六週目
――病室。
「……次は誰だ。まだいるのか、俺のやらかした奴……」
ユウキは目を覚まし、顔をしかめながら紙を手に取った。
《後悔メモ:親友を裏切った》
「……うわ、こりゃ来たな」
親友――松本タカシ。
高校時代からの付き合いで、唯一「ユウキ」と名前で呼んでくれた男だった。
何度もユウキの借金を肩代 わりし、仕事を紹介してくれ、家に泊めてもくれた。
だが、その最後の優しさをユウキは踏みにじった。
タカシの名前を騙って金を借り、バックれたのだ。
「あの時は、本当にもう……なんも考えられなかった。けどさ……」
ユウキはポケットからスマホを取り出し、画面に視線を落とす。
検索欄に「タカシ」と打ち込むと、数年前に登録されたままの名前が浮かび上がった。
“松本 タカシ”
その下に並んだ番号を見つめる。
画面をタップする指先に、じっとりと汗がにじんだ。
「……出るわけねぇか。いや、出ないほうがいいかもしんねぇし……」
それでも、震える手でスマホを取り出し、番号をタップする。
画面に表示された“発信中”の文字。心臓の音が耳の中で暴れる。
1コール、2コール、3コール——。
「……はい、松本です」
その声を聞いた瞬間、胃の奥がギュッと縮む。
「……タカシ、オレだ。ユウキ」
「……」
しばしの沈黙。
「何の用だ」
その声は低く、冷たく、怒りを噛み殺すような響きだった。
「……ちょっとだけ、会って話したい。顔を見て……話させてくれないか」
「……今さら何を話すつもりだ」
「……わかんねぇ。でも、言わなきゃいけねぇことが、どうしてもあるんだ」
「……明日の昼11:00、代打橋駅前のカフェ。時間厳守でな」
プツ、と通話が切れた。
ユウキはスマホを見つめながら、ふぅっと深く息を吐いた。
「……やるしかねぇ……今さらでも会わなきゃ」
カフェのテラス席。
タカシは4年ぶりにユウキの前に現れた。
少し痩せて、眼鏡をかけていた。顎にうっすらとヒゲが伸びていて、どこか大人びた印象だった。
「……よぉ」
「……何の用だ」
一言目から、氷のような声だった。それも当然だと、ユウキは分かっていた。
「……久しぶり、だな」
ユウキはゆっくりと席に着き、深く頭を下げた。
「悪かった。金のことも、嘘も、全部……最低だった」
タカシはポケットから煙草を取り出し、火をつけた。炎がかすかに揺れる。火を見つめながら、タカシはため息をついて煙を吸い込んだ。
「……最低だって? 自分で言えるなら、便利な言葉だよな。“謝るために来た”って、そう言えば何でもチャラになると思ってないか?」
「……そんなつもりじゃない。言い訳しに来たんじゃないんだ」
「……じゃあ、何しに来た」
「ずっと……ずっと言わなきゃって思ってた。逃げてばかりだったけど、今度こそちゃんと向き合いたくて……」
タカシは小さく笑った。けれどそれは冷たい、痛みをこらえる笑いだった。
「“向き合う”……?お前、オレに連絡せずに逃げて、知らねぇ番号から電話かかってきて、“松本さんが保証人です”って言われたときの、オレの気持ち分かるか?」
ユウキは何も言えなかった。
タカシの声は荒くなってはいない。けれど、その静かさが痛かった。
「……オレ、あのせいで会社も辞めた。親にも迷惑かけた。婚約してた彼女にもフラれたんだ。なあユウキ、オレがお前に裏切られたって感じたのは、金のことじゃない。お前を信じてた、その時間全部を踏みにじられた気がしたんだよ。」
ユウキは喉が詰まったようになり、ただうつむいたまま拳を握った。
「……本当に、俺のせいだ。……全部、俺のせいだ」
「……ああ。そうだよ」
重苦しい沈黙が、ふたりの間に降りる。
ユウキは、わずかに顔を上げて言った。
「お前だけだったんだ、タカシ。……ずっと俺を“友達”として見てくれたのは。だからこそ、怖かった。見放されるのが。ダメになっていく自分を、お前に知られるのが、怖かったんだ。……だから、逃げた」
タカシはまた煙を吐いた。
「逃げる方が楽だったんだろ。責任も、信用も、なにもかも置いてさ」
「……そうだ。楽だった。でも……ずっと重かった。ずっとどこかで、息ができなかった」
「……はは、何だよそれ。苦しかったのはこっちも同じだっつーの」
「……だよな」
重い沈黙が再び落ちる。
「……で、タカシはどうしてんだ? 仕事……とか」
ユウキがぽつりと尋ねると、タカシは眉を動かした。
「……あれから結婚して、子どもが出来た。今は別の職場でなんとかやってるよ」
「……そうか」
ユウキはわずかに俯いた。
“自分が知らない間に、タカシがちゃんと人生を前に進めていた”その事実が、静かに胸に響いた。
タカシは煙草を灰皿に押しつける。
「でもな、どれだけ立ち直っても……ずっと喉に小骨が刺さったままだった」
「……」
「お前が何を思って、あんなことしたのか。何も知らないまま、全部が終わった。だから今日、確かめに来たんだ。……お前の口から聞く必要があった」
ユウキは驚いたように目を見開き、次の瞬間、ぐっと目を閉じた。
「……そっか。……ありがとう」
タカシは腕を組み、ふっと息をついた。
「……思い出したことがあるんだ。高校の帰り道、バイクに跳ねられそうになった子どもをお前が助けたの、覚えてるか?」
「……うっすら。なんか膝すりむいたっけ?」
「お前、血だらけになって笑ってた『いいダイビングだったろ?』とか言ってさ。バカだなって思ったよ。でも、根っこは……本当にまっすぐなヤツだった」
ユウキは、何も言えずに黙っていた。
「……だから、今日のお前を見て、ちょっとだけ……あの頃の“ユウキ”が戻ってきた気がした」
「……タカシ」
「許すなんて、すぐには無理だ。でもな……向き合いたいって、言いに来たお前を見て、少しだけ心のつかえが取れた気がする」
「……そうか……ありがとう」
「まあ……そのうち、またどっか飯でも行くかもな。家族抜きで、昔みたいに」
ユウキは立ち上がり、深く頭を下げた。
「……ありがとう」
タカシはしばらくユウキを見ていたが、最後にふっと笑った。
「まあ……生きててくれて、よかったよ。」
六週目、最終日。
蝉仙人が登場。いつものように鼻歌まじりで。
「おやおやぁ? 今週は“友情ごっこ”回ですか〜? 泣けるぅ〜♪」
「……で、まだ続くのか?」
「続くさ〜。そろそろクライマックスって感じ?……次がどうなるか、オレも楽しみなんだよねぇ」
蝉仙人はにやつきながら近づき、頭をかしげる。
「にしても今週は見応えあったわ。“心の距離を縮める元親友との対話” とか言って、一歩間違えりゃ、土下座してまた借金申し込んでたろ? ギリギリの線だったねぇ〜?」
ユウキは舌打ちし、か細く息を吐いた。
「……ふざけんな、するわけねぇだろ」
蝉仙人はにやりと笑い、最後に低い声で囁いた。
「“逃げたら一生蝉”。それがルール。……忘れんじゃねーぞ、カス」
ユウキは朦朧とする意識の中、小さく拳を握る。
「……逃げねぇよ」
「よっしゃ。じゃ、次の地獄へレッツゴー♪」
蝉仙人の笑い声が遠ざかる中、世界がゆっくりと漆黒の闇に包まれていく。
ジィ……ジィィィ……ジィィ……