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プロローグII 失意の元研究員と彼の「夢」

リアルの主人公の話です、本編とは関連性が薄いので読み飛ばしてOKです

哀れなポスドク研究員のワーキングプアの実態を知りたい方は是非一読ください(笑)

主人公

Azure, 44歳, 台湾出身日本在住, 反政府主義者、 元AIST研究員、 ITエンジニア、 T大学院情報工学専攻Ph.D、 妻持ち子なし


主人公は懐疑的な性格の持ち主でした、座右の銘は「白昼灯篭」

よく「自分の目で確かめないと信じない」と他の人は言ってるものの

彼は目で見た(と思った)ものすら懐疑的な性格になっている

見た、聞いた、覚えたものはすべて改変、勝手な補間と解釈されるリスクがあると最初から想定し

複数ルートで検証して事実である確率は一定以上じゃないと私は基本的に信じない

これによって、彼は平和的反政府主義と自称し

この性格のせいで人間社会に適応するのに散々苦労した


また、主人公のAzureはいわゆる高学歴ワーキングプアの代表例でした

台湾生まれ育ち、台湾の前段国立大学の情報工学科卒で2009年来日、以降いつくばのT大学で修士・博士号を取得

卒業後AISTに入所し5年間特別研究員(ポスドク)として勤務した

当時AISTのポスドク給料は実質400万に届かないくらいでした

時給2200円で休日は給料は支払われない、よって2月とGWの5月と12月1月の給料は少なくなる

手取りは28~29万で推移し少ない月は25~26万しかなかった


彼が学生時代、BitTorrentと類似した技術の通信プロトコルを開発した実績があった為、プログラミング能力は自認でも他認でも高い

IQ144の彼は、高いロジック思考能力を持ちだが、反政府、反組織的な価値観を持ち、結果的にはAISTでは彼は出世できず、常勤研究員になれなかった


産総研在籍の時の彼は多少不平不満を感じた

特に「世代間格差」は強く不公平を感じた

日本はかつて大学院の大幅増員で「ポスドク1万人計画」を生み出し

ただ体制的には研究者の受け皿が用意してなく、結局大量の身分不安定の任期付き研究者を生み出した

「博士が100人いる村」という創作童画もその皮肉の極み

彼自身の例でいうと10歳上の同僚はT大の修士卒からダイレクトにAISTの「常勤職員」になれた

勿論経歴も個人の努力もあるだけど、5年間で共に仕事したら実装力と発想の実用性に至るまで彼の方が同僚よりも上手であったが。

10年後T大博士号を取ってもポスドク研究員しかなれなくて、常勤への公募倍率も高く一握りの人しかなれない(リアルの例で、とある同僚は博士号取ってから13年後やっと常勤職員になれた話があった)

もちろん研究者は技術力だけで評価される訳ではなく

自由市場原理に動く会社なら理解はするけど、

国立研究機関のAISTなのに、国は自ら世代間格差を作ったことは、彼は許せない気持ちはあった


因みに彼は10歳上の常勤の同僚には一切嫌悪感はなく、寧ろ考え方とやりたいことが自分と近い先輩と思ってました

彼自分と似た人だからこそ、その世代間格差は強く感じた節があった

ただ常勤の同僚は彼よりもずっと世間体には従順で、最近では出世して副研究部門長まで昇進した

このレベルになると流石に年収は1000万越えるので、幸せな人生を手に入れたね


Azureの実家はそこそこ裕福で、T大大学院の留学生時代(2009-2014)は何一つ不自由なことはなかった

2006年から大卒して、2008年までエンジニア仕事もあって親からお小遣いは貰わなかった

AISTへ入所するとこれからは再び自力で活きると決心した彼ですが

しかし直面したのは経済難であった

平均手取り28万円から、固定費用支出は12万円程(家賃+水道光熱費+携帯)

そこそこ大都市の台北出身の彼と妻は、月3回くらい車で東京に行って都市生活を楽しんだ

研究員の仕事しながら今までのようにを何の疑問もなく生活して行くと

ある日、クレジットカードのリボ払いの残額が50万超えた事を気づいた

それだと月々の利息だけで6000円以上掛り、かなりやばい状況に陥だ

所持金では一括で返還できず、まずは20万円をまとめて返還し

残りの30万円は月々5万円を捻出して半年かけて何とか負債分を完済できた

その間、彼はAISTの食堂(定食700~900円)も利用できずにいた


彼は体重130kgもあって太くので勤務中は何度も食事を取らないときつくて

食堂を利用できない代わりに、彼は業務スーパーから安い食材を大量仕入れて

朝起きて三食分(朝、昼、午後)の弁当を作って職場に持っていくことになった

東京へ出掛ける事も月1回まで減らせ、携帯も格安MVNOに切り替えた…生活周りにあらゆる方面で節約志向にシフトした

博士号を取って研究員にもなれて、食堂の定食さえ食えなかった自分は情けなくて彼は泣いた


AISTのポスドク研究員任期5年を経て、結局彼は常勤研究員になれなかった

研究ができない訳でもなく論文は書けない訳でもないが、AISTで自分の「夢」は叶えられない事を悟り静かに去っていた


その後、彼はITベンチャー企業に入る事も、初期のコロナを感染して強い後遺症が残ってしまい退職に迫られた

一年の療養生活の末、彼はフリーランスとして再出発したが仕事は決して満帆風順ではなかった

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