第14話:破顔一笑(上)
アルマはテントの入り口に立ち、しばらく言葉が出てこなかった。
続いて来たアーシェルも横に立ち視線を巡らせると、浅黒い顔が傾くにあわせて髪先についた金管が擦れチャリチャリと小さく鳴った。やがて、薄暗いテントの中をひと通り眺め終るや、小さな口からは吐息とか細い声が漏れる。
「ガラクタばっか」
その後ろにいたカンナも同感だったらしく悲しそうに眉をひそめて言う。
「まるで略奪された後みたいです」
特に目に付くのは食料品を取り扱っていた一帯だ。
昨日、溢れるほどあった食料品が根こそぎ無くなっており、ガランとした棚には文字通り小麦の一粒も無く、店員の姿すら見えない。
食料品以外も悲惨だった。
僅かな実用品を求めて工具や文具、日用品へと生徒達がひしめいている場所がある。だが、そこにもパッと見た限りでは使えそうな品はもう見当たらなかったのだ。
「ろくな物が残ってないとは思ってたけど、これは想像以上、かな」
アルマは余裕を取り戻すつもりで軽口を叩いた。しかし、言葉にする事で逆に予想外の悔しさが胸にこみ上げてきた。
昨日妨害にさえあってなかったら――そんな思いが頭の中をかすめ、きつく唇を噛んだ。
(ダメダメ! 絶対にあきらめないって決めたでしょ)
こんな事でグジグジしていては、料理を作って待っているシュルトとレディンに笑われる。
ゆっくりと深呼吸をすると、弱気な考えを振り切るように気合を入れた。
「上等じゃない! これでこそ探し甲斐があるってものよ!」
ギュッと腕まくりをすると挑むように身近な棚へと向かい、それを合図にカンナとアーシェルも各々掘り出し物を探すべく散っていった。
しかし数分後、アルマは蚊のようなうめき声を上げる事になる。
なにせ目に付くものが足に亀裂の入った椅子、ただの大きな石、子供がイタズラで作ったような不気味な人形と、気力を奪っていくような物ばかりなのだ。
「こんなの誰が買うのよ。せめて採集用のリュックとか、ペンとか、後はお鍋があればなぁ」
特に鍋だけは欲しかった。料理で煮込むためには勿論、衛生の上でお湯を沸かせる道具は非常にありがたいのだ。
(お湯を沸かす道具くらい、いっぱいあるって思ってたのに)
しかし、それがなかなか無い。
木の鍋では燃えてしまうし、石や粘土で素人が作ったとしてもすぐに割れてしまうのは目に見えていた。
水をこぼさずに加熱できる道具が、実は意外と少ない事に今更ながら気が付いたのだ。
(普段当たり前のように使ってたけど、考えてみるとお鍋って偉大)
集中が切れたのか、妙な思考に没頭し始めた頃だった。
買い尽くされたと思っていた棚の最下段からニョキリとはみ出ている物に目が止まる。
色はアルマの髪と似た薄茶色で、触ってみるとザラリとした手触りがした。その薄い平たい素材が筒のように何重にも巻いてあるのだ。
「これって……もしかして裁縫用の麻布? わ、こっちには糸も!」
綿糸の塊の奥には縫い針まで見つかった。これは紛れも無く裁縫道具一式である。
アルマの興奮した歓声を聞いたのか、奥から老婆の店員がノソノソと近づいてきた。
「お嬢ちゃん、裁縫ができるのかい?」
老婆の声はしゃがれていたが、どこか懐かしい温かな口調だ。
「はい、一応人並みには……それより裁縫道具がまだ売れ残っていたなんて、信じられない!」
「ここのお嬢ちゃん達は裁縫などようせんでの。綿布は切ってタオルにすると言って買い占めよったが、針と糸を手に取っては苦笑いを浮かべとったわい」
カラカラと愉快そうに笑い、しわだらけの手でアルマの手を取る。
「よう働いとる手だ。これならこいつらも無駄にはならん」
老婆がそう言って優しげに頷くと、アルマの胸にくすぐったいような嬉しさがジワリとこみ上げる。
認められる事はどんな時でも嬉しいものだった。
「ありがと。お婆ちゃん、これいくら?」
「縫い針は1本100リア、糸が1玉で300リア、麻布は1巻で500リア。さて、どれだけ欲しいかの?」
年齢を忘れさせるほどスラスラと答えた。おそらくずっと商売をしていた人なのだろう。
それに、売った後で商品がどう使われるか気にしている人は初めてだった。
(商品への愛情、かな。商人として見習わなくちゃダメね。それはともかく――)
アルマは手元にある裁縫道具を見つめる。
30リアが1食分と考えると割高だと思う。しかし、使い方次第では何倍の価値にもできるだろう。そして、それこそが商人として真価が問われるのだ。
「もちろん、あるだけ全部ちょうだい!」
縫い針を5本、綿糸3玉、麻布2巻を購入したアルマは、両手いっぱいに裁縫道具を抱えて緩む頬を抑える事が出来なかった。
「んふふ。これならリュックだって着替えだって作れる――ああ、いくらで売ろっかなぁ」
「アルちゃーん」
叫びながらバタバタとボブカットの黒髪を揺らして走り寄って来る人影があった。ルームメイトのカンナだ。
カンナは上気した頬でアルマ手招く。
「アルちゃん、こっちこっち! 鉄のお鍋がありましたよ!」
「ほんとっ?」
裁縫道具に続いてとんでもない僥倖である。飛び上がりそうな勢いで後を追いかけ、角を3つほど曲がったところでカンナが自慢げに指差した物を見た。
「……ナニコレ?」
確かにそれは鍋と呼べなくも無い。しかしそれは遠くから見たら、の話なのである。
つまりそれは人が寝転んで入れるほどの超特大サイズの鍋だったのだ。
「何って鍋ですよ、お鍋! 立派でしょ? これならラマだって丸ごと煮込めちゃいますね!」
「……それで、カンナはこのデカブツをどうやって部屋に入れるつもり?」
「――へ」
「まさか、部屋の外に放って置くつもりじゃないでしょうね?」
カンナは頭を抱えてウンウンと唸った後、ポンと手を打って答えた。
「3つくらいにスパッと斬りましょう! ほら、完ぺきです!」
「却下」
目頭を押さえ、カンナに悪気はないのだと怒声を飲み込んだ。
「こうなるとアーシェルの方も不安ね。それにしてもどこに行ったんだろ」
「呼んだ?」
「うわっ」
裁縫道具を取り落としそうになりながら振り返ると、背後、手の届くところにアーシェルがいた。
鼻息を吐きながら荷物を抱え直す。
「もう、脅かさないでよ。それで、何か見つかった?」
アルマの問いにアーシェルは手にした木槌とノミ、数枚の薄い鉄板を掲げた。
「意外と豊作」
そして真顔のまま、唇の端を静かに引き上げる。
――これはもしかして、笑ってるの、かな?
目が全く笑っていないのだが、おそらくそうだろう。
あのレディンをして『ちょっと変わってますが』と言わしめた理由を、アルマは少しだけ理解できた気がした。
一方、カンナはアーシェルの抱えていた材料をしげしげと眺め、相変わらずのおっとり口調で尋ねる。
「あのぉ、アーシェルさん。これでいったい何ができるんですか?」
「――鍋とか」
「お鍋作れるんですか! アーシェルさん、すごいですっ!」
「ほんと、すごいじゃない!」
アーシェルを囲んでわいわいと湧き上がった。しかし、当の本人はあくまで冷静だ。
「こんなの、全然すごくない」
「何言ってるの、十分凄い事じゃない!」
「そうですよ。どうしてそんな事思うんですか?」
アーシェルは「だって」と呟くと、鉄板を愛しそうに撫でて答える。
「――鍋は基本」
「そ、そうなんだ」
――やっぱり変だ
アルマは心の奥で一人納得したのだった。
開発支援者になると言う約束通りアルマが機材の代金を払い終えると、待っていたカンナとアーシェルは揃って同じ方向を眺めていた。
何だろうと尋ねると、カンナが店の奥を指差す。
「あれ、なんの人だかりでしょうか?」
その先には10人ほどの人垣が出来上がっていた。野次馬達に阻まれて良く見えないが、群がっている人々はお互い何かを主張しているようだ。
――商品の争奪かな?
すぐさま好奇心に敗北したアルマは、原因を調査するべく行動を開始する。
小さい体を利用して野次馬をすり抜けると低い棚に足を掛けて昇り、背伸びをするように人だかりの中心を覗く。
するとその中心には商品ではなく、見覚えのある美青年が苦笑を浮かべていた。
――あの人、ひょっとして
男物の制服に身を包み、長い髪を後ろで縛っていたので一瞬分からなかったが、その規格外の美貌は間違えようが無い。甲板でリンゴをくれた風変わりな貴族だ。
「マティリア!」
呼びかけに気がついたのか、マティリアは視線をアルマへと向ける。
そして、助かったとばかりに顔を輝かせて叫び返した。
「やあ、アルマさん! 遅いじゃないですか!」
「へ?」
その途端、マティリアをわんさと囲んでいた群衆の視線が一気に集まってきた。男生徒、女生徒が入り混じっていたが、どの目にも嫉妬の炎が入り混じっているように感じる。
アルマはチクチクと刺さる視線から逃れるように、棚からゆっくりと降りた。
「アルちゃん、あの方と何か約束してたんですか?」
ようやく追い付いて来たカンナにブンブンと首を振って否定する。まったく身に覚えの無い事だった。
マティリアは人ごみを文字通り掻き分けてアルマの傍に近づくと、耳元に口を寄せて囁く。
「すみません、アルマさん。ここを抜け出したいので、ちょっと話を合わせてくださいませんか?」
そういう事か、アルマは安堵しつつ長身のマティリアをじろりと睨み上げた。
「面倒なことにならないでしょうね? 私、嫉妬されるなんてごめんだから」
「それはもちろん。みなさんにはちゃんとフォローしておきますから」
「……10リアで手を打ちましょう」
「っくく。本当に、あなたって人は面白い」
マティリアはザッと後ろを振り返り、うやうやしく頭を垂れた。
「皆様、私はこれよりこの方とビジネスの話があります。アルマさん、そうですよね?」
「そ。とってもドライで色気の無いお話ね」
「と言うわけで、申し訳ありませんがご同行はご遠慮ください。では、また会う日までごきげんよう!」
マティリアはしっぽのような後ろ髪をひるがえし荷物を抱えているアルマの腕を取ると、あっけに取られる人々の視線を背に、悠々と退場したのだった。
「いやいや、助かりました」
テントを出て人気の無い場所に入った途端、マティリアは脱力したように肩をすくめた。
「あれ何だったの? あなたのファン?」
「そうだとマシなんですが、あれはただの派閥争いです。虚構の貴族主義をここにまで持ってきてあの騒ぎですよ。夢を見続けるのは勝手ですが巻き込んで欲しくないものです」
「……元貴族って言うのも大変そうね」
「全くですとも!」
マティリアは不満を出し切ったのか相好を崩すと、アルマの後ろを少し離れて付いて来ているカンナとアーシェルを振り返る。
「ところでアルマさん、この方々は?」
「ああ、紹介するね。私の大切な仲間、カンナとアーシェルよ」
「おお、そうでしたか」
マティリアは2人の前に膝を着き、王族にでも会ったかのような一礼をした。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。私、マティリア=アスハルトと言う者です。以後、お見知りおきを」
「こっ、こちらこそっ! オリベ=カンナと申しますっ!」
カンナは折れた茎のように深々とお辞儀をして、アーシェルは風に拭かれた枝のような小さな会釈をする。
あまりに対照的な2人を見てマティリアは小さく噴き出した。
「いやいや、流石にアルマさん。ユニークな方々が集まりますね」
「……それ、褒めてないでしょ?」
「疑うとは嘆かわしい。肺腑の底から褒めてますとも」
「白々しい。大体、あんたが変人の筆頭がじゃない!」
「おや、そうでしょうか?」
マティリアはひょうひょうとすっとぼけた後、毒舌が心地よいと言わんばかりに破顔したのだった。