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第26話:望んだ答え

 アルマとシュルトは砂浜にあるマティリアの店を目指し、まず島の西端にある港に出た。

 つい数日前、胸を高鳴らせて上陸した小さな港だ。

 しかし、そこにはもう一隻の船も見つけることはできない。ただ桟橋が寂しげに波打たれているだけだった。


「アルマ、どうかしたか?」

「ううん。ただ、船がいない港って、何か落ち着かないなぁって。まるで私たちが、この島に置き去りにされたみたい」

「……行くぞ。感傷に浸るのは、何もかもが終った後でいい」

「うん、そうね」


 アルマは頷くと、先を急ぐシュルトの後を追って、海岸沿いに北へ向かい歩き出した。


 港の北側には真っ黒な岩礁地帯になっていた。

 ゴツゴツした大岩を登り、降り、時には迂回して進み続ける。

 そして一際大きな岩を登り終えた瞬間――視界一杯に真っ白な砂浜が飛び込んだ。


「シュルト、見て! すごい! 真っ白!」


 アルマは首輪の解かれた犬のように岩を飛び下り、砂浜を駆け回った。

 柔らかい砂浜に何度も足を取られながら、それでも足は止まらない。やがて足跡は海の方へと弧を描く。

 勢い余って波打ち際まで走り寄ったアルマは、波に足を飲み込まれそうになり、そこでようやく立ち止まった。

 2歩、3歩と後ろによろめき、熱せられた砂の上にポスンと尻餅を付く。


「はぁ、はぁ、」


 気が付けば、胸が痛くなるほど息は上がっていた。


(でも気持ちいい)


 アルマは打ち寄せる波の音と潮風を、胸一杯に吸い込んだ。


「アルマ、砂浜も見たことが無かったのか?」


 振り返るとシュルトが眩しそうに目を細めて苦笑していた。


「ないない! だってこの前初めて海を見たんだから。それに、シュルトは不思議に思わない? こんなに水があるのに、ほら見て、まるで砂漠みたい」


 アルマは熱せられた砂を両手ですくい、その隙間からサラサラとこぼれ落ちる様を本当に不思議そうに眺める。


「昔、姉から聞いた事がある。この海辺の砂は珊瑚が波で砕かれてできたものらしい」

「サンゴ? なにそれ?」

「珊瑚とは海に生えている、石のような植物のようなもの――らしい。実物は俺も見た事が無い」

「珊瑚……うわぁ、どんな形してるんだろ。やっぱり知らないことばっかりね、この世界は」


 アルマがまだ見ぬ珊瑚に思いを馳せる――と、シュルトにポンと肩を叩かれ、現実に引き戻された。


「アルマ、見ろ。あれがたぶん、いや、間違いなくマティリアの店だ」


 シュルトの指差す先をたどると、砂浜のど真ん中に何の脈絡も無く、にょきりとテントが生えていた。

 しかも、そのテントの色は目に痛いほど――赤い。


「うわ、赤っ!」

「あのセンスは間違いない。マティリアだ」


 2人は恐る恐る極彩色のテントに近づいた。

 近くで見るとテントは意外と大きい。一軒家とまではいかないが、寮の部屋が2つくらいは入りそうだ。

 入口は垂れ幕で仕切られているだけで、その脇に木製の看板が墓標のように立ててある。


「見て、シュルト。本当に『嵐と共に去りぬ』って書いてある。あれって冗談じゃなかったんだ」

「全く、あいつのセンスだけは一生理解できないな――おい、マティリア!」


 シュルトは肩を落とすと、テントに向かって大声で呼びかけた。


「はいはい、どちらさまですかーっと」


 しかし、中から出てきたのはアティリアではない。それどころか見たことも無い男だった。

 年齢はシュルトよりもいくつか上だろう。マティリア並みの長身で、灰色がかった髪を無造作に後ろで束ねている。

 その口元には薄笑いがこびりついており、どことなく軽薄な感じを受けた。


(シュルトとは絶対に気が合わないタイプね)


 アルマは直感でそう感じた。

 見知らぬ男は「おや?」と呟いてシュルトを見つめ、やがてポンと手を打った。


「その隻眼――君がシュルト=デイルトンか! と言うことはこっちのお譲ちゃんがアルマ=ヒンメルだね」

「えーと、確かにアルマは私ですけど」


 指で頬を掻いて苦笑するアルマを、男は頭の先から足の爪先までジロジロと観察する。

 そして最後に、満面の笑みで頷いた。


「……うん、なるほど。これは美人になる」

「は?」


 面と向かって美人になると言われたが、まるで褒められた気分がしない。

 むしろ、何か裏に秘めた意味がありそうで、アルマは僅かに身を引いて警戒した。


「そんな事より、貴様は何者だ? ここはマティリアの店ではないのか?」


 シュルトが不機嫌そのものの口調で尋ねたが、その男は薄笑いを少しも崩さずにひょうひょうと答えた。


「いや、ここは間違いなくマティリア=アスハルトの情報屋だよ。ついでに俺はリーベル。今日からここで働くことになったんだ。よろしく、シュルト」


 そう言うと、シュルトの手を取って強引に両手で包む。

 さしものシュルトも、これには面食らったようだ。

 

「お、おい、手を離せ!」


 手を引き抜いたシュルトに、リーベルと名乗った男はますます笑みを深くする。


「そんなに照れなくてもいいのに。おっと、いい加減仕事しなくちゃね。さあ御二人さん、俺についてきな」


 そう言うが早いか、リーベルはさっさとテントの中に入ってしまった。

 残されたアルマとシュルトは顔を見合わせ、なんとも言えない表情を浮かべたのだった。




 垂れ幕をめくり2人がテントの中へ入ると、中は日差しが薄革を透過し、空気まで真っ赤に染まっていた。

 テントなので当然部屋の区切りは無く、大きな一間があるだけだ。

 部屋の中央は背の低い大テーブルがドンと占めており、その周りには円を描くように毛皮の敷物が敷かれている。

 少し篭った空気と相まって、どこか怪しげな占い屋と言った風情だった。


 店の主人であるマティリアはそこに座っていた。

 力無くテーブルに肘をつき、顔の前で両手を組んで(うつむ)いている。

 アルマ達が入って来たのに、顔すら上げようとしないのだ。


「おーい、マティリア。どうかしたの?」

「ああ、アルマさん。少し体調が悪くて、申し訳ありません」


 アルマの声で弾かれたように顔を上げたマティリアは、気持ちを切り替えるように軽く首を振った。

 しかし、それでもマティリアの顔色は赤い部屋にあって、なお青く見える。

 いつもの超然とした面影がまるで無いのだ。


「本当に調子が悪そうね。寝てなくて大丈夫なの?」

「いえ、ご心配は無用です。さぁ、どうぞ座ってください」


 頑と言われてしまっては、これ以上心配しても仕方がない。

 アルマ達はマティリアの勧めに従い、彼の正面に座った。


「さて、昨夜のお話の続きですね」

「ああ……だが、その前に」


 マティリアの話を遮り、シュルトは振り返って後ろに立つ人物を睨み上げる。

 しかし、睨まれたリーベルは怯えるどころか満面の笑みで返した。


「どうしたんだい、シュルト。俺の事なんか気にせずどんどん進めなよ」

「……マティリア、こいつをどうにかしろ」


 リーベルに言っても無駄だと悟ったシュルトは、今度は正面にいるマティリアを睨んだ。


「リーベルさん、ちょっとプライベートの話もありますので、今回だけは席を外して頂けますか?」

「マティリアがそう言うならしょうがないか……じゃ、また後でね。アルマちゃん」


 アルマににっこりと微笑むと、リーベルは後ろも振り向かないで去って行った。

 その姿が見えなくなったのを見計らい、シュルトは盛大なため息を吐く。


「マティリア、お前は人を見る目がないのか? なんだあの軽率そうな男は」

「すみません。ですが、彼はああ見えて優秀な医学部生なのですよ。それより本題に入りましょう」


 マティリアは顔の前で組んでいた手を解くと、苦笑混じりではあるが、ようやく表情を緩めた。

 それを見たアルマも安堵の表情を浮かべ、懐から一枚の羊皮紙を取り出すとテーブルの上に置く。


「森の地図よ。本題に入ると忘れちゃいそうだから、今のうちに渡しておくわね」

「おや。まだ私の疑いは晴れていないはずですが、いいのですか?」


 マティリアの意外そうな態度に、アルマは大きく頷く。


「これはペンと交換の約束でしょ。あと、巨大イモシシを発見した場所はここね」


 そう言うと、小さくバツ印が書き込まれている箇所を指した。

 マティリアは、しばらく眺めて満足そうに頷く。


「素晴らしい。要点を抑えた見事な地図です」

「でしょ? これ描いたのシュルトなの。意外な才能よね」

「ええ。それからイモシシの発見情報はとても貴重です。この情報と引き換えに――あなたの情報を流した者、そしてその裏にいる者について、私の推測を交えてお話しましょう。代価はそれでよろしいですか?」


 情報を流した者、その言葉に胸が締め付けられるように痛んだ。

 だが決めたのだ。

 どんな事を知ろうとも、絶対にあきらめないと。

 アルマはテーブルの下でギュッと拳を握り、大きく頷いた。


「アルマさん、やはりあなたは強い。だからこそハッキリと申し上げましょう」


 アルマの覚悟を見て取ったマティリアは、まるで断罪者のように、告げた。


「あなたは成功し過ぎました。もう取り返しがつきません」

「……へ?」


 何の事かと、アルマはまばたきを繰り返した。

 そんなアルマに向かい、マティリアはゆっくりとその言葉を解説する。


「アルマさん。あなたは皆が戸惑う中、初日に火を売ってから昨夜の大鍋料理まで、派手に商売をやり過ぎました。あなたの名は今や成功者として学院中に広まってしまったのです」

「そうか。出すぎた兵は討たれる、か」


 シュルトが苦々しく呟き、アルマにもようやく事情が飲み込めてきた。


「つまり、私がやっかみの対象になっちゃった――って、そう言う事?」

「そうです。これからは皆が寄って集ってあなたの足を引っ張る事でしょう」


 そんな馬鹿なとアルマは笑いたかった。

 しかし、この学院は未だに全くの無法地帯なのだ。

 その中で荒稼ぎをして調子に乗っていれば、確かに狙われてもおかしくない。

 考えが、甘かったのだ。


「分かった。これからは控えめに――」

「いいえ。さっきも言いましたが既に手遅れです。この学院で最も危険な人物に、あなたは狙われてしまった可能性があるのです」

「……最も、危険な」


 マティリアは脅しや誇張などで言っているのではないだろう。

 蒸し暑いテントの中なのに、アルマは背筋がゾクリと震えるのを止められなかった。


「その者の名はアグリフ=ラーゼ。私やシュルトさんと同じ政治学部の生徒です」

「ラーゼって、あの?」

「ええ、あのクレア=ラーゼの実兄で、ラーゼ商会の後継者です」


 マティリアの言葉を聞き、シュルトが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「妹の失敗を兄が逆恨みとは、アグリフとやらもたかが知れる」

「いいえ、アグリフはそう言う人間ではないでしょう」

「何故そんな事が言える?」

「これは、不確定な情報なのですが……」


 シュルトの訝しげな視線を受け、マティリアはテーブルの上に(ひじ)を着いて口元を隠した。

 まるで、誰かが聞いていないかと怖れるように。


「アグリフには5人もの兄、姉がいました。ですが3年前から次々と何者かに殺され、今ではアグリフとクレアの2人だけになってしまったのです」

「それって、まさか、暗殺……」


 アルマの言葉の先をマティリアは目で制し、さらに声を潜める。


「証拠こそありませんが、おそらくは。そして、その暗殺の実行者として名前が上がっているのが、その――」


 そこでマティリアは言葉を切り、言い難そうに表情を歪めた。

 誰の事を言わんとしているのか悟ったアルマは、奥歯をきつく噛み締め、小さく目を伏せた。




 とある寮の一室、そこでカンナは床の上に(ひざまず)き、頭を垂れていた。

 いつか、こんな日が来る事は分かっていた。いつまでも、あんな幸せな時間が続くはずが無いのだ。

 カンナはチラリと視線を上げる。

 そこに腰掛けているのは、20歳ほどの青年だ。

 燃えるような赤髪と氷のような目、それが静かに見下ろしていた。


「どうした、オリベの頭首! アグリフ様の依頼が聞けぬというのか!」


 そう怒鳴ったのは、椅子の斜め後ろで控えている女だ。

 他にも鍛え抜かれた偉丈夫が、カンナを挟むように立っている。

 こんな状況で逆らう事などできはしない――だが、返事がなかなか喉から出てこないのだ。


「カンナ」


 やがて、アグリフが優しく声を掛けた。

 背筋が粟立つほど、穏やかな口調だ。


「これまで尽くしてくれた君が迷うなんて、アルマ=ヒンメルに興味が湧いたよ」


 その言葉に、カンナは救いを求めるように顔を上げる。

 椅子の上でアグリフは糸のように目を細めて微笑んでおり、カンナの頬にゆっくりと手を伸べた。


「だから、君に殺してもらうのは止めた……その代わり、少し手伝って欲しい」


 そこでアグリフの細い目が僅かに開き、奥にある闇のような瞳孔がカンナを捕らえた。


「今夜、その貧民を見てみたい。ここで。お前の座っている、その場所で」


 この言葉に絶対に逆らってはいけない――カンナは直感としてそれを悟った。

 逆らえば、ゼクス領にあるオリベ道場は消えてなくなる。

 命よりも大事だと教えられてきた道場が、だ。

 迷う事は無い。今までしてきたように、今回もやるだけなのだ。


「……御意、のまま、に」


 しかし、その返事は自分でも驚くほど、震えていた。





 戸を開けたアーシェルは、アルマの顔を見ると強張った表情を緩めた。


「アルマ、どうしたの?」

「様子を見に来たの。アーシェル、あのイモシシの赤ちゃんは元気?」

「――うん」


 嬉しそうに頷くアーシェルを見て、カンナの事は顔に出すまいとアルマは心の中で誓った。


 アーシェルの後に続いて部屋に入ると、部屋は少し荒れていた。

 原因は床を走り回る黒い物体だろう、時折ブイブイと鳴き、その健在っぷりをアピールしている。

 可愛いとは言え、四六時中これでは同居人も辛いだろう。


「そう言えば、ルームメイトの貴族さんはどうしたの?」

「怒って、どこか行った……アルマ、ほらこれ」


 一瞬顔をしかめたアーシェルは強引に話題を変え、机の上から白い器を持ってきた。

 中を覗くと、琥珀色のどろりとした液体が満ちている。


「うわっ! これって蜂蜜じゃない!」


 興奮を隠せないアルマに向かい、アーシェルは誇らしげに頷いた。


「すごい! どうやったの?」

「蜂の巣を、麻布で包んで、木の棒で叩いて、絞っただけ」

「へぇ、それだけで……あ、そうだ。絞った後の方はロウソクに出来そう?」

「お鍋で、溶かしてみる。でも芯が必要、綿の糸とか」

「綿の糸ならたっぷり持ってるから、後で部屋に取りに来てね」


 あれこれと話し合っていると、イモシシの赤ちゃんがアーシェルの足を頭で突付いた。

 アーシェルがイモシシを抱きかかえると、腕の中で嬉しそうに手足を動かす。


「へぇ、すっかり懐いたわね。名前は決まったの?」


 アルマの問いにゆっくりと頷いたアーシェルは、照れたように答えた。


「この子の名前は……ナベ」

「ちょっと待って! それはあんまりでしょ!」


 どうして、とばかりに首を傾げるアーシェルにアルマは盛大にため息を吐く。


「じゃあなんでナベなのか、それをまず聞いてもいい?」

「……ナベは、基本だから」

「あああ、意味不明でイライラするぅ!」


 アルマはアーシェルの鼻先にびしりと指を突きつけた。


「いい? 名前って言うのは、この子が将来幸せになれるよう、願いを込めてつけるモノなの。分かった?」


 アーシェルは神妙に頷くと、目を閉じて考え込む。

 やがてゆっくりと目を開き、自信に満ちた声で告げた。


「ナベアツ」

「ダメ! それだけは絶対にダメ! って言うか、いい加減ナベから離れなさい!」


 アルマに怒鳴られ、アーシェルが悩みこんでしまったので、仕方がないと助け舟を出す。


「そうね。例えば毛色が黒いから、黒猫王の名前を貰ってフェイなんてどう?」


 その名前を聞いた途端、イモシシは身をよじって暴れ出した。

 呪われると言わんばかりの身悶えっぷりだ。


「……心底、嫌がってる」

「おっかしいなぁ、黒猫王は私達庶民のヒーローなのに」


 しかし、ここまで嫌がられては別の名前をつけるしかあるまい。

 2人でうんうんと悩んでいると、アーシェルが「あ」と小さく声を漏らした。


「アルマ、レーベは?」

「レーべ……公用語で命って意味ね。いいけど、どうしてなの?」

「この子にいっぱい、生きて欲しいから」


 アーシェルはそう言うと、腕の中にある小さな体を愛しげに抱きしめた。


「決まりね。レーベ、これからよろしく」


 アルマが反り上がった鼻をちょいと突付くと、レーベはくすぐったそうに小さく鳴いた。


「さてと、そろそろ帰るけど、この蜂蜜持って行ってもいい? カンナが元気なくて、ちょっと食べてもらおうかなって思うの」


 元よりそのつもりだったアーシェルはコクンと頷き、その後不思議そうに首を傾けた。

 アルマの笑顔が、何故か苦しそうに見えたのだ。





『愚かよのぅ』


 薄暗い寮の廊下を歩いていたカンナは、その甲高い声に慌てて耳をふさぐ。


『耳なぞふさいでも無駄じゃと言うのに、本当に愚かな娘ぞ』


 悔しいが紅姫の言う通りだった。

 カンナはあきらめて耳から手を離す。


『そうじゃ。(わらわ)を受け入れよ。そうすれば、楽になれる』


 確かに受け入れてしまえば、紅姫の声はとても心地良くなる。

 何故今まで怖がっていたのかと、不思議に思うほどだ。


『愚かなお前が幸せになる方法を、もう一度だけ教えてやろう』

「……幸せ」

『あの貧民の事を、忘れよ』


 その言葉を聞いた時、視界がぐいっと伸びたかと思うと、一気に縮まる。

 それが眩暈(めまい)だと気がついたのは、体が傾いてからだった。


『辛いことは皆、忘れてしまえ。それで、楽になれる』

「……らくに……なれる」


 知らず呟いたその言葉は、頭の奥をジンと痺れさせた。


 目を上げると、既に目的の部屋が目の前にあった。

 カンナは虚ろな目で鍵を開け、扉を開く。


「お帰り、カンナ!」


 薄暗い部屋の中から、少女が満面の笑みで出迎える。

 手には真っ白な器を持っており、甘い芳香を漂わせる琥珀色の液体が入っていた。


「見て、これが蜂蜜なの。ちょっと食べてみて」


 食べるなと命じる紅姫の言葉に従い、カンナはゆっくりと首を振る。


「来て欲しい場所があります」


 抑揚の無いカンナの声に、少女の器を持つ出がビクリと震えた。


「それは、どこなの?」

「……カンナの知り合いの部屋です。お話が、したいそうです」


 少女は器を机の上に置くと、目を伏せて考え込む。


「嫌、なんですか?」

「……いえ、話したいと言うなら、行くわ。カンナ、私をそこに連れて行って」


 それはカンナの望んだ回答だったはずだ。

 しかし、少女の真っ直ぐな視線が嫌で、カンナは目を逸らすように頷いた。


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