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葵ちゃんが、左手をひらひらと上げて、にこっと笑った。
うん、やっぱり可愛い。あの仕草、ずるい。
葵ちゃんは別の高校に通う、いわゆる“普通の女子高生”――かと思いきや、なんと、ギターが弾けちゃうんです!
すごいでしょ?
ヒマリはボカロ好きだから、楽器とかあまり詳しくないけど、それでもギターを弾けるってだけで尊敬しちゃう。
「こんにちは!」
葵ちゃんの明るい声が、駅の喧騒に溶けていく。
「こんに……敬語でなんて言うの?」
あ、出た。教育係のヒマリの出番です。
「“こんにちは”で合ってるよ」
「そっか。“今日は”だからオッケーなんだね」
――もう、ほんとに。しっかりしてよね。
燈君は、どこまでも天然だ。
話がよく飛ぶし、たまに宇宙まで行っちゃう。
この前も、物理学を教えてもらってたら、いきなり相対性理論の話になって、「あれ、今なんの話してたっけ?」って……もう、記憶に新しいです。
今日は、脱線しないでね?
ちゃんと私が見張ってるからね?
葵ちゃんは、ヒマリと同じくらいの身長で、すらっとしてる。
音楽学校に通ってて、将来は歌手志望なんだって。
たまに栄で弾き語りしてるらしい。
――かっこよすぎません?
しかも、葵ちゃんが作った曲「君に夢中」は、何度聴いても胸がぎゅっとなる。
本当に、心がこもってる。
……それにしても、名古屋駅って、いつも人が多い。
行き交う人の波の中を、ヒマリと葵ちゃんと燈君の三人で並んで歩いていく。
葵ちゃんは、首にヘッドホンをかけていて、それがまた似合う。
音楽が、彼女の一部になってるみたい。
そう思っていた矢先――
葵ちゃんが、さりげなく燈君の手を握った。
……あの、それ、ヒマリの燈君なんですけど!?
とは、さすがに言えない。
二人が夢中で話す姿を見て、胸の奥がきゅっとなる。
ヒマリは、少し悲しくなって、イヤホンを耳に差した。
でも、ノイズキャンセリングはオフ。
会話は、ちゃんと聞こえてくる。
「どこから来たの?」
「イギリスだよ」
「英語、喋れるの?」
「うん」
……燈君、そっけなっ。
だけど、その無表情なとこが、またずるいんだよなぁ。
ヒマリはわかってた。
盗み聞きなんて、ダメなこと。
でも、我慢できなくて――つい、口を挟んじゃった。
「え、えっと……ランチ、どうする?」
一瞬、沈黙。空気が止まる。
「うどん!」
その一言で、場の緊張がふっと解けた。
「きつねとたぬきって、関係あるの? 食べ物の神様?」
ぷふっ。思わず吹き出しちゃう。
燈君って、ほんと、天然。面白すぎる。
ぴえん通り越して、ぱおんです。
「そんなバハマ〜」
葵ちゃんが、笑いながらふざける。
この、なんでもない日常。
交わされる何気ない会話。
こんな時間が――私は、好きだ。
まるで、赤に白を少し混ぜたような、やわらかい色の空気。
ふと見上げると、緑色の建物が目に入った。
スターバックス。
「入ろっか」
私たちは顔を見合わせて、微笑んだ。
それだけで、今日が少しだけ特別に感じた。




