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第38話:自由と言う名の責任(中)

 むせ返るような熱気、さざ波のような喧騒、アルカンシェルの大部屋は人で溢れかえり、異様な雰囲気に包まれていた。

 大部屋にある100脚近の椅子は、そのほとんどが埋まっており、立っている者やテーブルに腰掛けている者もいる。

 ナバルもようやく確保した席で額に浮かんだ汗を拭った。


「ふぅ、狭っ苦しいな。こんなに人が住んでいたなんて聞いてないぞ」

「何言ってんのさ、ナバル。あんたが2人分場所を取ってるせいじゃないか。今すぐ痩せな」

「おいおい、ウルスラ。無茶言うなよ」


 隣に座ったウルスラも制服の胸元を摘み、パタパタと熱気を逃がすのに忙しい。

 ちなみに、寡黙な大男オグはナバルとウルスラの間でぼーっと立っており、座っているナバルとウルスラを恨めしそうに見ている。


「ねぇ、ウルスラ。半分づつ座らない?」

「無理、無茶、却下! これ以上暑くて狭くて臭くなるのは絶対にごめんだよ。ほら、あそこの席が空いてるじゃないかい」

「いやだよ、一人で離れて座るなんて」


 オグは口を尖らせて拒否したが、そのしぐさは大柄な体に全然似合っていなかった。

 だいたいオグはいつも要領が悪いのだ。

 それが好ましくもあるが、やはりもうすこし頼もしくなって欲しい、そう願ってナバルはオグの背中をポンと叩いた。


「オグ。もっとこう強引にならなきゃ、そのうち困るのは自分だぞ」

「う、うん。分かってるんだけど……えへへ」


 しかし、オグはそう言って頭を掻くばかりだ。

 ナバルはウルスラと顔を見合わせ、処置なしとばかりにため息を吐いた。


「それにしても蒸すわね。どうせなら夜にしてくれた方が涼しいのにさ」

「夜っつても砦の中は風通しが悪いんだから、夜でもこんなもんだ。そんな事言ってるとこれからの夏がもっと辛いぞ」

「まったく、これでまだ春だってのかい? まったくこれだから湿気の多いところは嫌いだよ」

「シッ、2人とも。そろそろ始まるみたいだよ」


 オグが見ている先をナバルも追った。

 扉のから現れたのは砂漠の民の衣装――レディンだ。その脇には同じく褐色の肌をした少女、アーシェルもいる。

 確かに、開演の時刻はすぐそこらしい。


「さて、今度はどんな事をぶちかましてくれるつもりだい。アルカンシェルの姫さんよ」


 ナバルは額の汗を拭い、目を細めた。




「レディン、アーシェル。中の様子はどう?」

「皆さん待ちかねてますよ」

「……暑苦しい」


 嬉しそうなレディンと対照的にアーシェルは眉をしかめて呟いた。

 アルマは指を頬に当て、視線を見えないはずの扉の奥へ向ける。


「暑くてイライラされると厄介ね。レディン、奥の雨戸を全開までを開けてきて。アーシェルはそこの扉が閉じないように何か噛ませるものを探して。それから、カンナ」


 アルマは背後で静かに立っていた少女を振り返る。


「十分気をつけるつもりだけど、万一揉め事が起きそうだったら……頼むわね」

「任せてください!」


 カンナはにっこりと笑って頷く。

 その為に私はここにいるのだ、そう言わんばかりの満面の笑顔だ。


「ありがと、カンナ。よし、じゃあ始めましょうか!」


 アルマがポンと手を叩くと、それぞれが行動を開始するべく歩き出した。

 昨夜、遅くまで作戦を練ったせいで相当疲れているはずだが、誰もそんな様子を見せない。そのお陰で納得のいく作戦も出来上がった。後は全て自分にかかっているのだ。

 アルマはこみ上げる感情に、口元を緩めた。


「――まったく、お前は緊張という言葉を知らないのか?」


 目を上げると、シュルトが呆れた顔で腕を組んでいた。

 まだ少し体調が悪そうだが、顔色は随分と良くなっているようだ。

 アルマは首を振って、小さく息を吐く。


「まさか。今だって足の震えが止まらないわ」


 もしここで失敗したら、その先に何が待っているのかアルマですら想像がつかない。

 手すりの無い高所にいるように足は震え、鼓動は高まったままだ。


「なら、なぜそんなに嬉しそうに笑える?」

「シュルトがいるからに決まってるじゃない!」


 ビシリと指を突きつけると、シュルトは驚いた顔で一歩後退る。


「シュルトがいて、カンナがいて、レディンがいて、アーシェルがいる。だから最悪の状況になったって、きっと笑えるの」


 そう言ってもう一度笑うと、シュルトはため息を吐いて頭を掻いた。


「……それなら心配するな。俺の作戦通りにすれば、最悪の状況だけは避けられるはずだ」

「それって、シュルトと私の関係をあれこれ言われた時の事?」


 アルマの問いに、シュルトはそうだと頷く。


「俺がお前の周りにいれば、反対派の連中の格好の餌食(えじき)だ。必ずそこを突いてくるだろう。そうなる前に関係を否定し、俺を追放しろ。昨夜話したはずだろ?」

「……」

「いいか、俺はどうせここに長居するつもりは無いんだ。学院に戻って、やらなきゃいけない事が残っているんだ」

「それってやっぱり、復讐なの?」

「ああ、そうだ」


 シュルトは迷い無く頷いた。

 復讐なんて無意味だから止めて――そう言うのは簡単だ。しかし、それではきっとダメなのだろう。復讐しなければならない理由も、復讐したい相手すら、まだアルマは知らないのだ。

 だからと言って復讐なんかにシュルトの人生が潰されるのは、絶対に耐えられなかった。

 シュルトが変わる時間が欲しい。シュルトが復讐を超え、掴みたい未来を見つけるまでの時間が、世間がシュルトの才能を認めるまでの時間が。

 そして、いつか非国民ではなくシュルト=デイルトンとだけ呼ばれる日が来る事を、アルマは痛切に願った。


「ねぇ、シュルト。今日はまだ、ここにいるよね?」

「ああ。最後列で目立たないようにしているつもりだ。本当はいない方がいいんだが――」

「ダメ」


 そのまま遠くに行気そうな気がして、アルマはシュルトの腕を掴んだ。


「私を信じて、見守っていて欲しいの。絶対に成功させてみせるから、最後まで見届けて。お願い」


 シュルトは盛大なため息を吐くと、苦笑を浮かべて頷いた。


「ああ、分かった。だから行ってこい。アルマ=ヒンメル」

「うん、行ってくる!」


 アルマはシュルトの腕を離すと、くるりと体をひるがえした。

 目の前に立ち塞がるのは、まだ閉じている分厚い扉。

 この向こうに私の戦場があるんだ。

 アルマは小さく息を吸い込むと、その扉にそっと手を当てて力を込める。

 そして、アルマ=ヒンメルの戦いが始まった。




 アルマが部屋に足を一歩踏み入れると、部屋の空気が変わった。

 無秩序な喧騒に包まれていただけの部屋が、あきらかに意思を持ったざわめきへと形を変えたのだ。

 突き刺さるような視線、ささやく声、嘲笑――しかし、その中で精一杯胸を張り、ゆっくりと歩を進める。

 目指すは人でごった返す大部屋で唯一人のいない空間(スペース)、アーシェルの作った木箱が置いてある場所だ。


「はいはい、静かにする!」


 木箱に登るや、アルマはパンパンと手を叩いて周囲を一喝した。

 喧騒は波が引くように小さくなり、やがて呼吸の音すらうるさく感じられるほど静まる。

 時を逃がさずアルマは口を開いた。


「今更とは思うけど、私はアルマ=ヒンメル。ここアルカンシェルのリーダーをやっています。今日は集まってくれてありがとう」


 この挨拶にも皆はしん、と静まり返っている。

 何を言いたいのかとキョトンとしている者、言葉の裏を読み取ろうとアルマの腹を探る者、アルマの統制に不満を抱き、隙あらば攻撃しようと狙っている者もきっといるだろう。

 シュルトの言った通り、このままだったらどんな提案をしても反対されたに違いない。

 アルマは小さく咳払いをして、早速本題に入った。


「まず皆さんにご報告があります。先日、また食料が盗まれました。これで食糧の残りはあと10日分くらいでしょう」


 ザワリと空気が渦巻く、それが大きくなる前にアルマは先を続けた。


「これを食い止められなかったのは、私の責任でもあります。そこで――」


 そこで、一旦言葉を切った。

 皆の意識が集まるのを感じながら、アルマは息を吸い込む。


「私は、ここのリーダーを辞めます」


 その途端、大部屋は再び――いや、先ほど以上の喧騒に飲み込まれた。



「はいはい、静かに! そんな一度に喚かれたら訳がわからないじゃない。意見があるなら手を上げて、許可したら言いなさい!」


 飛び交う怒号や批難をアルマは涼しい顔をして受け、パンパンと手を叩く。

 そこで真っ先に手を上げたのは、理屈屋のズィーガーだ。仕事そっちのけで仲間を増やす事に苦心している彼は、おそらく今日この中で一番厄介な相手だろう。

 だからこそ、彼が大人しくなれば他の反対派も抑えられるはずだ。


「じゃあ、ズィーガー。意見をどうぞ」

「意見ではない、呆れておるのだ! 嫌になったから止めるなど、姫様の無責任ぶりにも程があるぞ!」

「あら、辞めろと言ったのはあなたでしょ?」

「こ、こういう問題が出る前に辞めろと言ったのだ! こうなる事など初めから分かっていた事であろう!」


 どうだとばかりにズィーガーは肩を上下する。

 おそらくアルマが二度と這い上がれないように、この際徹底的に叩き潰すつもりなのだろう。


「――そうね、確かにあなたの言う通りね。少なくとも、私はこのままアルカンシェルのリーダーをやるべきじゃない。そもそも最初にアルカンシェルを見つけたって言う理由でリーダーをやった事が変だったのよ」

「あ、ああ、そうだ。なかなか殊勝な心がけではあるな」


 ズィーガーの顔には抑えきれぬ喜びと、そしてなぜ急に大人しくなったのかと言う疑問が見え隠れしている。

 アルマはそこに追い風を当てるように言葉を選んだ。


「リーダーには最もふさわしい人がなるべき、そうでしょ?」

「おお、そうだ! 早急に次のリーダーを選ばねば、ここアルカンシェルの秩序はますます悪化するぞ! さあ、今ここで次のリーダーを選んでもらおうか。それが責任と言うものであろう!」

「ええ、もちろん今ここで選ぶつもりよ。でも選ぶのは私じゃない。次のリーダーは――」


 アルマはもう一度深呼吸し、昨夜シュルトの作り出した案を高らかに宣言した。


「ここにいる全員で決めます」


 大部屋が再びざわつく――が、驚きと言うよりはそりゃあいいと言う意見が大半のようだ。

 反対意見もアルマの耳に飛び込んでくるものの、その力は強くない。ここで強硬に反対したら、発言力を失うと分かっているのだろう。

 さらに大部屋の扉が開き、涼しい風が入り込む。アーシェルが扉に噛ませる物を用意したのだろうが、ちょうど皆の頭を冷やすように風が流れ、お陰で反対の声もすっかり消えてしまったようだ。


「特に異論はないようね。じゃあやり方を説明するわね」


 アーシェルに目でナイスタイミングと感謝を送り、アルマは説明を続ける。


「まず、リーダーをやりたいって言う立候補者に出てきてもらいます。みんなには支持できる人に挙手してもらって、支持者の数でリーダーを決めるってわけ。支持できるなら何人に手を上げてもいいわ」

「ま、待て!」


 そう言って手を上げたのは、またもズィーガーだ。


「なに、ズィーガー? さっそく私を支持してくれるの?」


 会場がドッと沸き、ズィーガーは顔を真っ赤にして立ち上がった。


「違う! まさか、リーダーを降りる身であるお前が、厚かましくも立候補などする訳がないだろうな?」


 憎々しげに指を突きつけ、ズィーガーは唾を吐く。


「いいえ、立候補します。そしてもし、みんながまだ私を信頼してくれると言うなら、こうなった責任を全力で果たすつもりよ。よろしくね、ズィーガー」


 そう言ってウインクをすると、ズィーガーは噛み付かんばかりの形相で腰を下ろす。

 その他も完全に納得している訳では無さそうだが、反対意見を言う筆頭が沈黙したので、それ以上意見はないようだ。


「じゃあ、時間ももったいないから早速始めるわね。っと、立候補する私が仕切ってたらまずいか。だれか仕切ってくると嬉しいけど……クレア、やってみない?」

「――は? 私が?」


 クレアは胸に手を当てて立ち上がる。


「クレアの声はよく通るみたいだから、ぜひお願いしたいの。嫌とは言わせないわよ?」


 クレアは困惑した顔で迷っていたが、昨日の事を思い出したのか、やれやれと頷いた。


「……ふぅ、分かりましたわ。でもあなたに借りのある私がやっていいの? もっと中立的な人が司会をした方を選ぶべきじゃないかしら?」

「大丈夫、紹介して上がった手の数をを数えるだけだもの。しかも司会者には支持する権利も無い。それでも他にやってみたい人、いる?」


 アルマの呼びかけに誰も手を上げようとしないのを見て、クレアは渋々と前に出てきた。

 アルマは出てきたクレアの肩をポンと叩く。


「ありがと、クレア。頼りにしてるわ。まずは、立候補を集めて」

「わ、分かりましたわ」


 頼りにしてるなどと言われるとは思ってもいなくて、クレアはうろたえながら頷いた。

 今までは兄や姉達の家督争いから逃れ、ひたすら目立たないようにしてきた。自分が何かをする事など、これまでの人生の中では無かったのだ。

 つまり、これは自分に任された、初めての仕事なのだ。


「クレア、頑張れ!」


 ざわめきに紛れザイルの叫ぶ声が届く。クレアはその声だけに小さく頷くと、優雅に皆を振り返った。


「さあ、アルカンシェルのリーダーに立候補したい人は立ち上がって、その意を表明してくださいまし!」


 クレアがそのよく通る声で呼びかけると4人の立候補者がすぐさま立ち上がった。

 いずれもアルマに反意のある――つまりは文句ばかり言う集団のリーダーだ。


「もう他に、立候補者はいませんわね?」


 クレアは手早く確認すると、立候補者達を前に集め、きびきびと横に並ばせる。


「では、始めますわ。それぞれ段の上に昇って名前と意気込みを語ってくださいな」


 クレアの流れるような司会に、思わぬ掘り出し物だったとアルマは口元を綻ばせた。



(ここまでは順調、か)


 シュルトは一番後ろの壁に寄りかかり、目を細めて投票の行方を見守っていた。

 ここまで特にアクシデントはなく、今段上ではズィーガーがその有り余る熱意を語ったところだ。


「では、ズィーガーさんを推薦される方、手を上げてください」


 クレアの号令で、手が次々と上がる。


「……23、24、25人ですわね」


 ほぼ4分の1の生徒が挙手した事になる。これまでで最多の支持者数だ。

 ズィーガーは気に入らない相手は徹底的に糾弾し、逆に身内や取り入ろうとする人はすこぶる優遇していると聞いた。

 人間としてはともかく、統治者としては正しいやり方であり、これはその成果だろう。


(だが、そう言う人間は得てして野心を抱きやすい……あいつは不安要素だな)


 シュルトは冷静な目で段を降りるズィーガーを観察した――その時、ズィーガーの目がじろりとシュルトを見つめ、ニヤリと口元を歪ませた。

 背筋に冷たいものが走り、シュルトは嫌な予感に組んでいた腕をほどいた。


(あいつ、何かやるつもりか?)


 あれはシュルトが嫌と言うほど見てきた目、あれは他者を追い詰める者の目だった。


「では、最後にアルマさん、段上に上がって――」

「待たれよ!」


 そう叫んだのは、やはりズィーガーだった。


「ズィーガーさん、あなたの番は終りましたわ。結果にご不満でもおありなの?」

「いや、そうではない。ただ、アルマ=ヒンメルについて、ひとつ皆に忠告したいと思ってな……」

「忠告?」

「ああ、そうだ。あれを見よ!」


 ズィーガーが声高らかに叫び、その指は真っ直ぐにシュルトを差していた。


「あそこにいるは非国民シュルト=デイルトン! 言わずもがな国家大罪の裏切り者であるデイルトン公爵が息子、悪魔の化身である!」


 この発言に大部屋の空気に憎悪が混じった。

 初めてシュルトがいると聞いた者は驚き、既に知っていた者も嫌悪感をあらわにする。中にはシュルトの周りから立ち上がって離れる者もいる。

 そんな中で、シュルトは眉一つ動かす事無く、周囲の憎悪を静かに受け止めていた。

 この程度いつもの事だ、分かっていた事だ、もう痛みすら感じない。

 そう自分に言い聞かせたシュルトの心臓がドクンと跳ね上がった。ズィーガーのすぐ隣にいたアルマの目がそれと分かるほど怒りに染まったのだ。

 そんなアルマの様子をズィーガーは顎をさすって見下すと、首を傾げる。


「おや、姫さまとあろうものが非国民を悪魔と言った程度でお怒りか? ふむ、ではやはり、噂は本当であったか」


 ズィーガーは両手を広げ、朗々と声を上げる。


「皆のもの、よく聞いて欲しい。アルマ=ヒンメルはシュルト=デイルトンの仲間、引いては傀儡(かいわい)である! この貧民に投票するはあの非国民に投票すると同意! 我らがシュバート国を裏切るに等しい行為ぞ!」


 このズィーガーの発言は十分に予想できた事だった。発言力を増すために他者を蹴落とす、それが政治と言うものなのだ。

 シュルトはアルマに視線を送る。


(アルマ、冷静になれ。打ち合わせ通りに言うんだ)


 だが、アルマの青銅色の瞳が返したのは激しい怒りと明確な拒否。


(よせ、アルマ。冷静になれ!)


 しかし、その合図を見る事無くアルマはゆっくりと段上に昇る。

 それにクレアが気付き、声を掛けた。


「アルマさん、なにか弁解があるのですか?」

「弁解? 弁解ですって? ふざけないでっ!」


 アルマの怒鳴り声に不意をつかれ、ざわついていた会衆はシンと静まり返った。


「シュルトがいったい何をしたの? ただ生まれて、必死で生きるだけじゃない! そこになんの選択の余地も無いわ。なのに気が付けば周りから憎悪の目を向けられてる。そんなバカみたいな事に、何故みんな疑問を持たないの?」

「よせ、アルマ」


 しかし、そう言ったシュルトの声は小さく、誰にも届かなかった。

 数多の憎悪を向けられても凪いでいた心は、今や不安と焦りではっきりと動揺していた。

 そんな事はお構いなしに、アルマは声を上げ続ける。


「憎しみを向けられる事がどれだけ苦しいか、あなた達に分かる? 私、シュルトの隣を少し歩いただけなのに、逃げ出したくなったの。なのにアイツはいつも平気な顔してる! 憎しみを当たり前みたいに受け取って、それが私には許せないの!」


 アルマの言葉に、シュルトの心を守っていたものが一枚、また一枚と剥ぎ取られていく。

 その証拠に、どんな事があっても痛くなかったはずの心が、今悲鳴を上げているのだ。


「みんなまだ憎み足りないって言うの? 私は嫌、そんな儲からない事に1分だって使いたくない!」


 言葉は全員に向けられているが、その視線はシュルトに注がれていた。

 痛む胸を掴み、シュルトは段上のアルマを睨み返したが、アルマはさらに声を張り上げた。


「シュルトは、自分のせいで私が不利になる事を予想していたわ。それであいつ、何て言ったと思う? 俺を他人だって言えって、アルカンシェルからも追放しろって! 冗談じゃないわ! それで私が納得すると思ってたの? バカじゃないの! って言うかあんたバカよ!」

「う、うるさい! バカはお前だ!」


 前に飛び出しそうなシュルトの肩を後ろから誰かが掴み、ぐいと引き戻された。


「シュルトさん、静かにしてないとダメですよ。アルマさんの努力を無駄にするつもりですか」

「――レディン。まさかお前、こうなる事を分かっていたのか?」


 そう睨みつけたシュルトにレディンは苦笑を返す。


「誰だって分かります。シュルトさんって、肝心なところが鈍いんですよ」

「くっ」

「ほら、そんな顔しないで周りを見てください」


 レディンに促され、シュルトは周りを見た。


(何だ?)


 周囲からの視線が変わっていた。突き刺さるような視線ではなく値踏みするような、あるいは――ただの人を見るような視線に。


「シュルト!」


 呼んだのは段上にいるアルマだ。

 強い意思を込めた瞳で、シュルトを見つめている。


「忘れないで。私、アルマ=ヒンメルはシュルト=デイルトンの仲間――それが私の誇りなの」


 アルマがふぅと息を吐くのを見計らって、クレアが言葉を挟む。


「さて、そろそろ始めてもよろしくて?」

「もちろん」


 アルマはニッコリ笑って頷いた。


「では、アルマ=ヒンメルを推薦する方は、手を上げてください」


 クレアの声に、カンナとレディン、アーシェル。そして、ナバル達10人ほどが真っ先に手を上げた。しかし、これではとても足りない。


(……お願い)


 その祈りに応えるように、アルマに友好的だったグループの人々がポツポツと手を上げる。つられて静観を決め込んでいたグループが手を上げ――やがて過半数の人々がアルマに支持を表明した。

 さらには、反対していたグループも後に禍根を残したくないのか、すごすごと手を上げ始める。

 気がつけば手を上げていないのは、たった1人だけとなっていた。

 そして最後の1人、シュルトがゆっくりと手を上げる。


「さて、これを数えろって言うんですの? リーダーはアルマ=ヒンメルで決まり、これでよろしいですわね?」


 クレアの問いに、皆は割れんばかりの拍手で答えたのだった。


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