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第21話:罪人には代償を

 二合――たった二度打ち合っただけで決着は着いてしまった。

 一合目、シュルトの横薙ぎの初撃を、ビスキムは逆手に持ったナイフで受け止めた。

 だが、骨でも砕けたような衝撃がナイフを通して全身に響き、武器を持っている感覚が手から消え失せる。

 直後、大上段から振り下ろされた豪剣を受ける力は、もうビスキムに残されていなかった。

 ナイフは紙くずのように叩き落され、地に深々と突き立つ。

 武器が無くなった――そう認識するより早く、ビスキムの首筋には半月刀(シミター)の刃先がべったりと押し当てられていた。

 その冷たい鉄の感触に、己の完全な敗北を悟る。


(とうとう、この日が来たか)


 暗殺、などと言う仕事を生業にしていれば、いつか自分も殺されるだろう事は薄々と感じていた。

 しかし、いざその日が来てみれば、覚悟など微塵(みじん)も出来ていなかったのだと思い知る。

 死んだ後、自分はどこに行くのか、そんな戯言めいた不安ばかりがビスキムの頭を巡っていた。


「選べ、ビスキム」


 押し殺した声でシュルトは告げる。


「質問に答えれば、痛みすら感じぬように首を落としてやる。だが――」


 声の温度がさらに下がり、言葉はナイフのように冷たく耳朶(じだ)を打つ。


「もし沈黙を守るなら、両手両足の骨を砕いてここに置き去る。痛みと飢えにもがきながら最期を迎えろ」


 見上げたシュルトの隻眼には暗い炎が見えた。やると言ったからにはこの男はやるのだろう。

 ビスキムは吐息を漏らすと、静かに両目を閉じる。

 脳裏に浮かぶのは赤毛と白髪が入り混じった壮年の男――それはクレアの父であり、巨大なラーゼ商会の頭首であり、ビスキムの本当の主人だ。


(忌むべき遺児だった俺をラーゼ様は引き取り、育ててくれた――だが)


 忠義がこれから死ぬ自分に、いったい何の意味があろう。

 それに今になって考えればハッキリと分かる。ラーゼ家は汚れた仕事をさせるために自分を引き取り、暗殺者として育てたのだ。

 寝床と食事をくれた事に感謝こそしているが、十分に恩は返したはずだ。

 せめて最期くらいは、安寧(あんねい)の死を迎えてもいいのではないか。

 ビスキムは目を閉じたまま、小さく口を開いた。


「……質問を、言え」




 シャムロックの花の上にひざまずき、ビスキムは知っている事を淡々と答え続ける。

 中でもシュルトはヒルゾと言う男について執拗(しつよう)に尋ねていた。


「いつからだ。いつからヤツはラーゼ商会に出入りしている?」

「5年前、ちょうど冬が終わる頃に、ヤツは来た」

「目的はなんだ? ラーゼ商会とどんな取引をしていた?」

「いや、取引の内容までは知らない」


 正確に言えば知ろうともしなかった、だ。

 暗殺者であるビスキムから見てもヒルゾは危険だと感じた。近づけば途方もない闇に落ちる。そう、感じたのだ。


「最期に問う。貴様がヒルゾを見た時、ヤツは一人だったか? 少女――いや、女性を連れてはいなかったか?」

「いや、一人だった」

「……そう、か」


 シュルトは落胆とも安堵とも取れる息を吐き、半月刀(シミター)をビスキムの首の後ろへ当てた。


「約束を果たす。言い残した事はあるか?」


 心臓がビクリと跳ねる。


「――いや、何もない」


 ビスキムは冷静を装うために頭を垂れ、二十年足らずの生涯を振り返った。

 そこにあったのは他者を蹴落とし、(さげす)み、裏切った殺戮(さつりく)の日々。

 特殊な記憶の能力も、今では血塗られた過去を鮮明に思い起こす呪いのようだ。


『よもやお前が生きて、喜ぶ人間がいるとでも思っているのか?』


 先程シュルトに向けて放った挑発が、自分の胸を深く(えぐ)る。


(それは、俺の事ではないか)


 死しても誰も悲しまぬ孤独な生に、いったい何の意味があったのだろうか。

 もしも、生まれ変わる事が出来るのなら――そう思った時だった。


「シュルト! 無事だった?」


 一陣の風のように、その声はシャムロックの花畑に吹き込んだ。


 その声に剣を振り降ろそうとしていたシュルトは気勢をそがれ、声の主に視線を向けると小さく頷く。

 僅かな延命を得たビスキムも、少しだけ顔を上げて駆けてくる少女を覗き見た。

 小柄な体に薄茶色のショートヘア――見間違えようも無い、標的の一人だったアルマ=ヒンメルだ。

 顔や手が何箇所も痛々しく腫れている事から、やはりこの少女が蜂の巣を素手で掴んで投げつけたのだ。

 何度見てもただの無力な少女である。

 見逃せば隠れるか逃げるかしかないと判断したのに、よもやそんな暴挙に出るなど全くの予想外だった。

 まさにビスキムが最も忌み嫌っていた不確定要素(イレギュラー)そのものだ。


(最初に会った時、こいつを殺しておけば……)


 ビスキムの心に苦渋の後悔が過ぎる。

 初日、学院の近くで殺しては目立つからと、クレアの命に反してアルマを見逃してしまったのだ。

 だが、今更何を思っても『折れた剣は戻らない』の言葉通りだろう。


「シュルト――その人、どうするつもり?」


 アルマは息を整えながら尋ねると、シュルトは眉にしわを寄せて答える。


「こいつは俺たちの命を奪おうとした。無論、殺す」

「ええと、でも、帰りの目印とか聞かなくていいの?」

「必要な情報は既に聞いた。だが、こいつは特殊な記憶力で木々の一本一本の情報を覚え、それで道を覚えている。そんな情報を聞いても無意味だ」

「木々の、一本一本を? すごい!」


 アルマは感嘆の声を漏らしビスキムをまじまじと見つめた。その青銅色の瞳には(さげす)みどころか尊敬の色すらある。

 異な者を見る目には慣れていたが、こんな視線は初めてだった。


「そうだ、シュルト。何も殺さなくても、この人に帰り道を案内してもらえば――」

「却下だ」


 シュルトはある程度予想していたのか、頑とした口調でアルマの言葉を遮る。


「こいつは今でも俺たちを殺す機会を狙っている。確実に息の根を止めねば、次に殺されるのは俺たちの方だ」

「でもほら、この人だって死んだら悲しむ家族が――」

「いや、こいつが死んだところで悲しむ者など誰もいない」

「それって、どういう意味?」


 首をかしげたアルマに、シュルトは吐き捨てるように答えた。


「こいつの母親は盗賊にさらわれたどこかの村人で、こいつを生んですぐに死んでいる。父親に至っては盗賊の誰かすら分からない。死にかけたところをラーゼ商会に拾われた、根っからの暗殺者だ」


 アルマは驚いてビスキムの顔を見た。

 そんな過去など、ビスキムにとっては既にどうでもいい事のはずだ。

 しかし、何故かアルマの目を見る事ができず、黙って顔を伏せた。


「つまりこいつが死んでも悲しむヤツなど誰もいない。分かったか?」

「そう、そうなんだ――だったらしょうがないか」


 アルマはため息混じりに呟くとビスキムの前に近づき、おもむろに座る。

 手を伸ばせば互いの首にも手が届く距離だ。


「おい、アルマ! お前いったい何を――」

「ごめん、シュルト。ちょっと確認したい事があるの」


 アルマはシュルトを制し、ビスキムの土に汚れた右手を両手で包む。

 人間扱いなどされた事の無いビスキムは手の温もりに恐怖すら覚え、首筋に剣があったにも関わらず身を仰け反らせた。


「ねぇビスキム。あなた、生きたい?」

「……何故、そんな事を聞く」

「ただ聞きたいの。あなたが生きたいのか、ここで死にたいのか」


 返事を返そうとして、しかし言葉に詰まる。

 素直に答えれば、死を前にして保っていた平静が一気に崩れてしまう気がしたのだ。

 しかし、悩んだ末、ビスキムは本心をポツリと述べる。


「俺は……生きたい」

「そう。じゃあ何で生きたいの?」

「っ!」


 何故、まだ生きたいのか。

 その質問は剣よりも鋭く、ビスキムの喉元に突きつけられた。

 分からない。全く分からなかった。

 どれだけ鮮明に過去を手繰り寄せても、生きるに足る理由にたどり着かないのだ。

 苦し紛れに、逆に問いを返す。


「お前は、どうなんだ?」


 その問いにアルマは胸に手を当てて、いとも簡単に答えた。


「楽しいから生きてるに決まってるじゃない! もっともっといろんな事をやりたい、知りたい。だから私はこんな所じゃ絶対に死ねないの」


 その答えは単純で明快で、しかしビスキムの中には無かった答えだ。

 そんなビスキムの鼻先にアルマは指を突きつけた。


「でも、あなたは全然楽しそうに見えない。やりたくない事をずっとやらされて、そして1人で死ぬなんて――」


 アルマの指は下がり、ビスキムの心臓を指して小さくトンと突いた。


「それであなたは、生きてるつもりなの?」


 心臓がズキンと悲鳴を上げる。

 しかし、ビスキムにはその痛みが何なのかすら分からない。

 ただ「否」と言うイメージだけが漠然と、胸を占めていた。


 しかし、そのイメージが言葉に変わる前に、背後からシュルトの警告が飛ぶ。


「アルマ、お前がなんと言おうと俺はこいつを殺す。それは忘れるな」


 そう、今ここで生殺与奪権を持つのは背後に立つ隻眼の剣士だった。

 たとえアルマがなんと言おうと、自分の先に未来など無いのだ。

 しかし、ビスキムのその思いを否定するかのように、アルマは立ち上がると真っ向からシュルトに向き合った。


「駄目よ、シュルト。この人は殺させない」

「馬鹿な! こいつは俺の剣技まで見たんだ。絶対にここで殺さねば――」

「なら、まず私を殺しなさいっ!」


 目を見開いて叫んだアルマは、ビスキムの首に当てられていた剣先を無造作に握り、自分の胸に引き寄せた。

 自然、アルマに剣を突きつけることになったシュルトの表情が驚愕に染まる。


「この馬鹿、離せ!」

「嫌よ! この人は生まれた境遇が悪かっただけじゃない! 殺すなんておかしい!」

「うるさい! お前の奇麗事では何も変わらない! それはただの独善だ!」

「独善で結構よ!」


 剣を突きつけているはずのシュルトに、アルマは一歩も引かずに声を張り上げる。

 突然始まった言い合いを前にビスキムは目を見開き、ただ呆然としていた。


「だってこの人は、シュルトと一緒だもの。ただの親の罪の犠牲者でしょ! この人を殺すって事は、私にとってあなたを憎む事と一緒なの! そんなの嫌なの!」

「ぐっ――」


 シュルトは言葉に詰まり、一歩たじろいだ。

 そこにアルマは両手をパンと張り合わせて頭を下げた。


「お願い、シュルト。ここは私に任せて。ね?」


 その合わせた手の甲が、蜂に刺され赤く膨らんでいる。

 方法こそ無茶苦茶だったが、アルマが来なければ死んでいたのはシュルトだったのだ。


「……ここで殺さねば、絶対に後悔するぞ」

「うん、覚悟してる」


 分かりきっていた事だが、どんな脅しもアルマに全く効かない。

 シュルトは盛大なため息を吐き、肩をガックリと落とした。


「――もういい、好きにしろ」

「ありがと、シュルト!」


 アルマが満面の笑みでビスキムを振り返り、そこでビスキムは我に返った。

 思えばさっきの瞬間はアルマを背後から襲い、人質にとる千載一遇の機会だったはずだ。

 しかし時既に遅く、シュルトの剣先はビスキムの首筋に戻りつつあった。

 プロの暗殺者である自分が、絶好の機会に指をくわえて(ほう)けていたのだ。


(とうとうヤキが回ったか)


 ビスキムは半ば自暴自棄になり、アルマをきつく睨み上げる。


「そんな怖い顔しなくても大丈夫よ。それよりビスキム、あなた私達の――仲間にならない?」

「「なっ」」


 奇声を上げたのはビスキムだけでなく、好きにしろと言ったシュルトも同時だった。


「アルマ、お前、何を言って――」

「何って、ただの勧誘(ヘッドハント)じゃない。完璧な記憶力ってそんな便利な才能、私聞いた事も無いもの。シュルトだって味方に欲しいでしょ?」


 その答えにシュルトは疲れたように首を振る。


「そうだった、お前はそう言うヤツだった」

「あら、分かってくれてありがと。それでビスキム、どう?」


 どう、と言われてビスキムは絶句する。

 仲間になる、そう言えばこの場では間違いなく殺されないだろう。

 いや、それ以前に仲間になったフリをすれば、この2人の寝首をかく事も容易いはずだ。そうすれば、今回の失敗も無かった事になる。クレアの下に戻り、元の生活に戻ることができるのだ。

 しかし、ビスキムの記憶能力がアルマの言葉を正確に再現させる。


『それであなたは、生きてるつもりなの?』


 否――答えは、否だ。

 生まれて初めて、生きたいと願ってしまったのだ。

 そして、生きる為には、自分に嘘をつく事は出来なかった。


「俺は、ラーゼ家に恩がある。裏切ることは出来ない」


 たとえ数秒後に殺されようと、今この瞬間だけでも生きたい。 

 それがビスキムの答えだった。


「そう、それじゃ仕方ないか――どこへなりと行きなさい」


 初めからどう答えるか分かっていたような笑みで、アルマは宣告する。

 ビスキムは驚き、背後で剣を構えているシュルトを覗き見た。


「いいのか?」

「ああ、こいつに任せればこうなると思っていた。俺の気が変わる前に行け。そして貴様の女主人に伝えろ」


 シュルトは一歩下がって剣を引くと、告げた。


「まだ俺を狙うなら、貴様の墓を掘ってからにしろ、とな」


 その言葉にビスキムは小さく頷いて立ち上がると、主人の下へとシャムロックの花畑を駆け出した。

 しかし、花畑を抜ける直前で振り返って叫ぶ。


「アルマ=ヒンメル!」


 アルマが答えるより早くビスキムは胸から一枚のプレートを取り出し、無造作に投げた。


「わっ、なに?」


 クルクルと弧を描いて飛んだプレートを、アルマはあたふたと受け止める。

 その事を確認するとビスキムは無言で(きびす)を返し、今度こそ朝霧の消えかかった森へと消えていった。


「なんだろ?」


 アルマはおそるおそる両手を開くと、白い三角の小さなプレートがそこにあった。

 シュルトがそれを横から覗き見て、苦々しげに呟く。


三角関係(リーベデルタ)、か」


 それは以前カンナに見せてもらった、軍学部の卒業試験に必要なプレートだった。

 アルマは苦笑して呟く。


「お礼のつもりなのかな。ビスキムって意外と律儀よね」

「……どうでもいい事だ。それよりアルマ、ここから洞窟までどうやって帰るつもりだ?」

「大丈夫、なんとかなるわよ。それより、あの蜂の巣を持って帰らなきゃ」


 そう言って蜂の巣に駆け寄ろうとしたアルマを、シュルトは肩を掴んで引き止めた。


「ちょっと待て、もう一度警告するぞ。前々から思っていたがお前は楽観的過ぎる。今回の件もだが、その世間知らずを直さないとだな――」

「シッ!」


 シュルトの説教を指一本で遮り、アルマは耳を澄ます。


「アールちゃーん!」


 遠くからアルマを呼ぶ声――間違いない、カンナだった。


「ほら! なんとかるって言ったとおりでしょ」


 勝ち誇ったようなアルマの額を、シュルトは無言のまま指で弾いた。

 ベチンと言う小気味良い音が花畑に響く。


「ったいわね、シュルト! いきなり何するのよ!」

「うるさい。説明するのも億劫(おっくう)だ」


 地に刺さったビスキムのナイフを引き抜きながら、シュルトは今日何度目になるか分からないため息を、深々と吐いたのだった。


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