第39話:自由と言う名の責任(下)
部屋は夕立のような拍手の音に満ちていた。
この拍手は全てアルマへ向けられている。それは同時に、非国民シュルト=デイルトンを受け入れるという事だ。
その一番後ろで、シュルトは傘を無くした子供のように、ただ呆然と立ち尽くしていた。
(……何故だ)
こうも簡単に受け入れられるなど、どう考えても納得がいかない。
アルマが説得に使ったのはただの感情論、何の益にもならない奇麗事に過ぎない。なのに、あれだけの怨嗟が奇麗に消えてなくったのだ。炎上していた森がコップの水で消えたようなものである。
だが、今現実に、ここにいる連中は残らず拍手を送っていた。
「何故たったあれだけの事で……あんな奇麗事ごときで、こんな……」
「シュルトさんを憎い人なんて、ここには初めからいなかったんですよ」
だれも答えないだろうと思っていた独白に、隣にいたレディンが悲しそうな顔で答えた。
「非国民――そんな分かりやすい悪を憎む事で自分は正しいと信じたかっただけ。そう、みんな弱かっただけなんです」
それはレディン自身にも言っている言葉だとシュルトは気付く。
名前がないと言う理由で村中から虐待された、その過去に。
みんな自分自身から目を背けたくて、憎む対象が欲しかっただけ。憎んでも許される対象が欲しかっただけ。
レディンはそう言っているのだ。
「……しかし、あんな奇麗事だけで人が変われるはずがない。そんなもので弱さを克服できてたまるものか!」
「奇麗事をバカにするなんて、政治学部のシュルトさんらしくも無い」
そう言うとレディンはまるで聖典でも開くように両手を開く。
「真実を愛せ、強く在れ、盗んではならない、殺してはならない、弱き者を守れ、全ての者を敬え――こんな奇麗事が文明のもっとも基盤となるものでしょう? アルマさんが言ったのは、それら全ての根幹たるものです」
「全ての、根幹だと?」
「ええ、愛です」
その言葉にシュルトは露骨に顔を歪めた。
「そんな顔しないで下さい。そう、例えばここに、愛が無い世界があったとします」
レディンは開いていた両手の上に新しい世界を創造し、シュルトに掲げて見せる。
「この世界に住む人はみな、人を愛する事を知りません。人の痛みを知ろうともしません。みんな欲しい物があれば奪い、邪魔な人は殺し、親は生まれた子を育てる事すらしないでしょう。力は欲望に従い、知恵は騙すために使われ、弱い者達も協力すら出来ない。こんな世界、1年だって存在できるものですか」
レディンは悲しそうにパタンと手を閉じ、その世界を終焉に導いた。
そしてシュルトの目を見つめ、真っ直ぐに告げる。
「だから、僕は思うんです。この世界を支えているものは、きっと愛なんだって」
「――そう、聖典にでも記されているのか?」
「いいえ、ただの経験ですよ。そして今、シュルトさんに一番必要だと思った言葉で、これからの学院に問われる言葉です」
何故か反論できず言葉を詰まらせたシュルトは、レディンから目を逸らして段上にいるアルマを覗き見た。
アルマは笑いながら、皆の拍手に感謝を返している。
その青銅色の瞳はどうしてもシュルトのある記憶を掘り起こす。
(姉様……姉様は優し過ぎた)
姉はその優しさ故になす術も無く悪意に飲み込まれた。愛や奇麗事などにすがってきたせいで姉もシュルト自身も、なんの抵抗すら出来なかったのだ。
だから、シュルトは必死で力を身につけたのだ。
だから、絶対に認めるわけにはいかない。それはシュルトの過去を否定する事だ。
シュルトはレディンの胸に指を突きつけ、低く唸るような声で脅した。
「愛など自分自身を殺すだけの腐った言葉だ。二度と俺の前で使うな」
「何故ですか、どうしてその胸にあるモノから目を逸らすんです! アルマさんを助けたいと願う想いは、シュルトさんの純粋な愛じゃないですか!」
「違う! 俺はただ――」
シュルトが大声で抗議しかけた瞬間、アルマの一喝が降り注ぐ。
「そこ、うるさい! 大切な話をするんだから静かにしてなさいっ!」
シュルトが我に返って周りを見渡すと、何人もの生徒が口元を抑え笑いを堪えている。
忌々しげに舌打ちをすると、シュルトは腕を組んで壁に寄りかかった。
そして、レディンに向って押し殺した声で告げる。
「レディン、俺は絶対に認めない。奇麗事も、愛も、お前の神もだ。それだけは覚えておけ」
「ええ――でも、僕はあきらめませんよ。それだけは覚えておいてください」
そう言ってニッコリと笑ったレディンに、もう一度忌々しげに舌打ちを返した。
2人が静かにしたのを見て、アルマは腰から手を離した。
(ったく、何騒いでるのよ。これからが一番大事なんだから、静かにしてなさいよね)
そう、肝心なのはこれからなのだ。
こんな大掛かりな事をしたのも、全て今から発表する意見を通しやすくするため。皆が選んだリーダーの意見ならば大抵の反対意見は抑え込める、そういうシュルトの目論見なのだ。
無論、可能性が減ったと言うだけで、アルマに隙があらば噛み付かれ、折角の案も水泡に帰すだろう。
段上でコホンと小さく咳払いをすると、アルマは油断無く全体を見回して口を開く。
「さっきも言った通り、このアルカンシェルは深刻な食糧危機に瀕しています。だから食糧の確保が最優先事項だと思うの。これはいいわね?」
皆もそれには異論が無いらしく、あちこちで頷く姿が目に止まった。
「でも、いくら頑張って食糧を集めても、今のままじゃ消費するペースの方が早い。もちろん盗まれたせいもあるけど、それを差し引いても食べる量が圧倒的に多い――ううん、ハッキリ言うわね。みんなが採ってくる食糧が少な過ぎるのよ」
黙って聞いていた聴衆は、この言葉に目の色を変える。努力が足りないと言われたようなモノのだから当然だろう。
しかし、沸き立ちそうになる抗議の声をアルマは素早く手で制した。
「でもね、これは私のミスだった。考えてみれば当然の結果だったの」
怒りそこなった聴衆に、アルマはゆっくりと両手を広げる。
「ここにいるのは、そのほとんどが学院の貴族主義に反発した人でしょ? 貴族の庇護より自らの才能に頼る事を選んだ人たちよ。それなのに私はなんとか抑え付ける事ばかり考えてた。そして結局みんなのやる気を削いでいたのよ」
さらに言えば、アルカンシェルに不正入学したような軟弱な輩はほとんどいない。ここにいるのは自力で合格を勝ち取った実力者、言わば本物の『龍の卵』ばかりなのだ。
それが年下の小娘に従い、せっかく採った食料も没収され均等に分配される。おまけに警備や掃除などを一々命令されては、やる気が出なくて当然だった。
「みんなの力を合わせれば、この状況を何とかできるって思っていた。でもそれは間違いだった。私達にそんな暇無かったのよ! 今必要なのは個人主義――つまり、一人一人が持てる才能を限界まで発揮する事なのよ!」
アルマは広げていた左手を胸に、右手を高く差し上げた。
「だから、私はここにアルカンシェルの新たなルールを宣言します。新しいルール、それは――」
そして、右手を振り下ろし、宣言した。
「自由よ!」
アルマのすぐ脇に座り込んで演説を聞いていたクレアは、眉をよせた。
「束縛が、自由?」
クレアが呟いた疑問の声は会衆のざわめきにあっけなく消えて無くなる。
しかし、アルマはさらに声を張り上げ、雑音を吹き消すように話し続けた。
「お願いしていた全ての仕事は、現時刻をもって取り消します。あわせて朝夕の食事も廃止、残っている食料は今夜にでも均等に分配するから、それぞれで管理してね」
僅かでも食料が手に入ると聞いてクレアはホッと胸を撫で下ろす。
だが、いったい自分が何をすればいいのかさっぱり分からない。そう思ったのはクレアだけでは無いようだ。
あちこちで首を傾げる者が増え、「詳しく説明しろ!」と声を上げる者もいた。
その声を上げた男に向かい、アルマはにっこりと笑いかける。
「言葉通り、好きにやれって事よ。例えば配った食料をすぐさま好きなだけ食べてもいいし、気が乗らなければ休んでもいい。なんなら一日中寝てたって構わないわ。ほら、自由でしょ?」
当然、この言葉は皮肉だろう。
食べたら食べた分、休んだら休んだだけ自分の首を絞めるだけだぞと警告しているのだ。
もちろん配られる食糧も出来る限り残さなくては取り返しのつかないことになる。
早速それで食いつなごうと考えていたクレアは背筋に冷たいものが走った。
(それが自由――たしかユノ教官も最初に同じような事を言ってましたわね)
経済学部の教室でユノ教官は、自由など反吐が出ると罵っていた。
あの時は何を言っているか分からなかったが、兄に殺されそうになり、広大な森でさんざん彷徨った今ならハッキリと分かる。
自由とは凶悪な顔を持つ言葉だったのだ。
誰にも注意されず好きな事ができる。確かに素晴らしい事のように聞こえるが、裏を返せば警告無しで残酷な結果が降りかかる事に他ならない。
言わば手すりの無い螺旋階段のようなものである。ちょっとした開放感の代わりに、危険な場所に行かないよう止めてくれるものは何も無い。間違った選択をすればたちまち足を滑らせ転落する。
その先に待つのは、二度と這い上がれぬ絶望か、それとも死か。
(そんなの、冗談じゃありませんわ)
不安に駆られたクレアは、きっと誰かが反論するだろうと辺りを見回した。
だが、反論する者はいない。むしろこの状況を面白がっている者が圧倒的な多数派だったのだ。
よく見ると顔付きまで変わっている。さっきまで傍観者だった顔が、今では挑戦者のようにギラギラとした目付きをして「そうこなくっちゃ!」「面白くなってきたじゃねえか!」などと声を上げて賛同する者もいた。
アルマの言う通り、皆自分の才能に自信を持った化け物のような者たちばかりだったのだ。
クレアはたまらず手を上げる。
「どうしたの、クレア?」
「どうしたじゃありませんわ。今の話だと自給自足出来ない人は死ねとでも言っているように聞こえます。そんなの、あんまりですわ!」
クレアが立ち上がって反論すると、部屋のあちこちから野次が飛んでくる。
「そんなの当たり前でしょう! 何言ってるのよ!」
「俺達のおこぼれに預かろうって腹か!」
「すっこめ、この赤派の犬が!」
それらの野次を手で制し、アルマはクレアに首を振り、「それは違うわ」と否定した。
「探索が苦手な人だって、自給自足ができない人だって、いくらでも手はあるの。そう言う人は無理せず持っているスキルを活かして別の事をすればいいだけよ。そして生み出した何かを食糧と交換すればいいわ。これを使ってね」
腰の辺りから一枚の小さな紙幣を取り出した。
クレアにも見覚えのあるそれは、既に使われなくなって久しい1リア紙幣だ。
「これからアルカンシェルではこのリアを使って売買を行います。これなら均等に配られているし、偽造も簡単には出来ないから貨幣としては最適。しかも、補給船が来たら使えるし、最終的には経済学部の課題としての需要があるもの」
「――まるで、経済学部の授業そのものですわね」
「そう、その通りよ!」
クレアの呟きに、アルマは嬉しそうに頷いた。
「私、政治とかはダメみたい。でも商売だけはすごいって言ってくれた人がいたの。なら、そう言う世界にしちゃえば簡単じゃない?」
「簡単って……」
確かに、こんな鬱屈した人々を治めるには、アグリフのようにアメとムチを使い分ける力が必要だ。しかし、アルマは政治の微妙なことになれば分が悪いのだろう。
普通ならそこで諦めるはずだ。
しかし、アルマは有利になるように世界を作り変えると言っているのだ。いや、事実その世界はすぐそこまで来ている。
その世界には理は無く、ただ利があるのみ。
一番儲けた人が正義であり支配者になる、単純明快な世界。
それをなんと呼べばいいのか、クレアは悩んだ後でポツリとつぶやいた。
「――経済による支配」
アルマは皆がやる気になっている事に少なからず手ごたえを感じていた。
やはりみんなもその才能を自由に使える世界を待っていたのだ。そのためには喜んで危険を背負う。だからこそここにいるのだろう。
「はっ、笑わせるな!」
しかし、そこで立ち上がったのはアルマに大差で負けてしょげ返っていたズィーガーだ。
よほど悔しかったのか、鼻息荒くアルマを糾弾する。
「こんな状況で紙切れと食料を交換する愚民などいるものか! やはり、所詮は貧民の発想だな。聞いて呆れるわ!」
アルマは平静を装い、かろうじて動揺を顔に出さなくて済んだ。
そう、価値の無い貨幣を流通させるには、皆が賛同し共通の価値観を持たねばならない。さもなくば貨幣の価値は崩壊するだろう。それこそがこの案の焦点なのだ。
だから、今は絶対に弱気になってはいけない。アルマは自分自身を叱咤し胸を張った。
「私は文官になりたい。だから私にはリアが必要なの。だから、このリアは私が保証するわ。みなが一致してリーダーに選んだ私以外、いったいだれが保証できると思ってるの?」
アルマの毅然とした態度にズィーガーは方向を変えて攻めてくる。
「そもそも、こんな状況でまだ学院が約束を守るとでも思っているのか? 既に学院は死んだ。我々は助けが来るまでの間、生き残ればいいのだ!」
「助け?」
「そうだ。ここには貴族達を初め、力ある家系の者が多くいる。それがただ黙って指を咥えていると思うのか? 少なくとも我が父上は、必ずや船団を率いて来てくれようぞ!」
しかし、アルマは冷静に告げる。
「じゃあ、何でまだ来ないの?」
「そ、それはまだ日が浅いからであろう。まだ正常に授業が行われていると思っているのだろうな」
「なら、いつ気が付くと思うの? いったい誰が知らせに行くの?」
「そ、それは……」
きつい顔で問い詰めていたアルマはふっと肩の力を抜いて苦笑する。
「ごめんね。助けが来ないって言ってる訳じゃないの。ただ、不確定な事に頼むのは怖いわ。それより一年間耐えた方が確実でしょ?」
「だから言ってるだろう! 我々はこの島に見捨てれ――」
「違うわ!」
アルマはズィーガーの顔に指を突きつけ断言した。
「私達は見捨てられてなんかいない。その理由は3つ」
アルマは一切顔色を変えず首を振り、突き出した拳から、指を一本ずつ立てながら説明する。
「1つ目は、教官達が消える前の日まで補給をした事、見捨てるならそんな事しないでしょ? 2つ目は神学部の教官である大神官が保証した事。大神官は嘘をつけない戒律だから、これは大きな証拠ね。そして3つ目、それはこのアルカンシェルの存在よ。新しい食料を見て不思議に思わないの?」
立てられた3本の指をみて、遠くから傍観していたナバルが手を上げつつ立ち上がった。
「つまりなんだ、この状況は教官達が仕組んだカリキュラム通りで、一年経てばちゃんと迎えが来るって事か?」
「ええ。そしてその時、ちゃんと課題をこなしてた人は官職につけるってワケよ。だからみんなも余裕が出たらそれぞれの課題に取り組む事を薦めるわ。そのための自由なんだから」
アルマも本心では納得してない。それどころか、死者まで出てしまっているこの授業は、たとえ効果があろうと認めたく無い。
だが、不安をあおっても良い事など何一つ無いのだ。
ナバルはふむと頷くと、そのでっぱったお腹をぽんと叩いた。
「分かった。それなら、協力してやる事にやぶさかでもないな」
「ったく、素直に甘い汁が吸いたいって言えないのかい!」
「お、おい、ウルスラ。黙ってろって!」
そのやり取りに会場が沸き、文句を言っていたズィーガーもすっかり毒気を抜かれていた。
そして、座ったナバルはニヤリと笑ってアルマを見た。まるでこの状況が面白くて堪らないといった顔だ。
(なるほど、協力してくれたって訳ね。やるじゃない、ナバル)
心の中で感謝を送り、他に不満が無いかと問う。
そんな中、1人の女子生徒が手を上げた。
その見事な金髪には見覚えがある。たしか、数日前に女子5人で逃げてきた集団のリーダーのはずだ。
アルマがどうぞと促すと、金髪の女は静かに立ち上がってしかめっ面を隠さずに反対を表明した。
「私は嫌よ。だって、このままじゃ暴力男達の天下でしょ。私たちがいくら頑張ってもどうせ奪られちゃうのがオチよ!」
「……確かに、それは一番怖いわね。だから、身を守る方法はしっかり考えてね。以上よ」
「ちょ、ちょっと何よそれ! 無責任じゃない!」
抗議の金切り声にアルマは苦笑し、ため息をひとつ吐いた。
もとより答えるつもりだが、引き伸ばす事で提案を意識付ける事ができる、そう考えた上でのため息である。
「しょうがない、アドバイスしておくわね。例えば軍学部で信頼できる人をガーディアンとして雇ったらどう? もちろん信頼できる人をちゃんと見定められるかがポイントね。軍学部の人も、これなら食いっぱくれる事は無いでしょ?」
しかし、金髪の女はさらに食い下がる。
「で、でも、私の仲間には農学部の子もいるの。農学部の卒業条件を満たしたければ畑を耕さなきゃいけないけど、作物が育つまで待ってられないでしょ? どうするのよ?」
「まぁ、普通にやったらその前に餓え死にしちゃうでしょうね……いいわ。特別にもう1つ無料でアドバイスしてあげる」
アルマは勿体をつけるように制服の前を軽く払って間を取った。
「これから、夏を過ぎ、秋が過ぎ、次に来るのは冬よ。狩猟や木の実採集だけじゃ絶対に足りなくなる。そう思う人は私だけじゃないはずなの。分かる?」
「……え、ええと、つまり、どう言うこと?」
分からないと目で訴える彼女にアルマは唇の端をニッと上げる。
「私なら、あらかじめ畑の持ち主にお金を渡して、作物を予約しちゃうけどなぁ」
「あ――」
金髪の女は小さく声をあげ、その姿を見たアルマは一歩引き、全体に話し出した。
「幸いこの島は動物も果物も豊富だから、当面は狩猟や採集を効率的にやればなんとかなると思うの。でも森は危険よ。探索先じゃ怪我しただけで死ぬ事だってある。だから、探索には医学部、もしくは応急処置を心得ている神学部の人を連れて行く事をお薦めするわ。腕っ節の強い人がいればなお安心ね」
アルマは指折り数えながら例を上げていく。
「工学部なら探索先で何が加工できるか選別できるでしょうし、ここに居残って役に立つものを作ってもいいわね。経済学部は――言わなくてもいいわね?」
その問いに聴衆の何人かがもちろんだと頷いた。
アルマはそこで息を大きく吸うと、「ただし」と硬い声で釘を刺す。
「ここアルカンシェルに住む以上、10日で300リアの家賃を払って欲しいの。別に私が貰うわけじゃなくて、共用設備の開発や警備に使うの。まず何とかしたいのがトイレね。小川に垂れ流すのはしょうがないとして、あの穴だらけの衝立の中じゃ出るものも出ないじゃない?」
その言葉に押し殺した笑いと共に、多くの女子が深く頷く。
穴のあいた男女共用のトイレなど、笑っていられない大問題なのである。
「それから見張りだけは削りたくないの。餓えと同じくらい警戒しなくちゃいけないのが、学院にいるアグリフ達、赤派の連中よ」
そう言ってアルマは遥か南西にある学院を指差す。
「私が聞いた情報によると、学院への補給船はずっと来ていないそうよ。そして、食糧問題もこっちより深刻だって聞いてる。もし学院の食糧が底を尽きた時、あいつらがどんな行動に出るか――言わなくても分かるでしょ?」
この質問に誰も疑問の手を上げなかった。
それだけの事をされたから、みなここにいるのだ。
「それで、家賃について反対する人はいる? ……いないみたいね。もし払えない場合は私に言いなさい。利子付きでツケてあげるわ。はい、他にまだ質問したい人はいる?」
「ちょ、ちょっと待て!」
最後の抵抗とばかりにズィーガーはアルマへ質問を投げ続ける。
「自分は残りのリアが既に半分を切っている。これは明らかに不利であろう!」
「あら、随分持ってるじゃない」
アルマはニッコリ笑って、胸を張った。
「私、そして私の仲間であるカンナ、アーシェル、シュルト、レディン。私たち5人の全財産がこの1リアよ! あとはアグリフにぶん取られてスッカラカンなの。貧民を舐めんじゃないわよ!」
これにはさしものズィーガーも目を点にした。
「い、1リアしか無いだと? それで一体どうするつもりなのだ?」
「別に? このくらい、ちょうどいいハンデよ」
「ハンデだと!?」
そう、アルマには十分過ぎる程のアドバンテージがあると考えていた。
なにせ経済学部の教官ユノが金よりも価値があると言った人脈が、アルマには他の誰よりもある。それはたった今、支持者と言う形で証明されたばかりなのだ。
そして何より、アルマにはかけがえの無い仲間がいる。
これから何だって出来るはずだ。
「私はこの1リアあれば十分やっていける自信があるの――あなたには、無いの?」
「あ、あるに決まっておろうが!」
反対派の筆頭だったズィーガーがやる気を表明した以上、他に異論を言うものは誰もいなくなった。
すっかり黙った会衆を見渡し、アルマは満足そうに頷く。
「準備はいいみたいね。じゃあ、そろそろ始めるわよ?」
アルマは握りこぶしを作り、ぐっと構えた。
混沌めいた空気は既に無く、ピリピリとした競争心が部屋に張り詰めている。
力を出せないままに塞き止められていた才能が、アルマの合図で濁流となって流れ出そうとしているのだ。
(待たせて悪かったわね。さぁ、思う存分暴れなさい!)
アルマは拳を高々と振り上げると、高らかに叫んだ。
「はじめっ!」