第41話:偽りの演技
「拝金主義か! こりゃあいい!」
オグの報告を聞くなり、リーベルはひざを叩いて笑いころげる。
「暴動でも起きたかと思ってたのに、まさか立て直すとはね! あははは!」
テントの派手な革を通し真っ赤に染まった陽光、ムッとこもる熱気、そしてリーベルの人を喰ったような高笑い。それらがオグを刺激し、顔をしかめさせた。
「おいおいオグ、そんな顔するなよ。君はそれでも間者か」
「……もともと、自分は間者ではありません。ただ、父が医学部の教官に選ばれたというだけで」
「それじゃあ困るんだよ――君らがね」
そこでリーベルの顔から軽薄な笑みが消えた。
代わりにゾッとするほど冷たい目がオグを射抜く。
「分かってないようだから、もう一度だけ言うよ。もし機密事項が一般生徒に露呈した場合はね――」
オグの眼前に、リーベルの長い指がゆっくりと突き出される。
「君ら、失格だから」
失格――その意味するところを十分に知っているオグは、喉がゴクリと鳴るのを抑えられなかった。
「……わ、分かっております」
「そうか、ならいいんだ。じゃ、次は10日後にヨロシクね」
リーベルが手を振るとオグは地に着けるほど頭を深く下げ、そそくさとテントを後にした。
その後姿を見送るや、リーベルは灰色の髪を束ねた紐を解いて首を振り、その長髪を広げた。
「ふぅ、どうもこういうのはガラじゃないな。息が詰まってしょうがない。なぁ、マティリア?」
すると、リーベルの後方に人形のように立っていたマティリアは、止まっていた時間が戻ったように顔をリーベルに向け、口を開いた。
「脅しこそ、あなたの天職だと思ってましたよ」
「なんてこと言うんだい! 俺の天職はナンパさ。本音を言えばこんな場所から早くおさらばして、思う存分下町に繰り出したいね。でも、そうなると困るのは君らだろう?」
「……」
マティリアは沈黙を持って答え、その様子に満足したリーベルは唇の端を上げる。
「そうそう、アルカンシェルだっけ。あそこの様子を聞いて、君はどう思った?」
「……よくやってるとは思いますが、相変わらず危険な状態ですね」
「へえ、その要因ってのはなんだい?」
マティリアは歩を進め、さき程までオグが跪いていた場所に座ると、円卓を挟んでリーベルの顔をまっすぐに見た。
まるで、その顔から得られる情報を見逃すまいとするかのように。
「食糧問題はその場をしのいだだけ、完全に解消されたわけではありません。相変わらず薄氷の上です。それ以上に憂慮すべきは学院に残った生徒でしょう。一時的にしろ食料があると聞けば、アグリフさんは果たしてどんな行動を起こすでしょうね」
「そりゃあ、据え膳だからな」
「ええ、ですが抵抗しようにもアルマさん達は個人主義を選びました。こうなっては組織立った戦術は望めないでしょう」
「ゲリラ戦じゃレジスタンスになれても勝者にはなりえない、か?」
「はい……ただ」
マティリアは言うべきかためらうが、リーベルの目は続きを促している。
彼の意思に背く事は、マティリアには許されていなかった。
「――ただ、あの砦にはシュルト=デイルトンがいます。彼が采配を振るい、それに周りが応えれば、あるいは」
「シュルト……ああ、あの片目の無愛想な奴か。あんな男がこの状況を一変するとでも?」
リーベルの中で彼の印象は良い物でないようだ。
シュルトとアルマがここへ来た時、アルマへのアプローチを無言で邪魔されたのが原因だろうか。
マティリアは苦笑をもらしつつ、リーベルの質問に頷いた。
「その可能性はあります。彼の軍を指揮する才能は、まぎれもなく天賦のものです」
「へえ、君がそこまで言うなら本物だろうな――でも、いいのかな」
リーベルはその灰色の髪をいじりながら、事も無げにつぶやく。
「争いが激化すれば君らの合格条件、生存者900名の達成は難しいと思うぜ」
その言葉に、マティリアはきつく唇を噛むことしかできなかった。
草むらにすっぽりと隠れたナバルは、同様に隠れているウルスラとザイルに押し殺した声をかける。
「これより学院潜入夕暮れ脱出大作戦を実行する。野郎ども、準備はいいな?」
「あたしは野郎じゃないよ」
「細かい事言うなよ、ウルスラ。ムードだよ、ムード」
「ったく、モテない男ほどムードだのなんだのうるさいんだよね」
「ほっとけよ」
そう冗口調で言ったナバルも目だけは笑っていなかった。なにせ一歩間違えば、どうなるか分かったものじゃない。
だからこそ小さな草むらの中で3人は頭を突き合わせ、作戦の最終確認を行っているのだ。
ナバルがピッと指を立て、念を押すように確認する。
「作戦内容を確認するぞ。まずは普通の顔して学生寮に侵入する。もし学院の奴らに見つかっても絶対に慌てるなよ。落ち着いてりゃ俺達も奴らも見分けなんかつかないんだからな」
「分かってるって。だからこのメンバーで来たんだろ」
「そうだ、ザイル。だが油断は禁物だからな。そして、部屋の中で薄暗くなるのを待って、こっそり脱出。あとは森で夜を明かしてアルカンシェルに帰還する。質問はあるか?」
ザイルはそこで手を挙げ、知ってる限りで学院の内部状況を教えて欲しいと頼む。
万一学院の生徒と接触した時、スムーズに対応するために必要だと思ったからだ。
ナバルは感嘆のため息を吐き、ザイルをまじまじと見つめた。
「本当に成長したんだな……ええと、前にも言った通り俺が出てくる時に、アグリフの奴は3つの等級に生徒を分けたんだ」
ナバルは立てていた指で地面に三角形を描き、それを3つに分ける。そして頂点に1、真ん中に2、最下層の広い部分に3と書き加えた。
「1等級の生徒は伯爵以上の大貴族で構成されていて、ほんの数名しかいない。2等級は騎士侯以上の中、下級貴族。そして3等級が平民だ」
この説明を聞きながら、ザイルは妙な感慨を覚えた。
学院を出て行かなければ、下級貴族のザイルは2等級の生徒になれたのだ。2等級ならそれなりの生活が保障されただろう。そしてその地位と生活を守るため、躍起になってアグリフ達1等級の生徒のために尽力したに違いない。
誰かが下にいる、自分は最下層ではない。そう言う自分の地位がある事は途方もない安心感、抗いがたい誘惑になる。
しかし、その可能性を惜しいとも思わない自分に、ザイルは少なからず驚いていた。
(――そうか、クレアのお陰か)
そう、クレアがいるから不安に負けないでいられる。誰を踏みにじらなくとも胸を張ることができる。
むしろ父が熱望していた大貴族と言う地位に自分が立ったとして、はたしてこれほど誇らしい気持ちになっただろうか?
きっとクレアの隣こそ、自分の立つべき位置、そしてここが自分の戦場だ。
「――ザイル。おい、ザイル。聞いてるのかい?」
「あ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「ちょっと、しっかりしとくれよ」
ウルスラがしょうがないねと肩をすくませる。
「いいかい、3等級の生徒だからって安心はできない。中には貴族のガーディアンや従者って線もあるからね。だから無駄な接触は極力避けて、最短距離で荷物を運び去る事。特に荷物を運ぶ時は慎重かつ迅速に、いいね?」
「分かってる」
「荷物も持ちきれる分だけを欲張らずに運ぶんだよ」
「了解。無理しない、無駄しない、無欲でいけって事だろ」
ザイルのその言葉に、ナバルは満足気に頷いた。
「準備はよさそうだな、それじゃ作戦開始といきますか」
ナバルの号令で3人は立ち上がると、茂みから抜け出て学院に入る。
急がず、焦らず、目立たないように木々の多い小道を選んで学生寮に近づいていく。
だが、小道どころか大通りにも誰一人いなかった。
寮が見えてきても、学院は寝静まっているかのように物音ひとつしない。かつての賑やかさが幻だったようだ。
「ここまで静かだと、ちょっと不気味だな」
「なぁに、好都合じゃないか」
「それもそうか、よし前進!」
――ナバルがそう号令をかけた直後だった。
「おい、そこの3人! 止まれ!」
背後からの突然の声に、ザイルの喉がヒッと鳴る。
恐る恐る振り向くと、一人の槍を持った男が走ってきていた。
(ばれた? いや、そんなわけが無い。落ち着け、堂々としていれば問題ない、はず)
ザイルは暴れる心臓をなだめて走り寄る男をもう一度見る、とその男が制服を着ていない事に気付いた。
グレーのシャツに金の飾りのついたブルーのベスト、濃紺のスラックス……いかにも貴族と言った豪奢な服だった。
(……そうか! 階級分けのためか!)
平民と貴族を分けるために違いない。
女性なら髪の長さで分かりやすいが、これも絶対ではない。まして男ならなおさらだ。
ならば平民の持っていないもの、すなわち持ち込んだ服を使えば、簡単に3等級生徒を区別できるだろう。
「貴族、だね」
「シッ、俺が話す。黙ってろよ」
ナバルが押し声押した声で告げ、ザイルは小さく頷く。
こちらが逃げないと分かったせいか、貴族の男は走るのを止め、ゆっくりと歩いて近づいてくる。
ナバルとよく似たふっくらした体系で、髪をピッチリと7:3で分けている。制服なら滑稽に見えるその髪形も、貴族の豪奢な服には違和感が無いから不思議だ。
「おい、お前ら! 何故こんなとここにいる? この時間、3等級の生徒は全員食糧探しのはずだぞ」
まだ少し距離のあるうちに、男はそう尋ねる。やや高い、鼻に詰まったような声だ。
なるほど、だから誰もいなかったのか――とザイルが納得する間に、小太りの男は目の前にやってきて槍先をナバルに突きつけた。
「どうした、早く答えろ!」
ナバルは引きつった愛想笑いを浮かべ、横にいたザイルの腕をぐいと引っ張る。
「実はこいつが持病の薬を忘れたとかで、これから取りに帰るところなんです」
「薬だと?」
突然話を振られてザイルの頭が真っ白になった。
貴族風の男がその槍先をザイルの鼻先へ方向転換し、頭の先からつま先までジロリと睨みつける。
「……別に元気そうに見えるがな」
「ケホッ、ケホッ――」
ザイルは慌てて咳き込んだが、さすがにわざとらしかったらしい。
男の顔には明らかに疑いの色が浮かんだ。
「ふん、どうせ仕事をサボろうとしたんだろう? 俺の目はごまかされんぞ。さっさと持ち場に戻れ!」
激しかけた男を、ナバルは両手を振ってなだめる。
「そ、そう思ったんですがね。なんでも薬がないと命にかかわるらしいんですよ」
と言いながらナバルのかかとがザイルのつま先をギュッと踏みつける。なんとか合わせろとの合図だろう。
ザイルはその場にうずくまって、激しく咳き込む。
「ケホッ! ケホッケホッ! ゴホッ!」
「ああ、発作が始まっちまったかい」
すぐさまウルスラが心配そうにザイルの背を撫でてフォローする――と見せかけてさらに脇をつねる。もっとやれ、との合図だ。
ええい、こうなればヤケだとザイルはのた打ち回って咳き込んだ。
「ゴホッ、ゴホホッ! ゲホホ、ウゲホッ! オエッ!」
中身が出そうなほど咳き込み、本当に喉が痛くなってくる。
しかし、演技のかいあってか男の顔に不安げな色が見え隠れし始めた。
そこにウルスラがさも手馴れた手つきでザイルの腕を取り、したり顔で脈を計る。
「これはまずいね。早く薬を飲ませないと、危険だよ」
「なあ、頼むよ。こいつは俺達の仲間なんだ!」
「わ、分かった。その代わり早く戻れよ」
ナバルの懇願に男は槍を引き、早く行けとあごで促した。
一方、ザイルは今更演技を止めるわけにはいかず、体を痙攣させながらザイルとウルスラに肩を借りてその場を跡にする。
顔が緩まないようにするので精一杯だった。
やがて、目的の寮に入ると3人は周囲を見回し誰もいないことを確認すると、その場で脱力した。
「ふぅ、危なかった」
「危なかったじゃないだろ、ナバル! なんだよ打ち合わせもなしに!」
「まあまあ、他に思いつかなかったんだ。何とかなったんだから良しとするべきだろ」
「ったく」
3人はそのまま階段を上がり、レディンとシュルトの部屋へと歩を進める。
階段の折り目、廊下へ出る時にも慎重に確認したが誰もいない。
つまり3人は、あっけないほど簡単に目的の部屋の前へとたどり着いてしまったのだ。
「こ、ここだよな?」
「間違いないね」
「ふむ、荒らされた形跡は無いな……こりゃあひょっとするぞ」
ナバルが鍵穴を確認して呟いた。
たしかに強引に開けられた後は無く、扉のどこにも損傷した跡がない。
「あ、開けるぞ」
ザイルは緊張する胸をなだめつつ、ポケットから鍵を取り出すと、震えるその先を慎重に鍵穴へ入れた。
カチリ
小気味よい音がして、ザイルはゴクリと喉を鳴らした。
そしてゆっくりと扉に手をかけて、ゆっくりと引く。
「……暗いね」
ウルスラの呟きの通り、部屋の中は雨戸も閉めてあり真っ暗だった。
明るい陽の光に慣れた目では、どんな状況なのかも見えない。
3人はおっかなびっくり中に入ると、手探りで雨戸を探り当て、それを押し開いた。
「「おおおおっ!」」
部屋の中はまるでさっきまで人がいたように適度に片付けられ、そして適度に散らかっていた。
ベッドはふたつとも毛布がはねのけられており、慌てて出て行った痕跡がハッキリと残っていた。
「お、おい、あれ!」
ナバルがベッド脇を指差している。その先をたどると大きな袋が2つ、無造作に積み重なっていた。
上の袋は既に開かれてあったので中をのぞくと、わずかに茶色くにごった粉が大量に詰まっている。
「ひょっとして、これがアタ粉か?」
「そうだよ! やったぞクレア!」
「ほら、リア袋もあるはずだよ。明るいうちに探しておかなきゃ」
「ああ、そうか」
3人は夢中になって部屋をひっくり返し、そこここにあった物を引っ張り出す。
「あった! リア袋だよ!」
「こっちも見つけたぞ! ったく、ベッドの中に隠してあったぜ!」
「ん、なんかあるぞ……うわああっ!」
部屋の奥から出てきたものは、なんと巨大なイモシシの革だった。
その傍らには鉄の棒――これはおそらく槍の柄の部分だろう。さらには麻でできたリュックまで発見できた。
「いやぁ、これはなかなかの大漁だな。うはははっ」
部屋の真ん中に集められた品々を見て、ナバルはニヤニヤとあごを撫でる。
ウルスラも頬を緩めながら頷き、ひょいと鉄の棒を拾い上げる。
「あとはこいつらをどうやって持って帰るか、だね」
「ああ、アルカンシェルまでは結構距離があるからね」
そうザイルが頷いた直後、背後から別の声が飛び込んできた。
「ほう、アルカンシェルだと?」
3人は弾かれたように声のした方――扉の方へと顔を向けた。
真っ先に目に飛び込んだのは白いシャツと青いベスト――先ほどの貴族の男が出入り口を塞いでいる。
「い、いつの間に」
「言ったはずだろう。俺の目はごまかせないとな」
男は槍を構えると、唇をニタリと吊り上げた。