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朝の陽が、カーテンの隙間からゆっくりと顔を覗かせていた。
ヒマリの部屋に差し込むその光は、柔らかくて、少しだけまぶしい。
気づけば――スマホを片手に、ソファで寝落ちしていた。
画面には、昨夜のチャットのまま、燈君との会話が残っている。
「……あ、やば」
寝癖を直す間もなく立ち上がる。
こんなところを見られたら、絶対、燈君に叱られる。
“自己管理も日本語力のうちだよ”なんて、また笑いながら言われそう。
――トポトポ。
一階から、コーヒーを淹れる音が聞こえた。
その瞬間、ヒマリは反射的に階段を駆け下りていた。
香ばしい香りが、朝の空気に溶けていく。
リビングの机には、昨夜燈君が読んでいた『マスカレード・ホテル』が置かれていた。
ページの間には、本を買ったときのレシートがしおり代わりに挟まっている。
「……こういうところ、ほんと、燈君らしいな」
ちょっとズボラなのに、どこか絵になる。
そういうところが、ずるいくらい素敵だ。
ヒマリはあまり本を読まない。けれど、今度おすすめを聞いてみよう。
たぶん、また照れたように笑って、「え、ヒマリ読むの?」なんて言うに違いない。
「Morning」
不意に、背後から燈君の声。
その一言に、ヒマリの思考は一瞬、別の方向へ飛んでいった。
――モーニング? 名古屋のアレ?
東京出身のヒマリにとって、“モーニング”といえば、喫茶店でコーヒーを頼むとトーストやゆで卵が付いてくる、あの名古屋文化のことだ。
この街に来て三年。すっかり慣れたと思っていたけれど、やっぱり不思議な習慣だな、なんて思っていると――
「お待ちどう」
燈君が、湯気を立てる**小倉トースト**を差し出してきた。
焼きたてのパンに、あんことバター。
朝の光がそれを照らして、やけにキラキラして見える。
「……ありがとう」
ヒマリはマグカップを両手で包み込みながら、そっとコーヒーを口に含む。
苦味の中に、ほんのりとした甘さ。
胸の奥までじんわりと温まっていく。
「熱くない? 大丈夫?」
心配そうに覗き込む燈君の声。
その優しさに、ヒマリは思わず目を逸らした。
――やっぱり、優しいな。
コーヒーの香りより、少しだけ心臓の鼓動のほうが強く感じる。
時計の針は、朝の六時三十五分を指していた。
窓の外には、グレーと青の空。その隙間から、オレンジ色の光が顔を出す。
なんて、素敵な朝なんだろう。
燈君は今日も、上下アディダスのジャージ姿。
なのに、それすらも絵になる。
やっぱり、ズルい。
トーストを食べ終えると、彼は机の上の**『マスカレード・ホテル』**を手に取り、静かに読み始めた。
その横顔に、ヒマリはつい見とれてしまう。
「……カッコいい」
小さく呟いた声は、きっと誰にも届かない。
でも、それでいい。
――こうして、私たちの朝は、ゆっくりと幕を開けた。




