青金
麻巳子さんは冷静だった。
ハンドバックからコンパクトを取り出し、自分の顔を確認する。
それから目を閉じて、額の前で、掌をひらひらと閃かせた。
「何をやってんの」
「この、おでこの、眼球みたい、明暗くらいはわかるわ」
そう言って、まじまじと自分の手の甲を見る。
どうやら服に隠れた部分も、唐草模様のような痣に侵食されつつあるようだ。
スーツの下の手首も変色している。
「全部脱がないと確認はできないわね」
そう言ってから会場を出る扉を見詰めた。
「夜と空はどうしたのかしら」
麻巳子さんはそう言って、襟を止めていたスカーフをほどいた。
「おでこくらい、これで隠せばいいのよ」
そう言ってスカーフを今度は頭部にバンダナ風に巻いた。
「探してくる、もしかしてあの子たちも同じようなことになっているかもしれない」
全体を見回してみれば、身体に何らかの変化をおこしたものは大概が若い。十代から二十歳前後。例外は麻巳子さんくらいなものだ。
だから夜と空もそんな変化を起こした可能性は高い。
親戚一同が集ったこの場所でこの騒ぎだ、赤の他人でしかない職員の中でそんなことになったらどういう事態に陥るか考えたくもない。
と言うか私は会場を出たくない。このむっきむっきの腕を人様にさらしたくないのだ。
麻巳子さんが扉を開く。扉の向こうに、巨大な顔があった。
扉いっぱいに、いかつい、鬼の面のような顔がある。麻巳子さんはあわてて扉を閉じた。
「幻覚?」
扉の持ち手をつかんだままそんなことを呟く。
「ねえ、巨大な黄色い目が目の前に広がってたんだけど」
麻巳子さんの位置からはそう見えたのか。
「なんか異様な顔は見たよ」
そう私は答えてやった。
その時には、扉から離れようと、音を立てて奥の壁に向かって全員駈け出してしまった。
「閉じ込められた?」
麻巳子さんもさすがに青ざめる。
「いえそれよりも、あんなものがうろついてる中に夜と空がいるの」
あの口なら一口だろう。あのちびっ子たちは。
麻巳子さんは意を決してもう一度扉を握る手に力を込める。
慌てて、ダッシュで麻巳子さんに飛びついて麻巳子さんを押しとどめる。
「だって、夜と空が」
いや、でもあれ相手に麻巳子さん一人でどうするのよ。
そして気付く。たぶん、今私の動きは下手なアスリート以上だ。このむきむきの筋肉は飾りじゃないようだ。
再び背後で、叫び声が聞こえた。
信が雄叫びをあげている。
信の身体のあちこちに掌ほどの鱗が生えているようだ。
裂けた服の袖から鉛色の輝きが見えた。
目がいっちゃってる。そして、いきなり手近の人間の首を絞めようとしていた。
その表情に人間らしい理性はない。
私は、再びダッシュ、信に拳を叩きつけた。
信の身体はまるでマンガのように放物線を描いて飛んだ。
五メートルは飛んで壁にたたきつけられる。
「あれ?」
そう言えばなんかの雑学の本に、マンガのように吹っ飛ぶにはトン単位の質量が必要だと書いてあったような。
ちょっとした交通事故並の力が。
「トン単位」
その言葉を唇に乗せて、血の気が引いていくのを理解する。
「まさか、殺した」
高そうな振り袖が裂けて、何か突起のようなものをはやした少女が押し殺した悲鳴を上げる。
信はむくりと起き上った。どうやら信の耐久力も上がっているようだ。
私は小さく舌打ちをした。