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第36話:アルカンシェル(下)

 ザイルは戸惑っていた。

 当然だ。なにせ獲物だと思った相手にいきなり自己紹介されたのだ。

 とりあえず振り下ろした剣を構えなおし、油断なく相手に向ける。


「お前いったい何者だ?」

「え、ええと、僕はカサマ=レディ――」

「それはもういいっ! 俺が聞きたいのは、ええと……くそっ! 何が聞きたいんだ、俺は」


 ザイルは苛立たしまぎれに頭をわしわしと掻き回し、考えを整理しようとした。

 しかし、その前に頭の奥で何かが引っかかった。この砂漠の民をどこかで見た気がするのだ。

 いや、確かにどこかで会った事がある。それはどこだったか――


「ザイル、ちゃんと仕留めたかい?」


 記憶を掘り起こす前に、ウルスラが甲高い声を上げながら木陰の向こうからひょっこりと現れた。

 女性とはとても思えない軽やかな身のこなしで、手にはどこに隠していたのかアイスピックを握っている。


「それが……まぁ、見てくれよ」


 ザイルが倒れているレディンを顎先でしゃくって指すと、それを見たウルスラの顔が驚きと警戒に染まる。

 訪れた沈黙を破ったのはレディンのすっとんきょうな叫び声だった。


「ウ、ウルスラさん! 僕です! カサマ=レディンです!」

「おやまあ、レディンかい! そんな格好してるから分からなかったじゃないさ」

「良かったぁ。僕、ここで殺されるのかと思いましたよ」


 落ち着いて見えていたレディンだったが、内心ではかなり怖かったのだろう。

 まだ警戒しているように、こちらをチラチラと覗き見ている――いや、見ているのはこの半月刀のようだ。


「なんだ? この剣がどうかしたのか?」


 ザイルの問い掛けにレディンはゆっくりと首を振り、遠い空を見上げて答えた。


「……いえ、なんでもありません。きっとここで僕とあなたと出会う事は、神様のお導きだったのでしょう」

「はあ? 神様?」


 レディンの言っている意味が全く分からず、ザイルは素っ頓狂な声を上げた。


「レディンは神学部なんだよ。ほら、ザイル。そんな物騒なモノさっさとしまっちまいなよ」

「あ、ああ、そうだったな」


 ウルスラに言われてザイルは慌てて剣を腰のベルトに挟んだ。

 そこでようやくレディンは肩から力を抜いたようだ。


「しかし、レディン。最後に会ってから10日ちょっとしか経ってないのに、ずいぶん久しぶりな気がするね」


 ウルスラがにっこりと笑って手を差し延ばすと、尻餅をついたままのレディンは頷いてその手を取る。


「ええ、僕もあの夜の事は遠い昔の事に思えます。ナバルさん達はどうしたんですか?」

「あのバカも無駄に元気だよ。もうすぐこっちに来るんじゃないかねっと」


 引っ張り上げたウルスラは、レディンの薄汚れた格好に少し顔をしかめた。


「なんだい、酷い様だね。あんたこんな所で何やってたんだい?」

「薬と食材を集めてたんです。ほら」


 レディンは手に持った大きな葉を広げて見せる。中に入っていたのは木の実や山菜――中には毒々しい極彩色の怪しいキノコまであった。


「ふうん、こんなものまで食べられるのかい……あ、この山菜は懐かしいね。たしかあの時の大鍋料理に入ってたヤツだろ?」

「ええ、そうです。よくこんな材料まで覚えてますね」

「忘れるもんかい! あの鍋は最高だったよ」


 しみじみと呟くウルスラの言葉に、ザイルの頭の中で記憶のパズルがカチリと噛み合った。


「ああっ! あんた確か、あの砂漠の大鍋料理の料理人(コック)じゃないか! そうだろ?」

「ええ。一応、僕が作りました。料理人じゃありませんけどね」

「やっぱりそうか!」


 ようやく記憶が繋がり、ザイルは満足そうに頷いた。

 砂漠の大鍋なる料理に並んだ夜を思い返せば、確かにその鍋をかき混ぜていた男はレディンだった。ただ、配膳してくれた小柄な砂漠の民の少女ばかりが記憶にあり、ついぞ思い出せなかったのだ。

 あと印象的だったのが、歌うような口上で場を盛り上げ、仕切っていた噂の貧民、アルマ=ヒンメルだろう。


「って、ちょっと待てよ! レディンが大鍋料理の料理人(コック)って事は……あんたあの貧民のお仲間って事だよな?」


 ザイルが尋ねると、ウルスラも「ああ、そうだった」とレディンに詰め寄った。


「レディン、あしたらもアルカンシェルに行きたいんだ。是非、案内してくれないかい?」


 しかし、2人に熱い目で見つめらたレディンは困ったように頬を掻き、首をかしげた。


「えーと、アル――なんですか、それ?」


 その答えにザイルとウルスラは顔を見合わせるしかなかった。





 アルカンシェルの2階から5階は幾つもの寝室があり、螺旋階段を囲むように並んでいる。

 ただ1階だけは半円型の大部屋があり、残りのスペースは倉庫になっていた。

 大部屋には数台のテーブルや何十脚と言う椅子が残されていたので、朝夕は配給制の食事を提供するための食堂として使われている。逆に言うとそれ以外の用途として使われておらず、人気のない事の多い部屋だった。

 しかしここ数日間、アルマと問題を起こして彼女に呼び出された人々が頻繁に利用するようになった。

 この夜もアルマは腰に手を当て、身長でも体格でも年齢でも勝る4人組を相手に怒鳴っていた。


「さあ出しなさい! あなた達が食糧を隠してるのは分かってるんだから!」


 しかし、怒鳴られた方は心当たりがないとばかりに苦笑を漏らす。


「いったい何の事だ? おいシャーロッタ、お前分かるか?」

「そんなの私が知るわけないじゃない。それより、もう部屋に帰りたいんだけど」

「ダメよ!」


 脇にあったテーブルを叩き、アルマは声を荒げた。


「見張りからの報告があったの。あなた達が調達先で山のような木の実を、それは美味しそうに食べてたって言うね。出先で食べちゃったものは仕方が無いとしても、持って帰ってきたのがあれだけって、おかしいでしょう!」


 アルマの指差した先には、熟れて食べごろになったマルベリーの実が机の上に転がっている。だが、山のようなどころか、アルマですら両手でひとすくいに出来そうな量しか無かった。

 しかし、それを見ても4人組は顔色1つ変えない。むしろこいつは何を言ってるんだと言わんばかりに、やれやれと肩をすくめて見せた。


「もう一度言うぞ、姫さん。あれで採ってきた食糧は全部だ。おおかたその見張りが見間違えたんだろ」

「それとも何? お姫様は見張りの言葉は信じて私たちは疑うわけ?」


 さあどうだと言わんばかりの態度に、アルマの喉がぐっと鳴った。

 確かに証拠など無い。しかし、ここでうやむやにしてしまったら、彼らはまた食料調達の度に同じ事を繰り返すだろう。

 アルマは覚悟を決めて息を吸い込むと、4人を睨みつけた。


「そうよ! だいたい、見張りの人がそんな嘘をついても何の徳も無いじゃない。その点あなた達は、私が諦めたら10日間の昼食が手に入る。そうでしょ?」


 積極的に反論していた男と女が言葉に詰まり、顔を見合わせる。

 昼食を抜きにしてからと言うもの、こうやって調達した食料を隠し持つ集団が増えてきていた。

 アルカンシェルには平民ばかりとはいえ、ほとんどが食事に不自由した事の無い富裕層の若者である。彼らは昼食を抜くなど我慢ならず、アルマがいくら言っても緊急用の食糧に手をつけようとする。

 しかし、それだけは避けなくてはならないのだ。


「このアルカンシェルには、もう80人が住んでいるの。そのうち数人がルールを破って美味しい思いをしたら、いったいどうなると思ってるの?」


 アルマは最後の一押しだと、言葉に熱を込めて説得にかかる。


「決まってるじゃない。みんな同じ事をやるの! そうなれば蓄えてある食糧なんてすぐに無くなる。そして、残った僅かな食糧の奪い合いが始まるの。血で血を洗う、醜い争いが始まるのよ? なんでそんな事が分からないの!」

「チッ」


 激しく舌打ちしたのは奥で黙っていた、ひときわ体格の良い男だ。

 腰掛けていたテーブルから立ち上がり、不機嫌そうに大きな肩を揺すって近づいてきた。


「いいか、姫さん」


 節くれだった指をアルマの胸元に突きつけ、憤りの色を隠そうともしないで男は言葉を吐きつける。


「俺達はお前の奴隷じゃねえ。それ以上調子に乗った事を言うなら……」


 男はずいと顔を近づけ、目を覗き込む。


「二度と声が出せねえ体にしてやる」

「っ――」


 そんな事したらここにいられない。できもしない脅しなんかに屈するものか――そう思ったのに足は震えだし、手は勝手に胸元の破れた(あと)を掴んでいた。

 アグリフの部屋で感じた恐怖が、腹の奥から這い出てくる。


「……い、いや」


 アルマの怯えた声を聞いた4人は、雰囲気を一変させた。

 薄笑いを貼り付け、アルマをじりじりと取り囲む。

 圧迫されるような恐怖に、押さえ込んでいた悲鳴が喉元まで競りあがった――その時、背後の扉がバンと弾けた。


「アルちゃん、大変です!」


 4人組はまるで示し合わせていたかのようにアルマから離れ、入ってきたカンナと入れ替わりに部屋からそそくさと出ていった。

 助かった――そう思ったのも束の間、振り返って見たカンナの顔が、それと分かるほど青ざめていたのだ。眉はへの字に曲がり、今にも泣き出しそうだった。

 アルマは嫌な予感をひしひしと感じたが、聞きたくないと耳を塞ぐ訳にもいかないので、ため息混じりに尋ねる。


「カンナ、どうしたの?」

「あ、あの、その――なくなってるんです」

「何? 何がなくなったの?」


 カンナはしばらう「ええと、その」と迷っていたが、やがておずおずと真相を告げた。


「驚かないで聞いてくださいね。あの、倉庫の中を調べたら、食料がゴッソリ無くなっていたんです――って、アルちゃん!」


 聴いた瞬間、目眩がして倒れ掛かったところをカンナに支えられた。


(なんて事――)


 アルマはカンナの腕の中で歯を喰いしばった。

 もし、こんな事が皆に知れたら、本当に食料の奪い合いが起きてしまう。

 どうすればいい?

 どうすれば、皆が納得する?

 必死になって自分に問い掛けるが答えは全く出てこない。

 そんなアルマにカンナが気遣うようにそっと声をかけた。


「あの、アルちゃん、あんなに沢山の食料、そんなにすぐ食べられませんよね」


 アルマがはっとしたように顔を上げる。


「その、きっと隠す場所だってそんなに多くないと思うんです」

「あ――そ、そうね。今ならまだ間に合うかもしれない」


 アルマはカンナの腕から離れ、フラフラと歩き出した。


「アルちゃん、どこ行くんですか?」

「決まってるじゃない。皆の部屋を見せてもらって、食料を隠してないか徹底的に調べるの」


 カンナに説明して気が重くなった。

 詳しい事情を話せない中、どうやって頼めばいいのだろう。

 今、皆が皆、自分の事しか考えられなくなっている。

 素直に協力などする訳が無いだろう。

 でも、どうすればいい?

 もっと違うやり方がないのだろうか?


「こんな時……」

「アルちゃん、何か言いましたか?」

「ううん、何でもない――さあ、まずは2階からよ」


 まだ何の覚悟もないまま、アルマは急かされるように最初のドアをノックした。





 先頭に立って誘導するレディンは、後ろにいるザイルから見ても相当浮かれてた。


「それにしてもアルマさん達が無事だったなんて!」


 降り注ぐ木漏れ日に向かい手を上げて、唐突に叫ぶ。

 さっきから何度同じ言葉を聞いただろう。


「おーい、レディン。もう少しゆっくり歩いてくれよ。こっちは重いんだよ」


 ザイルと大鍋を押していたナバルがとうとう悲鳴を上げた。

 早足で歩いていたレディンは申し訳無さそうに頭を下げ、それでも嬉しそうに応えた。


「すみません。つい一刻も早くシュルトさんに知らせたくて」

「シュルト……って、シュルト=デイルトンの事か? あの非国民がこの先にいるのか?」


 このザイルの反応に、レディンは苦笑を漏らし頷いた。


「ええ。でもシュルトさんは皆さんが言っているような酷い人じゃないんです。命を張って誰かを守れるような、それは優しい人なんですよ」


 そう言ったレディンの顔に嘘や誇張と言ったものは一切見受けられなかった。

 しかし、シュルト=デイルトンは悪魔の子だ――そう何度も聞かされていたザイルはにわかに信じる事ができなった。


「でも、そんな優しい奴ならどうして食料調達に一緒来ないんだよ」

「シュルトさんは瀕死の重傷から先日ようやく意識が戻ったところで、まだ起きる事も出来ないんです。ですが、アルマさんの無事を聞けば最高の薬になりますよ。 ……さあ、着きました。あそこが僕らの隠れ家です」


 レディンが胸を張ってそう言うと同時に、ザイル達の眼前には一面の切り立った崖が目に飛び込んだ。

 レディンの指し示していた場所はその崖の一部で、よく見ると黒い穴がポッカリと口を開けていた。

 人が立って入れるほどの洞窟、確かにあの洞窟ならば天露をしのげる格好の隠れ場になるだろう。


「じゃあ、僕先に行ってますから!」


 レディンは一刻も早くシュルトに朗報を伝えたいのか、小走りになって洞穴目掛けて走り出した。

 その様子を見たウルスラが怪しげな微笑を漏らす。


「まったく甲斐甲斐しいったら無いね。恋人に会いに行く男みたいに見えないかい?」

「おいおい、頼むから怖い事言うなよ」

「なんだい、ナバル。別にいいじゃないのさ、ちょっと想像するくらい」

「好きにしろ……と言いたい所だが、頼むから俺の想像だけはしてくれるなよ」

「あー、無理無理。あたしはホラーは苦手なんだ」


 2人の軽口を聞きながら、ザイルと無口な大男の二人で大鍋を崖に立てかける。

 その様子をじっとクレアが見詰めていた。


「どうした、クレア? なんかずっと元気が無いみたいだけど――」

「そ、そんな事無いわ。さあ、行きましょう」

「そうか、ならいいんだけど」


 ザイルはクレアと並び、洞窟へと足を踏み入れた。

 中は薄暗く、湿っぽく、壁はゴツゴツとした岩肌がほとんどを占めている。一晩くらいなら問題無いが、住み良さそうな場所ではないようだ。

 それほど大きくないらしく、先に入ったナバル達は、入り口すぐ近くのところで立ち止まっていた。

 奥からはかび臭い匂いに混じり、糞尿を混ぜたような悪臭が鼻をつく。


「この匂い……たまりませんわね」


 クレアが鼻を摘んでザイルに耳打ちした。

 いったい何がそんなに臭うのかと奥を見ると、葉を何枚も重ねた簡易ベッドの上に、制服を着た一人の男が半裸で横たわっていた。

 レディンはその男の前で座り、採ってきた山菜やキノコを選別していた。

 ザイルは遠巻きに見ていたナバル達を押しのけ、レディンの背後に近づき倒れている男を見た。

 噂どおり片目は傷痕によって潰れており、その体にはさらに多くの傷痕が幾筋も刻まれている。

 あまりの凄惨な体に、ザイルの喉がゴクリと鳴った。


「レディン、そいつがシュルトか?」

「ええ、そうですよ。ちょうど起きたみたいです。シュルトさん、ご機嫌いかがですか?」


 シュルトの目がうっすらと開き、虚空を見回したかと思うと視界に入ったザイルを睨んだ。

 するどい視線、寝たきりの病人とは思えない、鷹か竜馬(ナタク)のような目だ。


「なんだ、こいつ――」


 シュルトの視線がザイルの腰に注がれたとき、シュルトの体がビクリと動く。

 動けないと思っていたシュルトが歯を喰いしばって起き上がったのだ。


「貴……様、その剣……」

「う、うわあっ」


 ザイルは悲鳴を上げて仰け反った。

 そんな殺気を振りまく狂人の肩に、レディンは何事も無いように手を掛けた。


「シュルトさん、その人は敵じゃありませんよ。アルマさんの無事を、知らせに来てくれたんです」

「っ!」


 その途端、シュルトの体から力が抜け、ガクンと前のめりに倒れた。

 糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かないシュルトを確認し、ザイルはようやく姿勢を元に戻した。


「ったく、驚かせやがって。レディン、これのどこが優しい人だって言うんだ?」


 悪魔の子と言う噂に違わぬ化け物振りである。


「すみません。シュルトさんは殺されかけたので、警戒してるだけだと思います。怖がらなくても大丈夫ですよ」


 そう言うとレディンはシュルトを抱き上げ、再び葉を重ねた寝床に寝かせた。


「まったく無茶ばかりして。もっと自分を大切にしてください」


 そう呟き、シュルトの額に浮いた汗を麻布――おそらく自分の服を破った布で丁寧に拭く。

 そして、採ってきた食材の中から極彩色のキノコを取り出す。見るからに毒々しいキノコである。

 レディンはそれをおもむろに口へと放り込んだ。


「お、おい! そんなもん食べて大丈夫なのか?」


 ザイルの記憶に間違いが無ければ、派手な色のキノコには猛毒のモノが多かったはずだ。

 しかし、レディンは返事の変わりにキノコをもぐもぐと咀嚼(そしゃく)してみせる。そして、シュルトの鼻を摘むとそのまま顔を寄せ、顔をゆっくりと近づけた。


「お、おい、なにするんだ? まさか――」


 レディンとシュルトの顔が見る見る接近し、唇と唇がピタリと合わさった。


「おわああ!」

「きゃあああ!」

「アッーー!」


 間近で見たザイルだけで無く、後ろから事の成り行きを見守っていたナバル達も悲鳴のような叫び声を上げる。

 しかし、レディンは意にも介さずシュルトと濃厚なキスを交わし続けた。

 いや、何をしているのかは分かる。しかし、しかしだ――


(こいつ、歪みねえ)


 やがて、シュルトの喉がゴクリと鳴るとレディンはゆっくりと顔を離した。そして、近くにあった岩のくぼみから水をすくって口をゆすぐと、何事も無かったように爽やかな顔を見せる。


「あの、皆さんどうしたんですか?」

「どうしたじゃねえよ! おまえ、今……」

「ああ、ただ薬を飲ませただけですよ。この派手な色のキノコはコウカトウって言うんですが、煎じて飲ませると薬になるんです。ですが、ここには煎じる機材もないですし」


 あっけらかんと言うレディンにザイルは頭をガリガリと掻き毟った。

 なんと言うか納得できない――いや、納得したら負けという気がしたのだ。


「でも、ほら、石ですり潰して飲ませてもいだろ?」

「それもやってみたんですが、シュルトさんが歯を食いしばってしまってダメでした。でもこうやって接吻して鼻を摘むと口が少し開くんです。その開いた隙間に舌を入れて、唾液と一緒に薬を流し込むと――」

「うおおっ! もういい! 俺が悪かった、やめてくれ!」


 ザイルは両ひざを着き、降参を表明した。

 こいつには勝てない。逆らってはいけない。そして、できるだけ近づかないようにしよう。


「でもさ、薬はあるけれど、こんな場所じゃ不衛生だよ」


 そう言ったのは、無口な大男、オグだった。

 外見からは信じられないが、彼は医学部であるらしい。


「このままだと別の病気になっちゃうよ?」


 オグの意見にレディンは眉をしかめて頷く。


「ええ、そうなんです。でも学院にはシュルトさんの命を狙う人がいるので帰れなかったんです」

「なら迷う必要は無いな。みんなでアルカンシェルに行けばいい」


 このナバルの言葉にレディンもすぐさま頷いた。


「ええ。そこにアルマさん達がいるのなら是非連れて行ってください。それで、そのアルカンシェルはどこにあるのでしょうか?」

「えっと、それはだな――」


 ナバルは弱ったとばかりに視線を中に彷徨わせた。なにせ彼が「こっちだ、間違いない!」と先導する方に歩いてきたのに、たどり着いたのがここなのだ。

 頼りにならないリーダーにウルスラがため息を吐いた。


「実はあたしらも迷ってるんだ。せめて学院に戻れたら、情報屋に正確な場所を聞けるんだけどね」

「無理だよ、ウルスラ。この森は真っ直ぐ歩くのも厄介だもの」


 オグがしょんぼりと言うと、レディンがスッと立ち上がり、ゆっくりと首を横に振った。


「いえ、大丈夫です。学院には戻れます」


 そして、ザイルの前に来ると、腰にある半月刀の柄に手を当てて言った。


「この剣の本当の持ち主が、僕らを学院まで連れて行ってくれます」





 アルマとカンナが盗まれた食糧を探し回り、はや3日目が経っていた。しかし、結局犯人は見つけられないままで、さらに食料が盗まれた事実も、いつの間にか皆に知れ渡る事となった。

 そしてやはり、二度目の盗難事件はすぐに発生してしまったのだ。

 地下倉庫の中、残り3分の1程度になってしまった食糧の前で、アルマは力が抜けたように腰を落とし、両手で顔を覆う。


「アルちゃん、その、元気出してください。まだ全部無くなったわけじゃ――」

「ごめん、カンナ。ちょっと一人にして欲しいの」


 アルマの冷たい声に、カンナは一人にするべきか悩んだが、結局小さく頷いた。


「分かりました。じゃあ、カンナはアーシェルさんに代わって見張りに行ってますね」

「……うん」


 カンナが去り、地下のひんやりとした倉庫にアルマは願い通り薄暗い倉庫に一人、残された。

 もう、我慢する事は無い。

 顔を覆った両手の隙間から、嗚咽と涙が漏れた。


(どうして、こんな事になっちゃったんだろう)


 もっとうまくやれるはずだった。

 大抵の事は乗り越えられる才能が自分にはあると、そう思っていた。

 だが、現実はこうだった。

 どれだけ正論を言っても、言う事を聞いてくれない者がいる。

 いや、それどころか嘘をつき、盗み、暴力をちらつかせ、アルマの力ではどうしようもない状況ばかりが生まれていた。


(私、ダメだ)


 もう、皆の前で胸を張れる気がしない。

 このまま、この暗い倉庫の中で閉じ篭っていたい。

 アルマは額を地に付け、目を閉じた。


 しかし、アルマを隠していた扉は、唐突に開かれた。


「アルちゃん!」

「アルマ!」


 開かれた扉から、アーシェルとカンナが倉庫へと飛び込んでくる。


(また、何かあったの?)


 アルマは涙の残る顔をゴシゴシと擦り、暗鬱(あんうつ)な気持ちで2人を見上げる。と、カンナがアルマの手をいきなり引いて立ち上げようとした。


「大変です! 急いで来てください!」

「ちょ、ちょっとカンナ、痛い! どうしたの?」

「いいから!」


 次いでアーシェルもアルマの手を引き始めた。

 頬を上気させ、あのアーシェルが目に見えて興奮しているのだ。


「ちょっと、アーシェルまで。いったい何があったの?」

「今、外に、お兄ちゃんが――」

「っ!」


 心臓がドクンと脈を打ち、呼吸が止まった。

 冷たくなっていた四肢に熱が蘇える。


「あれは間違いありません! レディンさんとシュルトさんがこっちに向かってるんです!」


 カンナのその声で、アルマは走り出した。

 階段を2段、3段と飛ばし駆け昇る。転ぶなら転べと言わんばかりに、一歩でも先を急いだ。


 ギギイ


 アルカンシェルの分厚い門を押し開けると、太陽が燐光を降らせ、アルマの目には春の鮮やかな緑が広がった。

 そして、橋の向こうに何人かの人影を見つける。

 まだ少し遠かったが、先頭を歩く人の衣装はハッキリと分かった。

 砂漠の民の衣装――あんな格好をしているのは学院でレディンしかいない。

 そしてレディンは誰かを背負っていた。あれは――


「シュルト! レディン!」


 アルマは叫んで走り出し、その後をアーシェルとカンナが追いかける。

 橋までの距離は、たいした距離ではない。

 なのに、走っても走っても近づかない。

 まるで永遠のようだった。


 しかし、永遠はやがて終わる。


 橋の上でシュルトがレディンの背から降り立ち、肩を借りてアルマを待っていた。

 アルマはその眼前までたどり着くと、ゼイゼイと呼吸を繰り返し、それでも思いっきり空気を吸い込む。

 そして、一気に吐き出した。


「このバカッ!!」

「――え?」


 予想外の言葉にレディンが固まり、シュルトが目を細めた。


「遅いわよ! なんで2人とも連絡をくれないの。私が、どれだけ、どれ……だけっ」


 アルマの双眸から涙が溢れて、零れた。

 恥ずかしいとか、そう思う余裕すらなった。


「私のせいで、し、死んじゃったと、思ったん、だから」


 初めて泣いているアルマを見た二人は戸惑い、顔を見合わせた。

 そして慰めようと、謝ろうと、アルマに数歩近づいた時だった。


「くさっ!!」


 突如、アルマは身を翻し、二人を小川へと突き飛ばしたのだ。


「なっ――」

「う、うわっ!」


 不意を突かれた二人は、いとも簡単に激しい水音を上げ、川底に尻餅をつく。

 小さな小さな川なので、座っても腰までの深さしかないが、当然のごとく二人もずぶ濡れである。


「……アルマ、貴様」

「アルマさん、酷いですよ!」


 そう抗議すると、アルマはさも当然と二人に指を突きつけた。


「あんたたち臭すぎよ! まずそこで体を洗いなさい」

「もう、アルちゃん! 最初に言う事があるじゃないですか!」

「ごめん、カンナ。そうだったわね」


 カンナに言われ、アルマはコホンと咳払いをする。

 そして満面の笑顔を作り、橋の上から二人に手を差し伸べた。


「シュルト、レディン――アルカンシェルへようこそ!」



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