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第37話:自由と言う名の責任(上)

 穏やかな午後の光の下、その一画は笑顔で溢れていた。

 アルマやカンナ、アーシェルはもちろん、ずぶ濡れになって引き上げられたレディンやシュルトの顔にも非難の色はない。川を挟み、これで休めるぞと肩を叩き合っているのはナバル達だ。

 誰しもが再会の喜び、そして長旅からの開放感に表情を綻ばせていた。

 ただ一人、クレア=ラーゼを除いては。


(私は、どうすればいいの)


 クレアは蒼い顔を隠すように、ひとり(うつむ)いて唇を噛んでいた。

 アルカンシェルのリーダーがアルマ=ヒンメル――そう聞いてからクレアはいつかこの日が来ることを恐れていたのだ。

 まさかビスキムを使ってアルマとシュルトを殺そうとした事が、こんな事になるなどと思っても見なかった。

 さらにシュルトが一向に加わってからと言うもの、クレアは生きた心地すらせず、あの非国民がいつ殺しに来るのかと夜も眠れぬほどだったのである。

 不思議なのはシュルトが今まで言葉1つかけてこなかった事で、それを幸いにクレアはただ目を合わせないよう必死で無視し続けていた。

 ただ、シュルトが自分を見逃しているのは何故か、力を失ったクレアなどには興味が無いのか、体調が回復し確実に優位に立てるのを待っているのか。

 時折感じる鋭い視線から、おそらく殺す機会を伺っているのだろう。


(そう、だから逃げるなら今しかないのよ)


 自分はどうせあの砦には入れはしない。ナバル達がいくらあの貧民に頼んだとしても、命を狙った人間を受け入れるとは到底思えない。

 ならばシュルトに狙われる今、シュルトの気が逸れているこの機会に森へと逃げ延びる事が最良の選択ではないだろうか?


(でも、私はこの森で生きていけるの?)


 そっと後ろを振り返ると、そこには暗い森が静かに広がっている。この大人しそうな森が、いかに無情で厳しいものだったか、クレアはこの数日間で嫌というほど思い知らされていた。

 やはり、自分一人で生きて行くなど到底無理に思えた。


(せめてもう一人――そう、ザイルがいれば)


 クレアは顔を上げ、すぐ前でぐっと伸びをしているザイルを見た。

 (たくま)しいとは言えないが、襲われたあの日から今まで、ザイルの優しさに何度救われただろう。きっと彼がいれば、この森でもなんとか生きていくことができる。

 クレアは周りに気付かれないよう、ザイルの袖をそっと引っ張った。


「ん、どうした?」


 振り向いたザイルの顔に浮かんでいたのは、満面の笑みだった。

 その顔があまりに嬉しそうで、用意していた言葉はクレアの喉元で凍り付いてしまう。


「ザイル……その、すごく嬉しそうね」

「もちろんだよ。ここに入れなかったら、もう行く所なんて無かったもんな」


 その言葉に胸がギリリと痛む。

 ザイルだって森での生活が限界に来ていたのだ。

 当たり前だ。今まではザイルも都会の文明社会で、落ちぶれたとは言え貴族である親の庇護下で、厳しい自然とは無縁の生活を送ってきたのである。

 そんな彼に一緒に来てくれてと、今ここで本当に言うのだろうか?


「クレア、顔色が悪いぞ?」

「え、ええ、ちょっと疲れてしまって」

「そうか、ここ2,3日は歩きっぱなしだったもんな。でもきっと今夜はベッドで休めるだろうから、もう少し頑張ろう。なんなら肩を貸そうか?」


 ザイルの優しい気遣いに首を振ったクレアは、ならば他の誰かを誘おうとかと考え――ダメだった。

 ザイル以外の誰を選ぶ事も、すぐに拒絶してしまうのだ。

 頭ではなく、心が。

 そして、思い知った。彼女の中で最も重要な事が何か、彼女の不安の原因がなんだったのかを。


(ザイルと、離れたくない)


 それがクレア=ラーゼが今、最も怖れている事だったのだ。

 同時に、ザイルに頼むのがもっと怖くなった。

 きっとクレアが必死で頼めばザイルは一緒に来てくれるだろう。

 だがそれは森での辛い生活を彼に強いる事だ。自分のやった罪の代価をザイルに払わせる事だ。

 そして、結局何も出来ない自分はきっと、飢えと渇きの中でザイルを殺してしまう。


(――いやっ!)


 クレアはザイルの裾をさらに強く掴んだ。

 そんな結果だけは嫌だった。ザイルが死ぬなど、絶対に耐えられない。

 人の痛みなど、ここに来るまではどうでもよかった筈なのに、今はそれが自分の死よりも恐ろしく感じる。

 同時にザイルと離れる事も、それと同じくらいに恐ろしかった。

 死なせたくない、離れたくない――この二つの無理を通そうとするなら、残る選択肢は1つしかない。


(やれるはずですわ。私だって商人の娘なんですもの。頭を地面にこすりつけてでも――)


 アルマ=ヒンメルに交渉し、説得してみせる。

 頭を下げようが、泥に塗れようが、失うものなんて何も無い――いや、絶対に失ってはならないものが分かったからこそ、やらなくてはならない。

 クレアは目を閉じ、自分が持っている交渉材料(カード)を確認する。

 使えそうな事実は、ガーディアンだったビスキムがアルマの命を救った事、その結果、クレアはアグリフに狙われているのだと言う事。そして、


「ザイル、お願いがありますの」

「お願い?」


 いつの間にか、クレアの周りにはザイルしかいなくなっていた。

 クレアがあれこれと悩んでいる間にナバル達はアルマの元へ行き、アルカンシェルに住ませてもらえるよう頼んでいた。そして、ただザイルだけが動こうとしない自分のため、ここに残っているのだ。

 いつだってそうだった。

 役にも立たない自分の事を、ザイルはずっと待ってくれている。

 それだけが、今の自分の持っている中で最高の財産(カード)だ。


「ザイル、私は汚い人間なの。きっとこれからそれを知るわ。それでも、これから何があったとしても――ずっと、私の傍にいてくれますか?」


 クレアの突然の願いにザイルは目を丸くして驚く。

 しかし、何も言わないで微笑むと、ただ静かに頷いてくれた。





「そりゃあ驚いたわよ。まさか、ナバル達がシュルトやレディンと一緒に来るなんてね」

「色々あったんだよ。道には迷うし、獲物だと思って捕まえたらレディンだ足し、この大鍋も予想以上に重かったしな」


 そう言ってナバルは地面に置いた巨大な鉄鍋をカンカンと叩いてみせる。

 懐かしい大鍋の変わらぬ姿に、アルマの表情がさらに綻んだ。


「本当に助かったわ。小鍋ばかりだったから料理作る手間がかかり過ぎていて困ってたの。と言うわけでアーシェル、鍋作りはもう禁止だからね!」

「……ナバル、最悪」

「なんでだよっ!」


 アーシェルがぷいと顔をそむけ、ナバルが両手を振り回して叫び、皆の顔に自然と笑みが零れる。

 クレアの硬い声が飛び込んだのは、そんな時だった。


「アルマ=ヒンメル」


 名を呼ばれ振り向いたアルマが見たものは、燃えるような赤い髪。

 一瞬、息が止まり、胸元を抑えた。

 だが違う、目の前にいるのは女だ。あの悪魔のような男ではない。


「クレア、どうしてあなたがここにいるの?」


 警戒するアルマの肩をレディンが叩き、首を振って危険は無いと敵ではないと告げる。


「もう、アルマさんを襲うような事はしません。彼女はお兄さんに、アグリフに命を狙われているのですから」

「……クレア、本当なの?」


 アルマの問いにクレアは唇を引き結んで頷き、一歩ずつ確かめるように近づいてきた。

 自然と、間にいたナバルやレディン達が道を開けたが、カンナだけはアルマの後ろに立つと、刀の柄に手を当て鋭い目で牽制(けんせい)した。

 その殺気にたじろいだものの、クレアは泣きそうな顔でさらに一歩踏み出し、深々と頭を下げた。


「アルマ、その、あなたにお願いがあります」

「お願い?」


 クレアの震える声にアルマは困惑する。

 今までクレアなら頭を下げるなど絶対に考えられない行動だった。


(いったいクレアに何が、あったの?)


 そこでふと、クレアの後ろにいる見知らぬ小柄な男に気がついた。

 男もカンナから殺気を受け、顔には怯えと困惑の色が浮かんでいるが、決してクレアから離れようとしない。

 何となく分かった。今、クレアを支えているのは彼なのだと。


「お願いって、何?」

「私、クレア=ラーゼと、このザイル=タンツェンをここに住まわせて欲しいの――いえ、その、住まわせてください」


 不器用に言いなおした言葉は、十分想像が付いた内容だ。

 アルマはクレアの思考を探るように、その目を見つめて考える。

 簡単に考えてはいけない。クレアの存在はあまりに危険である。簡単に殺人を犯すような思考の持ち主で、さらにはアグリフの妹。ザイルと言う男だってアグリフの手先かもしれない。選択の間違いは絶対に許されない――アルマは冷たい顔を作り、慎重に尋ねた。


「私を殺そうとしておいて一緒に住みたいだなんて、気は確かなの?」

「それは……その」


 その言葉にひるんだクレアは一瞬だけザイルを盗み見る。そして彼が離れないことを確認し、息を深く吐いた。


「あなたを殺そうとした事、本当に悪かったと思っていますわ。もちろん今はそんな気はありません。その、反省しています。だから――」

「だから、許せって? 虫が良すぎる話ね」

「で、でも、私のガーディアンは、ビスキムはあなたを助けようとして死にましたわ。それで私は、裏切り者として兄に狙われていますの」

「ビスキムには心から感謝している。でもね、世に出れば天才と言われる様な彼の才能を、摘み取り最後まで踏みにじったのはあなた達でしょ? そんなあなたが実の兄から狙われていようが、どこかで野たれ死のうが知った事じゃないの」


 ビスキムが助けに来てくれた事をカンナから聞いた時は、本当に驚いた。そして、同時に致命傷を受けて助からないだろう事も。

 確かにビスキムの死はアルマのミスが呼んだ結果だ。だが、同時に許せなかった。ビスキムもカンナと一緒で、殺し屋などにならなければ幸せでいられたはずだった。そんな選択肢しか与えなかったクレアに、アルマは心底腹が立ったのだ。

 アルマは頑とした目で、クレアを睨み付けた。

 しかし、クレアは唇をぎゅっと噛み、もう一度頭を下げる。


「お願いします。どうか、ここに入れてください」


 その態度に、アルマは小さく首を振った。

 本当に、あのクレア=ラーゼなのかと問い正したくなったのだ。


「クレア、なんでアルカンシェルに入りたいと思ったの? そこまで頭を下げて、あなたの願いは一体なに?」

「私は、その……」


 クレアは顔を上げて躊躇(ためら)い――やがて後ろにいた、ザイルと言う男の手を取った。


「私の願いは、ザイルと一緒に在る事ですわ。これから一緒に生きたい、その為には誇りなんかいりません」


 戦士のように言い切ったクレアの頬は、次の瞬間赤く染まり、同時にザイルも真っ赤になって狼狽する。

 いくらなんでも、これが演技ではない事は認めざるを得なかった。

 ざわつく周囲を抑え、アルマは静かに告げる。


「分かったわ。命を狙った事はチャラにしてあげる――でもねクレア、それでも私はあなたを許せないの」

「お、お願い。あなたが許してくれるまで、どんな罰だって受けるわ。何が許せないの?」

「決まってるじゃない! 干し杏よ!」

「――へ?」


 口を開けて惚けたクレアにアルマは押し迫って力説する。


「へ、じゃないわよ! クレア、あなたに干し杏を奪われて以来、私がどれだけあの実を食べる事を夢に見たと思うの?」


 ビシリと手のひらを広げ、クレアの眼前に突き示す。


「5回よ、5回! 何とか言いなさい!」

「え、ええと、その……ごめんなさい?」

「ごめんで済むわけが無いでしょうが! 私は忘れないからね! いい、杏の木を見つけたらちゃんと返しなさいよ!」


 ぽかんとしていたクレアは、アルマの言っていた言葉を繰り返すように口の中で呟いた。

 そして、恐る恐る聞き返す。


「……ええと、つまり、私はここに住んでも」

「いいわよ。あなたが変わったのはよく分かったから」

「あ、ありがとうっ! ザイルッ!」


 クレアはザイルに抱きついて喜び、抱きつかれたザイルはさらに顔を赤くて、それでも良かったなとクレアの背中を叩く。周囲からはいつの間にか集まった野次馬達の口笛と歓声が飛び交い、祝福とやっかみを送った。

 一緒だったのだ。クレアの願いと、アルマの願いは、何も変わらなかったのだ。

 目指すものが一緒なら、彼女ともきっと分かり合えるはずだ――だが、


「それでも、ここはもう終わりかもしれないけどね」


 アルマの小さな呟きはクレアにも届かず、ただ小さなため息に混じって消えた。





 パチンと(たきぎ)が爆ぜ、アルカンシェルの屋上から火の粉が夜空へ星のように舞い上がる。その鉄板の上に作った小さな焚き火を囲み、アルマ達5人は会えなかった時間を埋めるべく今までどうしていたのかを語り合っていた。

 今、話しているのはレディンだ。淡々とシュルトの看病をしていた事を語りながら、器用にも小さな焚き火を利用してキノコを焼いている。串に刺さった親指大のキノコは褐色に色づいており、火を浴びると胸の透くような香りを放った。


「――という訳で、ビスキムさんがつけた印をたどって学院まで戻りました。そして誰にも合わないようにマティリアさんのところへ行って、ナバルさんに詳しい道の情報を買ってもらい、それでようやくここにたどり着いたわけです」


 そこでレディンの話が終わり、アーシェルが小さくため息をついた。


「ずっと、連絡無かった。心配した」

「すみません。でも、僕も心配したんですよ」


 笑って謝ったレディンにアーシェルはぷいと顔をそらし、その腕で気持ち良さそうに眠っていたレーベはピクリと耳を動かせた。

 カンナは少し口を開けたまま、レディンがクルクルと回すキノコに魅入っている。

 アルマは思い切り伸びをして、ひんやりと心地よい夜風を吸い込み、そのまま闇に染まる空に浮かぶ月を見上げた。


(まるで時間が戻ったみたい)


 過ぎた時間は確実に月の形を変えてはいたが、ほのかに運ばれる潮の匂いも、木々を揺らす夜風の音も、5人で過ごしたあの時のままだ。

 アルマは口元を綻ばせ、視線を輪から少し離れているシュルトに向ける。シュルトはまだ体が辛いのか石壁に背を預けて休んでいた。

 アルマと視線が合うと、シュルトはオーク材の床を撫でて尋ねた。


「ここは随分古い建物なんだな。学院と同時期に作られたのかと思ったが、あれよりもずっと古い」

「うん。ツェン島って昔は軍の演習場だったでしょ。ここはその時に造られた砦で、それを学院が故意的に残したの」

「故意的だと?」


 聞き返したシュルトに、アルマはもう一度頷いた。


「この地下に食糧が蓄えてあったんだけど、そんなに古い食料じゃなかったの。それに、もう1つ見つけたものがあって――カンナ」


 カンナは小さく頷き、懐から何枚かのプレートを取り出すとシュルトに見えるようにかざした。

 真っ白な三角のプレートが数枚、炎にゆられて怪しく光る。


「リーベデルタ、か」

「ええ、5枚も置いてありました。カンナは捨てても良かったんですが、アルちゃんに隠して持ってるように言われたんです」


 この言葉にアルマが驚きのような不満を漏らす。


「捨てても良いって、何て事言うのよ! 2枚持ってるだけで官職につけるのよ? しかも、軍学部って言ったら将官になれるんでしょ? 将官になれば道場だって建て直せるじゃない!」

「そうですけど……こんな滅茶苦茶になってしまった学院で、本当にちゃんと将官になれるんでしょうか?」

「う、まぁ、そうかもね」

「大丈夫ですよ、カンナさん。間違いなくなれるはずです」


 言葉を詰まらせたアルマに代わり、レディンが微笑んで保障する。


「どうしてそう思うんですか? 教官だってみんないなくなっちゃんですよ?」

「大丈夫、神学部の教官は大神官だったんです。そして僕らの目の前で課題をこなせば大聖堂で働く許可を与えると『約束』しました」

「――えっと、それだけですか?」

「十分です。大神官は特権の代わりに嘘をつくことが許されていません。嘘をつけば、即絞首刑ですから」

「こうしゅけい? ――って死刑ですかっ!」


 目を丸くしたカンナにレディンは大きく頷き、カンナは理解できないと眉をへの字にした。

 アルマは顎に指を当て、レディンに確認する。


「つまり、この状況は大神官も認めた状況で、今はまだ授業中って事?」

「ええ、そうです。そして、大神官がこんな事を許すには、絶対に意味があるはずです――っと、そろそろ食べ頃ですね」


 レディンが差し出したキノコ串を受け取り、アルマはしげしげと眺めた。

 よく焼けたそれは、丸々としたその身からブクブクと小さな泡を噴いており、香ばしい匂いを惜しげもなく放っている。

 食べようとすると、アーシェルが何かを差し出した。


「これって、塩?」

「うん。ボクの鍋で作った塩」

「いつの間に……」


 おそらく海水から作ったのだろう、少量の塩をアーシェルから貰うと、キノコに擦り付けた。

 そして、少し焦げ目の付いた部分を思い切って頬張ってみる。

 香ばしく焼けたキノコから、まるで肉のように汁が出た。


「うそ、なにこれ!」

「美味しいです!」


 アルマとカンナの反応を見て、レディンは嬉しそうに微笑んだ。


「これを見つけたときは興奮しましたよ。なんでもキノコの王様と呼ばれているらしくて、フィーア領では非常に高値が――」

「ちょ、アーシェル! それ2個目じゃない! 何勝手に取ってるの!」

「はふ、いいの」

「よくない! 今日は毒見って事で食べてるんだから、お腹一杯になったら示しが付かないでしょ!」

「まあまあ、アルマさん。そんな固い事言わなくても」

「カンナ……それ3本目でしょ?」


 アルマ達の喧騒に押されるように焚き火が爆ぜ、大量の火の粉が空に舞い上がった。

 やがて、それらが雪のように古びた屋上の床に舞い降りる様を見ながら、レディンはぽつんと呟いた。


「アルマさん、さっきアルカンシェルには食糧がもう無いって言ってましたよね。つまり、その、危険なんですか?」


 その問いにアルマは一瞬迷った後、やがて小さく頷いた。


「ええ、危険よ。きっともうすぐ、アルカンシェルに残った食料を奪い合って、最悪殺し合いになるかも」


 しんと場が静まり返った。

 その沈黙を最初に破ったのは、シュルトだった。


「アルマ、お前はそれを止めたいのか?」


 その問いにアルマは顔を歪め、大きく頷いた。


「当たり前じゃない! でも、無理なの。どんなに正しい事を言っても通じないの。助け合うどころか、仕事を押し付けあったり、食糧を隠したり、挙句の果てには盗んだりよ。もう、信じられない!」

「――それは当然の結果だろう」


 怒るアルマに、シュルトは冷たく断言した。


「なっ、なんで当然なのよ! こんな状態なら助け合うのが普通でしょ! 違うの?」

「違うな。ここにいる奴は何故アグリフから逃げてきた? 食糧を搾取されてるのが嫌で、ここに来たのだろう?」


 そう言われた瞬間、アルマの背がゾクリとした。

 何か大切な事を見落としてきた、そんな感覚が胸を締め付けた。

 そんなアルマに、シュルトは剣でも振るうように間違いを指摘していく。


「圧政を甘んじて受けず、自由を求めて飛び出すような連中が、素直に食糧を出すわけがない。隠して当然、盗んででも生き延びようとする奴らがいても不思議ではない。それを想定できなかったお前が甘いんだ」


 何も言い返せない――アルマは唇を噛み締めてうな垂れた。

 その会話をきいてカンナが立ち上がりシュルトを睨みつける。


「シュルトさん、どうしてそんな酷い事言うんですか!」

「黙れ。本来は近くにいたお前が言うべき言葉だ。危険要因でしかないクレア=ラーゼを受け入れるような中途半端な甘さが、結局は自分の身を危険に晒すんだとな。お前だってアルマが甘すぎると思っているじゃないのか?」

「それは……その、」


 カンナがしどろもどろになって言い返せなくなり、アルマはますます泣きそうな顔になった。

 すると、突然アーシェルが立ち上がり、シュルトのすぐ前でちょこんと座った。


「なんで言わないの?」

「――言う、とは何のことだ?」

「アルマを守りたいって」

「ばっ!」


 シュルトは立ち上がったものの、すぐに言葉が出てこなかった。

 絶句したシュルトに代わり、レディンがアーシェルをたしなめる。


「シッ! アーシェル、ダメじゃないですか。そんなにハッキリ言ったら、シュルトさんの立場が無くなるでしょう」

「だって、回りくどいの嫌い」


 その兄弟のやり取りにシュルトが口をパクパクさせて立ち尽くす。

 そんなシュルトに、アルマがひざを抱えて座ったまま上目遣いに尋ねた。


「……シュルト、そうなの?」

「おっ、俺は、その、お前が――なんと言うか、場違いな努力をしているのが気になっただけだ」

「場違いな努力って、どういう事よ」


 頬を膨らませたアルマにシュルトは言葉を詰まらせ、頭を掻きながら答える。


「つまりだな、お前は人を治める事に向いていない――いや、違うか。お前は経済学部なんだ。人と金のルールはまるで違う。そして、お前が得意なのは正しい答えがある金のルールだ。しかし、正しい事が分かっていても動けないのが人なんだ。つまりだな――」 

「あああっ!」


 突然、シュルトの説明を遮ってアルマが立ち上がりざまに叫んだ。


「お、おい、アルマ?」

「黙って! 浮かびそうなの!」


 シュルトを片手で制し、アルマは焚き火の周りをグルグルと回りだす。


「みんな搾取されるのが嫌い……学院のルールはまだ生きている……お金のルール……」


 羽音のようにブツブツと呟き、青銅色の目は炎が揺れる。

 そして、焚き火にくべられていた大きな枝がパチンと折れた刹那(せつな)


「できたっ!」


 そう叫ぶと、アルマは手に持っていた串を天高く突き上げた。


「アルちゃん、何か思いついたんですか?」

「うんっ! 私のやり方が見つかったの! ひょっとしてこれならアルカンシェルで血が流れなくてもすむかもしれない。でも、本当に良いアイデアかどうか分からないの。だから、みんながどう思うか教えて欲しい」

「アルちゃんがいいって思うのなら、カンナは大賛成ですよ」

「違うの、カンナ」


 アグリフの部屋に一人で行ったのは、アルマが一人で暴走した結果だ。二度と同じ過ちは繰り返したくない。だから――


「私はここにいる5人でやりたいの、だから聞いて」





 思いついた案をアルマは焚き火が小さくなる事にも気付かず話し切った。


「――で、どうかな?」

「なるほど、それはいいアイデアですね!」

「面白そう」


 レディンとアーシェルが笑みを浮かべて賛成し、カンナはほうとため息をついた。


「やっぱり、アルちゃんはすごいです。どうしてそんな考えが出てくるんですか」

「カンナは大袈裟だって」


 しかし、やはりと言うべきだろうか、シュルトが少し難しい顔をしてアルマを見つめた。


「その案には一つ問題がある」

「う……問題って、なに?」

「誰かが反対したら、そこで失敗するという事だ。特にお前に反発している奴らはこぞって反対し、妨害するだろう。それでは絶対に上手く行かない」


 この発言に、アルマの顔が曇る。

 確かにズィーガー辺りが反対するのは目に見えていた。そして、あの理屈屋ならどんな完璧な意見にも反対を述べて妨害するだろう。

 それが原因で思い悩んでいたのに、肝心のことを忘れるなんて。

 案がダメになったのと問題に気付かなかった悔しさに、アルマは顔を伏せた。


「――つまりだな、皆が反対しなければいい」


 アルマが顔を上げると、見上げたシュルトの唇の端が少しだけ上がっていた。


「シュルト、どう言うこと?」

「言葉通りだ。案は今のままで十分。あとは反対する奴らを黙らせればいい」


 この言葉にアルマが眉を寄せ、シュルト目を覗き込む。


「もしかして、暴力とかはダメよ?」

「お前にそんな事を言うほど愚かじゃない。別に難しい事をやるわけでもない。ただ、自分を信じれるかどうかだ」


 舞い上がる火の粉に照らされた隻眼が、アルマの目を真っ直ぐに見返した。


「シュルトは、私にそれができると思うの?」

「思わなければ、提案などしない」


 迷いの無いその言葉を聞き、アルマは頬を緩めて小さく頷いた。


「分かった。教えて、私は何をすればいいの?」


 シュルトは指先をゆっくりとアルマの鼻先に向け、告げた。


「アルマ、ここのリーダーを降りろ」


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