耳かきは告白のフラグでした
「絶対に嫌!」
私は目の前にいる幼馴染の義之の発言に対して、盛大に首を横に振った。
「なんでだよ! 別にいいじゃねぇか!」
義之は眼鏡の奥にある鋭い目で私を見つめてきた。しかも、眼鏡が部屋の光を反射しているせいで、普段よりも怖く感じてしまう。学校で見せるような人を寄せ付けない『Sのオーラ』が発されていた。
「そういうことじゃないの! 幼馴染の私がすることじゃないって言いたいの!」
「じゃあ誰に頼むんだよ!」
「それは……か、彼女……とか……?」
「いない場合は?」
「……さあ?」
「だからお前に頼むんだろ! だから頼――やれ」
「バッ……、なんでわざわざ命令で言い直してんの!」
まさかお願いから命令口調に変わると思っていなかった私は、反射的に怒鳴ってしまう。
そもそも義之が私に頼んでいることは幼馴染ではなく、彼氏と彼女の関係で初めて喜べる行為――耳かき。
だからこそ、嫌なのだ。
義之のことが好きなのか、それとも嫌いなのか、そういう感情は置いとくとしても耳かきをするなら、ちゃんとした関係でやりたい。そう思ってしまうのは、私の中にある乙女心のせいだ。
「たく、変なところで細かい奴だな。彼女だろうが、彼氏だろうが、俺がせっかく頼んでやってるんだぞ? その頼みを応えるのが幼馴染の仕事だろっ!」
「そんな義理はない! 幼馴染だって言い方を変えれば腐れ縁! そういうことは彼女を作って、彼女に頼みなさい! 顔も雰囲気だってイケメンの部類に入るんだから!」
義之の顔に向かって、指を突き付ける。
その行為が気に入らない義之が指を手で弾き、
「人を指差すな。それに彼女を作るつもりもない。その代わりをお前がすればいいんだよ」
胸を張ってまで言い切る。
私は言葉を失ってしまう。ここまではっきり言い切られると思っていなかったから。
「うわー、学校でファンクラブとか作られてるくせにそんなこと言っちゃうんだ……」
「非公認だ。俺は関係ないし、知らない」
「――こんなののどこが良いんだろ……」
「俺は普通にしてるだけなんだけどな。んなこと良いから、耳かきしてくれ」
「私にこうやって言ってくるように、他の人にも言えばいいのに……」
「面倒だからパス」
「はいはい」
腰に手を当てて、義之は興味がなさそうに言い切った。
でも、私は知っている。「興味がない」とか「面倒」とか言っているけれど、本当は私以外の女の子と話すことが苦手ということを。
そういうのも昔は「可愛い」と持てはやされる少年。その時に年上年下問わず言い寄られた結果、『なるべく他人に心を開かない』『冷たい目で威圧感を与える』の二つの性質を手に入れ、まだ抜けきれない悪戯心がSへと切り替わってしまった。つまり、本人が気付いていない内に女の子が大好物とするものを手に入れたイケメンへと進化。それが原因でさらに女の子と接するのが苦手になり、それを悟られると余計に大変になるということだけは察しているらしく、必死に誤魔化しているのだ。
しかし、困った時に適当な女の子に声をかければ助けてくれるので、その時だけは感謝しているらしい。
だからと言って、私が他の女の子と同じように義之の言うことを聞くと思ったら大間違い。そんなに安っぽく見られたくないから!
私の意気込みを察知したのか、義之は腕から先を真上に掲げて、指でグー、チョキ、パーを作り始める。
「げっ、ま……まさか……!?」
「そう、そのまさか。これだったら拒みようがないよな。運要素しかないから」
義之が誘っているのはじゃんけん。
私が弱いことを知っているじゃんけんだった。
「ちょっ……それは卑き――」
「最初はグッ! ジャンケン、ポン!!」
反射的に私の右手はその掛け声に負けてしまい、パーを出してしまう。
そして、義之はチョキ。
結果、私の負け。
つまり、私は義之に耳かきをしないといけなくなってしまった。
「よっしゃー! やっぱりジャンケン弱いな、お前は!」
「うぅ……っ!」
「早速、約束してた耳かきをしてもらおうじゃないか!」
「酷い、酷すぎるよ。ジャンケンに弱いの知ってるくせに……バカ……」
泣きたいわけじゃなかった。
ただ、なんとなく負けたことが悔しくて、涙が溢れてきてしまっただけ。
それなのに義之は子供の時からの癖が現れて、私の頭に手を置き、
「な、泣くなよ、バカ。俺が悪いことをしたみたいになってるだろ」
ちょっとだけ動揺した声でいきなり私を慰め始める。
それがほんの少しだけ嬉しかったが、それで気を緩めてしまえば隙を突かれてしまうと思ったから。
、「うるさい、バカ……。弱いの知ってて、ジャンケンしてきた義之が言うな……」
「そ、そうだな……。俺が悪かった」
「じゃあ……、耳かきは――」
「それとこれとは別だから。ジャンケン負けたことには別問題だ」
「え?」
その瞬間、私の身体に衝撃が走る。目の前には義之の顔。見慣れた顔ではあったが、いきなり現れた顔にドキドキしてしまう。
今まで意識をしないようにしていたのに、その影響で自分の顔の温度が急に上がったのが分かる。
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
完全に意識しようとする私の気持ちを裏切るように、義之は私の膝の上に頭を乗せる。そして、ズボンのポケットから携帯用の綿棒を取り出し見せつけてきた。
「さすがに耳かきは俺が嫌だから綿棒で我慢してやるよ。そのために準備してきたんだから、ありがたく思え」
私の思考はそこで停止した。
さっきまで高鳴っていた鼓動は沈静化し、上がっていた体温は冷や汗に変わっていく。その代わりに上がっていくのは羞恥心だけ。
「うぅ……こ、この……バカーッ!!」
「何だよ! 止めろ、こら!」
「うるさいうるさいうるさい!」
ポカポカと叩く私に義之は防ごうとも、かわそうともしなかった。
膝の上から退いてしまえば、ここまで持ってきたチャンスを不意になると思っているようだった。
「んー、もう! 分かった……。嫌々だけどする」
私は観念して、義之が持っていた綿棒を受け取る。そして、綿棒の入ったビニールを開けて、綿棒を取り出す。
その間に義之はかけていた眼鏡を取って、再び私の頭を膝の上に乗せる。
「ある程度の痛みは我慢してやる」
「なんでそんなに上からなのか、その理由を教えてくれない?」
「俺とお前の仲だから」
「それ、理由になってないか……」
もうどうでもいいや。
そんな感じで、私は義之の耳を覗き込む――その前に義之の寝顔が目に入った。
やっぱり昔とは違うんだなー。大人の顔になってる。
小学校以降、寝顔を見るタイミングがなかった私は、「ふふっ」といつの間にか微笑んでしまっていた。
「何、笑ってんだよ?」
「んーん、別にー。ほら、やるからジッとして!」
「意味が分からん」
その言葉を無視して、耳の外側にある窪みを綿棒で擦り始める。
くすぐったかったのか、ピクッとした様子を見せながらもジッとしていた義之の姿が面白かったのは私だけの秘密。
初めてやる耳かきだからか、義之も耳の中まではさせようとはしなかった。
私もそう言ってもらえて、胸を撫で下ろしたことの説明はいらないと思う。
左右の耳かきが終わった義之は満足そうに頭を起こして、眼鏡をかけた後、首の骨をポキッと一回鳴らす。
「あー、気持ち良かった。サンキュー!」
「はいはい、良かったね。今度は彼女に頼みなさい」
「あー、分かったよ。今度から彼女に頼むわ」
「それがいいよー」
その時、私の胸にズキッとした痛みが走る。
耳かきをしてしまったせいで、私だけが知っていたはずの秘密が他の人にバレてしまう。そう考えると、少しだけ辛くなってしまったのだ。
「……ーい、おーい! 何、ボンヤリしてんだよ」
「あ、ごめん」
「別にいいんだけど。急にボンヤリするから、頭がくるくるぱーになったのかと思っ――」
「何か言った?」
「何でもない」
本当は聞こえていたが、問い正そうとすると案の定誤魔化す義之。
「もう用事済んだでしょ? ほら、帰ってよ。宿題しないといけないんだから」
これ以上、義之が居ると変な雰囲気になりそうだったので、背中を追い出そうとすると、
「待てよ、まだ頼みたいことが――」
「宿題は見せない!」
「そういうことじゃねぇよ!」
「じゃあ、何?」
「俺、お前のことが好きだ。だから、また耳かきしろよ」
「へ?」
私の時間がそこで止まる。
告白?
なんで、このタイミングで?
というか、耳かきのため?
予想外のタイミングでの告白と告白してきた理由が理由だけに、私はどんな反応を取ればいいのか分からなかった。
そんな反応に困ってる私が隙を作るのを待っていたかのように、義之は身体を反転。そして、両腕を掴んで、私の背中に壁に押し付ける。
「いたっ!」
「悪い。けど、我慢しろ」
顔が真っ赤になっていた義之の顔がいきなり近付いてきたから、私は反射的に目を閉じてしまう。
唇に軟らかい感触。
キスされた。
気付くにはものすごく時間がかかった気がした。それぐらい唇と唇が触れ合っていた時間がゆっくりになったから。
「ん……わ、悪い!」
唇が離れ、かけられた言葉。
それに応えようとするために目を開ける。
目の前には顔を真っ赤にした義之の姿。言葉では謝っているはずなのに、少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべていた。
それだけで耳かきの件はどうでもいいことを私は理解出来た。
「バカッ、耳かきしないといけなくなるじゃん。彼女になったら」
「うるさい、それぐらい我慢しろ」
「はいはい、いいよ。それぐらいしてあげる。頑張った、ご褒美に」
本当は私も恥ずかしかった。でも、それ以上に照れている義之を褒めてあげたくて、お返しのキス。
不意を突かれた義之の掴む腕が緩んだので無理矢理引き抜き、抱きつく。
義之は戸惑った様子で、私の背中に手を回してきたので素直にその行為を受け止めた。
ゆっくり顔を離すと、さっき以上に顔を真っ赤にしながら、安心した表情を見せる義之の顔があった。
「――見んな、バカ」
それに気付いた義之が、私の後頭部に手を置くと無理矢理に胸に顔を押し付けられる。
良い匂いがした。
心の底から安心する匂い。
けど、私は顔を少しだけ上に向けて、
「耳かきなんてさせずに最初から告白すれば良かったのに……」
少しだけ意地悪っぽく言ってみた。
「うっさい。俺だけ恥ずかしい思いをしてるのが嫌だったんだよ」
「――そっか……。ありがとう、義之。私も好きだよ、義之のことが」
恥ずかしかったけど、私もその言葉をちゃんと伝えた。
義之の喜ぶ顔が見たかったから。
「……あ、ありがとう」
そう言って、恥ずかしがる義之の姿を見た私はとても幸せだった。
この気持ちをずっと、ずっと守りたい。
そう思ってしまうほどの幸せがここにはあった。
こんな感じじゃなくていいから、詰め寄った告白をしてもらいたいなー。