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第35話:アルカンシェル(中)

「ねぇ、お父さん。砦ってなんであんなに背が高いの?」


 アルマは幼い頃、父にそう尋ねたことがあった。

 父親の顔すらよく覚えていないアルマだったが、その時の光景だけは何故かしっかりと心に残っている。

 傾きかけた太陽と高い高い空、にぎやかな町並みから寂れた路地へ向かう緩やかな下り坂、広がる家並みの上から赤茶けた砦の頭が見えたので、何気なく父に聞いたのだ。


「アルマ、それは素敵な質問だね」


 父はアルマを嬉しそうに抱き上げて、嬉しそうにそう言った。

 何のことか分からず、アルマは小さく首を傾げる。


「すてき?」

「ああ、そうとも。とっても素敵な質問だ。このノイン領は砦都と呼ばれる通り、そこらじゅうに砦がある。だからみんな砦なんて見慣れてしまって疑問なんか感じない。近くにあるものは当たり前になってしまうんだ。これは怖い事だよ」


 難しくてよく分からないと口を尖らせると、父は抱いていたアルマの短い髪をゆっくりと撫でた。それはまるで高価な宝石を触るように優しく、丁寧に。


「つまりね、近くにある事をどうしてだろうって思える事は、とても大切で素敵な事なんだ」


 父の手が少しくすぐったくて微笑んだアルマは、話が逸れていた事を思い出す。


「お父さん! 砦!」

「おお、悪い。砦はなんであんなに背が高いか、だったね」


 アルマは何度も頷き、体を揺すって「早く」と父に話の続きをせがんだ。


「砦が高い理由は3つある。1つは身を守るため。高い壁に覆われていれば外にいる人はなかなか昇ってはこれない。おまけに砦の中には水や食べ物、油なんかもたっぷり蓄えられているから、長い間身を守る事ができるんだ」

「ええと、それなら上もぜーんぶ壁にしちゃえばいいじゃない。そうしたら一番安全でしょ?」


 良い考えでしょ、と胸を張るアルマに父は大きく頷いてから「でもね」と切り出した。


「それだと閉じ込められる事と変わらないだろう? だから、いつかは敵をやっつけないといけない。砦が高い2つ目の役割は攻めるため。その時のために砦の中は武器も蓄えてある――といっても、たいした武器は要らない。高い場所から使えば弓矢じゃなくても大きな石や煮えたぎった油なんかも強力な武器になるんだ」

「うー」


 その光景を想像してしまったアルマは、低くうめいて顔をしかめた。


「ごめんごめん、アルマにはちょっと怖い話だったね。じゃあ、一番大事な3つ目の役割に行こうか。それはね、見る事だよ」

「見る? そんな事なの?」

「そうだ。高いところから見る事はとても大切な事だよ。そこから見渡せば、どこで何が起こっているかよく分かる。町で火事があっても燃えている場所がどこか分かるし、なにより北の国が攻めてきてもすぐみんなに知らせる事ができるんだ。アルマ、分かるかい?」

「……うん。分かる、けど」


 アルマは理解したものの浮かない顔で父に尋ねる。


「ねぇ、お父さん。ここもいつか戦争になっちゃうの?」


 その問いに父は優しく微笑んで首を振った。


「いいや。北の国とはもう戦争にはならないよ。そのために父さんはここに来たんだ。それより――」


 そこで父の顔に初めて小さな影を落ちた。


「それよりも心配なのはこの国なんだ。悪い盗賊がいなくなって平和になったはずなのに、まだあちこちで悪い噂が絶えない。だから父さん、ツヴァイ領に行って調べてくる。少し長くなるかも知れないけれど、お母さんの言う事を良く聞いていい子にしてるんだぞ」

「……うん」


 胸に抱えた不安を押し殺したまま、アルマは小さく頷いた。

 思えば、それが父との最後の会話だったのかもしれない。

 その数ヵ月後、父が急病で亡くなったと知らせが届いたのだ。




「砦の役割は見る事、か」


 突き抜けるような青空の下、アルカンシェルと名付けられた砦の屋上で頬づえを付き、アルマはぼんやりと周囲を見下ろしていた。

 肘を付いているのは屋上の(ふち)をぐるりと囲っている石壁だ。へその高さほど競り出した石壁は砦を囲む外壁の上端でもある。


「お父さんの言った通りだったよ」


 5階建ての大きな砦であるアルカンシェルの見張り台からは、確かに色々な事が分かった。

 例えば北を見れば丘向こうはすぐに海だった。アルカンシェルは島のほぼ北端にあったのだ。

 南には広大な森が広がっており、その向こうには険しい山並みが見えた。5人で雨宿りした洞窟のある切り立った崖は、あの山肌の一部だったのだろう。

 南東には緑豊かな大きな山並みが南北に伸びている。

 マティリアが『竜の抱く島』と教えてくれた通り、南の険しい山並みが竜の横顔にも見え、南東にある山は胴体に見えた。となるとアルカンシェルのある穏かな丘が続く地形は竜の尻尾になるのだろう。


「でもね、お父さん。一番知りたい場所は、ここからは見えないみたい……」


 小さく呟いてアルマが見つめ続けた先は南西――学院のある方角だ。

 しかし、南西は高い木々に阻まれ視界が悪く、学院は大教棟の欠片すら見ることが出来なかった。


(来るとしたら、あの橋を通るはず)


 アルマは自分達が通ってきた小川の上に掛かる橋を見下ろした。

 しかし、そこには猫の子1匹いない。

 あれから、あの夜からもう10日と言う日が流れていた。

 なのに連絡1つ、噂1つ無いのだ。

 この状況が何を意味するのか、アルマにだって分かっている。

 分かっているが、しかし、彼らは自分のために――


「アルマ」

「うきゃああああああっ!」


 突然背後から声が聞こえ、驚いたアルマは勢い余って壁の縁から(ひじ)を滑らせた。

 足を突っ張って何とかその場に留まるものの、眼下にある遥か地面を見つめると頭から血の気が引き、心臓が鳴り止まない。


「アルマ、大丈夫?」

「だ、大丈夫じゃないでしょ、アーシェル! 死ぬかと思ったじゃない! 来る時はちゃんとノックくらいしなさい!」

「……だってここ、扉無いもん」


 不満そうに口を尖らせたアーシェルに言われ、アルマはようやく我に返る。

 確かにここは部屋でない。青空の下――吹きっ晒しの屋上である。出入り口も蓋付きの梯子で上がってくるだけなのだから、ノックも何も無い。

 だが、なんとなく後には引けなかった。


「そ、それでも口で言えばいいでしょ――」


 半ば意固地になってアルマが尻つぼみに言うと、アーシェルは少し考え込み、何も無い空間を手の甲で小さく叩いた。


「コンコン」

「よ、よろしい。ええと、それでどうしたの? 交代の時間はまだまだ先のはずだけど」

「カンナが呼んでる。あの理屈屋が仕事しないって」

「ああ、ズィーガーね」


 アルマが思い出すのも嫌そうに、眉をしかめた。

 アーシェルが理屈屋と呼んでいるズィーガーは2日前にここへやって来た政治学部の男だ。7人グループの男集団を引き連れてきて、言わばその首領(ボス)である。

 ズィーガー達以外にも、どこからで噂を聞きつけたのか毎日のように多くの生徒が「ここに住ませてくれ」とやって来ていた。

 別にアルカンシェルはアルマたちの所有物では無いのでと受け入れていたら、たった10日目にして50人弱の大所帯になっていた。

 そして当然、人が増えればやっかいな人間も入ってくるのだ。


「注意してもダメなの?」

「うん。文句があるなら姫さんを呼べって」

「うっわ」


 姫さんとは、主にズィーガー達が言い始めたアルマの呼称である。

 その呼称にアルマは妙な悪意を感じるから止めてくれと言ったのだが、どうやら無駄のようだった。


「ったく、しょうがないなぁ。アーシェル、ちょっと早くて悪いんだけど見張りの交代お願いね」

「うん……ねぇ、アルマ」


 返事を待たずに走り出そうとしたアルマを呼び止め、アーシェルはゆっくりと告げた。


「あの夜ね」


 あの夜――聞き返すまでも無い。

 アルマが独断でアグリフの部屋に行ったせいで皆が危険にさらされた、あの夜の事だ。

 固い顔をしたアルマにアーシェルは一言一言、言葉を選ぶように告げた。


「あの夜、レディンはボクに言ったの。何があっても、シュルトを助けるって――だから、自分を責めないで」


 ああ、なんか見透かされてるなぁ。

 アルマは苦笑して大きく頷いた。


「うん、分かった。ありがと、アーシェル」

「どういたしまして」


 この青空と同じような瞳で、アーシェルは笑った。




 屋上に続く梯子を降りたアルマは、砦の中心を縦に貫く螺旋(らせん)階段を駆け降りていく。

 アルカンシェルの外壁は頑丈な石壁だが内装は木材、それも高級材であるオーク材がふんだんに使われていた。

 そのせいか砦が造られたのはもう何十年――いや、下手をすると何百年も前なのだが、痛んでいる個所はほとんど見受けられない。

 ただ、窓が少ない砦の中は、当然のように薄暗かった。


「わっ」


 日の下にずっといて急に暗いところに入ったせいか、階段をガタンと踏み外した。

 壁に手をついて事無きを得たが、どうにも集中力が散漫になっている。

 折角アーシェルが励ましてくれたのに、もうこの有様だ。


「はぁ、なんか調子悪いなぁ……っと、ダメダメ! ほら、前向き、上向きでしょ!」


 パンパンと頬を叩くと渇いた音が螺旋階段の吹き抜けに木霊する。

 今までならばこれで気持ちを切り替えられた。今回ってきっとそうだ。

 アルマは自分に言い聞かせ、再び階下を目指して走り出した。


 たどり着いたのは1階、大部屋の扉の前だ。

 ノックする前に息を整えていると、扉の向こうからカンナの泣きそうな声が聞こえた。


「ですから、地下にある食べ物は非常用なんです。アルちゃんがそう言ってたじゃないですか」

「それは姫さんが勝手に決めた事で、自分は納得などしてはいない」

「それはそうなんですが……」

「そもそも人数で言えば我々が一番多いのだ。先にここに居ただけであれこれと勝手に決めるのは、少し横暴と言うものであろう」

「それは……でも」


 次第に言いくるめられていくカンナに、アルマは苦笑を漏らした。

 カンナの本質は良くも悪くも善人なのだ。善人過ぎて正論を混ぜられると全部真剣に答えようとするあまり、反論できないようだ。

 でも、だからこそそんなカンナが傍にいてくれて助かっている。

 息を整えたアルマは、ゆっくりと扉をノックした。


 バンッ!


 返事の代わりに扉が勢いよく開き、泣き顔のカンナが飛び出してアルマに抱きついてきた。


「アルちゃん! もう、遅いですよ!」

「カンナ、お疲れ様。ほら、そんな顔してたら上手くいくモノもいかなくなっちゃうでしょ」


 アルマはカンナを引き剥がすついでに頬をぐいと引っ張って笑い顔を作り上げた。


「でほ、アルひゃん。この人はちがぁ」

「どうも、姫さん。今日もご機嫌麗しく」


 カンナが指差した先で不適に会釈をしたのはズィーガーとその仲間の男達、計7人。

 その男達の見下す視線が次々に突き刺さったが、アルマも毅然(きぜん)と睨み返した。


「その姫さんっての、いい加減止めて欲しいんだけど」

「君はこの城の(あるじ)なんだ。あながち間違いでもなかろう? それともやはり貧民の方がしっくりくるかね?」


 ズィーガーは体格の良い体を揺すって笑うと、周りにいた男達もあざけるように笑った。

 それだけで胸の中に不快感が競り上がり、罵詈雑言を喉元で飲み込んだ。

 ここで感情的になったらカンナの二の舞だと、ぐっと我慢して本題を切り出す。


「それはともかく、何故あなた達がここにいるの? 確かそこの2人には水汲み、残りの人には食料調達をお願いしてたはずよ」

「おお、姫さんはむごい事を言う。これを見たまえ」


 ズィーガーが靴を脱ぎ、ずいとアルマに差し向けた。

 正直顔を背けたかったが、それでは話が進まない。息を止めて素足を覗き見ると、かかとの辺りが少しだけ擦りむけ、ほんのりと赤くなっていた。


「……これが、どうしたの?」

「見て分からんのか? 靴ずれだよ。学院の安っぽい革靴のせいで歩くと激痛が走るようになってしまってね。これで食料を捜し歩けと言うのは、ちと酷であろう」


 アルマは深く深くため息を吐き、震える声で尋ねた。


「で、他の人たちは?」

「それが全員靴ずれで動けぬのだ。ここまで慣れぬ遠出をしたせいだろうな。幸い当面の食料は確保できているようなので、ここで大事を取らせてもらった。先々を考えれば賢明な選択だと思うが?」


 アルマは顔を俯せ、肩を小さく振るわせる。

 それを納得したと思ったのか、ズィーガーはここぞとばかりに言葉を並べ立てた。


「そもそもおかしいであろう。自分は人を使う事に長けていると言うのに、何故こんな肉体労働などをやらようとする? 姫、姫と持ち上げられていい気になっているようだが、そろそろふさわしい人間に地位を譲るべきだと思わんのか? それとも――」

「うるさいっ! だまれこのハゲチャビン!」


 アルマの小さな体のどこからと思える声が、そこにいた全員の鼓膜を打った。


「ハ……ハゲ」


 ズィーガーは前頭部を抑え、顔色を次第に赤らめていった。


「き、貴様! これは頭脳の使いすぎで額まわりの毛髪が薄くなっているからで、断じて――」

「何が頭脳の使いすぎよ、ただのハゲでしょ! 人を使う事が得意? あんたが得意なのはサボる口実探しでしょうが!」

「なっ、言わせておけばこの小娘がっ!」

「なによ、このハゲチャビン! 言い返せないんだったらさっさと食料調達に行きなさいっ!」

「ちょっと、アルちゃん! 落ち着いてください」


 付き合いの差で、アルマにやや短気なところがあると分かっていたカンナがすぐさま間に入って抑える。


「カンナ、どいてよ! もうあったまきた!」

「アルちゃん、どうしたんですか。ちょっと変ですよ」

「変? これで怒るなって言うの? 私はもともと気が長いほうじゃないの。知ってるでしょ?」

「その、違います。上手く言えませんけど、こんなのアルちゃんらしくありません。これじゃ、あの人たちと一緒じゃないですか」

「だから、それは――」


 カンナが言っている事は正しい。頭では分かっていた。いつもの自分ならもっとうまく話し合える事も分かっている。

 なのに何故か冷静でいられない。そすて、その原因も分かっていた。

 用は無いモノねだりなのだ。

 あの時に戻れたら、あの5人でなら、きっと何でもできるのに。

 なのに、今は――


「コンコン」

「うきゃあああああっ!?」


 背後、しかも耳元でいきなり声が聞こえ、アルマはその場で飛び上がった。


「ア、アーシェル! なにするの! 死ぬかと思ったじゃない!」

「だって、アルマが口でノックしろって……」

「だーもう! そこに扉があるでしょ!」


 扉を指差し、それが開け放たれているのを見てギクリとする。何の事は無い、自分が開けっ放しにしていただけなのだ。

 不満気に唇を尖らせているアーシェルに、アルマはようやく詫びた。


「ごめん、アーシェル。なんかイライラしてて――それより何かあったの?」


 アーシェルはコクンと頷き、砦唯一の出入り口となる門を指差して言った。


「誰か来た」




 アルマ、カンナ、アーシェル、及びズィーガー達がわらわらと砦の外に出ると、5人ほどの人影がちょうど橋を渡ってくるのが見えた。

 その先頭に立って歩いていた長身の男が、アルマを見かけると機嫌よく手を上げる。


「アルマちゃん。お久しぶり!」

「うわ、リーベルだ」


 先頭にいた男はマティリアの情報屋で働いていたはずのリーベルだった。だが、その後ろにいる4人に見覚えは無い。

 4人とも女生徒でリーベルに隠れるように近づいてきた。


「リーベル、これはどう言うこと?」

「生きてたみたいで何よりだよ、アルマちゃん。なに、ここまでの地図を書く紙が無くなったから案内してたんだ。女性だけの特別サービスってやつさ」


 へらへらと説明したリーベルに、アルマが今日何度目になるか分からないため息を吐いた。


「おや、アルマちゃん。珍しく疲れてるみたいだね。便秘かい?」

「うっさい! だいたいあんたでしょ! ここに食料があるなんてデマを流しまくってるのは!」

「デマって、それは心外だな。これでも情報屋の端くれ、伝えるのは真実だけだよ。現に砦に食料はあったんでしょ?」

「この調子で人が増えたら、あんな食料すぐになくなるのよ! そんなのを頼ってこられる身になってみなさい!」


 アルマが激しい剣幕で詰め寄っても、リーベルは機嫌の良さそうな笑みを崩そうとしなかった。


「それは学院の方が深刻かもね。人数が多い分、食料の減りに歯止めがかからないみたいだ。アグリフが掻き集めて調節してるみたいだけど、たぶんあっちの方が早く尽きるね……おっと、この情報はサービスしておくよ」


 アグリフが調整していると言う言葉に、アルマは微妙な顔をした。

 多くの生徒が彼の仮面に騙され、実権まで握らせているのだ。

 それでも無法状態になるよりマシなのだが、彼の名前が出るだけでアルマの胸はざわついた。


「でも、あっちにはまた補給船が来るでしょ」

「さあて、どうだろうねぇ」


 この答えに、アルマの目付きが鋭くなった。


「リーベル。あなたは何を知ってるの?」

「何の事だい?」


 リーベルの笑顔の隙を見つけるべく、アルマはその端正な顔を睨み上げた。


「私、あなたの事がずっと引っかかてたの。教官達がいなくなった状況もまるで他人事だし、あんたが来てからマティリアの様子も変わった――あなた、一体何者?」

「何を勘違いしたかは知らないけど、俺は医学部の1学生に過ぎない――それより、彼女達をそろそろ砦に案内してやってくれないか?」


 リーベルに話すつもりは無いらしい。

 アルマは不安そうに鼻を鳴らすと、リーベルの後ろに隠れていた4人の女生徒達へ向き直る。


「今の話は聞こえてたよね? 食料は無い状況は学院より酷いかもしれない。それでもここに住みたいの?」

「は、はい! あの学院にだけは居たくありません。お願いします!」


 意外にも1人の女生徒が声高に即答した。

 よく見ると4人のうち1人の体には痣が見え隠れしており、その彼女を3人が庇うように立っている。

 いったい何があったのか――アルマは胸元の縫い跡をギュッと握った。


「いいわ。そもそもこの砦は私のものじゃないし、一緒に頑張りましょう」

「は、はい!」

「ありがとうございます!」


 わっと沸き立つ彼女達に、アルマは「でも」と付け加える。


「ひと言だけ言っておくわ。ちょどいいから、あんた達も聞きなさい!」


 後ろを振り向いて傍観していたズィーガー達にも告げる。


「このアルカンシェルには確かに食料があったわ。貴重な保存の利く穀物が100袋」


 具体的な数字に、ズィーガー達も「あるじゃないか」と目を丸くした。


「でも、これは非常食なの。今、このアルカンシェルにいる50人が食べれば、100日分にしかならないし、さらに人が増えればもっと早くなくなる。これは微々たる食料なの」

「な、ならば、これで砦を閉ざすべきだ! いや、そもそもこんな女どもは入れるべきではないだろう!」

「却下。もし誰かを追い出すなら、靴ずれ程度で働けなくなる軟弱者ね」

「ぐっ――」

「働かざるもの食うべからず! 自分のものは自分で稼ぐ! これがアルカンシェルのルールよ。分かった?」


 両手を腰に当て、柳眉を逆立ててズィーガー達7人に向かって怒鳴った。


「分かったら、あんた達はさっさと調達に行く!」


 アルマに追い立てられ、ズィーガーたちはしぶしぶ森の中へと歩を進めた。

 やるしかないのだ。

 このアルカンシェルにいる50人の命、今度こそ守らなくては――アルマはそう自分に言い聞かせ続けていた。





「ええと、ちょっと待てよ。そうするとこっちのお嬢ちゃんは、あのアグリフの妹ってことか?」

「ええ、そうよ」


 小太りの商人ナバルは隣を歩くクレアをまじまじと見つめた。


「信じられん。アグリフは確かに胡散臭いとは思ったが、まさか実の妹を殺そうとするとは……」

「本当だって、ナバル。俺もヤツの手下に殺されかけたんだ」


 ガラガラと鍋を転がしていたザイルが憤慨するように言った。

 そのザイルの背中をウルスラと言う神経質そうな女性がバシバシと叩く。


「にしても体を張って女の子助けるなんて、お前さんやるじゃないか。あたしは気に入ったよ」

「てっ、痛いって! それにしても、あんたらが学院を逃げ出した理由はなんだ? 貴族政治、とか言ってたよな?」


 その問いに素早く答えたのは、鍋を横から支えていた大男だった。


「僕らの食料を取っちゃったんだよ!」

「食料? どう言うことだ?」


 ザイルが首をかしげると、ナバルが続きを説明した。


「アグリフが食料を一箇所に集めてるんだ。治安維持だ食料管理だとか言ってな。俺が買った小麦もチーズも全部あいつらに取られた。だが、逃げ出した理由はそれだけじゃない」


 思い出すだけで悔しいのか、ナバルが爪を噛んで説明を続ける。


「次にアグリフの奴ら、上下階級が必要だって言い出したんだ。より理性的な貴族こそ上に立つべきだって、勝手に3等級に分けやがった」

「当然、平民のあたしらは3等級――まぁ、呈の良い絞られ役だね。大喜びでアグリフに従った1、2等級の貴族達をあたしらは赤派とか赤犬って呼んでいる。尻尾をふってワンワンワンってわけ」

「このままだと、どれだけ頑張っても赤派の奴らに吸い尽くされる――そう思ったから逃げ出してきたわけよ」


 ウルスラとナバルの言葉に、クレアは顔の前にあった前髪を払った。


「だからそのアルカンシェルとか言う場所を目指しているのね」

「どうした、クレア? なにか嫌なのか?」

「……別に」


 ザイルの心配をクレアははぐらかした。

 これは何かある、そう思ってザイルがもう一度質問しようとした時だった。


 ガザッ


 どこからか草木がするどく擦れる音が響いた。

 5人はほぼ同時に腰を落とし、周囲に視線を配る。


「あっ、あそこ! 何かいるわ!」

「久しぶりのお肉だ!」


 クレアの指差す方へ、大男が普段ののんびりした口調からは想像もつかない速度で駆け出した。

 その様子を見たナバルがすばやく指示を出す。


「ザイルは右から先回りしてくれ! ウルスラは左から!」

「――ナバル、あんたは?」

「俺はここでクレアちゃんと荷物番だよ」


 ウルスラがナバルのすねを蹴り飛ばし、何事も無かったように駆け出した。


「ザイル! そっちにいったよ!」

「お、おう!」


 ザイルは半月刀を両手で構え木陰に隠れると、獣が大男に追われて近づいてくるのが分かった。

 草木に紛れるように走る獣は灰色の毛並みをしており、大きく、そして速い。


(俺がやれるのか?)


 生きた獣など斬った事が無い。しかし、成功させたいと真剣に願った。

 もちろんお腹も減っているのだが、それ以上にクレアにいいところを見せたいのだ。

 走ってくるタイミングを計る。


(3……2……1……今だ!)


 木陰から飛び出し、大上段に斬りかかった。


「うわああっ」

「うえ?」


 獣は悲鳴を上げ、半月刀は空を斬った。

 いや、それより問題なのは悲鳴だ。

 仰け反るようによけたその獣は、地面にひっくり返ってこちらを見ていた。


「あ、あれ? 人?」


 自分と同い年くらいの男が、目をまん丸に見開いてこちらを見つめている。

 漆黒の瞳、褐色の肌、そして灰色の貫頭衣、これではまるで――


「砂漠の、民?」

「ど、どうも。カサマ=レディンです」



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