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第40話:黒き使命

 アルマの号令が壁に吸い込まれるより早く、生徒達は扉の向こうへと駆け出していた。

 何十もの人間が大部屋の出入り口へと殺到し、そこは瞬く間に濁流のような有り様へと変貌する。


「ちょっとどいてよ! 私は上に行くの!」

「俺はいいから例の場所に急げ! 尾行されるなよぉ!」

「今日は穴場で大漁じゃあ!」


 怒号と歓声を混じえながら多くの生徒が一刻を争うように目的地へと急いでいる。

 これの示すところは、ほとんどの生徒が非常食(とっておき)準備(ストック)していたと言う事。さらに、それをリアに交換した方が有利と判断した事だ。

 いくら動物の群生地を知っていても横取りされたらお終いであり、まして保存の利かない果物等はなおさらだ。だから一刻も早く安定した物へと交換したい。だから急いでいるのである。

 この調子なら通貨(リア)も軌道に乗るに違いない。

 いや、もしかすると食糧難も一気に解消されて、そして――


「アルちゃん、やりましたよっ!」


 はずんだカンナの声にアルマはようやく我に返った。

 感無量と言うのだろうか、皆が飛び出していく様を腕を振り上げたままの姿勢で見呆けていたのだ。

 慌てて手を引っ込めると、木箱からゆっくりと足を下ろし――そこでガクンと(ひざ)が折れる。


「わっ」

「アルちゃん!」


 つんのめったアルマの体をカンナがすばやく駆け寄り、両手で包むように支えた。

 大丈夫ですかと聞くカンナに赤面し、慌てて自分で立とうとする――が出来なかった。


「あ、あれ?」


 膝はカタカタと笑い、力がまったく入らない。


(そうか。私、怖かったんだ)


 先送りにしていた恐怖がようやく顔を出したのだ。

 皆の前に立つ間、アルマには一瞬の弱気も許されなかった。指導者の弱気は不信感を煽り、不信は不満を、不満は暴動を、暴動は狂気を生み出す。

 そうなったらもうアルマに出来る事はない。アグリフの部屋で受けたように、ただその狂気に身を晒すのみ。

 あの日の恐怖は、まだアルマの胸に巣食って消えてくれないのだ。


「ごめんね、カンナ。なんか安心したら力が抜けちゃって」


 ぎこちなく微笑むアルマを見て、カンナは首を横に振った。


「いえ、実はちょっと嬉しいです。こうしてると役に立ててるみたいに感じて。カンナ、また何もできなかったですから」

「カンナ。それ、全然違うよ」


 そう、それは違う。

 カンナがすぐ近くにいた。だから、今まで恐怖を騙すことが出来た。だから、最後まで胸を張れた。

 アルマは額をカンナの胸に付け、万感の思いを込めて告げた。


「カンナ、いてくれてありがとね」

「――それは、カンナの、方が」


 カンナは言葉を詰まらせアルマをギュッと抱き寄せた。

 その温かさにアルマの胸に巣食っていた不安が、春の雪のように溶けていくのが分かった。

 ついでに、息苦しいまでの胸の大きさにちょっぴり嫉妬が混じったくらいだ。


「カンナ、苦しいって」

「ごめんなさい。……でもやっぱりカンナもお役に立ちたいです。次こそカンナの出番、くださいね」

「だめだめ! そんな状況、二度とごめんよ――っと」


 アルマは(ひざ)を掴み、一息に立ち上がる立ちあがる。

 そしてトントンとかかとを床に打ち、もう大丈夫だと微笑むと、カンナは少しだけ寂しそうな顔をした。


「アルマ」


 背後から呼ばれた声にアルマが振り向き、そこに見知った顔を見つけて声を弾ませる。


「シュルト! 私の演説どうだった?」

「演説は見事だった。だがアルマ=ヒンメル、貴様に言いたい事がある」


 しかし、シュルトは硬い表情で腕を組んでいる。

 まるで不機嫌ですと言わんばかりだ。


「あの、シュルト、もしかして……怒ってる?」

「当たり前だっ! なぜ俺の作戦通りにしなかった!」


 怒鳴り声にアルマは肩をすくめ、代わりにカンナが二人の間にずいと割り込んだ。


「どうして怒るんですか! アルちゃんが頑張ったからシュルトさんはここを出て行かなくて済むんですよ? むしろアルちゃんに(ひざまず)いて感謝すべきですっ!」

「お前には関係ない。そこをどけ」

「関係あります! カンナはアルちゃんのガーディアンなんです。守る義務があるんです!」

「なら、コイツの向こう見ずな危険行為を止めろ! 昨夜も言ったはずだろう!」


 カンナ肩をつかんで押しのけると、シュルトはアルマに詰め寄った。


「アルマ、なぜ相談も無しにあんな危険な賭けをした? 一歩間違えれば暴動に繋がっていたぞ。精神的に追い詰められた人間達の狂気に火が付けば、どうなるか分からなかったのか!」

「――でも、相談してたらシュルト、私を止めたでしょ?」

「当然だっ! あんな賭けなどやる必要はない。もっと確実な方法があったと言うのに、お前は――」

「ごめん、シュルト!」


 シュルトの目の前でパンと手を合わせると、アルマは勢いよく頭を下げた。

 そして、機嫌を伺ようにシュルトの目をじぃと見上げる。


「でも私、シュルトには出て行って欲しくなかったの。ここに、一緒にいて欲しいの」

「っ――」


 突然、シュルトの態度がおかしくなった。

 何か言おうと口をパクパクさせたまま、一歩後退るとゲホンゲホンと咳き込む。


「シュルト、どうしたの?」


 シュルトの態度を不思議に思い、アルマは失言でもしたのかと眉をひそめ首を傾げる。

 と、カンナがアルマの体をぐぃと引き寄せ、シュルトを睨み付けるや恫喝した。


「アルちゃんはそんな意味で言ったんじゃありません! 変な目で見ないで下さい! いやらしい!」

「いやらっ――」


 シュルトは真っ赤になって絶句すると、力なく後退る。

 そこにいつの間にかやってきたレディンとアーシェルの追撃がシュルトのプライドに止めを刺した。


「アーシェル、だめですよ。ムッツリスケベは男として屈辱的な称号です。たとえ事実だとしても、言ってはいけないことです」

「……違う、むつかしいねって言った。大人になればいいのに」

「ああ、それはその通りですね。あははは」


 レディンの悪意の無い笑い声に、シュルトは崩れ去るようにその場へ座り込むと深い深いため息を吐いて沈黙した。




 シュルトは木箱に腰掛け、ひとり頭を冷やしていた。


(俺は、何をしている。何がしたいんだ……)


 なすべき事――否、絶対になさねばならない事があったはずだ。

 肩に受けた傷をぐっと掴み、ズキリと疼く記憶に歯を食い縛る。


(認めろ。今の俺には力が足りない事を)


 そう、自分には実力が足りなかった。

 だから、アグリフの護衛などに負け、殺されかけたのだ。

 もしレディンが来なければ、あの忌まわしき毒であっけなく死んでいただろう。そんな結末だけは何があっても許される事ではない。

 シュルトは座っていた木箱の横面を、爪でガリと引っ掻いた。

 この木箱はアーシェルがイモシシのレーベのために作った小屋だと言う。

 木板の端には凹凸が彫ってあり、それを綺麗にはめ込んで組み立てている。

 そのお陰で釘を使わずとも頑丈に仕上がっているのだ。


(俺の知らない技術、俺に足りない力)


 認めるのだ。自分には足りない能力があり、生き残るにはその力が必要だと言う事を。


(だから今は、こいつらを利用する)


 利用し、生き残り、権力を得ねばならない。

 巨万の富に守られていたヒルゾへ近づくには権力(ちから)を使うしかないのである。

 そのためには敗北だろうと馴れ合いだろうと屈辱だろうと、今は甘んじて受けよう。

 しかし、ぬるま湯に浸かってはならない。心を許してはならない。復讐の念だけは絶対に弱めてはならないのだ。

 シュルトはゆっくりと息を吐き、覚悟を決めた。


 シュルトが顔を上げたのを見て、アルマは心配そうな顔で近づくとちょこんと屈み込んだ。


「シュルト、大丈夫? まだ傷が痛むの?」

「いや……それよりこんな所で時間を無駄にしていいのか。やる事は山のようにあるはずだろう」


 シュルトが本来の調子に戻ったのを見て、アルマは微笑を浮かべて頷いた。


「うん。それで悪いんだけど、シュルトにお願いがあるの」

「お願い、だと?」

「そ、お願い。ここの警備について色々考えて欲しいの。監視の体制だとか護衛が何人必要だとか、万一アグリフ達が来た時の対応とか――その、私そういうの苦手で」

「まぁ、そうだろうな……よし、引き受けよう」

「ほんと?」


 パッと顔を輝かせたアルマに、シュルトは大きく頷いた。

 なにせ、この依頼はシュルトにとっても願ったり適ったりだった。

 万一、アグリフに負けることがあっては生存率も、さらには課題の達成も遠くなる。撃退できなくともせめて持ち堪えられるよう、ここの守りを強化しておいて損は無い。

 それに、アルマが自分を利用するために残したと考えれば、ここへ残る事の抵抗が減ると言うものだ。


「そうなると、的確に伝えるために紙とペンが欲しいが」

「ペンは私が一本持ってるんだけど、紙は無いの。一応、木の皮を剥いだ板紙が倉庫にあるけど、ペンで書くとインクが滲んじゃって読めたものじゃないから、とがった石か何かで刻んでね」

「そうか、効率は悪そうだが、しかたがないか」


 アルマとシュルトの話がひと段落すると、その頃合を見計ったかのようにのんびりとした声がかかった。


「おーい、姫さん。ちょっといいか?」

「だから姫さんって言うのはもう止めて――ってナバル!」

「おう」


 そこには笑みを浮かべたナバルがいた。その後ろではウルスラも手を振っている。


「ナバル、ウルスラ。さっきは本当に助かったわ。ありがとね」

「おや、いったいなんの事だったか」

「別に何にもしてやいないさ」


 そろって肩をすくめたナバルとウルスラを見て、この二人が敵に回らなくて本当によかったと心から安堵した。

 と同時にアルマは違和感を感じて首を傾げる。


「あれ? そう言えばオグは?」

「それがあいつ、親の形見をどこかに置き忘れたとかで、さっき一人で探しにいっちまったんだ」

「そうそう。あたしらも手伝おうとしたんだけど、変なところで頑固なんだよね、オグは」


 それでだ、とナバルは身を乗り出した。どうにもここからが本題のようだ。


「オグもいないし探索は控えようと思うんだが、何もしないってのも勿体無い。そっちが何かするなら、協力でもしようかと思ってな」


 腹を叩いて大声で笑うナバルに、ウルスラがやれやれと手を広げた。


「ったく、どうせ見抜かれるくせに見栄を張るんじゃないよ。まぁ、ぶっちゃけて言うとね、アルマのお嬢ちゃんが1リアで何とかするアテがあるって聞いて、あたしらも便乗させて欲しいわけさ」

「まあ、そうとも言えるな。わはははっ」

「えーと、それなんだけどね……」


 言葉を濁すアルマに、ナバル達だけでなく横で聞いているカンナやシュルト達の視線も集まる。


「私もぶっちゃけて言うとね、アテなんて無いの。ほら、ここの運営で手一杯だったから……だから、さっきのは全部ハッタリなの」


 アルマはあははと乾いた笑い声を上げた。

 ナバルの目がみるみる大きくなり、皿のように見開かれた。


「ハ、ハッタリってどうするんだよ? 1リアじゃどうにもならんだろうが!」

「大丈夫、まずは探索とかして稼いでいけば、なんとかなるって! うん!」

「なんだ、策無しか……それにしちゃあ、いやに嬉しそうじゃないか」

「あったりまえでしょ!」


 アルマはニヤニヤと緩む頬を隠しもせず、両手を振り上げた。


「だってこれからお金儲けに集中できるのよ? お買い得品を探して、思い切り値切って、ガンガン高値で売って……そして稼いだお金を数えながら眠るの。一枚一枚、砦みたいに積み上げて――きゃああああっ、もうたまんないわねっ!」


 バンバンと机を叩いて喜ぶアルマに、さしものナバルも一歩引いた。


「あの、アルマさん。ちょっといいかな?」


 妙な雰囲気の中、おそるおそる声をかけたのはザイルだった。その隣には当然のようにクレアも寄り添っており、心持緊張しているように見える。

 どうしたのかと尋ねたアルマに、2人は勢い込んで頭を下げた。


「お願いします! 俺たちにできる仕事を紹介してください!」

「お願いしますわ!」


 深々と頭を下げたザイルとクレアの前で、アルマ達は互いに顔を見合わせるのだった。




「話をまとめると、ザイルはリア袋ごと農学部の課題用だった種芋を無くしちゃった、そういう事ね?」

「……その、面目ない」

「で、クレアはアグリフに全財産を分捕られて、何も残って無いと」

「……その通りですわ」


 さすがにそれは困った状況である。とは言え、すぐに妙案がひねり出せるわけでもない。

 アルマ達はすっかり人気の無くなった薄暗い大教室で頭をつき合わせると、あれこれと作戦を練り始めた。


「何をするにしても元手が欲しいところね。ナバル達はいくら残ってるの?」

「こっちも期待するな。あのくそ情報屋にほとんど取られちまったからな」

「そっか……となると、大人しく探索で稼ぐしかないかなぁ」


 その時、レディンが「あ」と声を上げて立ち上がる。


「学院にこっそり潜入してみてはどうでしょうか? 学院ではリアの価値がかなり低いはずです。少ない食料でもかなりのリアと交換してもらえるのではないでしょうか?」


 レディンの意見にナバルが顔をしかめた。


「ダメダメ! アグリフの野郎が管理するって名目で、学院中のリアとリーベデルタを没収したんだ。俺らはそれが嫌で学院を抜け出したんだよ」

「ああ、なるほど。それじゃあダメですね」


 レディンがしゅんと顔を伏せた直後、ア−シェルが雷にでも打たれたように立ち上がり、兄に向かって叫んだ。


「レディン! 鍵っ!」


 うな垂れてかけたレディンは何の事かと顔を上げ、眉をひそめる。


「鍵って何のことです、アーシェル?」

「だから鍵! 忘れてたの!」


 アーシェルはそう繰り返すと、腰のポケットをまさぐり、ひょいと一本の鍵を取り出した。

 アルマはその見覚えのあるシルエットに目を細める。


「ああ、それ学院寮の鍵じゃない。なんだか懐かしいわね」

「寮の鍵? ――ああああっ!!」


 レディンが大声を上げて立ち上がる。

 皆の注目を受けつつ、レディンはアーシェルの差し出した鍵を受け取りしげしげと確認した。


「やっぱり、僕の部屋の鍵です! そうか、アーシェルに僕らの部屋の鍵を渡してたんでした。いやぁ、すっかり忘れてましたよ!」

「レディン、どういう事?」

「ほら、あの夜――アーシェルが部屋に飛び込んできて、アルマさんが危険だって知らせてくれたんですよ。僕らは慌てて部屋を飛び出したんですが、ボロボロだったアーシェルが部屋で休めるよう、鍵を渡しておいたんです」


 この言葉にシュルトが顔を上げた。


「そうか、俺の鍵は部屋に置き忘れてある。となると、外からあの部屋を開けるにはこの鍵しかない、という事か」

「ええ、そうです。あの部屋には僕とシュルトさんのリア袋が置いてあるはずですから――合わせれば8万リアくらいは残っているはずです」

「8万リア!?」


 アルマは耳を疑った。

 聞けばシュルトはほとんど買い物をしなかったので、まるまるリアが残っているとの事だ。

 そしてレディンもアタ粉を大量に購入はしたが、その他に無駄遣いはしていないはずで――


「ちょ、ちょっとレディン! 確かアタ粉って全部使ってなかったわよね? あれはどうしたの?」


 アルマがレディンの首根っこを掴んで尋ねると、レディンも興奮気味に両手を広げた。


「ああ、そうでした! アタ粉も部屋にたっぷり残っているはずです!」

「「おおおおっ!」」


 どよめきのような声が上がる。

 そして、学院侵入作戦は決行されたのだった。




 ナバルとウルスラ、そしてザイルの3人は川沿いのあぜ道を進んでいた。

 アグリフ達からの認知度が低く目立たないメンバーで行こうと言う事になり、有名人であるアルマとシュルト、砂漠の民であるレディンとアーシェル、元アグリフの暗殺者であり黒髪系の移民であるカンナ、そして赤い髪でアグリフの妹であるクレアはメンバーから外されている。

 この3人で学院に潜入し、見つからないようにリア袋と重いアタ粉を何袋も運ばねばならないのだ。しかし、まだ半分も進んでいない現在、その最後尾を歩くナバルは既にふうふうと息を切らしていた。

 前を歩くウルスラがしょうがないねと肩を落とし、歩くペースを落として振り返る。


「ナバル、大丈夫かい?」

「ふぅ。悪い、もう少ししたら休憩を頼むよ。……それより、今ふと気が付いたんだが」


 なにさと首を傾げるウルスラに、ナバルは額に浮かぶ汗を拭って尋ねた。


「レディンの部屋はまだ無事なのか? そもそも誰かが鍵を壊して侵入してない、なんて保証はまったく無いんだよな?」

「言われて見れば……こんなチャチな鍵、開けようと思えば開けられるかもしれないね」

「だろ? しかもレディンの部屋はあのシュルト=デイルトンの部屋って事だ。こう言っちゃ悪いが、大抵の奴は部屋を荒らしたって良心も痛まないだろ?」

「そうさねえ」


 この言葉を聞き、先頭を歩いていたザイルがくるりと振り向いた。


「俺は無事だと思うぜ。部屋は誰にも荒らされてない。リア袋も食料もきっとあるさ!」


 その堂々とした物言いにナバルはひゅうと口笛を吹いた。


「おうおう、女ができた男は強気じゃねえか。コノヤロウ」

「ちがっ、そんなんじゃないって」


 ザイルは顔を赤くしながらも、大丈夫だという根拠を説明する。


「考えてみろよ、みんな隣の部屋に誰が住んでるかなんて覚えてるか?」

「いや、あたしは知らないね」

「……むぅ、俺もだ。って言うかあれだけ生徒がいるんだ。誰が隣かなんて普通気にしないだろ」

「だろ? つまりシュルト=デイルトンが隣に住んでたかなんか分からないし、そもそも部屋から住人がいなくなった事にも気付かないんじゃないか?」

「なるほど、それは十分に考えられるな」

「ザイル、やるじゃないかい!」


 ウルスラに手放しで褒められたが、ザイルは照れた顔ひとつせず、ただ行く先を見つめて指を刺した。


「だからほら、先を急ごうぜ!」


 そう言うと、早足で川沿いを下っていく。

 小さくなるザイルの後ろ姿を見て、ナバルはやれやれと首を振った。


「俺が食料をとってきてやる。待ってろよクレア――とか思ってるぞ、あれは。女ができるとこうも変わるかね」

「いいじゃないか、若くてさ」

「お前は枯れすぎだろ!」


 ナバルの突っ込みを無視すると、ウルスラはうっとうしそうに前髪をかきあげて呟く。


「それにしても、オグの奴はどうしちまったんだろうね」

「どうしたって、親の形見をどこかに落としたから探してくるって事だろ」

「それはそうだけどさ……最近ちょっと様子が変じゃないかい?」

「ふぅむ」


 ナバルはあごに手を当てる。

 言われて見れば、最近オグはあまり笑顔を見せていない気もする。


「よし、今度ナバル特性カウンセリングをやってやるか!」

「カウンセリングは雰囲気も大事なんだ。悪いことは言わないから、アルマの嬢ちゃんにでも頼みな。オグが自殺したらどうするんだい?」

「たまに真剣に酷いな、お前は」


 苦虫を噛み潰したような顔でナバルは呻いた。


「おーい、何やってるんだよ! 早く行こうぜ!」


 気が付けばザイルはずいぶんと先まで進んでいた。

 振り返って手を振るザイルを、ウルスラが目を細めて見つめる。


「ったく、本当に青くて羨ましいねぇ」

「……なぁ、ウルスラ」

「ん?」


 ウルスラが首をかしげるとナバルはケホンと咳き込み、視線をそらした。


「いや、ええと――そろそろ海に着くな」

「そうだけど、それがどうしたってのさ?」

「……いや、何でもない。砂浜は歩きにくくて嫌だなって思っただけさ」

「ふぅん?」


 (いぶか)しむウルスラを笑ってごまかすと、ナバルはザイルを追うように歩を早めた。


(なんだ、俺もずいぶん青いじゃないか)


 ナバルは言えなかった言葉を胸にしまうと、誰にも見られぬようそっと苦笑を漏らした。





 学院侵入組を見送った後、警備の案を考えるシュルトを除いたアルマ達5人は探索を開始していた。

 目指すは東、学院とは逆方向へと進んでいる。

 と言っても、目を皿のようにして必死で探しているのはクレアとレディンの二人だけだ。

 アルマとカンナ、アーシェルの3人はのんびりピクニックでも楽しむようにフラフラと歩いている。

 その状況にしばらく我慢していたクレアだが、いい加減疲れてきたのかアルマの前で腰に手を当てた。


「ちょっと、探索する気がないんですの?」

「たぶん無駄よ、クレア。この辺りはみんなに探索されちゃってるから、目立つところには何も残ってないもの」

「なっ――」


 努力を笑われたような気がしたクレアは、その顔に怒りをあらわにする。


「やって見なければ分かりませんでしょう! だいたい、あんなペットまで連れてきて、本当に探索する気あるんですの?」


 アーシェルの腕に抱かれた黒い毛モジャの塊――レーベを指差して怒鳴った。

 しかし、アルマはその言葉を待ってましたとばかりに唇の端を上げる。


「何言ってるの? このレーベ君こそ、私達の最終兵器(とっておき)なのに」


 ピリピリした雰囲気に気が付いたのか、レディンも近づいてアルマに尋ねる。


「レーベが最終兵器って、どういう意味でしょうか?」

「まぁ、レディンも見てなさい。アーシェル、この辺りでいいんじゃない?」

「……ん」


 オークの木々がまばらになり、地面に植物が増えてきた辺りでアーシェルはレーベを下ろした。

 解き放たれたレーベは嬉しそうにグルグルと地を駆け回ると、すぐにピタリと立ち止まる。

 そして、おもむろに鼻を地面にこすりつけると、ゆっくりと鼻をヒクつかせながら歩き出した。

 その様子を見ていたレディンが「あ!」と声を漏らす。


「アルマさん、最終兵器(とっておき)って、まさか――」

「そのまさかよ。だって考えてみなさい。あの子のお母さんがなぜあんなに大きく成長できたと思うの?」

「……なるほど、ここの餌を採るのに適していたからですか」

「そうなのです!」


 突然、カンナがアルマとレディンの間に入り、胸をエヘンと反らせた。

 そして、教師のように指を立てると、レディンに得意げに説明する。


「地面に埋もれている食料はとても見つけにくいです。でもでも、このレーベさんには造作も無いことなのです!」

「それ、私がこの間言った事じゃない」

「アルちゃん、酷いです! カンナもかっこいい事言わせてください!」


 頬を膨らませて抗議するカンナの横で、クレアは目を見開いてレーベを見つめている。

 その小さな鼻が急に偉大なものに見えたのだ。


「こんなに小さいのに、すごいですわね……ところで、今まではどんなものが採れましたの?」

「うっ――」


 クレアの質問にアルマは視線を逸らし、答える代わりにレーベの背中をどやしつけた。


「さあ、レーベ! 今日こそはちゃんと見つけるのよ!」

「……そんなに世の中甘くないって事ですわね」

「そうよ! 世の中厳しいんだから、ちゃんとやらないと鍋に入るのはあんただからね!」


 アルマの脅迫が聞こえてるのかいないのか、レーベは小さな尻尾をぱたりと振って応えた。




 ザザン、ザザンと繰り返す潮騒の中、一人の男が砂浜の上を歩いていた。

 熊のように大柄な体、優しげな目、短く刈ったこげ茶色の髪――オグである。

 オグは浮かない顔をして砂浜を一歩一歩、重そうに歩いている。

 そんな彼が見つめているもの、それはハッキリと残るナバル達3人の足跡だった。


「……考えるな、何も、何も、何も」


 ブツブツと呟きながら砂浜を進み、やがて目的である極彩色のテントが目に飛び込んだ。

 ナバル達の足跡はテントには向かわずまっすぐに伸びている。そして、その他にテントの周囲に足跡は無い。

 しかし、それでもオグは用心深く周囲を見回して人の気配が無いことを確認した。


「よし」


 小さく頷くと、ポケットから黒い石を取り出してカチカチ、カチカチ、カンと規則的に鳴らした。

 やがて、テントの中から厳かな声が返ってくる。


「リーベルだ。名を述べろ」


 オグは砂の上に場に片膝を着くと、見えぬリーベルに向かって王の御前にいるように深々と頭を下げた。


「特別生徒オグ、報告にあがりました」



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