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王道ではない英語読書への茨道

英語読書をする時にどうしても辞書が手放せない方へ

作者: 多雨

 このエッセイは、英語は別に好きではないし勉強もしたいわけではないけれど、ただ一冊どうしても読みたい本があった――それだけの理由で英語に挑戦しようとした私の、個人的な体験談です。


 勉強が目的ではないので、私は文法を完全に無視しました。

 でも語彙が絶望的に足りなかったので、辞書には頼りっぱなしでした。


 上級者の方から見れば非効率きわまりない方法かもしれません。でも私にとって、紙の辞書を引き、ひたすらノートに単語を綴ったことは、決して無駄にはなりませんでした。


 繰り返しますがこのエッセイは個人的な体験談であって、英語学習のための指南書や手引きではありません。おそらく、アドバイスにすらならないでしょう。

 これは、どうしても辞書が手放せなくて苦労しておられる方々へのメッセージです。どうか、諦めないで下さい。




◆プロローグ――私には読みたい本がある




 私にはどうしても読みたい本がありました。ですがどう考えても、一生待っても翻訳が出そうにない本でした。

 それが英語でなければ諦めもついたでしょうが、英語だったのでつい原書を取り寄せてしまったのです。

 やってきたのは500ページ近い新書サイズのペーパーバックでした。日本語に訳したとしたら、分厚い文庫本上下巻になりそうな分量です。

 まず、裏表紙のあらすじを辞書を引きながら解読しました。たった5行なのに、15分以上かかりました。でも何とか理解できたのです。

 辞書を片手に頑張れば、私でも最後まで読めるのではなかろうか。だったら、1年かかろうが2年かかろうが、やってみようではないか、と思いました。


 次の日、私は辞書とペーパーバックを並べて挑戦を開始しました。

 ……30分経過。全部単語を引いたのに、最初の文章の意味がさっぱり分かりません。

 たかが5行なのに、なぜ理解できないんだ。私にはやっぱり無理だったのか――!

と絶望しかけてふと、昨日読んだあらすじと同じ行数だということに気づいたのです。

 それで、じっくりあらすじと最初の文章を見比べて、思ったのです。この作家さん、もしかしてセンテンスが長い人なんじゃないのか、と。実際、次の文章も4行あります。どう見ても長すぎます。


 この作家さんの本を日本語訳で楽しんでいた時には、原文にこんな癖があるなんて知りもしませんでした。思いもよらなかった原文の文体の罠に、頭を抱えるしかありませんでした。

 そして、しばしの放心の後、本文からもう一度あらすじに戻った時、私はまた別の罠に陥っていたことに気づいたのです。昨日理解していたはずのあらすじが、すでに読めなくなっていました。せっかく辞書で引いた単語を、私は全部忘れてしまっていたのです……。




 この本は私には無理だ、と結論を出すしかありませんでした。そう、「今の」私には無理なのだと。




◆作戦を立てる




 私が読みたい本の作家さんは、どっしりと重厚な作風が持ち味です。だから私はこう考えたのです。

 同じジャンルでもう少し軽い文体の本を何冊か読んで訓練すれば、いつかは読めるようになるのではないかと。


 では、安全な人は誰だろうかと色々考えて、とある本の解説で、その作者が別ペンネームで私が読みたい本と同じジャンルの本を書いている、と紹介されていたのを思い出しました。

 普段、明るいロマンチック・サスペンスを書いているような作家さんなら、別のジャンルでもそんなに作風は変わらないかもしれません。しかも、ジャンルの中の小カテゴリもかなり近いのです。たとえば海外の戦記という大きな枠組みではなく、戦記かつ大航海時代の帆船ものというくらいの共通点がありました。

 私は早速、第二の作家さんの別ペンネーム本を取り寄せました。それなりに厚みはありますが、1冊目よりはずっとましです。でも総ページ数を確認するよりも先に、私は1ページ目を開き、最初の文章の行数を数えました。

 いいえ、実は数えるまでもありませんでした。

 たった1行です!

 これなら行けるかもしれない、というわけで、私は読みたい本のために別の本を読むことになったのです。




 冒頭でも述べましたが、私はどちらかというと英語は好きではありませんし、勉強するつもりも全くありませんでした。

 でも、どうしても読みたい本のために、期間限定で頑張ることにしたのです。




 最初の失敗をふまえて、私はノートを準備しました。辞書を引くのが実に面倒くさかったので、単語帳代わりにしようと思ったのです。さらに、内容を忘れてしまって同じ文章を二度読むことも避けたかったので、きちんとメモを取ることにしました。

 私はノートの表紙に本のタイトルと作者名を書き、全部のページの真ん中に縦線を引いて、左右に二分割しました。左の欄に引いた単語の綴りと意味を書き、右の欄にあらすじを書くのです。


 もう一つ用意したのは、しおりです。

 私は本が好きだということで、時々しおりをプレゼントされるのですが、ぱらぱらとめくったらどこまで読んだかすぐに見つけられるので、それまで一度も使ったことはありませんでした。死蔵していた中から、ひっかかりがなくて一番使いやすそうな綺麗なしおりを選び、ペーパーバックの1ページ目に挟みました。


 これで準備は整いました。




◆1日目




 私は怠け者です。面倒くさいことは嫌いです。だからその日、私は何が何でも実質5ページ読むまでは、休憩を取らないことに決めました。


 もう一つ決めたことは、分からない単語に行き当たった瞬間、文章の途中でも読むのを中断して辞書を引くということでした。

 普通なら、せめてピリオドまで読んでからまとめて単語を引くのでしょうが、そうすると単語の意味を調べた後、もう一度同じ文章を読み直して、構文を見ながら文意を確認することになります。どう考えても、時間の無駄です。私は英語の勉強がしたいわけではなく、目指す本が読めるようになりたいだけなのです。

 それに私は学校英語の影響で、日本語訳しようとするあまりに、同じ文章内を行きつ戻りつする変な癖がついてしまっていました。その癖をどうにかして矯正して、英語を普通に語順通りに読む習慣を身に付けなければ、ペースアップは望めないと考えました。

 ところが、文章の途中で中断して辞書を引くということは、予想以上に大変で、かなりの精神的苦痛をともなうものでした。

 日本語だと文の途中で名前を呼ばれても、普通に返事をして会話をして、その後何事もなかったかのように元の場所から読み始めることができます。でも、英語だと命綱もなく宙ぶらりんの状態に陥ってしまい、その緊張感と違和感にずっと耐え続けなければならないのです。


 それに、辞書を引くことは、相変わらず面倒くさいです。

 ノートに単語の綴りと意味を書いていく作業のほうも、私の語彙レベルがあまりに低かったので、本文を読むよりもシャープペンを走らせている時間のほうが長いというありさまでした。


 それでも1冊目と違って、少なくとも私は前へ進んでいました。

 単語を綴っている左側の欄がいっぱいになるより先に、ペーパーバックの1ページ目をめくることができました。といっても、1ページ目の上のほうは結構空白があったので、あまり自慢できたものではないのですが。

 やがて、ノートの単語欄がいっぱいになったので、ノートのほうのページもめくりました。何となく見当はついていましたが、右側のメモ欄にはほぼ何も書くことがありませんでした。

 今そのノートは処分してしまったので手元にないのですが、ほぼ情景描写だったので


   ゴージャスなお屋敷

   ヒロイン:******


程度しかストーリーが進んでいなかったような記憶があります。

 ノートの2ページ目になると、右側の欄に書くこともちょっと増えて5行くらいになりました。さらに、とある単語で見覚えを感じて、単語帳の1ページ目を確認するとすぐに見つかりました。辞書を引くよりはずいぶん楽です。もちろん、その単語をもう一度書くような面倒なことはしません。


 そんな調子でじわじわと読み進めて行き、実質5ページ分、すなわち6ページ目の途中の段落でその日のノルマは達成しました。

 時計を見ると3時間が経過していました。いつもの就寝時間はすっかり過ぎています。

 私はノートの一番最後に書かれた単語の下に横線を引いて、


   **/** p6 l**


という書式で日付と、到達したページ数と行数を書き添えました。「実質5ページ」というルールにしたので、少しずつずれが生じ、約350ページの本は、単純計算で割り出した70日よりも早く読み終えることができそうです。

 ペーパーバックに綺麗なしおりをはさみ、ノートを閉じて長い1日目が終わりました。




◆2日目以降




 2日目。ノートに書いたメモに目を通し、前日読んだ内容を思い出してから、続きに挑戦しました。




 2日目になると、文章の途中で強制中断して辞書を引くことにも慣れてきました。

 うまく表現できないのですが、その瞬間、思考を凍結するような感覚で時間経過を感じないようにしてしまうのです。そして、すでに機械的な作業と化している辞書を引き、単語の綴りと意味を書くことを終えたら、時間を再び解放するのです。


 ストーリーが展開するにつれ、右側の欄に書く箇条書きメモの量も増えてきて、左の欄だけがびっしり埋まっているというアンバランスな状態は、徐々に解消されていきました。この単語は意味が分からないけど見覚えがある、ということも時々あって、それまでノートに綴った単語を確認するとやはりありました。

 私がこの簡易単語帳を作ることにしたのは、二回以上同じ単語を辞書で引くのを避けたかったからです。面倒を避けるために、別の面倒なことをしているという馬鹿馬鹿しさには気づいていました。でも、それほど私にとって、辞書を引くことは面倒くさかったのです。

 ですから私には、語彙を増やそうという野望などありませんでした。単に私にとって、少しでも楽なことをしたかっただけです。

 しかし、単語帳を作れば繰り返し繰り返し、自分の引いた単語一覧に目を通すことになります。覚えようという意識も意欲もなかったのに、ぽつり、ぽつりと語彙が増えていきました。確かに辞書で引いた単語だけれど、ノートを見なくてもすっと意味が思い出せたので、なめらかに先に進めた――そんな瞬間も何度かありました。


 とはいえ、この単語帳作戦も失敗することがあって、一度辞書で引いた単語なのに全く思い出せずにもう一度引いて、ノートに書き込んでしまったこともあります。見覚えがある単語に行き当たる度にノートを確認するので、そういうダブりの単語に気がついた時には、本当に悔しかったです。




 毎日、終わったところで横線を引くことにしていたので、辞書で引いて書きとめる単語数が日を追うごとに減っているのは、目に見えて明らかでした。でもその代わりに右側のメモに書く内容が結構増えてきたので、単位時間内に書く作業量としては、あまり変わらなかったような気がします。ただ、思考を凍結する技を身につけたので、長時間頭を使い続けて疲労する感じはなくなりました。

 意味が分からない単語を探す時、辞書ではなくノートを見ることのほうが多くなり、最初はペーパーバックの一番最初に差し込まれていたしおりの位置も、少しずつ中央へとずれていきました。綺麗なしおりを見るだけで、6分の1まで来た、5分の1まで来た、4分の1まで来た、と実感できるのがひそかなよろこびでした。




◆100ページ突破――ひとつの壁を越える




 日本語で小説を読むならば、私は1行目から物語の世界に没入できます。

 英語ではじめてその感覚を味わったのは、ちょうど100ページを越えた時でした。




 それまでの私は、英語で読書をしていると言っても、内容を把握するだけの無味乾燥な作業をしているだけでした。100ページを越えてようやく、本の中の世界に心を遊ばせる境地への扉が開いたのです。

 しかも物語世界へ入れるようになったことには、さらに意外な余禄があったのです。

 当時、私が英語を読む速度は、概算ですが、日本語に比べると10倍以上時間がかかっていました。ということは、日本語だと30秒で終わるアクションシーンが5分以上に引き延ばされ、それだけ長い間どきどきしていられるのです。また、日本語なら1分で終わるラブシーンが、何と10分以上に。映画で10分のラブシーンが延々続くことを想像してみて下さい。さすがの私も最後には赤面してしまいましたとも。

 こうして100ページを越えた時点で、読み続けるのはただのノルマではなく、楽しみになりました。私は1日実質5ページだったノルマを、実質5ページ以上のペースに変更しました。




 ちなみに、この新書サイズのペーパーバックで100ページの壁ですが、私の場合は他の本でもほとんど同じでした。とにかく約100ページを読まないと、作品世界へ入り込むことができないのです。(注:さすがに今はそれほどページ数は必要ではなくなりましたが、それでも最初の数ページは作品に馴染むための加入儀礼として割り切るしかありません)

 偶然ですが、訓練用に選んだ本が350ページだったのは、私にとっては幸運でした。100ページを越えた残りの250ページを、存分に楽しむことができたのですから。その後、150ページの本を読んだこともあるのですが、その場合は、楽しい時間はたった50ページで終わってしまうのです。短編集だと、楽しくなる前に話が終わってしまうことすらあります。

 ということで私は、シリーズ物など、どうしても読みたい本ではない限り、300ページから400ページの本を選ぶようになりました。




 閑話休題。




◆最終日




 最終日、私は残り11ページを一気に読みました。今までの最高記録です。辞書で引くべき単語は、ほとんど残っていませんでした。

 結構英語が得意になったのかもしれない、と思いました。

 私は1冊目の本とノートを片づけ、すでに手配して取り寄せていた2冊目の本を取り出しました。そして、新しいノートの表紙に書名と作者名を書き入れ、翌日の準備を始めました。




◆2冊目以降




 私が英語が得意になったと思ったのは、ただの錯覚でした。

 2冊目に突入した途端に、またしてもさんざん辞書のお世話になる状態へと逆行してしまったのです。1冊目の経験があったので、それほど苦痛ではありませんでしたが、少しがっかりしました。




 どんな作家さんにも文体の癖だけでなく語彙の偏りがあります。仮にジャンルや舞台背景がかなり近い作品であっても、別の作家さんだと語彙が結構違ったりします。

 同じ作家さんかつシリーズ物だと、2冊目以降は楽になることが多いのですが、これもケース・バイ・ケースです。主人公が親、子、孫と世代が変わり、しかも移民したりすると全く雰囲気が変わってきますし、仮に同一主人公であっても、旅先で事件に遭遇すると知らない単語がぞろぞろ出てきます。


 何冊か読むうちに、そういうことが徐々に分かってきたので、私は辞書を片手にのんびりと英語読書を続けました。いつになったら読みたい本が読めるか分からないけれど、いつかは読める日が来るだろう、と思いながら。




◆フィナーレ――辞書を手放す時




 それが何冊目だったのかは覚えていません。でも、辞書を手放す時は、ある日突然やってきました。


 私は帰省先から都会に戻る電車に乗っていました。混んでいたので座れなかった上、手持ちの日本語の本はすでに読み尽くしていたので、とても退屈していました。当時はオンライン小説の存在など知らなかったので、まだ読み終わっていない本といえば、実家にも持ち帰って読んでいた英語の本しかなかったのです。

 私は時間つぶしをしようと原書を取り出し、立っている状態でしたから、辞書無しで読みはじめました。

 知らない単語がところどころにあるので、いつもよりぼやけた印象です。それでも読み続けて――気がつくと、私は辞書もノートもなしで、3ページほど読んでしまっていました。こんな速さで読んだのははじめてです。




 この日以降、私は辞書を使うのをやめました。

 実を言うと、辞書を引くこと自体はあまりに慣れすぎていて、別に苦痛でも何でもなくなっていたのですが、読む速度が上がるし、場所を選ばず移動中でも読めるのは、やはり魅力でした。

 意味がぼんやりとしか分からなくても、ある程度のページ数をクリアすれば作品世界に没入できるので、それも気にならなくなります。

 こうして、私はあれほど一心同体だった辞書とあっさり別れを告げたのでした。




◆エピローグ――私には英語の才能がない




 私には英語の才能がありません。オークションで絶版本を落札したり、個人出版の本を直接注文したりしたことがありますが、その度に英文メールのやりとりに悪戦苦闘したものです。

 とあるノンフィクションで、第二次世界大戦中にドイツからアメリカに亡命した一家が、船の中で英語の本を一冊回し読みしただけで英語ができるようになった、というエピソードを読んだことがあります。

 ところが私は、100冊の原書を読んでもなお、英文1つ自力では書くことはできなかったのです。ネット上にある個人輸入の英文サンプルを必死に探して、切り貼りしてしのぐという惨憺たるありさまでした。

 私が読んでいた本が、歴史物やSF、ファンタジーばかりだったので、通販用の語彙が全く入ってなかったことも事実です。しかし、国内のオンライン古書店ではじめて本を注文した時、全然分からないので「コピー&ペーストってどういう意味ですか?」とお店の方に無知丸出しの質問メールを書いてやり過ごしたこともありますから、語彙の少なさは言い訳になりません。

 私に英語の才能がないことは明らかでした。


 でも私は、英語の勉強がしたいわけでもなく、英会話がしたいわけでもなく、SNSで世界に何かを発信したいわけでもないのです。

 一冊の英語の本が読みたかった――ただそれだけなのです。英語の才能がなくても、単に読むだけなら、時間さえかければいつかは達成できるのです。




 私は気がつくと数百冊のペーパーバックを読破していました。読みたかった本には手が出せないまま、歳月が過ぎました。

 多分、その気になれば50冊目でも100冊目でも読めたことでしょう。でもその本を読んでしまうと私の英語への挑戦は終わってしまいます。しかも原書を読むようになってから、読むのに時間がかかるせいか、本代がずいぶん節約できるようになっていたので、なおさら現状維持をしたいという気持ちが強くありました。


 そしてある日、いつものように新刊情報に目を通していた私は、懐かしい作家名を目にしました。

 そう、決して翻訳が出ることはないと思っていたあの本が、出版業界の潮流が変わったのかどうか理由は分かりませんが、ついに翻訳されることになったのです。

 面倒くさいことが嫌いな私は、迷わず翻訳版を入手して読みました。そして、ずっと読みたかった原書は読まれることなく、他の読み終わった数々のペーパーバックとともに古本屋さんへ旅立つことになったのです。




 以上が、一冊の英語の本が読みたかっただけの、私の挑戦とその顛末です。




 辞書を引くのは面倒くさいです。本当にそう思います。

 でもいつの間にやら私は、辞書を引くのが苦にならない体質を手に入れてしまいました。この体質が、後日、他の勉強をする時に役立つことになるのですが――それはまた別の話です。

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[良い点] 興味があるから、頑張ったところ。 翻訳が無事に出たこと。 目的は達成されたが、その手段や努力はその目的には一切関与しなかったこと。 無常というか、儘ならぬというべきか。 [気になる点] …
[一言] こんにちは リンゴです! 私もたまに英語の本を読むのですがめんどくさくて一度も辞書を引く気にはならなかったので辞書を引いたことに尊敬します 私の場合はわからない単語があったら無視するので 私…
[良い点] 以前英語の本を読もうとして挫折したのですが 他にも翻訳されていない本でいくつか読みたい本があるので再チャレンジしたくなりました(^_^) 原書が読めたら、きっと読書の世界もものすごく広がり…
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