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第13話:ボクの私の志望動機

 一陣の爽やかな風が、窓からフワリと入り込む。

 ツェン島が温暖な気候のせいか風は春の新緑ではなく、夏の深緑の香りを引き連れていた。


「クライン先生の葬儀が終わる頃、隻腕の男は人知れず村からいなくなっていました。結局、未だに僕は彼の名前も素性も知らないままです」


 レディンは吶々(とつとつ)と話を(つづ)り続け、シュルトはそれを無関心そうに聞いていた。

 しかし、シュルトの拳はギリリと握り締められている。内心の怒りを(おもて)に現さぬよう必死で抑えていたのだ。


――この偽善者がっ!


 レディンの話がシュルトには狂信者の自己欺瞞(じこぎまん)にしか聞こえなかった。苛立ちのあまり吐き気すら覚えるほどだ。こんな結末など彼の中であってはならない事なのだ。

 ベッドの上で足を揃えているアルマを目の端で見る。

 彼女は真剣に聞き入り、その目は僅かに潤んでいた。つまり、この話に心の底から共感し、同情すらしているのだ。


――俺は、こいつらとは違うのか


 シュルトがそんな結論に達しているとは知らず、レディンは笑顔すら浮かべて語り続けた。


「その後、砂漠の長は僕を養子にしてくれました。ですが、アーシェルは長の娘になることを嫌がり、どういう経緯かツェン爺さんと言う人の養女になりました」


 そこで、長々と聞き入っていたアルマが両手を叩いて歓声を上げる。


「すごい!」

「――すごいって、なにがですか?」

「つまりレディンって砂漠の長の養子ってことでしょ? それって砂漠の王子様って事じゃない!」


 その発言をレディンは両手をブンブンと交差させ、慌てて否定した。


「そんな、違いますよ! 長は食事係に僕を雇ったようなものです。それに砂漠の長の息子が神学を学ぶなんて許される事じゃありません。ここに来る前、長とは親子の縁を切りましたから、そんなものじゃないんです」

「そっか、ごめん。勘当されたって言ってたよね」


 アルマがしょぼんと沈んだので、レディンは取り繕うように付け足す。


「そんな顔しないで下さい。長とはよく相談して、納得の上で勘当してもらったんです。それより、大事なのはアーシェルの事ですよね」

「あ、うん。アーシェルはそのツェン爺さんって人の養女になったんだっけ。どんな人なの?」


 アルマが立ち直ったのを見て、レディンは再び笑顔で答える。


「はい。ツェン爺さんは砂漠の発明家と呼ばれている人です。滅多に人の前には出てきませんから頑固だ偏屈だと言われていますが、稀代の天才です。気球を発明したのもツェン爺さんなんですよ。その人の下で、アーシェルは人が変わったように勉強をしたそうです」

「――そうです、ってずいぶん他人事ね」

「ええ。実はクライン先生の葬儀からここに来る時まで、アーシェルには一言も口を聞いてもらえなかったので……」

「それは、避けられていたって、そういうこと?」

「ええまあ」


 レディンは困ったように鼻頭を指で掻く。

 これには今まで黙っていたシュルトも咎めるように詰問した。


「では何故紹介した? その状態なら拒絶されて当前だろう?」


 そこでようやくシュルトの苛立ちを感じたのか、レディンは真顔になり謝った。


「すみません。でも、学院に来る馬車の中でアーシェルに再会した時、僕は謝ったんです。僕のせいでクライン先生が死んでしまって本当に申し訳ないと」

「それで、アーシェルは何て言ったの?」


 アルマが身を乗り出すように聞くと、レディンは小さく頷いた。


「そのことはもう怒ってないって、ハッキリと言ってくれたんです」

「でも今日見た感じだと、まだ怒ってたわよね。じゃあ別の事で怒ってるってこと?」

「おそらくそうでしょうね……でも、僕はあきらめません。砂漠を出る前にフェン爺さんにも言われたんです。アーシェルをよろしく頼むって」

「そうね。きっといつか分かってもらえるって。協力するから頑張ってね」

「ありがとうございます。でもアーシェルはいったい何を怒っているんでしょうか。ただ僕が嫌いなだけとか……」


 レディンがそう言って深くため息を吐いた時だった。

 シュルトは音も無く椅子から立ち上がり、冷たい目でレディンを見下し、ゆっくりと口を開いた。


「アーシェルが怒るのは、当たり前だ」


 レディンとアルマは驚いて彼を見上げたが、次の発言はさらに2人を驚かせるものだった。


「俺1人で、説得してくる」





――驚き過ぎだ


 シュルトは顔をしかめて、目と口を皿のように開き固まっているレディンとアルマの顔を思い出していた。


――だが、あいつらは本当に分からないのか?


 アーシェルが何故10年近くも怒り続けているのか、シュルトには手に取るように分かった。

 クラインの殺された原因の一端がレディンにあるからでは決してない。そんな事は今さらどうでもいいのだろう。もっと決定的な事があるというのに、あの偽善者たちはそれに気がつかないのだ。


「お前らの考え方では、誰も救えない」


 アーシェルのいる部屋の前に立つと、シュルトはそう小さく呟き、細く長く息を吐いた。

 レディン達には1人で説得すると言ったが、人と関わりを作る行為は、やはり気が重い。

 だが、この程度の事で立ち止まる訳にもいかない。成すべき事が、絶対に成さなくてはいけない事があるのだ。


――それに、失敗しても失うものなど、俺にはもう何もない


 左目の傷跡を人差し指でゆっくりと撫でると、ドロリとした煮えたぎるような感情が腹の奥から湧き出てきた。

 その感情は憎悪と呼ばれるモノだ。

 シュルトは憎悪に身を委ねると、無表情に扉をノックする。


 しばらく待つと、静かな女性の声が扉の向こうから短く返された。


『誰?』


 その声はアーシェルの隙間風のような警戒した声だ。癇に障るルームメイトのしゃがれた声でなかった事に僅かに安堵する。

 シュルトはその問いに簡潔に答えた。


「俺はシュルト=デイルトン。アーシェル=クライン、お前に話がある」

『デイルトン……悪魔の子……ボクはお前に話す事なんか、無い』


 凛とした拒絶。しかし、シュルトはその声など聞こえなかったように続けた。


「お前が許せないのは、あの偽善者レディンが勝手に許してしまった事――いや、あの片腕の男が、どこかでのうのうと生きている事。そうだろう?」


 誘惑するような質問への答えは、沈黙。

 シュルトはさらに扉の向こうへ語りかけた。


「俺ならば、お前の願いを適えてやれる」


 沈黙の時間が1秒、また1秒と降り積もった。

 やがて扉は軋みをあげ、小さな隙間から空色の目が覗く。

 探るような目つきでシュルトの姿をじろりと確認した。清々しいはずのその瞳の色は、しかし、曇り空よりも淀んで見えた。


「……あいつを、殺してくれるの?」

「必ず」


 即答すると空色の視線がグラリと揺らいだ。

 シュルトを見つめ、床を見つめ、自らの手を見つめ、最後にもう一度シュルトの隻眼を刺すように見た。


「……分かった、入って」


 そして、扉はゆっくりと開かれた。



 部屋の中にあの高飛車なルームメイトの姿は無かった。どこかへ出かけたのか知らないがシュルトにとって思わぬ好都合だ。

 アーシェルは猫のようにピリピリとしたその雰囲気のまま、部屋の中央で腕を抱えるように組む。


――それくらい警戒した方が、俺には心地良い


 シュルトは部屋の置くまで進むと机に浅く腰を掛けた。

 アーシェルの身長は低い、アルマよりもさらに拳一つほどは低いが、何より彼女を小さく見せているのは、周りに漂う警戒した空気だろう。

 アーシェルはシュルトを睨み上げ、小さく口を開いた。


「あいつを、本当に殺してくれるの?」

「いや、お前に直接殺させてやる。十分な苦痛を味あわた後で、だ」


 アーシェルは小さく息を吐くと、組んでいた腕を解いて1歩、1歩とシュルトに近づいた。


「本当に、悪魔の子だったんだ……」


 そして、隻眼を覗き込むように問う。


「代償は何? ボクの魂?」





「ねぇ、レディン。目的は何だと思う?」


 アルマがベッドの上であぐらをかき、腕を組んで尋ねる。

 尋ねられたレディンは相変わらず椅子の上でピンと背筋を伸ばし、静かに指を組んでいた。


「目的って、シュルトさんが説得するって言った事の、ですか?」

「当たり前じゃない。他に何があるって言うの」


 アルマのあきれたような声に、それもそうかとレディンは頬を掻いた。


「アルマさんのために何かしたい、そう思ったのではないでしょうか」

「あっは、ないない! 絶対に無いわよ!」


 レディンの答えを一笑に伏せると、アルマは少しだけ顔を引き締めた。


「そりゃ私だってシュルトを信じたい。でも妄信する事と信頼を築く事は違うもの。そして、シュルトはまだ私達に心を開いていない。レディンは違うって思いたい?」

「……いいえ、僕もまだ打ち解けていないと分かってるつもりです」


 アルマはウンと頷き、あぐらを解くとベッドから床にひょいと降り立った。


「でしょ? だから今回の件も、何か目的があると思うの。もっとも、あの陰気臭い顔にホイホイほだされる女の子も少ないと思うけどね」

「ア、アルマさん、それはあんまりじゃ」


 レディンは咎めるように苦笑を漏らす。すると、アルマはニタリと笑って近づき、その苦笑を見下ろした。


「ふぅん……じゃあ賭けよっか。100リアでいい?」

「賭けるって、本気ですかっ!?」

「勿論、私はいつだって本気――」


 コンコン


 レディンの困惑を加速させる絶妙なタイミングでノックの音が飛び込んだ。


「わお! ちょうど帰ってきたみたいね。さぁて、どっちかなっと」

「ちょ、ちょっと待って下さい。アルマさんっ!」


 レディンの制止の声など聞く耳持たず、アルマはウキウキと扉を開け放った。

 しかし、そこにいたのはシュルトでもアーシェルでもなかった。黒髪でボブカットの少女がポツンと(たたず)んでいたのだ。


「アルちゃん、ただいま……あれ、誰かいるんですか?」


 カンナはアルマの背後を覗き、腰を浮かせているレディンを見つけるとビキリと凍結した。


「あれ? ……レディンさん、アルちゃんと、2人きり? ……あれ?」


 硬直したままカンナは視線を宙にさまよわせた。

 だが激しく動揺するカンナに一切気がつかず、アルマは微笑んだまま事も無げに言う。


「カンナってばタイミング悪いわよ。今、ちょうどいいところだったのに」

「い、いいところっ!?」

「さっきね、レディンの事をたくさん教えてもらって――」

「ちょおおおっ! ちょおおっと待って下さい!」


 真っ赤になってアルマを押しのけ、部屋にダンダンと押し入るとレディンに押し迫るように尋ねる。


「う、う、嘘ですよね? レディンさんに限ってそんなこと、アルちゃんに、その……してないですよね?」

「いえ、会ったばかりなのでどうしようか迷いましたが、アルマさんに全部受け止めてもらって、なんかスッキリしました」

「全部……受け」


 カンナは力尽きたように(ひざ)からガクリと床に落ちる。その様子は糸の切れた操り人形そのものだ。


「あの、カンナさん?」

「2人で……そんな事を……」

「あ、いえ、さっきまでシュルトさんもいたので2人と言うわけじゃ」

「3人ですかっ!?」


 突然復活したカンナはガクガクとレディンを揺さぶりながら、唾を吐き散らして叫んだ。


「信じられません! みんなケダモノですっ!」


 慌ててアルマが背後からカンナを押さえ込んだ。


「ちょっと、カンナ。落ち着きなさいって。カンナもレディンの事を教えてもらえばいいでしょ?」

「――へ?」


 カンナの動きが止まり、頬に朱が走る。


「ええ、僕も構いませんよ」

「ひええええっっ!?」


 続いて熟れた林檎のように赤くなり、カエルが締め上げられたような悲鳴をあげた――その時だ。

 コンコンと再びノックが飛び込み、恐慌寸前のカンナをぎりぎりの境界線で踏みとどまらせたのだった。


「今度こそシュルトね!」


 アルマはカンナを離すと小走りに玄関に向かい、その勢いのまま扉に手をかける。


「にょおっ!」


 そして扉を開くや、奇声を上げて我が目を疑った。


「どうした? 何をそんなに驚いている?」

「お、おどろくわよっ!」


 そこにいたのは無表情のままのシュルトと、その後ろに隠れるように付きそう1人の少女――アーシェルがいたのだ。


「アーシェル! よかった! 来てくれたんですね」


 部屋の奥からレディンが満面の笑みで飛び出し、アーシェルの手を取って――


 バシッ


 しかし、アーシェルは力の限りその手を振り払った。


「勘違いしないで。ボクは、話を聞きに来ただけ」

「すみません……でも来てくれただけでも嬉しいです」

「ねえシュルト、あなた一体どうやったの?」

「別に……」


 そして、ただ1人状況を把握できていない人物が部屋の中央でポツンと呟いた。


「あのぅ、カンナ、お邪魔ですよね?」





 アルマとカンナの部屋には、部屋の主以外にレディン、シュルト、アーシェルの3人が加わり、随分と息苦しい空間となっていた。

 しかし、アルマにはその狭苦しささえ嬉しく感じている。なにせこれでやっとメンバーが揃ったのだ。


「じゃあ自己紹介から始めましょう。私は経済学部のアルマ=ヒンメル、14歳、よろしくね」


 妙な雰囲気の場を盛り上げるようにアルマはひときわ元気な声を上げ、隣にいるカンナに目配せをした。


「あ、あの、オリベ=カンナ、17歳、軍学部です。よろしくお願いします」


 そう言って深々と頭を下げる。さっきの事情を聞き、とんでもない勘違いをしたと恐縮していたカンナの声は、すっかり裏返っていた。

 続いてレディンが「僕のことは皆知ってると思いますが」と立ち上がる。


「神学部のカサマ=レディン、同じく17歳です。よろしくお願いします」


 机に浅く腰掛けたシュルトが低いトーンでつなげる。


「政治学部、シュルト=デイルトン。歳は16だ」


 そして、皆の視線を浴び、アーシェルはしぶしぶと言った感じで口を開いた。


「工学部、アーシェル=クライン、14歳」


 必要最低限だけ言うと、睨むようにレディンを見た。


「で、ボクに何をさせたいの?」

「いえ、アーシェルの力を借りたいのは僕ではなく、こちらのアルマさんです」


 ざっと視線がアルマに集まる。

 アルマは咳払いを一つすると、アーシェルに向かいにっこりと笑いかけた。


「簡単に要件だけ言うわね。私はあなたに開発や研究に必要な物資を提供して、代わりにあなたの作った物を量産して売らせて欲しいの。それだけ」

「……普通にテントで買って、売ればいいのに」


 聞こえるかどうかの声でアーシェルがボソリと言うと、アルマは「そうね」と頷き「でも」と続けた。


「テントには目ぼしい物はもう何も残っていないと思うの――そもそも、たったあれだけの物資で1000人の需要を何日も(まかな)えるわけが無い。食料も、機材も、まだ皆気にしてないけど衛生施設だって不十分よ。お風呂も無い、トイレだって酷いものでしょ?」


 その言葉にアーシェルは押し黙った。

 なにせ、この寮の横に備え付けられているトイレは簡易的な汲み取り式で、誰かが処理しなければ汚物が溜まる一方だった。お尻を拭くにも皆はその辺りに生えている大きな葉っぱを利用している有様である。あれはすぐに破れて凄惨な事になるのだ。


「この学院(しま)は必要な物は自給自足しないと生きていけないいけない。そして、提供する側になれなければ上位は目指せない。それにはアーシェルみたいな作り手が必要なのよ。もちろん販売した時の利益はしっかりと分けるから、どう?」


 アーシェルは目の端でちらりとシュルトを確認し、そして、小さくだがハッキリと頷いた。


「やったあ! 契約成立ね!」


 アルマはアーシェルの浅黒い手を握り、狭い室内をピョンピョンと飛び跳ねる。


「じゃあ、早速材料を調達しなきゃね。今日はもうお昼だし、テントで残り物を物色して――」


 アーシェルの手を離すとグッと拳を握り締め、天高く掲げた。


「明朝、島の奥を探索しましょう!」


 一瞬呆気にとられたシュルトは、我に返ると唸るように尋ねる。


「……一応聞いておく、俺も探索のメンバーに入っているのか?」

「当ったり前じゃない。か弱い女性を放っておいて、自分は部屋でご馳走が届くのを待つつもり?」

「いや、そう言うつもりじゃ――まあいい、もう一つ質問だ。何故、島の奥へ行く? 他に手近で資源を取れる場所だってあるだろう?」

「何故って、近くじゃすぐ取り合いになっちゃうじゃない。それにほら、リーベデルタだっけ? あのプレートだってきっと島の奥に隠してあるに決まってるし、それに――」


 アルマはとびきりの笑顔を見せて両手をパンと胸の前で合わせる。


「5人も仲間が集まってるのに、冒険しないなんてありえないじゃない!」


 そして、4人はアルマの意思が変わらない事を早々に理解したのだった。


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