第15話:破顔一笑(下)
随分と日は傾いてきたが、まだ帰途を急ぐほどでもない。
アルマはカンナとアーシェル、マティリアの4人で横に並び、寮までのあぜ道をゆっくりと歩いていた。
「ところでアルマさん。シュルトとはその後、どんな感じでしょうか?」
何気なく言ったマティリアの質問に、アルマは思わず「ああっ!」と声をあげた。大事な報告を忘れていたのだ。
裁縫道具を抱えなおし、トトトッと小走りに数歩進むと、呆気に取られているマティリアを振り返る。
「そうそう、聞いて! 明日私たち、シュルトと一緒に島の奥へ探索に行くの!」
「――ほっ、それはすごい!」
マティリアは目を見開いて驚いた。
してやったりとばかりに「でしょでしょ?」とアルマは満面の笑みを浮かべた。
「そうだ。よかったらマティリアも一緒に探索へ行かない?」
「ああ! 心躍る嬉しいお誘いなのですが、悲しいかな私は行くことができません。実は明日から情報屋を開くと公言してしまったのです」
心底悔しそうに両手で顔を覆って嘆く。世界にはこんな仕草が似合う人間がいるのだから驚きだ。
「そっか、情報屋をやるんだ。成功するといいね」
「ありがとうございます。私も皆さんの探索成功を祈っております。ああ、ちょうど良い」
パチンと指を鳴らし、淀みない動作で懐から紙とペンを取り出す。
何をするかと思ったが、彼はその紙とペンをアルマの抱えている裁縫道具の隙間に置いた。
「どうぞ、差し上げます」
それはかつて、合格通知を持ってきた郵便屋のと同じ最新式のインク入りのペン、そして高級そうな厚手の羊皮紙だった。
しかし、アルマはニコリともせず、訝しげにマティリアを睨み上げた。
「……で、何をさせるつもり? どうせ無料じゃないんでしょ?」
「なんと人聞きの悪い事を! 探索のついでに地図を作って情報を提供して頂けるなら、喜んで差し上げると言っているのに」
「それ、差し上げるって言わないから。でも――」
でも、地図の代金として最新式のペンなら適当な取引かもしれない。
むしろペンが欲しかったアルマからすれば、これは渡りに船だろう。
「そう言う事なら遠慮せずに貰っておくね。あと2,3枚紙があるともっと詳細な地図が描けるんだけどなぁ……」
「申し訳ありません。差し上げたいのは山々なんですが、どうにも紙が品薄でして」
「そ、ならしょうがないか」
やっと会話が途切れたとばかりに、今度は黙って聞いていたカンナが身を乗り出すように尋ねる。
「あの、マティリア様は情報屋をされるそうですが、どこかにお店を開くのでしょうか?」
その問いにマティリアは「よくぞ聞いてくれました」と声を上げ、嬉しそうに頷いた。
「昨日、散策をしていたところ港の近くに奇麗な砂浜を発見したのです。それがあまりに美しい白浜だったので、先ほどその一画の購入しました。そして明日、砂浜のド真ん中にテントを建てようと思いまして――」
「まさか、そのテントがお店、なのですか?」
おそるおそる尋ねるカンナに、マティリアは何を言っているんですかと大仰に両手を広げて答えた。
「もちろんですよ! 白浜に法螺貝のようにたたずむ店。ああ、考えただけで胸が高鳴ります。店名は……そうですね。『嵐と共に去りぬ』とかどうでしょう?」
「――ドキドキしますね、確かに」
カンナは引きつった笑顔でなんとか相槌を打った。
(顔に騙されちゃいけないのよ、カンナ)
ルームメイトの胸の高鳴りがしぼむ瞬間を、アルマは確かに見た。
「で、情報屋って、何なの?」
続いて質問をしたのはアーシェルだった。
寡黙な彼女までが気安く質問したのだ。マティリアには人を警戒させなくする才能があるのかもしれない。
内心、アルマは驚きつつも感心した。やはりただの変態ではない。
「その名の通り情報を買って情報を売る、それだけの仕事です。何か良い情報があればいくらでも買いますよ」
「良い情報って?」
「そうですね。例えば探索に行かれるのなら、どんな食料がどこで取れたかとか、野生動物の生息情報などですね。軍学部の課題であるリーベデルタの発見情報も買わせて頂きますよ」
「あ! じゃあ、強盗事件の情報も買ってくれる?」
アルマが口を挟み、期待の目でマティリアを見つめた。
「もちろん買いますが……まさか、もう誰かが襲われた情報でもあるのですか?」
「そのまさかよ。そうそう、ちょうどこの辺りだったかな」
「ここで、ですか? いったい誰が襲われたのです?」
その問いにアルマは嬉しそうに胸を張った。
「決まってるじゃない! 私よ!」
アルマが事の顛末を一通り話し終えると、マティリアはふむと頷いた。
「クレア=ラーゼ、あのラーゼ家の末娘ですか……確かにあり得ますね。それにしてもよくご無事で」
「無事なわけ無いじゃない! 商品をぶん取られたのよ?」
思い返すとその理不尽さにまた腹が立ってくる。
奪われた干し肉や干し杏が手元にあれば――否、初日に必要な品々を買い揃えられれば、状況はどれほど違っていただろう。しかし、幾ら考えてたところで悔しさが募るだけなのである。
アルマは冷静になるために深呼吸を1つした。
「アルマさん、落ち着きましたか?」
「うん、ごめん。それでね、この事を教官にも報告したんだけど、ふぅんって感じだったの。ユノ教官はたぶん、こういう事態になることを予想してたみたい」
「ふむ。興味深い情報でした……では、先程約束した10リアと併せて、500リアでどうでしょう?」
「うわぁ、やりましたねアルちゃん! 500リアですよ! まさに『眠ってもタダでは起きぬ』ですね!」
「――それ、褒め言葉と違う」
カンナとアーシェルが横で騒ぎ立てる。が、アルマの頭はすっかり商売モードに切り替わっていた。
真剣な顔のまま、硬い声音でマティリアに尋ねる。
「その500リアで教えて欲しい情報があるの。いい?」
「もちろんですとも。なんなりとどうぞ」
アルマは裁縫道具を抱え直すと、目を閉じて襲われた時の状況を思い出す。
「まず聞きたいのはクレアの手下の事――いくら勉強できる環境があったって、学院に入ることは難関に違いないはず。なのに使用人までホイホイ入学できるなんて、ちょっとおかしいでしょ?」
「なるほど、私もそう思います」
「それに、船の上でマティリア言ってたよね。合格した生徒に貴族が多いのは理由があるって」
「はい、確かに言いました。――ですがその情報は扱い方によってはとても危険です。他言無用を約束し、情報料としても1000リア頂きますが、それでもよろしいですか?」
「1000リア……さっきのと差し引いて500リアね」
その金額に悩みだしたアルマの袖を、カンナが慌てて引っ張った。
「アルちゃん、やめましょう。聞いても意味のないことです。お金の無駄ですよ」
しかし、その言葉にアルマは強く首を振って決意をあらわにした。
「ううん。相手の事を知らなきゃ対策も立てられない。私、やられっぱなしなんて絶対に嫌なの。マティリア、その情報、買うわ」
「――分かりました。では、絶対に他言無用でお願いしますね。カンナさん、アーシェルさんもお願いします」
真剣な顔で念を押された2人は、緊張した面持ちで小さく頷く。
マティリアは声音を一段落とすと、厳かに告げた。
「合格者に偏りがある理由。それは、試験前に問題が売買されていたからでしょう」
その言葉はアルマに驚愕と、同時にやはりという感慨をもたらした。
つまりは嫌な予感が当たったのだ。
「――それは、本当なの?」
「私のところにも情報を売りに来た商人がいましたから、まず間違いないでしょう」
不正などできれば信じたく無かった。しかし、それなら貴族が半数以上を占める学院の内情に説明がつくのだ。
「そんなの……そんなの、ふざけてる」
怒りに声を震わせたのはアーシェルだった。
「ボクは、本当に、本当に必死で勉強したのに、馬鹿みたい……許せない」
それは、アルマとて同じ気持ちだった。必死の努力を踏みにじられた気分なのだ。
こんな不正のために入学できなかった人々が真実を知れば、その悔しさはいかばかりだろう。
「アーシェルさん、あなたのお気持ちは正当なものです。ですが――」
マティリアは腕を組んで、夕闇の迫る空を見上げた。
「ですが、おそらく学院はこの不正に気が付いています。そして、それすら計画のうちなのではないかと、私には思えるのです」
(この学院って、いったい何なんだろう)
アルマは自分の立っている地面を見つめて思った。
ただ有能な人材を育成したいだけにしては、あまりに大掛かりだ。費用もリスクだって大きい上に、とても効果的とは思えない。
(――でも、やるしかないじゃない)
そう。望んで学院に来てしまった以上、この異常な思惑に正面からぶつかり、そして勝つしかないのだ。
「さて、もう情報はよろしいでしょうか?」
気がつけばマティリアの寮への分かれ道がすぐそこに迫っていた。
アルマはあわてて用意していた質問を投げる。
「島の内部の情報ってないの? 危険な場所とか」
「申し訳ありません。まだ内部の情報は1つも入っていないのです」
「そっかぁ、残念」
顔を陰らせたアルマに、マティリアはニッコリと笑いかけた。
「いえ、むしろ情報が無いということは朗報ですよ。それはおそらく、あなた方が最初の探索者と言う事なのですから」
「私たちが、最初の」
アルマの小さな心臓がドクン、と大きく脈打った。
最初の探索者――なんと心地良い響きだろうか。
学院の不正を知って落ち込んでいた心に、一筋の光が差し込んだようだった。
「よぉし! 気持ちを切り替えて、今夜は徹底的に探索の打ち合わせよ!」
「アルちゃん、その前にお腹が空きました。早くレディンさんの所に行きましょう」
「あはは、そうね。マティリアも一緒に夕飯どう? レディンの作ったチャパティってほんと美味しいんだから」
マティリアは少しだけ迷い、しかしすぐに苦笑を漏らしてゆっくりと首を振った。
「――いえ、今夜は遠慮します」
「ふぅん、どうして?」
アルマの真っ直ぐな問いに、マティリアは肩をすくめて答える。
「私もアルマさんと同じですよ。嫉妬されるのはゴメンこうむります」
「……何のこと?」
「情報屋にも伝えられない情報がある、という事でしょうか。では、皆様の土産話を楽しみにしております」
マティリアはそう言って優雅に一礼すると、夕闇の木陰に消えていったのだった。
チチチチッ――
甲高い小鳥の声が日が昇り始めている事実をアルマたちに押し付ける。
「ああ、もう! 寝坊したああっ!」
「アルちゃん、もう少しです!」
颯爽と先を走るカンナを追いかけ、アルマは待ち合わせ場所に急いでいた。
さらに後ろを走っているアーシェルは、走りながら時折カクンカクンと舟をこいでいる。
「アーシェル! 走りながら寝ないで!」
「……朝は、駄目なのに」
やがて、朝の透明な空気が張り詰めるテントが見えると、その前には既に2人の人影がたたずんでいた。
「やあ、おはようございます」
「――遅い」
レディンのにこやかな笑顔とシュルトのムスッとした膨れっ面が対照的で、アルマは笑みをこぼした。
「――ハァ、ごめんね。――ハァ、夕べ遅くまでこれ作ってて、寝るのが遅く――ハァ、なっちゃって」
息を切らせながら弁解すると、小脇に抱えていた物を皆に見えるように広げた。
それを見て、レディンは歓声を上げる。
「わあ、リュックですか! これはアルマさんが作ったのですか?」
「ちょっと不恰好だけどね。どう、シュルト、すごいでしょ?」
「……」
シュルトが半眼で沈黙の答えを返した後だった。
ぽっかりと時間に穴が開いたような静寂が、5人の間に訪れたのだ。
誰も発言しない一時が訪れただけなのだろう。しかし何故か、その瞬間がアルマには途方も無く貴重な一瞬に思えたのである。
朝焼けの下、ゆっくりと4人の仲間の顔を見回すと、ゾクゾクと体が震えるのを止められなかった。
――なんでだろう。ただ5人で出発するだけなのに、なんでこんなに
やがて胸に湧き上がる興奮を抑え切れなくなり、アルマは獣のようにうめいた。
「ううううっ!」
「ア、アルちゃん、どうかしたんですか?」
慌てて背中を擦ろうとするカンナに、頬を上気させて答える。
「もうね、楽しみでしょうがないの!」
そして、テントの向こう側で無限のごとく広がっている密林を指差して叫ぶ。
「あの向こうに何があるのか、それを私達5人で探しに行くんだよ? こんなに素敵な事ってないでしょ?」
密林は5人が来るのを拒むかのように、鬱蒼と立ち塞がっていた。
だが、アルマの叫びに応じたかのように日が森に射し込み、その陰鬱な雰囲気を一変させる。まるで鍵が開かれたようだった。
その光景を食い入るように見つめていたシュルトは、恥ずかしくなったのか視線をアルマに戻すと、努めて不機嫌そうに忠告した。
「興奮するのはいいが、浮かれすぎるな。一歩間違えば全員死ぬんだぞ」
「抜かりはありませんよーだ」
水をさすようなその言葉にもアルマはまったく動じない。
「昨日打ち合わせた通り、カンナが先頭で邪魔な木を切って、レディンが山菜の採集、アーシェルが材料の調達で、地図はシュルトが描けるんだっけ?」
「ああ」
「で、私がノミで木に目印を着けて行けば、帰りは大丈夫。もう完璧でしょ!」
「……なんか不安」
「はいそこっ! 弱音厳禁!」
アーシェルにビシリと指を突きつけ、その口を塞ぐ。
「じゃあ、他に忘れ物はないわね? 水も食料もある?」
アーシェルが水の皮袋を、レディンが小さな麻袋をそれぞれ掲げた。
カンナはニコニコと微笑んでおり、シュルトも早くしろと言うように小さく頷く。
「それじゃ、いくよ」
アルマは右の拳を高らかに振り上げながら、ひときわ大きな声で叫んだ。
「しゅっぱーーつ!」
「騒がしいこと」
アルマたちが出発した後、テントの影から二人の影がじわりと滲み出た。
「ビスキム、分かってますね」
クレア=ラーゼはボリュームのある赤髪を手の甲で払うと、脇に控えていた陰気な男は静かに顔を上げた。
「お嬢様、本当によろしいのですか?」
「構いません。少なくとも、あのアルマとか言う身の程知らずと、デイルトンの生き残りは――」
クレアの眼差しが森の中に消えたはずの2人を捕え、剣呑な色に染まった。
「確実に始末なさい」
「御意」
短く返事をしたビスキムは5人の後を追い、密林へと姿を消した。
たった1人残されたクレアは、誰にも聞こえぬ声を静かに風に流す。
「さようなら、貧民と非国民。もう会えないかと思うと残念だわ」
しかし、その顔に浮かんでいたのは哀愁ではなく、酷薄なまでの笑みだった。