夜
私は、空といくら走っても同じように見える景色の中を進んでいた。
白かった壁は血で彩られ、死体が散乱している。
かろうじて生き延びた人間はただ怯えるばかり、壁の隅に潜り込んで泣きじゃくっているのは、学校の担任ぐらいのおばさんだ。
職員だけじゃなくて、たぶん、帰り損ねた客らしい人も死んでいたりおびえていたりした。
「ねえ、空、どうしてあの光景が見えないんだろうね」
ひゅるひゅると伸びてきた。長い長い腕、それをとっさにかわす。
まるで骨がないかのように身体にからみつこうとする。その腕を掴んで握りつぶした。
手の中にある骨の感触は、丸で魚の骨のようにしなやかだ。いっそ固いほうが壊しやすいのに。
変わってしまった身体にもだいぶ慣れてきた。
走るのに、足がもつれることもない。
急速に育ったのじゃなくて本当に良かった。そのほうが、身体の扱いに慣れるのに時間がかかったかもしれない。
走っているうちに、正面玄関口に出た。
「空、たぶん、私達がいたのは二階じゃなかった?」
「さっき階段を上ったから、二階じゃないにしろ絶対に一階じゃない」
めくらめっぽう逃げているうち、階段を何度か上り下りした記憶がある。しかし、さっき、階段の入り口にある、階数を確認したはずだ。
「正面玄関か、出てみるか?」
「さっきみたいに、窓が壊れたのに出られないってことないよね」
まるで、誘うように目の前にある正面玄関、しかし、ここから出られる保証はない。それにママの無事も確認していない。 それに、玄関の外に出られたとしてもそこが元の街とも限らない。
恐る恐る、玄関に近づいてみる。
いやな気配を感じた。
「空」
小さく呟くと空が身構える気配がした。
ずっと前方に注意を向けていたので、うっかり後ろがお留守になっていたのに気がついたのは、何か布のようなものでからめとられた後だった。
「夜」
空がとっさに飛びのいて、同じようにからめとられるのを避けるのが見えた。
何とか払いのけようとじたばたもがいているうちに、布は顔まで覆ってきた。
視界をふさがれる。
布にかみついてみた。
きめの細かい布地は、ずいぶんと薄いのに全く噛み裂けない。
布は私の腕を後方に拘束する。
足もきつく巻かれて、もがくこともできなくなった。
とっさに焼くことも考えたが、こんな風にがんじがらめの状態で焼けば、私もろとも火だるまだ。
「夜」
そう叫ぶ空の声がまだ聞こえていた。