第31話:貧民の空の橋
大教棟にあるその一室は、あきらかに他の部屋と様相が違っていた。
壁には名のありそうな絵画が飾られており、四隅に備え付けられた銀の燭台の上では、何本ものロウソクが惜しげもなく灯りを揺らしている。
部屋の中央を占めているのは豪奢な装飾が施されたオーク材の円卓で、ビロード張りの重厚な椅子がそれをぐるりと囲んでいた。
椅子は8脚。ずらりと並んで座わっているのはシュバート国立学院が7学部の教官、そして――
「学院長。こんな深夜に我々を呼び出して、いったい何用ですかな?」
横柄に尋ねたのは政治学部の教官、ケントだ。僅かにずれた片眼鏡を神経質そうに掛け直し、特徴的な鷲鼻を若き学院長――エドガーへ突きつけた。
エドガーは答えの代わりに一枚の手紙を取り出し、円卓の中央に放り投げる。
手紙は既に封印が解かれており、蝋の赤い紋様がランプの灯りに照らされた。
「この蝋印――議会からの指令書か」
「学院長、一体どんな内容だったのですか?」
「……教職員は全て、このツェン島から退去せよとの事です」
エドガーがポツンと呟いたその言葉が、室内の空気に波紋を起こした。
「た、退去だと?」
「そんな話は聞いていません!」
「いったいどういう事か、学院長!」
口々に騒ぎ立てた教官達へ、エドガーは一切の感情を出さずに淡々と告げる。
「明日、この学院に最後の補給船が到着するそうです。その物資が無くなり次第、我々は空になった船に乗って退去。同時にこの島を完全に閉鎖し、1人の生徒も逃がすな――書いてある内容をまとめると、そう言う事です」
「ばっ、馬鹿な! なんと言う暴挙だ!」
「何故ですか。まだ始まったばかりではないですか」
「いったい奴等は何がしたいんだっ!」
中には腰を浮かせて怒鳴り散らす教官までいたが、誰も咎めない。皆、心中では同じように叫びたかったのだ。
ただ1人を除いてだが――
「騒ぐでない。議会からの命令なら止むを得んだろう。我々は胸を張って戻ればよい」
非難がましい視線が集まったが、ケントは口元の笑みすら隠さずに首を傾げる。
「おやおや、では他に何か良い方法でもあるのですかな? 議会の命令は絶対、そんな事は皆も分かっていよう。聞き分けのない子供のような――」
バンと破裂したような打音が響き、ケントの言葉が断ち切られた。
円卓を叩き、ゆらりと立ち上がったのは経済学部の教官、ユノだった。
「あたしらを子供呼ばわりする前に、あんたは子供並みの想像力も無いのかい」
「きっ、貴様! 無礼だぞ!」
ケントは唾を吐きながら叫んで睨みつけるが、ユノは全く怯む様子も無く、静かに、しかし徐々に声高に告げた。
「ケント教官、あんたも特別生徒から情報くらい聞いてるはずだろ。今、生徒どもがどれだけ混乱しているか、どれほど不安に震えているか。もう、あちこちで小競り合いだって始まってるんだ! こんな状況で、さらにあたしらが裏切ったらどうなるか、あんたにだって分かるだろう!」
「そんなもの、我が政治学部の生徒が法を創り、この学院を治めればすむこと」
「ハッ! そんなもの無駄さね。食料が尽きれば始まるんだよ――殺し合いがね」
ユノの目に宿った気迫に押され、ケントの腰が僅かに引けた。
「何を、愚かな。この学院には我が剣の民の、しかも高貴な生まれの者が大勢いる。殺し合いなど――」
「飢えて死にかけた事も無いヤツが、知った口きくんじゃないよ! 1つのパンを奪い合い、血が流れるのに一月もいらないだろうね。後は力がこの島を治める。文明なんて出来るわけが無いだろう!」
あまりの剣幕にケントは椅子に倒れこむようにペタンと座った。
だが、初めからケントになど興味がないように、ユノは鷹のような目を学院長に向ける。
「あんたに言ってんだよ、学院長! あんたは生徒達に地獄へ落ちろって言ったんだ! 分かってるのかい!」
しかし、幾ら侮蔑の視線をたたきつけても、エドガーは怯えもせず怒りもしなかった。ただ、ユノの目を見つめ返し、全ての言葉を受け止め続ける。
「ダンマリかい? 懸命だね――反吐が出るよ」
ユノはずんと音を立てて椅子に座り、乱暴に腕を組む。
ピリピリとした空気が円卓の上に残り、沈黙が豪奢な部屋に漂った。
そんな中、おずおずと手を上げたのは神学部の教官である老いた神官だ。
「学院長、ユノ教官の言葉は確かに過ぎた所もあります。ですが、いきなりこの決定では私も承服しかねます。信じる心を失った人間がどうなるか、あなたも父君から教わっているのではないですか?」
老神官の口調は穏やかだったが、エドガーの表情が僅かに強張った。
「ですが我々には、この選択しか――」
「ええ、議会の決定に背く事は無理でしょう。ですが、この計画の失敗もまた絶対に許されない。そうでしたな?」
「はい、その通りです。失敗すれば我々の未来は、ありません」
苦悩をにじませて頷いたエドガーを見て、老神官はしわだらけの顔でニッコリと笑い、居並ぶ教官たちに言った。
「さて、困りました。残された時間はあと僅か――なれば、我々がすべき事は何でしょうかな?」
そして、ユノのまだ怒り冷めやらぬと言った顔をじっと見つめる。
「ったく、分かってるわよ。残された時間で、できる限りの事はやってやる。でもね学院長、あんたは生徒から殺されたって文句言えないよ。それは覚えておきな」
エドガーは目を閉じて、大きく頷いた。
「覚悟の上です。ですが……ですが、それでも私は剣の民を信じているのです。自分の命を捨てて友を助ける者もいる。奇跡の起こる確立は、ゼロでは無いはずです。あなたも、あの生徒達を見たのなら、心当たりがあるのではありませんか?」
「――まぁ、面白いヤツはいたね」
組んでいた腕を解くと、ユノは何を思い出したのか苦笑を漏らした。
2人の様子を見ていた老神官は小さく頷き、白髪頭をくるりと撫でる。
「では、私はこれにて失礼します。少しでも明日に備えたいと思いましてな。なにせ――」
そして、会議の最後を締めくくるように、告げた。
「この島は、生き残りを掛けた戦場になるのですから」
どんよりと曇る明け方、マティリアは海岸を歩いていた。
たとえ曇っていても、マティリアはこの砂浜を歩く事が好きだった。僅かなひと時とはいえ、何も考えなくてもすむからだ。
贅沢を言えば1人で歩きたいところだったが、さすがにそれはもう適わない。
ちらりと後ろを振り返ると、リーベルが手のひらを空に向け、ぶらぶらと歩いていた。
「おーい、マティリア。とうとう雨が降ってきたぜ。今日は寮に戻った方がいいんじゃないか?」
「心配ありませんよ、リーベルさん。ほら、向こうを見てください」
マティリアは水平線の少し上をスッと指差す。
空を覆う分厚い雲は、その指の遥か先でぷつりと切れていた。
「この季節、上空の雲は南西から北東に流れます。向こうが晴れているなら、この雨はすぐ止むでしょう」
「なるほど、さすが俺が見込んだだけはある。もっとも君にとっては迷惑だったろうけどね」
その言葉にマティリアはぐるりと振り向くと、ニコリともせずに言う。
「本当に迷惑です。お陰で胃が痛くて仕方がありません」
「あはは、だろうね……でもマティリアの性格じゃ、知らないで済ませるなんてできないだろ?」
リーベルが苦笑混じりに言うと、マティリアは胸に両手を当てて曇る天を仰いだ。
「ええ、その通りですとも。この胸の痛みは私の好奇心が招いた傷、掴んだ茨の棘。なればこそ、私はこうやって黙って堪えているのです」
「ずいぶん雄弁な沈黙もあったものだな――ん? おい、あれ見ろよ」
リーベルの指した砂浜を見ると、足跡があった。
海から砂浜、そしてマティリアのテントに向かい数本の足跡が延びている。まるで海から何者かが這い上がってきたような形跡だ。
「これは――なるほど、波打ち際を歩いて足跡を隠して来たのですか」
マティリアが顎に手を当てて呟き、リーベルも頷いて同意を示した。
つまり、足跡を隠さねばならないような後ろ暗い先客が、既にテント内に潜んでいるという事だ。
「どうやら、厄介事がまたやって来たようですね……」
「おいおい、またって俺の事じゃないよな?」
苦笑しながらリーベルはしゃがみ、砂浜に残った足跡を調べる。
「足跡は3人。2人は相当小柄で、あと間違いなく3人とも女性だね」
「ほほう。どうして足跡だけで女性とまで分かるのです?」
リーベルは膝を払って立ち上がると、胸を張って言った。
「決まってる。俺が正常な男だからさ」
「……とにかく不法侵入者を見に行きますか」
リーベルを残し、マティリアは真っ赤なテントへ近寄った。
半身の姿勢をとりながら、入り口に垂れかかる幕に手を伸ばした――その瞬間、中から刀が伸び、喉元に押し当てられる。
警戒していたはずが、後ろに引くことも出来なかったのだ。
「これは、どう言う事ですか――カンナさん」
マティリアが険のある声で問うと、カンナはわたわたと刀を引いた。
「ご、ごめんなさい。その、追っ手かと思って」
(おや?)
てっきりアグリフと通じていたカンナがその本性を現したのかと思ったマティリアは、刀を背中に隠そうとしているカンナに驚いた。
だが、よく彼女の様子を観察すると、微妙におかしいところもある。
もともと自信なさげな女性だったが、ふらふらと落ち着かない視線は挙動不審と言ってもいいくらいだったのだ。
「カンナさん、アルマさんはどうしたんです?」
「あ、はい。その、中にいますが――」
マティリアは最後まで聞かず、テントの入り口を覆う幕をむんずと掴んだ。
「あー、今開けちゃダメです!」
カンナの静止を振り切って幕を上げると、確かにアルマはいた。
ペタンと床に座り、自分の制服を縫合していたのだ。
つまり上半身には下着しか付けておらず、下着も胸元が裂けている。
アルマがハッと顔を上げ、目が合った。
「きゃああああっ!!」
アルマの悲鳴と共に後頭部に衝撃が走り、視界が暗転した。
「大丈夫ですか? 大丈夫ですよね、刀背打ちでしたし」
「いいえ、激しい鈍痛が波のようですよ」
マティリアは濡れた布巾で後頭部を抑え、目以外は微笑んだままカンナを睨む。
よほど怖かったのか、カンナは背の低いテーブルに隠れるように縮こまった。
「いいのよ、カンナ。的確な処理だったと思うわ」
カンナの横で座っていたアルマがむっつりとした口調で呟く。その言葉に同意するように、アーシェルの胸に抱かれていたイモシシがプギと小さく鳴いた。
珍客はリーベルの予想した通り女性が3人、そしておまけの1匹のようだ。
「まあ、いいでしょう。招かざる客に配慮できず、私のテントへ無断で入ったこの大いなる愚行を、どうぞお許しください」
「――なんか、嫌味っぽい」
「違いますよ、アーシェルさん。嫌味そのものです」
マティリアの視線から逃れるように、アーシェルはアルマの背中に隠れ、赤い舌をぺろりと出した。
自然、マティリアの視線にはアルマの顔が入る。
アルマも濡れ布巾を目に当てているが、その下には青く腫れあがった右目があり、ほとんど開けない状態だ。先ほど見えた小さな肩にも、大きな青痣があった。そして、大きく裂けた制服――明らかに、暴行の後だろう。
「マティリア、そんな顔しないで。たいした怪我じゃないんだし」
アルマはひらひらと手を舞わせ、大丈夫と気丈に微笑む。
初めから心が強い者などいない。ただ強くあろうと願いつづける者だけが勝ち取る事ができるものだ。
そして、アルマの笑顔には、それがあった。
「では、その怪我は今後見ないことに致します。そうそう。アルマさんも、胸を見られた事は気にしなくてもいいですよ。私は女性の体なんて、興味ありませんから」
「……は?」
一瞬の間が空いた後、女性3人の視線がマティリアの隣に座っていたリーベルに釘付けられた。
ものすごく嫌そうな顔をしたリーベルに、アーシェルが目を輝かせて問う。
「あなた――そうなの?」
「何の事か分からないけど、絶対に違うね」
残念、と口の中で呟きアーシェルは引き下がったものの、リーベルは座ったままマティリアから半歩ほど離れた。
「さて、リーベルさんの誤解も解けたことですし、そろそろ本題に入りましょうか。アルマさん達は何故、こんな早朝に来たのです? いえ……昨夜、アグリフさんと何があったのですか?」
マティリアは微笑みながら、さりげなく手持ちのカードを切ったのだった。
この際隠し事をしても徳は無いだろうと、アルマ達は昨夜の出来事を包み隠さずマティリアに話した。
アルマが1人でアグリフと交渉した事、その結末、シュルトやレディンがカンナを説得した事――そして、その2人が行方不明になった事も。
「そうですか、シュルトさんまで……それで、これからどうするのですか?」
マティリアはひと通り話を聞き終わると、小さく息を吐いて尋ねた。
「カンナは、退学してこの島から逃げた方がいいって言ったんですけど、アルちゃんは辞める気なんか全然ないんですよ」
ため息混じりに呟やいたカンナに、アルマはあたりまえじゃないと拳を握る。
「泣き寝入りなんて絶対にいや! でも、そうは言っても、あの寮に住むのは危険でしょ? だから、ここにちょっとかくまって欲しいの……夜は寮に帰ってるんでしょ? ね、お願い!」
アルマはパンと手を合わせマティリアに頭を下げ、横にいた2人も慌ててそれに習う。
3人のつむじを見て、マティリアは眉根を寄せた。
本来であれば、こんな面白い人材を傍におけるなど、喜んで快諾したいところだった。しかし――マティリアはちらりと隣で沈黙を守っているリーベルに視線を向ける。
とぼけた顔をしていたリーベルは視線が合った一瞬、氷のような冷たい目をマティリアに送った。
(やはり、特別生徒になった私に、肩入れなど許されないでしょうね)
マティリアは肩で息を落とし、首を横に振った。
「申し訳ありません。ここには誰も住まわせたくないのです」
この返答にさしものアルマも驚いた顔を見せ、困ったように腕を組んだ。
「うーん……なら、他に住めそうな場所はない、かな?」
「すみません、私に心当たりは――」
「あるよ」
答えたのは、今まで黙って話を聞いていたリーベルだった。
(リーベルさん、どう言う事ですか?)
マティリアの訝しげな視線を無視して、リーベルはニヤリと笑う。
「ちょっと遠出をしていたら、北東に石造りの建物を見つけたんだ。ほら、地図もあるよ」
「建物?」
アルマが羊皮紙に手を伸ばすと、リーベルはさっと地図を懐に戻した。
「おっと、これは流石に美人といえど無料とはいかないよ。そうだね、6万リアでどうだい?」
「6万!」
カンナはその金額に目を剥くが、アルマは唇を噛んで悔しがった。
確かに、それくらいの価値がある情報だと思ったからだ。だが、昨夜の一軒で手持ちのリアは全てアグリフ達に強奪されたしまった。とてもじゃないが、6万リアなど払えない。
なんとか交渉できないかと頭を捻っていると、アーシェルがリュックから革袋を取り出し、机の上にどんと置いた。
「全部で、4万2千リアしかないけど……」
「アーシェル?」
「ボクができるのは、これくらいだから」
アーシェルは胸にレーベを抱き、頬を染めて俯いた。
「マティリア。残りの代金はさっきの情報分から払ってもらっちゃ、ダメかな?」
アルマの上目遣いに、マティリアは気付かれぬようリーベルを見る。
「残念ながら、まだ足りません……ですが」
マティリアはにっこりと微笑んだ。
「あなた方が北東に向かった、その情報は高く売れそうですね……シュルトさんならきっと1万リアは出すでしょう」
「ありがと!」
マティリアは懐から数枚のコインを取り出すとリーベルに放った。
「確かに。ほら、この印の入ったところが建物だ。3人で住むなら広すぎるくらいさ」
リーベルが地図を差し出すと、アルマは目を輝かせて受け取るや、すっと立ち上がった。
「もう行くのですか?」
「うん。勝手にお邪魔してごめんね、マティリア……ああ、そうそう!」
アーシェルとカンナが立ち上がるのを待っていたアルマは、そう叫ぶとマティリアに指を突きつけた。
「さっきの女性に興味が無いって言うの、私達を安心させるための嘘――あなたの交渉術なんでしょ?」
マティリアはもう一度苦笑をもらすと、アルマに頷いた。
「まったく、あなたは……ええ、確かに緊張をほぐすために言いました。ですが、女性にさして興味が無いのも事実です」
「――どういうこと?」
首をかしげたアルマに、マティリアは手を差し伸べる。
「私が興味あるのは美しいもの。美しい魂に動かされるその行動こそ、私を虜にするのです。そしてまた、何より私が愛して止まないのは」
マティリアはその手を胸に置き、極上の微笑を浮かべて言い切った。
「最も美しい、私自身ですとも」
リーベルがまた一歩、マティリアから離れた。
降りしきる雨の中、海岸沿いに北上すると、ほどなく海に流れ込む小川に行き当たった。アルマが一歩で踏み越えられる程の細々とした川だ。
地図に従い、その川に沿ってひたすらに東へと歩き続けた。
やがて、雨が止んだ。
雲が去り、眩しい光が周りを満たした――だが、カンナの心は曇ったままだった。
(なんで、誰も責めないんだろう)
いくら忘れたからとしても、過去は消えない。
カンナが裏切った事によって、アルマがあれほど喜んでいた仲間達はバラバラになってしまったのだ。
いや、それどころではない。アルマは大丈夫と言っているが、シュルトとレディンはもう死んでいるかもしれないのだ。
なのに咎められぬからと、何食わぬ顔でここにいていいのだろうか?
カンナは、紅姫の鞘をそっと撫でた。
「見て! あれじゃない?」
突如、先を歩いていたアルマが前方の一点を指差した。
目を凝らすと、灰色の石壁が雨上がりの陽光にその一部をさらしている。
「あれって、砦? しかも結構大きいじゃない!」
興奮したように叫ぶと、アルマの隣を歩いていたアーシェルは早く見てみたいのか、小動物のようにトントンと駆け出した。
『お前は、あそこに行くべきじゃない』
遠く近く、あの声がカンナを襲い、足は止まったまま動かない。
「カンナー! どうかしたの?」
「あ、あの――」
アルマが振り返って声をかけているのに、返事すら出来ない。
そんなカンナを見かねて戻ってきたアルマの顔には、まだ暴行の傷痕が生々しく残っていた。
『あれは、誰の責任かねぇ?』
心臓がいびつに脈を打ちはじめ、思わず顔を伏せてしまう。
(やっぱりカンナは、ここにいるべき人じゃない)
過去など、やはり消えるわけではないと思い知らされた。
そんなカンナのすぐ前まで来たアルマは、唐突に「ああっ!」と大声を上げる。
「カンナ、後ろ見て!」
もしかして追っ手が来たのかと思い、刀に手を掛けて振り返る――が誰も居ない。
首をかしげたカンナに、アルマは笑いながら言った。
「上よ、カンナ。空を見て」
カンナは視線を上に移す――と、空に横たわる巨大な七色の光が視界一杯に飛び込んだ。
「……虹?」
「ねぇ、カンナ。振り向かないで聞いて」
すぐ首の後ろで聞こえたその声に、カンナはビクリと体を震わせ、反射的に「はい」と答えた。
「昨夜、カンナに大切な話があるって言ったの、覚えてる?」
「――はい。覚えています」
『本当は忘れていたくせに』頭の奥で紅姫があざ笑う。
「今、言うわね……この島って、竜に抱かれた島って呼ばれてるんだって」
「――へ?」
「島の周りをぐるっと山が囲んでいて、竜が島を抱いているみたいだから、そう呼ばれているらしいの。まるで学院って言う卵を抱いているように、ね」
「はぁ」
何を言いたいのだろう。
カンナは振り返る事も許されず、ただ目の前に広がる虹を見つめ続けた。
「だからね、私がもし卵だって言うなら、いつか孵って、竜になって、この大空を飛べたらいいのにって、そう思ってたの」
「飛べますよ。アルちゃんなら、きっと、誰もが見上げるくらいに、どこまでも――」
「ダメなのっ!」
凛としたその声は、しかし、確かに震えていた。
「私は竜じゃない! 強くないの! 独りで飛ぶなんて、私には耐えられない!」
「アル、ちゃん?」
「カンナのお陰で、気付いたの――私が一番怖いもの、それは孤独なんだって。だから、私は飛べなくてもいい。歩いて昇ればいいの。カンナと一緒に、この空の橋を、どこまでも」
孤独が怖い、それはカンナの方だった。
だれも助けてくれなくて、それで紅姫に縋った結果が、これなのだ。
「だから、断られたって何度でも言うから」
なのに、アルマの声は確かに震えているのに、
「カンナ、私のガーディアンになって守って欲しい……ううん、そうじゃないか」
強く、優しく、カンナの心に手を伸ばした。
「お願い。私の、傍にいて」
傍にいて欲しい。
他の誰でもない、自分に言ったのだ。
人殺しで、裏切り者で、それすら受け止められないほどの卑怯者で、そんな事を全部知った上で、それでも傍にいて欲しいと、真剣に願ってくれたのだ。
見えるのかも知れない。
アルマと一緒なら、このどうしようもない絶望の世界に、全く違った景色が、
帰らない過去も、抱えきれない後悔も、全てが小さく思えるような、そんな世界が、
あの空の橋の上から――
カンナは袖で顔を拭うと、声にならない声で「はい」と小さく返事をした。