マティリアの推論を聞いたリーベルは、満足そうに頷いた。


「たぶん君の想像通り、あの非国民が仕掛けた罠だろうな。けど、そのシュルトって奴の策略も大した事無いじゃないか。着眼点はよかったけど、食料に損害はほとんど無し。せいぜい攻撃を1日延ばせた事が成果だったんじゃないか?」

「損害はほとんど無かった……ですか」


 マティリアは顎に当てていた指を唇に伸ばし、目を閉じて思案にふけった。

 その脳裏には、かつて共に机を並べたシュルトが思い浮かぶ。

 同じ師に教わり始めたから、あっという間に先に学んでいたマティリアを追い抜き、師が恐れるほど貪欲に学んでいった。

 師は言った。シュルトの真の才能とは記憶力でも応用力でもない。ただ、その論理的な思考によって組み立てられる想像力だと。

 その彼が、果たしてこれを予想できなかったのだろうか?


――そんなわけが無い。これは、きっとただの布石。ならば、どこに繋がる?


 その時、マティリアの思考の隅に何かが引っかかった。


「……そう言えば、赤犬達に損害は無かったのですよね? なのに何故攻撃が止まったのですか?」

「ああ、夜営の陣を敷くためとか言っていたな」

「それでは全隊を使う意味がありません。一部は攻撃を続行し、残りが陣を敷くのが定石でしょう」

「濡れた食料も移動してるからだよ。あのままほっとけばカビるからね。しかもたっぷりと食料を持ってきたせいで、今頃は総出で干してるはずだよ。いや、こんな緊迫した戦場なのに滑稽だね」


 クスクスと笑うリーベルと対照的に、マティリアはさらに真剣な顔で考え込んだ。


「……リーベル、アルカンシェルの周りで食料を干せるような場所はありますか? 日当たりの良い、開けた場所です」

「開けている場所か。あれだけの食料を乾すとなると、そうだな……北にある浜辺くらいだろう。それがどうかしたのか?」

「つまり、浜辺に食料を並べる事は、地形上から考えて必然である――と言う事になりますよね」


 リーベルは笑顔を引っ込め「まさか」と(うめ)いた。

 その言葉を聞き、ようやくマティリアの顔に笑顔が浮かんだ。


「まさか……私も良く、シュルトにそう言わされましたよ」





 男は浜辺のゴツゴツした石に足を取られないよう、慎重に歩を進めていた。

 両手で持っている食料が貴重だと分かってはいたが、水を吸って手がちぎれそうなほど重くなっており、手を離したい誘惑が引っ切り無しに襲ってくる。


「……でも、誰も諦めてないもんなぁ」


 周りを見回しても黙々と運んでいる生徒ばかりだ。どの顔にも疲労が見え、背後には女生徒なのに歯を喰いしばって運んでいる者もいた。

 これでは、とても投げ出すわけには行かない。

 あと少しだけと自分を騙しながら、じりじりと首筋に当たる日光に耐えて進み続けた。


 やがて、浜辺の特に日当たりの良い一角に、麻袋がずらりと並んでいる光景が目に入った。

 最後のひと踏ん張りだと麻袋を持ち直すと、並んでいた袋の横に持っていた麻袋をドサリと置く。


「あああっ! 腰が痛え!」


 開放感に背を思い切り伸ばし、すっかり凝り固まった腰をぐりぐりと捻る。

 そうやって体をほぐしていると、背後から甲高い怒声が飛んできた。


「そこの人、邪魔よ! 早くどいてよ!」

「え? ああ、悪りい」


 慌てて横に移動すると、さっきまで自分が立っていた場所に女子生徒がよろよろとやってきて、麻袋をドサリと置いた。

 そして、そのままうずくまってしまう。


「お、おい、大丈夫か?」

「……」


 女は顔を青くして答えない。

 日射病になりかけている――医学部である男はとっさに腰に縛ってあった皮袋を差し出し、飲むように促した。

 女はもたもたと皮袋を受け取ると、黙ってそれに口をつけ、ごくごくと飲み始める。


「ふぅ……ありがと。その、ごめんね。さっきは怒鳴ったりして。もう握力も気力もなくって」

「気にするな、その気持ちは痛いほど分かるからさ。それよりまだ顔色悪いぞ。休憩許可を貰ってきてやろうか?」

「ううん、大丈夫。本当はこの後で食事の準備だったんだけど、小麦がこんな状態になっちゃったから夕食は抜きだって。だからやること無くなっちゃったの」

「――は? 夕食抜きだって! こんなに働いたのに嘘だろ! そんなこと聞いてないぞ!」

「あたしに怒鳴らないでよ。お腹減ってるのはみんな一緒でしょ」


 切り替えされて再び悪いと首をすくめる。

 確かに、彼女にわめいても、どうしようもない事だった。

 その素直に反省した様子を見て女生徒はクスリと笑うと、地面に腰を落としたまま運んできた麻袋をポンと叩く。


「大丈夫。これだけ日差しが強ければ、コイツもあっという間に乾くでしょ。明日の朝は普通に食べられるって。きっと」

「ああ。そうだな……っていうか、その、お前って結構いい奴だな」

「よく言われるわ」


 二人は顔を見合わせてケラケラと笑い合う。

 久しぶりに笑った気がした。この学院に来てからというもの、生きるのに必死で笑うことを忘れていたのだ。

 男は感謝を込めて女生徒の手をとり、ゆっくりと立ち上がらせた。

 そして、彼女のお尻に吐いた枯葉の多さに目を見開く。


「おい、そこすげえ汚れてるぜ」

「あら、ほんとね。こんな場所なのに枯葉だらけなんて……変な場所ね。それに、少し変な匂いがしない?」

「へ、匂い?」


 そう言われて鼻をひくつかせると、確かに汗臭いような匂いが鼻をついた。


「少し獣臭いかな? ……この近くに動物の群れでもいるんじゃないか?」

「獣の群れなんてどこにもいなかったわよ。それにいたら大騒ぎになってるでしょ」

「どうせ野良猫どもだよ。あいつらが遠慮なしに狩り尽くしたんだろ。ったく忌々しい」


 下にあった石をひとつ蹴り飛ばす。

 食料を不当に独占するなど、この状況下で信じられない暴挙だった。明日こそは徹底的に思い知らせてやろう

 ――そう心に誓った矢先、隣にいた女生徒が顔を伏せた。


「ねえ、向こうのリーダーだって言った女の子の事、覚えてる?」

「あの噂の貧民だろ? 思ったよりずっとガキで笑っちまったぜ」

「うん。あたしよりずっと子供で、真っ直ぐで、なんかあの子見てたらちょっと不安になっちゃって……ねえ、あたし達、間違ってないよね?」


 何をバカな――そうも思ったが、彼女があまりにも不安気に聞くので、精一杯の笑顔を作って頷いた。


「ったり前だろ! みんなで力を合わせて生き残るんだ。それが間違ってるわけがない」

「……うん、そうだよね」


 しかし、そう言った彼女の顔は、いつまでも晴れる事はなかった。





(ったく、シュルトの野郎。危険な任務ばっかり押し付けやがって)


 ザイルは月明かりの下、慎重に浜辺を歩いていた。目指すはもちろん、敵陣内だ。


(なにが俺の顔は特徴が無いから堂々と行けば分からない、だよ。バレたら殺されるんだぞ。気軽に言うんじゃねえよ)


 心の中でシュルトを散々罵っているが、本心から作戦に不満があるわけではない。

 怒りで恐怖と緊張感をやわらげようとする、彼なりの精神安定術だ。

 ザイルにも、ここで失敗すれば自分だけで無くクレアの命も危険だと重々分かっていた。今は何を命じられても、シュルトの作戦にすがるしかないのだ。

 手に持った小鍋を握り締め、陣営の前に見えるかがり火へと真っ直ぐ歩を進め続ける。


「誰だ!」


 かがり火の近くからの声――見張りをしていた生徒に呼び止められたのだ。

 内心、飛び上がりそうなほど驚いたザイルだったが、シュルトのアドバイス通りに男の方へと走り出す。そして、警戒し槍を突き出した見張りに叫んだ。


「大変だ! アルカンシェルの奴らが夜襲を仕掛けてくるぞ!」

「な、なんだと!」


 ザイルはえんえん走ってきたと言わんばかりに息を荒げ、驚く見張りの(えり)を右手で掴んだ。


「奴らは今、こっちに向かっている! 急いでカイツ様に知らせなきゃヤバイぞ! 今、どこにいる?」

「カ、カイツ様は真っ直ぐに進んだ一番大きなテントだ……なあ、俺もみんなを起こしたほうがいいのか?」

「当たり前だろ! 片っ端からガンガン叩き起こすんだよ! さっさと行け!」

「わ、分かった」


 慌てて走り去ろうとした見張りだったが、何かを思い出したようにぐるりとザイルに振り返った。


「おお、そうだ。お前の所属部隊と名前を教えてくれ」

「へっ、所属部隊? な、なんでそんなこと……」

「必ず聞くように言われてるだろ。早く答えろ」


 血の気が凍りついた。今更聞かなかったフリはできないし、まして適当な部隊名など言うわけにいかない。

 まずい――その時、頭の中にシュルトの言葉が甦り、ザイルは慌てて口を開いた。


「バカ野郎! 奴らはもうすぐそこまで来てるんだ! 一秒でも早く皆をたたき起こすんだよ! ほら!」


 もし、相手がこの時冷静であれば、この言い訳が所属と名前を言うより長い事に気付き、疑う事も出来ただろう。しかし、


「――それもそうか。よし、手分けしてみんなを起こすぞ」


 見張りはその言葉にあっさり頷き、走り去ってしまった。


(ったく、ここもシュルトの言ったとおりかよ……)


 それは、潜入直前の時、不安そうなザイルを見てシュルトの行った言葉だ。

『そう硬くなるな。奴らは生まれて始めての戦闘で気がたっている。そして極度の警戒状態にある人間は良い情報を疑い、逆に悪い情報を信じるものだ。疑われても少し押せば、簡単に信じるだろう。大丈夫だ、お前なら出来る』

 まさにその通りで、今ならもっと酷い嘘を吐いても信じたことだろう。シュルトの人の弱い部分を見抜く能力は、皆の言うとおり悪魔としか言いようがなかった。

 きっと『お前ならできる』と言ったのも、ザイルの自尊心をくすぐるための甘言だろう。それにまんまと乗って有頂天になった自分が、今となっては恥ずかしい。


「でも、クレアを助けるためにはシュルトが必要だ。今はあいつの言葉にのせられておくか。ええと、次の指示は……」


 ザイルは記憶の中から、シュルトの無愛想な指示を掘り起こした。


『潜入が成功したら、すぐさま適当なテントに火をつけろ。注意がそっちにいっている間に、俺は食料に火を付ける』


 しかし、適当なテント……と呟きながら周囲を見回すと、少し奥の方にテントが密集している場所があった。かがり火も少なく、闇の中にひっそりと静まり返っている。これはまさに絶好のポイントだろう。

 ザイルは早速、左手に持っていた小鍋をひっくり返し、テントの密集している中心部分に種火を撒く。次いでその上から静かに息を吹きかけると、水避けの油脂を塗ったテントは、たちまち真っ赤なかがり火へと成長した。

 これで注意が集まり、シュルトも食料に火を付けやすくなったはずだ。

 そして次の指示を思い出す。


『火を付けた後はソレを打ち鳴らし、寝ている赤犬どもを叩き起こせ』


 左手にある空になった鍋を見て、ザイルは口元をほころばせた。

 なにせその指示を言った後、あのシュルトがぎこちなく笑い、小声でこう付け加えたのだ。


『アーシェルが言っていただろう。鍋さえあれば何でもできる、とな』


 これが彼なりの冗談だと気付いたのは、シュルトと別れてからだいぶ後の事だった。

 あれでザイルがリラックスできると考えたのだ。かたや恐ろしいほどの思考を持ちながらも、人を笑わせることにかけては、なんて不器用な人間なのだろう。

 もっと話せば、意外と面白いヤツなのかもしれない――ザイルは始めてこの時、そう思ったのだった。


「よし、行くか」


 空になった鍋の底を、反対の手に持った石でぶったたいた。


「敵襲! 敵襲だぞ! 起きろ!」





「やはり、夜襲が始まったようですね。あ、ほら、見てください。食料の方にも火がつきました。すごい燃え広がり方です」

「ああ、あの燃え方は確実に何かを仕掛けていたな。この調子なら相当の被害が出るだろうが、赤犬達の反応も予想より早いな。ほとんどが起きているようだ。これならすぐに消され…………いや、待てよ」


 リーベルは突然口を閉ざし、目を細めて火を見つめる。

 やがて、「そうだったのか」と天を見上げ、やられたとばかりに右手で両目を覆った。


「リーベル、どうかしましたか?」

「……ようやく分かったんだよ。君がシュルト=デイルトンに惹かれている訳がね。確かに彼は天才か、さもなくば悪魔だ。戦いたくないよ、彼とはね」


 何のことか分からぬマティリアは、悔しそうに唇を噛んで尋ねる。


「教えてください。シュルトはいったい何をしようとしているんですか?」

「まず言える事、それはあえて敵を全員起こしている事だ。一気に消火させるためにね」

「……何故ですか? まったく理に適いません」

「おや、意外だな。君も焦っているようだね。ではマティリア、あの食料に付いた火を、君ならどうやって消す?」


 嬉しそうなリーベルの真意を測りかね、マティリアは眉を寄せながら答える。


「それは、水か砂をかけて消火するしかないでしょう」

「残念、あそこは砂は無いし、消火ができるような水を汲みあげる機材もほとんど無いだろう。さあ、どうする?」

「となると、残りは海でしょうね。昼のように、燃えている麻袋を海にひたすのが手っ取り早いでしょう」

「そう、それだ!」


 リーベルは指を突きつけるや、満面の笑みを浮かべる。

 まるで、この答えあわせが楽しくてしょうがないといわんばかりの表情だ。


「君ですらそう思う。まして、混乱した赤犬達はこぞってそうするに決まっている。なにせ、麻袋は水に強いとのイメージを、昼間たっぷり植えつけられたからね。そして彼らの持っている簡易槍を担架にして運べば、それは容易いだろう」

「……何が、言いたいんですか?」

「なんと、まだ気付かないのか! 麻の繊維は強靭で水にも強い。しかし、その欠点は肌触りと燃えやすさだろう」


 驚きに染まるマティリアを見て、リーベルは満足とばかりに頷いた。


「水に濡れた麻袋は火に晒されても一見大丈夫そうに見える。しかし、麻の繊維はあっと言う間にズタズタになっているはずだ。そして、もろくなった袋を水につけた瞬間、一体何がおきると思う?」

「バラバラに、なるでしょうね。そして、中の小麦は回収不可能なまでに海に散っていく……確かに、中心部の燃えにくい小麦を完全に滅するには、徹底したやり方です」

「消火方法の正解は、毛布なり服なりを海に浸し袋の上からかぶせる事だ。もっとも、先入観を植え付けられた彼らの頭では、夜明け頃に思いつく方法だろうがね」


 言われてみれば、酷く当然の対応策だった。

 離れている間にシュルトとはさらに間を開けられたらしい。

 マティリアが視線を再び浜辺に戻すと、リ−ベルの予想通り「海に運べと」さかんに騒ぎ立てていた。


「気付くのが早いな。サクラでもいるのか……これはもう、決まりだな」


 リーベルは浜辺から目を離すと、下に置いてあった荷物を抱え、くるりと(きびす)を返した。


「リーベルさん、どこへ行くんですか?」

「有意義な視察だったが、もう十分だ。あとは特別生徒達に報告させるさ。次に見るべきは、食料のなくなった学院だ。場合によってはクーデターが起こるぞ」


 そう言って歩き出し、マティリアを振り返った。


「おや、マティリア。君は来ないのかい?」

「……ええ、最後まで何があるか分かりませんからね。私はここに残ります」

「おやおや、君らしくも無い慎重論だね」


 そう言って、リーベルはずかずかと戻ってくると、マティリアの瞳をずいと覗き込んだ。


「確かに、何があるか分からないな。例えば、誰かが要らぬ知恵を野良猫達に吹聴して回るとかね」

「リーベルさん、私は――」


 そう言い掛けた口を、リーベルの人差し指が強くふさぐ。


「いいか、マティリア。アルカンシェルの中にも特別生徒は何人もいる。君に教えていない奴もいる。何をしても俺の耳には筒抜けって事だ。もし、俺の許可無く重要情報を漏らしたら――君らは即刻、失格(・・)だからね」

「……分かって、います」

「そうか。ならいいんだ」


 リーベルはにこりと笑うと荷物袋の紐を肩に担ぎ、あっという間に闇に溶けて消えた。


「まったく、鋭くて嫌になりますね」


 そう呟いた言葉の上に、浜辺から響く生徒達の悲痛な叫びが被さった。おそらく、麻袋を引き上げようとしてバラバラになっているのだろう。

 額に浮かんだ汗は、蒸し暑さのせいか寒気からなのか、マティリア本人にも分からなかった。


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