優花
私は水鏡から手を引き抜いた。
そしてつかみ出したものを握りつぶす。
黒い霧が、瞬時にあふれそのまま消えさった。
ずいぶんと昔に思える、こうなる前は。
その時にはこんなに長く髪をのばしていなかった。いや一度も長くすることもなかった。
せいぜい肩まで、そう、あの日までは首がのぞくくらい短く切っていたのだ。
「父親、ね」
そう言えばそんなのもいたな。小さな頃、何度も見せられた写真。しかしその中心にあるはずの顔をどうしても覚えられず、はっきりと覚えているのは灰色のブレザーだけだ。
周りにいた人間もなんとなく見覚えのあるような気がする。しかしあのころの自分はそんな連中に重きを置いておらず、だから今もはっきりとは思いだせない。
そう言えば思い出した。あの要の女。姉のように自分に接していた。もしかしたら姉になっていたかもしれない女。
名前は何と言っただろう。
こちらに来る直前にあの女に会った。
あれ?
何かを思い出しそうで思い出せない。
「まずいですぞ」
背後の部下がそんなことを言う。
気がつけば、水鏡の向こうで再びてんやわんやが起きつつあった。
再び水鏡をのぞくと、父親だった男がつるしあげられている。
変異した者も、していない者もこの時ばかりは一致団結して、父親だった男を取り囲んでいる。
こうして見ていてもあの記憶と一致しない。
たぶん最初から覚えていないから。
まあ、私を生み出した段階でお役御免だったのだ。だから、お前達、その男を責めてもどうしようもないよ。
そう呟いたが、もとより声は届かない。
「手っ取り早く逃がすために、追い込みかけろ、たぶん変化しない奴らはそのまま逃げられるはずだ」
「あの子供達はどうします?」
物陰に伏せる部下は、相変わらず、家具の影とそう変わらないものに見える。
「しばらく放置、あの調子なら当分つかまらんだろう。危なくなったらその時考える」
水鏡をあのちびっ子双子に合わせる。
どうやら、親が恋しくなったらしい。なんとかも説いた場所に戻ろうとするが、あそこは十重二十重に包囲網が敷かれている。
それを突破するのは少々骨だろう。
「あの子たちが弱いとは言わないけれど」
むしろこんなに短期間で、返り討ちをできるような逸材だ。
少々幼いのが実に惜しい。
逸材すぎて違和感を感じる。
何だろう。忘れていたことに引っ掛かる。
男の子は床を蹴って天井まで飛び一回転して跳び蹴りをくらわしていた。
元気があって大変よろしい。




